3-09『きっと、当人以外は知っていた5』
こいつが俺にとっての、楽しい夏の始まりの顛末だ。
かつて旧友――宮代秋良は俺に言った。
『いいかい。これは理論――あくまでも思考と計算に基づいて行うべきものなのさ。それだけは忘れちゃいけないぜ。感覚や快楽を優先するものでは決してないのさ』
俺は、さて、それになんと答えただろう。
確か否定的な返答をした気がする。あくまで楽しむことが第一義なのだから、それでは目的と矛盾するのではないのか、とかなんとか。そんなことを言ったように思う。
とはいえ別段、それは秋良の論を否定するために告げたわけではない。俺が疑問に思う程度のことを、この頭のいい友達が考えていないはずないのだから。
現に秋良は答えた。
『そうだね、君の言う通りだ。だけどね、そんなことは別にどうだっていいんだぜ』
――矛盾しているって認めちゃうのかよ?
『ある意味では、ね。そうとも言えるし違うとも言える。いいかい、もし仮に、論理的に考えて絶対に正しい最高に冴えたやり方がこの世にあるとしよう。計算の上では、そこで考えられた通りに生きれば楽しい青春を送れる手法。それを仮定したとしてね、未那。とはいえだ。果たして人間が、そこまで全てを計算して、徹底して、その通りに生きられると思うかい? 答えは否だよ。そんなことは誰にもできない。少なくとも未那には間違いなく無理だとぼくは思うね。――だからいいんじゃないか。未那は結局、その場の感情を優先する奴だぜ。善し悪しは別としてね。主役理論はあくまで手段。目指す先へ行き着くために必要な助けになるもので、だから未那。行く先は、ほかでもない君が決めるんだ』
なぜならそれこそが、主役というものだからね。
と、ここまで告げられたときの俺の反応だけは未だに覚えている。
すなわち、
――いや、話が長えよ。
それを聞いた秋良は、それでも楽しそうに『だろう?』と笑うのだった。
※
夜になるまで、五人で遊んで過ごした。
楽しかった、以上の感想がないことが嬉しい。
使いどころなく燻っていたパーティゲームの類いをこの機に放出する俺。
ただ、思えばこれらを教えてくれたのが秋良だった。そのためだろう、誰も相手にならないほどの圧勝――とまでは言わないにせよ、平均勝率が最も高いのは彼女だった。
次に強いのが、これが意外にも勝司。勝負勘が働くとでもいうのだろうか、雑なプレイをする一方で、重要な勝負では勝ち越していく逆転型。その下が俺と叶で実力はイーブン程度。
まあ四人とも、総じて近いレベルだったと言っていいだろう。かなり盛り上がった。
……さなかだけが、もう、断トツで弱かったことにも一応触れておこう。
とにかく感情が表情に出まくるせいで、手札の強弱なんかを読まれてしまうのだ。
まあ運が絡む以上、さなかが勝つこともなくはない。勝率的には最下位でも楽しそうだった。
――いいなあ、と俺は思う。
ただ友達と集まって、部屋でテーブルゲームを楽しむだけの青春。その程度のことが、俺には楽しくて仕方ないのだ。
俺が望んでいた青春はこれだと、そう確信できる。
夜になって、このまま食事にでも行こうか、という話になった。
目指すは此香のおでん屋台。最近はバイトで夏の資金を貯めることに励んでいたため、なかなかご無沙汰な気分だ。
とはいえ、それはこういうところで使うためのお金。惜しむことはまったくない。
五人でかんな荘を出て、駅前を目指して歩く。
「――また今日は人数多いなあ。いらっしゃい!」
笑顔の此香。この前の一件もあってか、前よりもっと明るくなったように思える。
五人並んで屋台に座った。さなかと顔を見合わせて、少し笑う。
「ごめんね、五人で押しかけちゃって」
そのさなかが此香に言う。狭い屋台に、あまり大人数で行くのも悪い。
対する店主は快活に笑って、いいよと手を振った。
「連絡は貰ってたし、つーかそもそもそんな客来ないし。基本、店の修業の合間に趣味でやってるだけだからなー。空いてる日が不定期すぎて、なかなか」
