3-08『きっと、当人以外は知っていた4』

「いや。いやいやいやいやいや。何がどうなったらこうなるんだよ、お前」

「……そんなことを俺に訊かれてもなあ」


 少し経ったあと。遅れてやって来た勝司は、状況を知るなりそんな風に呟いた。

 もう完全にあり得ないものを見る視線で、驚愕と戦慄とを露わに向けられる双眸から、俺は顔ごと視線を背ける。

 それ以外、ほかにどうしろというのだろう。


「両手に花どころか、何これ。三刀流? 何、舐めてんの? 人生舐めてんのお前?」

「だから、そんなつもりないって言ってんだろ……」

「だったらどうしてこんな羨ましい状況になってんだよ言ってみろ……!」

「……えー。なんか……流れ」

「やだもうこいつブッ飛ばしたい。全男子高校生を代表して俺がブッ飛ばしたい」


 けっ、と吐き捨てながら首を切るジェスチャーの宍戸勝司であった。

 まあ確かに、客観的に見れば俺だって同じ風に思うだろうが。それでも、もし主観的に見るのなら、これはきっと勝司が羨ましく感じるべき状況ではないはずだった。

 だって、さなかはともかく。

 ほかは別に、そんな、なんか女子ってアレでもないし。


「……まあお前の考えてそうなことはだいたい察したけど表情で」


 すっと目を細めていた俺を見て、小さく勝司はそう言った。同じく視線を細めて。


「それでも、あえてひとつだけ言わせてもらっていい?」

「……どうぞ」

「死ね」


 端的極まりない罵倒であったとさ。

 うーん。なんだかな。いや、わかるんだけどさ。面子がもうちょっと違っていれば、俺だって勝者の笑みを浮かべながら、嫉妬や殺意を受け止められたのだろうに。

 なんとなく釈然としないのはいったいなぜだろう。

 なぜも何も理由は明白だが。


 視線の先には、卓袱台を囲んで談笑している三人の少女の姿がある。

 といっても本当に笑みを見せているのは旧友・秋良だけで、さなかの視線はあちこちに泳ぎまくっているし、叶に至っては笑うどころか表情が死んでいる。もうどうとでもなれという風情だった。

