3-02『主役理論の夏(目前)2』

 そうしてスポーツフェスタは、つつがなく全日程を完了した。

 取り立てて語るようなイベントなどない、というかスポーツフェスタ自体が取り立てて語るところのあるイベントではそもそもないのかもしれない。それくらいには普通の顛末。


 ……俺の活躍?

 そこそこ程度、と言ったところか。


 もともと運動はあまり苦手ではない。いや、本当に幼い頃は結構な苦手分野だったのだが、いつからか例の旧友と方々を駆けずり回るようになってからは、体を動かす、ということにも慣れてきたらしい。

 勉強と実のところ同じで、この手のものは反復と慣れだ。

 少なくとも、応援に駆けつけてきてくれた女子たちに恥じないくらいの役には立ったと思っている。

 ――まあ、彼女たちの目的は大半が俺でなかったのも事実だが。


 バスケでは勝司が八面六臂の活躍を見せ、全勝という結果を見事にもぎ取った。

 だからといってなんの見返りもないが、ここは思い出がかけがえのない宝物なのだ、とか嘯いておくところだろう。何も間違った認識ではないと思う。


 これでいい。こういうのがいいのだと、主役理論者は声を大にして主張すべきだ。

 俺を主人公とした物語に――仮にそんなものがあるとすれば、だが――客観的な面白さなど必要ではない。

 主役とはエンターティナーではなく、むしろその逆。あくまで主観としての楽しさを追求していく存在だ。

 ならば俺は、俺の現状に心底から満足できる。


 ――ああ、今日も楽しかった。


 と、たとえば夜、寝る前なんかに振り返ってみて、そんな満足感を確信できればそれが最高だ。これ以上の幸いなど、むしろこの世にあるだろうか。

 あるかもしれない。

 けれど俺はそれを知らない。

 ならばないも同然で、だったら今を謳歌しよう。


「てわけで、打ち上げをしたいと思っています!」


 そう俺は言った。すでに閉会式を終え、クラスメイトたちも半分以上が帰っている。

 そんな中、残ったひとりである吉永よしながあおいが首を傾げて俺に訊ねた。


「え? いや……するじゃん。全体で」


 という言葉の通り、一年一組全体で夏休み前に、このスポーツフェスタとプラス期末の打ち上げが、主に勝司と葵主導で企画されているのだった。

 こちらは全員参加ということで、まあ一学期も終わることだけどこれからもみんなよろしくね的な、そんな会になる。


「もちろんそれはそうなんだけど。じゃなくて、俺らだけでもやろうぜっていう。今日のうちに、この楽しみの余韻にもう少し浸っていたい……そうは思わないだろうか?」


 俺は思う。なにせ入学して以来、最初のビッグイベントだ。

 空間青春含有量は70%以上を記録して揺るぎない。この濃密な青色の空気を、まだまだ俺は吸い足りていないのだ。あまりに欠かしては禁断症状が出てしまう。

 それは嘘だが。


「いいけど、何かアテがあるってこと?」


 と、勘のよさを見せたのはさなかだ。勘というかまあ、さなかには主役理論の話をしてあるのだから、おそらく最初から俺が何か言い出すと読んでいたのだろう。

 そしてもちろんその通りだ。アテがあって言っている――というか、アテがあったからこそ、この会を企画したと言ってもいい。

 打ち上げ云々、というほうがあとづけだ。


「もちろん。みんな、特にこのあと予定ないよな?」

「急な話だなあ、おい。……ま、実際確かに暇なんだけどよ」


 まず勝司が言った。こいつが喋ると、いい意味で空気が軽くなる。

 だから、というわけでもないのだろうが、さなかも葵も続けて参加を決意してくれる。


「わたしもいいよー。このあとは特に予定もないしね」

「じゃ、あたしも」

「うっし!」


 あまり人数は集められないため、まず彼らを誘ってみたのだが、いい感じだ。

 一度頷き、それから俺は背後を振り返って、待たせていたもうひとりにも問う。


「――という感じなんだけど、どうだ?」

「もしかして、その話をするためだけにわたしを残したわけ……?」