「なるほど。修行は順調?」
いずれ此香の実家のお店にも行ってみたいなあ、と思いつつ問う。
「ま、ぼちぼちだな。うん、その節は世話になったよ。ま、ゆっくりしてってくれ。つかむしろ悪いな、こんな何度も来てもらっちゃって」
「ファンだからな、此香の。知り合いも来たし、紹介しておこうと思って」
言って秋良を紹介する。
そのとんがった風貌に驚くのは、まあいつも通りだけれど。
「――また何かやったのかい?」
そう、小さく訊ねてくる秋良のことは無視しておいた。
屋台に横に並ぶのも悪いため、少し離れたテーブル席のほうを借りて座る。
食事の間も話題は尽きなかった。秋良はまあ人当たりがいいから、打ち解けるのもずいぶん早い。特に勝司とは気が合ったらしく――ふたりとも主役的だからなのか、それとも単に秋良の容貌が整っているからか――かなり会話が弾んでいた。
その内容が俺の過去に関する諸々であることにはモノ申したい気分になるけれど。俺のキャラが崩れちゃう。
「いや。未那に崩れるキャラとかもともとないだろう」
「何も言ってないだろ……なんで何も言ってないのに俺の考えを読むんだよ」
「だいたいわかるさ。長い付き合いだからね」
くつくつ噛み殺すように笑う秋良に対して、返せる言葉なんて何もなかった。
いったいいつになったら、俺はこいつに勝つことができるのだろう。
「……へえ。仲いいんだなあ」
と。そんなやり取りを見て呟いたのは、おでんを運んできた此香。
「そりゃ、いちばん付き合いが長いからな、なんだかんだ。家族ぐるみっていうか」
軽くそう答えると、此香は目を輝かせて言う。
「なるほど……幼馴染みってヤツか! すごいな!」
「……すごいか?」
それで言うなら、実はさなかも同じだし。
隣に座っているさなかが、首を傾げた俺に小さく囁く。
「……此香、今はこんなだけど、昔はもっとかわいらしかったんだよ?」
「お、おい! やめろよ、さなか!」
からかうような笑顔のさなかと、慌てふためく此香。誰しも過去にはいろいろある、ということなのだろう。うん。ならば聞き出すほかあるまい。
決して俺の過去の話から話題を逸らそうとしているわけではない。ない。
「だって此香、わたしよりずっと女の子っぽかったし。結構インドア派だったよね。逆にわたしのほうが、割と外で走り回ってる感じの子どもだったと思う」
「ああ。確かに此香って、ときどきなんか乙女チックだよな。少女漫画とか好きそう」
「好きだよ、此香は。恋愛小説とかたくさん持ってるし」
「だーかーら、やめろって言ってんだろ!?」
「てか此香って口調作ってるよね」
「そうだよ? 中学の入るくらいまで自分のこと此香って呼んでたし」
「あーあーあーあーあーあーもうっ! やめろって言ってるだろ、メシ持って帰るぞ!?」
顔を真っ赤にして否定する此香と、それを愉快そうに見て笑うさなか。
うーん、眼福だ。仲よきことは美しきかな。
「……だいたいさなかだって、別にあたしのこと言えないだろ」
「え!? な、何が!?」
「最近、なんか恋愛系のマンガとか、昔のドラマとかよく観てるだろ」
「――みみ、み、観てないよ!?」
「や、自分で言ったんじゃん。ヒロインについて勉強してる、とかなんとか――」
「違うからねっ!?」
いつの間にか追い詰められる側に回ったさなかが、なぜか俺を見て否定した。
うん。大丈夫だよ、さなか。言われるまでもない。
「知ってた」
「なんでえっ!?」
「むしろなんで知らないと思ってたのかがわからないんだけど」
さなかのヒロインチャレンジにも、そろそろ慣れてきた頃合いである。毎回、あ、また何かに影響されたんだなあ、というのがありあり見て取れる。
「涙ぐましい努力をしてるんだよ、さなかは」
いつの間にかマウントポジションを取り返した此香が、ニヤニヤ笑いながら言う。
あっさり取り返されちゃう辺りが実にさなか。そう思いながら、今度は此香につく俺。