 それを、会話に交ざることもなく部屋の隅から眺めている野郎ふたり――という現状。

 何がどうしたらこうなるというのか。


「……で?」


 と、勝司が小声で俺に耳打つ。さっきまで言っていた文句は、勝司なりの冗談だったということらしい。

 ふと真顔に戻って、そしてこう訊ねてきた。


「あの子……えーと、宮代秋良ちゃん、だっけか。いや、すげえ美少女だよな」

「まあ、全般的にスペックが高い奴であることは事実だな。頭もいいし運動もできる」

「……どういう関係だよ?」


 そう訊かれるだろうことはわかっていたし、なんの抵抗もなく事実を即答できる。


「元友達だよ。それ以上でも以下でもない。言ったろ、旧友だって」

「そうは聞いてたがな。……あー、仲はいいんだろ? なにせ遊びに来るくらいだし」

「そりゃな。でも、もう言っちゃうけど、別に付き合ってたなんてことはないぞ」


 俺と違って、当たり前だが秋良はモテた。

 というより、人に好かれていた、と言うべきだろうか。

 回りくどい口調や《ぼく》という男子っぽい一人称は彼女の素だが、それを誰かれなく見せていたわけでもないのだから。学校では明るい人気者だった。


 もちろんその分、妬み嫉みを買うことはあったが、その程度で折れる奴でもない。

 そういう秋良の強さ――いや、したたかさは、今この場で、あの叶を相手にしてなお、完全に会話の主導権を握っていることからも察せられるだろう。さなかはともかく。


 さなかはともかく。


 さておき、そんな奴だから当然、仲のいい俺と付き合っているのではないか、なんて勘繰りはこれまでに何度か受けたことがあった。

 答えは、勘違いの余地なくノーである。


「仲はよかったからな」


 俺は笑って言う。


「ぶっちゃけ言えば初恋だったし。たぶん」


 突然の暴露に、訊いた側の勝司が目を見開いていた。ちょっと達成感。


「……んなこといきなりぶっちゃけんじゃねえよ。逆に聞きたくなかったわ今」

「でもなんもなかったしな。フラれたとかでもなかったよ。小学生の頃の話だし、なんとなく自然消滅っつーか、そもそも本当に女子として好きだったのかも怪しいような話だ」

「いやー……まあわかるけどよ。そんなもんだよな、あの頃は」

「そんなもんだろ。仲いい女の子がいたら、好きだと思っちゃうんだよ、男なんて」

「……本当になんもなかったみたいだな」

「そう言ってんだろ。……つか、言うなよ?」

「言えねえよ。誰にだよ」

「わかってんだろ」

「わかってるけどよ……お前ら本当に難儀だな。叶ちゃんといい、さなかといい」

「友達が、少なかったもんでな」


 勝司は一瞬だけ俺に視線を向け、それからすぐ正面に戻して言った。


「だろうな」

「……それは酷くない?」


 という俺のツッコミは一切無視して、勝司は軽く肩を竦めると、会話を切り上げて女子チームのほうに向かっていく。

 冷蔵庫から出してきた、余りの菓子類を手にして。


「お待たせー、っと。そろそろ会話に入れてくれよ、俺も」

「あ、勝司くん。ありがとう」


 にこりと笑みを見せる、仮面舞踏会状態(素顔を偽っている的な意味で)の秋良。学校などにいるときと同じ、実にかわいげのある口調だ。


「でも、そっちも男子同士で、なんか密談してたよね。いったい何を話してたの?」

「そりゃ男子同士の話だからな。女子に教えるの野暮ってもんでしょ」

「それもそっか。なんか感慨深いなあ」


 そう言って、秋良がこちらに視線を向ける。

 その瞬間にはもう、俺と話すときの素の秋良の感じに変わっていた。


「未那の成長を見る思いだよ。泣けてくるね。あの尖ってた未那に、こんなにたくさんの友達ができたんだから」

「……なんだそりゃ」


 そう答えながら俺も台所から歩いていく。

 果たして、このキャラの使い分けになんの意味があるのだろうか。みんな見ているのだから、口調をいちいち変える意味がないと思う俺である。

 少なくとも中学までは、俺に話すときでも学校では仮面を被っていた。


「親の代わりに来たからって、お前まで俺の親みたいなこと言い出すんじゃねえよ」

「はは。まあ、その辺りは勘弁してほしいな。ぼくの気持ちも少しは考えてくれてバチは当たらないと思うよ?」

「なんだよ、お前の気持ちって」

「そりゃ、いちばんの友人と別れて久々の再会なんだ。それなのにこうも見せつけられてしまったら、少し妬けてきてしまうのも無理ないだろう?」

「男同士に妬くなよ……」

「ああ。ところで未那、今後の予定はどうなっているんだい?」


 軽々と話題を転換する秋良だった。

 ……まあ、いいや。こいつに言葉で歯向かうなんて、まるで意味がないのだし。


「いや、しかし急に今後って言われてもな。どういう意味だ?」

「夏休みの予定を訊いているのさ。ほら、ぼくは急に来てしまったからね。未那のほうの予定に極力合わせようと思っているんだよ。夏だぜ? 出かける予定くらいあるだろう」


 わざと何も日付を伝えずに来た奴から言われること自体に釈然としないが、確かにこの点は秋良の言う通りでもある。

 そもそも、さなかと勝司を呼び出したこと自体、この夏を楽しく過ごすため、というか何もイベントなく進んでしまっている反省だったのだから。


「あー。その点、みんなどうよ?」


 俺は話題を周りに振ってみることにした。

 せっかくの夏休みだ。できればみんなで旅行に行くとか、それくらいの青春イベントが欲しいところ。

 この空間青春濃度の薄さでは、やがて呼吸ができなくなってしまう。


「ま、確かになー。せっかくだし、どっか行きたいよな。海とかさ」


 最初に乗ってくれたのは勝司である。やはり、こういうときは頼りになる男だ。

 そしてさなかも、こういう話になればノリがいい。ようやく混乱状態から回復すると、首を傾げてこう問い返した。


「それはいいけど、どうしよっか。なんかアテとかあるの?」