 相変わらずの眠たげな瞳で睨みつけてくるクラスメイトにして同居人――友利叶。


「もちろんその通りだけど? お前も来るかなって」


 そして俺は悪びれもせずに言う。叶はますます胡乱な表情になった。

 それは叶の、俺に対するいつも通りの反応だ。どんな内容だろうが俺が話しかけている時点で、こいつはとりあえず面倒臭そうに反応するのだから。お前が面倒だと言いたい。

 だがこの辺りの細かい関係は、知らない人間にとってすれば伝わりにくいものらしく。


「……叶ちゃんは今日、何か用事があるの?」


 ちょっと不安そうにさなかが訊ねた。

 この三人からすれば当然、叶も友人の範疇の中にいるわけで。特にさなかは最近、よく叶と話しているところを見ていた。

 そして叶自身、もともとは猫を被って明るく振る舞っていたところからわかるように、基本は人当たりのいい振る舞いをする奴なのだ。

 目立たないということは、地味だということとは違う――というのが叶の方法論。

 さなかたちには素を見せているとはいえ、こうなると断りづらくタイプだったりする。


「いや、用事はないけどさ……」

「ならいっしょに行こうよ。……だめ、かな……?」

「……、……まあダメではないんだけど」


 というか基本的に、叶はさなかに非常に弱い。

 叶は俺や、あるいは多くの人間がそうであるように、大なり小なり関係性というものに計算を働かせる人間には非常に強く出られるのだが、さなかはそれとは少し違う。

 彼女の言動には、演技や計算というものがまるで含まれていない。最近よく演劇をするようにはなった(いや違うけど)が、その下手くそっぷりからもわかると思う。


 仮面らしい仮面を、湯森さなかはほとんどつけていないのだ。


 どこまでも普通だと彼女は言う。

 が、普通であれることがどれほど普通ではないのかについては、彼女はいまいち自覚がないようだった。それは、さなかの美徳だろう。

 だから俺は助け舟を出した。

 もともと今回の件に限っては、主役や脇役がどうとかではなく、単に善意で声をかけたつもりだ。

 むしろ呼ばなかったときのほうが、叶の恨みを買ったことだろう。


「……なあ叶。実は、今日はほのか屋に行く予定なんだ」

「ほのか屋?」


 その発言は見過ごせなかったのか、食いついてくる叶だった。


「今日は臨時休業って聞いてるけど。何、まさか無理言って貸し切ったりしたわけ?」

「まさか。お前だって知ってるだろ。真矢さんがなんであそこでバイトしてるのか」

「真矢さん? ……待て、まさか……っ!?」


 戦慄する叶。どうやら奴も、おおむねのところを察したらしい。


 ――瀬上せがみ真矢まやさん。

 俺も叶もお世話になっている、先輩バイトの大学生。


 この先輩、実はお菓子作りに非常に凝っていらっしゃるお方だ。

 さばさばした性格とのギャップについては、言及しようものなら殴られること間違いなしだが、その手腕は店のスイーツ担当である彰吾しょうごマスターの奥さん――宇川うかわ望海のぞみさんにも一目置かれるほど。

 別段、将来的にパティシエなどの道を目指しているというわけではないらしいが、それでも唯一の趣味だけあって本気も本気。お菓子作りへのバイタリティは、叶の脇役哲学に勝るとも劣らないレベルである。


 ――そしてこの事実は、もちろん叶だって承知の上。

 ゆえに俺は、叶が絶対に反応するとわかっている台詞を告げてやるのだ。


「真矢さん。新作。味見会。兼ねること望海さん出産アンド復帰祝い」

「なん……だと……?」

「ただでさえ真矢さんの新作がタダで食べられる上、今日は久々に望海さんが参戦する。お眼鏡に適えば店の新メニュー採用も見込める大事な試合だ。この意味、わかるな?」

「つまり今日の真矢さんは、いつも以上に全力……!」

「その通り。シフトの都合で俺だけ聞くことになったが、当然、この件は俺からお前にも伝えるよう言われている。店員には参加権があるからな。ついでにお友達もどうぞという言質を真矢さんとマスターから貰ってきた」