「努力って?」
「そりゃもういろんな占い調べたり、アピールできる方法を探したりとか」
「ちょ、ちょっ、やめてよ!? それは単に、えと、その……そういうアレってだけで!?」
「そういうアレってなんだよ……まあ未那も、その辺はわかってやってくれよ。うん」
頷くようにそう告げた此香に、俺も笑顔を作って応じる。
さなかはもう顔から湯気を立てて停止していた。
「もちろん。さなかのがんばりは、俺がいちばんよく見ているとも」
「おっ! 言うねえ」
「言う? いや、まあともかく、此香もさなかのことは見守ってやってくれ」
「あはは! ……へ? いや、なんであたし?」
「いや、だって俺だけ見てても意味ないし」
「……なんで?」
「何が?」
「…………あ、あれ?」
此香が、何か違和感があるという視線で辺りを見回した。どこか会話が噛み合わない。
俺も視線をずらしてみると、秋良が実に厭らしい笑みでこちらを見ており、勝司は呆れ顔で肩を竦めてみせる。叶は美味しいちくわを食べていた。
最後の奴はどうでもいい。
やがて、此香が何かを察したように小さく呟く。
「ああ……そういうことか」
「何がだよ?」
「いや? さなかもアホだなって話だよ。まあがんばれ」
そのまま仕事に戻ってしまう此香。
さなかに視線を向けてみると、彼女は俺を少しだけ睨むような表情になって、小さくこう呟くのだった。
「……みなのあほぉ」
うん。よくわからないが、俺に当たることでさなかの気が晴れるなら受け止めよう。
それが男の甲斐性というヤツなのではなかろうか。なかなか主役っぽい。
小さな満足を噛み締める俺の正面で、秋良と勝司が、小さな声で会話をする。
「……面白いことになってるなあ」
「だろ?」
「さすが未那だねー。毎回、何がどうあっても絶対に状況を拗らせる才能があるよ」
「やっぱりな。こいつはそういう奴だと思ったんだ俺も」
「いやいや勝司、きっと未那は君の想像を超えるよ? 別段、未那も鈍感で頭が悪いってわけじゃないんだけどねえ。こう、ちょっとばかり答えを急ぎすぎるというか」
「あー……なんかわかるなそれ。さすが長い付き合い」
「――あんたら仲よくなったなオイ」
とりあえず、バカにされているということだけは理解した。
まあ、さなかとの青春公園での一件を知っているのは俺だけだから、これは伝わらなくても仕方ないだろう。
ともあれ。そうして、楽しい夕食の時間は過ぎていった。
会計を済ませて解散したあとは、電車に乗って帰る勝司を見送って帰路につく。
「一応、今日は普通に帰るよ。用意もないし、家族にも何も言ってないから」
さなかは言った。まあ、いつ泊まりに来るかは今度また考えればいいだろう。
改めて考えてみれば歓迎すべきイベントであることは事実。密度の濃い一日だった。
暗い夜道を照らす外灯。あるいは家々から漏れる光。閑静な住宅街の片隅は、遅い時間でも闇に呑まれることはない。ぬるく湿った空気さえ、今はそんなに悪くない。
四人で歩く帰り道。この楽しい一日の終わりが名残惜しかった。
「――ところで」
しばらく歩いていると、なんの気なく秋良が口を開いた。
口調、というより声音の固さから、たぶん俺に声をかけたのだろう。俺は言った。
「ん、どした?」
「いや。そろそろ、ぼくがここに来た本懐を果たしておこうと思ってね」
「……なんだ、それ? なんか嫌な予感がする前フリだけど」
「別に大した話じゃないよ。君の理論、その進捗具合いを聞いておこうと思っただけさ」
「それならまあ、今日見た通りって感じだよ」
軽く、俺はそう答えた。ある意味、そのための一日だったと言ってもいい。
秋良には感謝しているのだ、これでも。彼女の助力なくしては、俺は主役理論など思いつきもしなかっただろう。実際、作ったのは大半が秋良だと言ってもいいくらいだ。
かつての俺からは想像もできないほど、ありふれた、それでいて充実した夏の青春。
確かに俺は、共同制作者への礼儀として、それを見せる必要があろう。