「いや、そりゃ特にねえけど。まあ別にどこだっていいんじゃねえの? 俺も一応、夏はバイトしてっから、遠出も行けるぜ?」

「へえ。バイト始めたんだ、勝司。何やってるの?」

「短期のイベント設営とかだな。結構動くけど日払いだし、実入りはいいんだぜ」

「あははっ。それは勝司っぽい」


 確かにそれっぽい、とか考えながら俺は問う。


「そういや、さなかは? なんかバイトとかしたりしないの?」

「うーん。やってみたいなー、くらいは考えてるんだけど。あんまりお金が欲しいかって訊かれたら、別にそんなこともない感じでさ。……ウチの親、結構わたしに甘いし」

「ともあれ、したら予定と金銭的には割とみんな行けそうな感じなんだな。だったらいいじゃん。夏の思い出作りってことで、どっか行こうぜ。もちろん秋良ちゃんもさ」


 まとめて言った勝司に、くすりと微笑んで秋良が言った。


「だそうだけど、未那。どう思う?」

「なぜ俺に訊くかね」

「この流れでそういう話になれば呼んでくれるだろう、みんな。ぼくも、ご一緒していいなら是非にとは思うさ。ただ、言わせているようでアレだからね。なら未那に訊くさ」

「……まあ、いいんじゃないの別に」

「ふむ。……なら、あとは叶さんだね。叶さんはいっしょに来ないの?」


 ――うわ言っちゃった。


 と、たぶん秋良以外の全員が思ったことだろう。ある意味で爆弾発言だ。

 もちろん俺も、勝司もさなかも、できれば叶に参加してほしいとは思っている。だからこそ、あえてこの場で俺も話を振ったわけだ。

 しかし、相手は脇役哲学者。集団行動超絶億劫ガールこと友利叶だ。

 話が始まった瞬間から、我関せずと視線を背けていた。


 どのタイミングで話を振ろうか、俺たちも隙を伺っていたわけだから、ある意味で秋良から切り出してくれたことはファインプレーかもしれないけれど。

 どう出てくるか。


「……え。いや、わたしは……」


 やはりと言うべきか。うげ、という表情の叶だった。

 とはいえ、これは押せば落ちるタイプのリアクションであることも間違いない。本当に嫌なら叶は即答で断るし、そもそも別に人を避けたがっているわけでもない。面子が知り合いで固まるなら、実のところ旅行は好きな奴だ、むしろ行きたいくらいだと思う。


 ……そう考えると、なんだか面倒臭いタイプのツンデレみたいな奴だ。


 ていうか、叶って案外、割とちょろいよね。

 実はこいつ、友達めっちゃ好きだよね。


 あとひと押し。何か決め手になるもの、叶が参加を決意するに足る、言うなればエクスキューズになるものがあれば、こいつを参加させることも不可能ではないはずだ。

 そしてその切り札は、なんとほかならぬ秋良自身が、懐からさっと取り出すのだった。


「――実は、こんなものがあるんだけれど」


 言って秋良が示したのは、一枚の紙切れ――いや、チケットだった。


「それは……」


 と呟きかけた叶に、秋良が無駄に様になったウィンクを見せてこう答える。


「――温泉旅館無料宿泊券。六名様分」


 ぴくり。と、叶の肩が震えた。

 それを隠すように、趣味人の少女は小さく問い返す。


「……ちなみに、それ、どこ温泉?」

「伊香保温泉」

「……群馬か。うん近いね。石段が有名だよね。風情あるとこだよね……そっか」


 あ。

 これもう叶さん落ちましたわ。

 ちょろすぎですわ。


「えーと……六名様分って言ったっけ、秋良さん」

「言ったよ? うん、だから余らせちゃうともったいないよね」

「あー……そうだよね」

「まあ夏より冬って感じかもだけど」

「いや? いやいやいや、それはいいんじゃない? 別に。うん」

「そうだね。きっといつ行っても素敵なところだよね」

「――――…………」


 海や祭りに行く、という騒がしい感じではなく、行く先が温泉という辺りが叶の趣味にオーバーキル(根拠は俺も好きだから)。その上、チケット人数が余るともったいないから仕方なく参加する、という言い訳まで完備ときたもんだ。

 これはもう絶対に落ちた。

 とどめを刺すように、勝司が言う。


「……いいの? そんなもの使わせてもらっちゃって」

「もともと未那へのプレゼントとして持ってきたつもりだからね。両親の伝手で、ペアのチケットが三組も手に入ったんだ。元手はかかってないから、気にしないで大丈夫」

「すごいな……」

「ここで使わなければ無駄になっちゃうから。本当、気にしないでほしいな。ちなみに、言った通り六人分なんだけど、あとひとり誰か心当たりある?」

「まあ、この面子ならあとは葵かな。たぶん空くだろ。それ、日付とかは?」

「実は今年中ならいつでも使えるんだけどねー。ん、だとすると五人は確定でいいかな。あとひとり分だけ余っちゃうなあ。……ね、叶さんもいっしょに行こ?」


 俺はもう、秋良が怖くて仕方ありませんです。

 決定打にして致命打だ。叶は、まるでさなかのようにしばらく視線を方々へ彷徨わせたあと、小さく息をつき、それからちょっと高い声で、やれやらとばかりにこう言った。


「……うん。そしたらわたしも、参加させてもらおうかな? せっかくの厚意を、無下に断るほどわたしも空気読めないわけじゃないし。ほら。六名まで行けるみたいだしね?」


 ものすっごいなんの気ない感じを装って言った叶を見て。

 思わずといったように、小さく、こんな言葉をさなかが零した。


「……叶ちゃん、かわいっ」

「さなかっ!?」


 そんなことを言われるとは思っていなかったのか、愕然とする叶である。

 なんだかんだで、さなかと叶はやっぱり仲がいいみたいだった。


 ――みんな、きっと知っているのだと思う。

 たとえ本人だけは気づいていなくても。叶が、そういう人間だっていうことを。

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