「なるほどさすが小賢しい。……で、なんで今日まで隠してた?」

「面白いかと思って」

「端的に死ね」

「なんとでも言うがいい。で、――来ないの?」


 叶さんは、それはもう憎々しげに表情を歪めながら、絞り出すようにこう言った。


「……ほんっとムカつく……!」

「はい来るってさー」


 敗北宣言代わりの罵倒を勝ち取って、俺は再び三人のほうに向き直る。

 そこで初めて、三人が揃って呆れた表情を見せていることに気がついた(俺と叶が)。


「……今の、来るって意味だったんだ。あー……以心伝心、だね……?」


 葵がそんな風なフォロー(?)を入れて、勝司もそれに答える。


「ていうか、叶ちゃんも割とノリノリな反応してたよね? 普段はそんななの?」

「はあ!? いや違っ、別にノリノリとかじゃないから! 単にこのバカに合わせてやっただけだって!」


 そして叶は、恥ずかしくなったのかさっそく俺を裏切った。こいつ……。


「いや。俺が叶に合わせてやったんだよ。こいつ意外と小芝居好きなんだから」

「やっかまし、ばか、ふざけんな! 未那が隠してたのが悪いんでしょ!」

「あー、はいはいわかった。いいからふたりとも。犬のエサにすらならんから」

「――遠回しに夫婦喧嘩って言うな!!」


 という台詞をね。

 これもまたね、うん。

 もう明言しなくてもいっかな、って思うんですけれども。

 それでもあえて触れておくとね――そう。


 また叶と異口同音に同時でした。

 もうやってらんねー。


 ここまでくると、もう一周回って恥ずかしいとすら思わなくなってくる俺たちだった。

 なんというか、ただただ世界の不条理さを冷笑するしかないというか。

 やれやれだぜ。

 精いっぱい気取って肩を竦めると、何を思ったのだろう、とことこ寄ってきたさなかが小声で言った。

 あのだから耳元で囁かれると本当にもうちょっと。


「……ねえ、未那」

「へぁ、うん。はいはい、なんでしょ?」

「とっ……突然ですがクイズです!」

「いや本当に突然ですね!?」


 なんでだよ。予想外すぎるよ。これもヒロインチャレンジの一環なのだろうか。

 いやクイズ番組の司会系ヒロインとかもはや意味がわからないけれど。

 混乱する俺。そんなこちらを待つことなく、さなかは自分の口でSEを鳴らした。


「じゃ、じゃじゃんっ。くーいず」

「…………」

「……あ、うぅ……これ思ったより恥ずかしかった……」

「…………」

「な、なんか言ってよ!?」

「……じゃじゃん」

「ぎゃー! そうじゃないよもーっ、未那のばかー!」


 なら言わなきゃいいのに、とは言わないでおいた。かわいかったので。

 今後も定期的にやってほしいまである。

 などとアホなことを考えつつ。やがてさなかはこう言った。


「んん……気を取り直して、問題です。い、今わたしは何を考えてるでしょうかっ?」


 まさかそんな高度な読心能力が要求されるクイズだとは想定していなかった。

 ちょっと難易度が高すぎる気がするのですがいかがでしょう。


「さ、さあ。ほら! 目を見て答えるのだ! 以心伝心ならきっとわかるっ!」

「目を見てって……言われても」


 実際、目を見てはいるのだが……ああ近い近い近い! そして恥ずかしい!

 さなかもまた俺の顔を、至近距離からまっすぐ見上げて――うひい。


「ほらもっと! もっと目を見て、その……う、あ、こっ、こっちを見るなあ!」

「言ってることが理不尽すぎるんだけど!?」


 顔を赤くしたさなかに胸を叩かれてしまった。恥ずかしいのはこっちのほうだ。

 それでも一応、なんとか絞り出して答えを考えてみる。状況から察するに、


「いや。未那のバーカ……じゃないの?」


 さなかは、なぜか妙に遠い目をして、小さく乾いた笑いを零した。


「……あはは。もう、ある意味正解ってことでいいや……はあ」

「てことは間違ってたんだね」

「今はあってるよ。……未那のばーか」


 わずかに頬を膨らませて、拗ねたようにそっぽを向くさなかだった。


 ……当ててほしがっていた、ということで、いいんだろうか。

 なんだか気恥ずかしい。

 ああもう。叶たち三人だって、素知らぬ顔で聞いてるって気づいてないのかな。


 別に俺は叶の考えていることがわかるのではなく、単にあいつが勝手に俺と同じことを考えているだけなのだが。

 なんなら、さなかのほうがまだわかりやすいと思う。

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