「……なんつーか、まあ、ありがとな。わざわざ宿泊券まで貰っちゃったし」
「言ったろう? 親の仕事の伝手さ。ぼくが身銭を切ったわけじゃない」
「だとしても、それをわざわざ頼んでもらってきてくれたのは俺のためじゃんか。まあ、感謝はしてるよ。ありがとう……なんか、ここでそれを言うのは恥ずかしいんだけど」
「構うこたあない、ってヤツだぜ。――友達だからね」
「……そうだったな」
秋良は軽くそう答える。
さなかが、小さく笑って言った。
「此香も言ってたけど。本当に仲いいよね、ふたり。ちょっと羨ましいくらい」
「そうかな。ぼくからしてみれば、むしろ君たちふたりに妬けるけれどね」
秋良の口調が、俺に対するときのものと同じになっていることには気がついていた。
さなかも少しだけ驚いた表情をして、それから言う。
「……あはは。それ言われちゃうとなんだけどさ。うん、でも単純に、やっぱりふたりの関係って羨ましいよ。こんなに仲のいい友達同士って、本当はあんまりいないと思う」
「照れるね」
などと照れもせず秋良は言う。
そこで、久々に叶が口を開いて言った。
「――ひとつ、訊いてもいい?」
誰に対しての問いだったのだろうか。それはわからない。
ただ、答えたのは秋良だった。
「何かな?」
「うん。いや……別に大したことじゃないんだけど。秋良さんは、未那とよく電話で連絡取り合ってたじゃない?」
「ときどきね。未那の話を聞くのは楽しいから」
「うん。で、まあ、ほら。わたしも一応、遺憾ながら同じ部屋で暮らしてるようなものだからさ――訊いたことがあるんだ。いつも電話してるのは誰なのか、って」
「……それで?」
「未那、旧友だって答えた。――なんで旧友なの? 普通に、友達って答えればいいのに」
それは実質、秋良ではなく俺への問いだ。そのことに少し驚いた。
叶がそんな些細なことに気づいていたことにも。それをこの場で訊ねたことにも。その全てに、意外という以外の感想がない。
そしてその上で、問いには秋良が答えた。
「――旧友だからだよ」
「答えに……なってないと思うんだけど」
「友達が旧友とは限らないが、旧友は友達だろう。――別に、意味なんてその程度さ」
「……そう」
気づけばなぜか、空気が重かった。暗い話をしているわけでもないのに。
なぜ、叶はそんなことを、あえてこの場で秋良に訊ねたのだろう。そんなことに興味を持って言葉に変えるような奴であると、俺は叶のことを認識していない。
ただおそらく、秋良の答えが叶の意図にそぐうものではなかったらしい、ということだけは察した。
その上で、秋良は場の空気など一切、意にも介さずこう続ける。
「――さて! それより叶さん、ちょっとぼくらはひと足先に戻っていようと思うんだが構わないかな? 一応、叶さんにはいっしょに来てもらわないと入れないからね」
「へ?」
きょとんと目を見開く叶。この空気で、そんなことを言われるとはまさか思うまい。
「ほら、ぼくはまだ荷物を開いていないから。先に準備をしておきたいんだ」
「それは……まあ、いいけど」
「ぼくも一応は女子だ。別に未那に下着を見られたところで困らないけど、そこはそれ、親しき仲にもというヤツさ。先に行って準備をしたいんで、付き合ってほしいな。ああ、もちろん未那は時間を潰してきてくれよ? さなかをちゃんと送ってからくることだ」
「……ああ」
と、察したように叶が目を細めた。続けて言う。
「いいよ。先に帰ってようか。――わたしも、秋良とは話したいことあるし」
「それは嬉しいな。じゃ、行こうか――叶。それじゃ、さなか。またね」
それだけ言うなり、ふたりはさくさく足を速めて帰ってしまう。止める間もない。
――いや。
さすがに俺も、こうまで露骨な態度を取られて意図を察せないほどの間抜けじゃない。秋良がいきなり主役理論の進捗確認を、などと言い出した時点で布石は置かれていた。
ただ、この方法はさすがにどうなのだろう。こうもあからさまに逃げられては、さなかだって意味に気づいてしまう。
そりゃまあ、そういうお膳立てってことなんだろうけど。
……でも、この空気はちょっと難易度高いんじゃないですかね……。
「あー……なんか、帰っちゃったな、ふたりとも」
俺は、さなかに向き直って、とりあえずそう言った。本当にとりあえずで、ぶっちゃけ何を言うべきかまったく定まっていない。
ただ気恥ずかしさを誤魔化しただけだ。
けれど、対するさなかは、なぜだか小さく笑っていた。
「だね。まったく、ふたりとも、あんな風に帰ることないのに」
「だよね……」
「ま、でも仕方ないか。あーあ、本当はもっと、いろいろ考えてたことあったのになー」
「……さなか?」
街灯の下。ロマンチックさの欠片もない平凡な住宅街の真ん中で。
スポットライトと言うには頼りない光を浴びながら、さなかはわずかに微笑んだ。
「ね、未那。――明日、いっしょに遊びに行こ?」
「……明日?」
「そ、明日。暇でしょ別に?」
そう言われた時点で、だいたいのことは察した。
秋良の根回しだ。そういえば、玄関で先にあっていたのだから。時間はあろう。
秋良が来ているこのタイミングで、そんな急な予定を言う理由がほかにはない。
「誘ってくれたのにさー。ぜんぜん日付決まんないし。もうわたしが決めちゃうよ」
ほかにも理由ありましたねごめんなさい俺のせいですねすみません。
じとっとした目を俺に向けて、さなかは唇を尖らせる。
「かと思えば、あんなにかわいい女の子と知り合いだったりするし。なーに、これ」
「……すんませんでした……」
「やだ。謝っただけじゃ許さないから」
――だからね。
と。さなかが一歩、こちらへと近づいてくる。
二歩、三歩、続けて俺の目の前まで。
触れてしまいかねないほどの至近距離。さなかは少しだけ顔を赤らめて、言う。
「んー……やっぱ、男の子だね。こう見ると。未那も」
「ち……近くない?」
「そうだね。わたしも今めっちゃ恥ずかしいんだけどさ。でも未那、ヘタレだし」
「――――――――」
「デートに誘ったくせにそのあとぜんぜん音沙汰ないし電話かけてきたかと思えばただの遊びのお誘いだしかわいい幼馴染みとか呼んでるし叶ちゃんといっしょに住んでるし! わたしのこと、ちゃんと、見ててくれるって話だと思ったのになー。おかしいなー?」
「……………………怒ってます?」
「怒ってないと思う?」
「思わないです……」
「嘘。別に怒ってないよ。でもそれはそれ」
ふう、と小さく息をついて、暴れる心臓を押さえ込んだ。
――大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。
心の裡で叫ぶ獣に、黙っていろと綱をかける。
笑顔を作れる自分に気づいた。なら問題はない。
主役理論に従えばいい。
「わかった。明日、デートに行こう」
「うん」
さなかも笑った。
「頼れるところ見せてよー? そしたら許してあげるから」
「……任せろ。俺は意外と頼りになるって、どこかではきっと評判だ」
「うわ、めっちゃ適当ー」
「それより、ほら、帰ろうぜ。ちゃんと送ってくから。明日の予定はあとで連絡する」
「だね。うん……なんか気まずくなってきたけど」
「それ言っちゃう……?」
「あ、ごめん無理。なんか急速に恥ずかしくなってきた……ちょっと離れて」
「酷くね?」
「あははははは……あとのこと考えてなかった」
「……ははっ」
最後にはやっぱり残念なところを見せるさなかと、笑い合いながら再び歩き出す。
その頃には、きっと俺も普段の調子に戻っていたと思う。確かにちょっと気まずいけど。
そう。だから、こんなものはきっと気のせいだろう。
――なぜかひとりで夜道を歩くのが、怖ろしく感じられてしまったなんて。
そんなこと、あるはずがない。
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