3-01『主役理論の夏(目前)1』

 夏! 青春! 主役の季節!

 そんな感じのハイテンションでお届けしたい今日この頃、皆さんお元気ですか?

 未那さんは元気です。


 はい。


 ……などと自分ですら若干ウザい脳内ナレーションをしてしまうくらい、今の俺は舞い上がってしまっている。

 と、自覚できるくらいまでにはテンションが下がった辺り、今のウザいナレーションにも多少の意味はあったのだろう。そう思っておくとする。


 ともあれ本日、金曜日。

 我らが雲雀高校の全校生徒は、朝から揃って校庭に集合していた。


 期末テストを目前に控えたこの七月初頭。

 最後の息抜きとばかりに開催されるスポーツフェスタ、その当日というわけだ。これでテンションの上がらないはずがない。

 なぜなら主役とは、あらゆるイベントごと全てを全身全霊全力全開で楽しむ者なのだから(断言)。


 すでに開会式を終え、生徒たちは三々五々、それぞれの目的地に散っている。

 このイベント――スポーツフェスタは、秋に行われる体育祭とは異なる、ちょっとしたお楽しみ行事だ。バスケやバレー、ドッジボールといった各競技にそれぞれのクラスからメンバーを振り分け、同学年同性同士で試合を行う。なお勝敗は特に記録されない。

 憂鬱な期末テストの前後を、このスポーツフェスタと夏休みで挟み生徒たちのモチベーションを保とうとか、言ってみればその程度のものなのだろう。おそらくだが。

 気合いの入ったクラスは全勝を狙ってみてもいいし、やる気がなくても平日の授業が丸一日ぶっ潰れるのだから、まあどっちにしたところで気楽なものだった。


 俺は一年男子のバスケットボールにエントリーしている。既定の時間に試合場所へ集合さえすれば、あとは一日、どこで何をしていてもいい。

 とりあえずは目下のところ、このまま校庭で行われる三年のサッカーを横目で観戦がてら、柔軟運動を行っていた。


 地べたに座り込み、長座体前屈でひと昔前の折り畳み式ケータイの気持ちなど味わっている(スマホ世代でよかったという感想です)と、背後からぽん、と肩を叩かれた。


「――おっす、未那! 気合い入ってんねー」


 上体だけ起こして背後に振り返り、明るい笑顔のクラスメイトに答える。


「よっす、さなか。そりゃ、やるからには勝ちたいからね。今日は元気だぜ?」


 主役理論者としては当然の返答に、さなかは笑って頷いた。

 学校指定のジャージ姿。誰もがほとんど変わらない格好をしているというのに、その中でさえ目立つほどの明るさを、彼女は持っている気がする。基本的にさなかは主役側だ。


「あっはは、さすが未那。なんかお祭り男っぽいイメージあるよね」

「それ、あんま褒められてる気がしないけど……でもまあ否定はできないか」

「……主役として?」

「おう。青春を彩るイベントを、楽しまなくてなんとする、ってね」


 小声で訊ねてきたさなかに、俺もまた小声でそう返す。

 なんだか、ちょっとくすぐったい気分だ。この広い校庭の片隅で、ちょっとした秘密をさなかと共有しているという事実に、頭の悪い優越感がある。


 ……あの日以来、さなかとふたりで喋っていると、妙に意識してしまうのだ。


「未那はバスケだよね。時間、まだいいの?」

「ああ、まだ余裕。校庭に残ってる男子連中はだいたいバスケ組かな。さなかは?」

「わたしのほうは十時半から。集合は早めじゃないといけないけど、もう少しはいられるかなって感じ。いやー、ドッジボールなんて、たぶん小学生のとき以来だよ」


 へー、そうなんだ。

 俺は一回もやったことがないぞ。おかしいな?


「あ……あれ、未那? なんか急に目が死んじゃったよ?」


 表情を一瞬で暗くした俺にさなかが言う。俺は首を振って答えた。


「いや、平気。気にしないで。ちょっと過去の悲しみが直撃して顔が歪んだだけだから」

「それは本当に平気なの!?」

「顔面セーフ」

「アウトだよっ!」


 キレのいいツッコミを見せてくれるさなかさんであった。

 ちょっとだけ、どや顔になっている。ご本人もご満悦のようで何よりです。

 かわいい。


「しかし、さなかは十時半からか。俺のほうは第一試合が十時四十五分だから、ちょっと応援には行けそうにないな」


 こんなところで名前も知らない野郎のサッカーなど見ているよりは、女子の応援にかこつけて試合姿を見ているほうがよほど楽しいだろうに。

 こいつは俺の所見なので、確たる証拠はないのだが……さなかは結構、胸がある。普段の制服以上に、体操着でいるところならばより浮き彫りになることだろう。


 ああ、なぜ俺はバスケを選んでしまったのだ!

 もしドッジボールを選んでいれば応援に行けたのかもしれないが……うん。

 やったことないからねー……まあ仕方ないですよねー……。


 ちょっと遠い目をしながら、かつての記憶に挨拶をする。

 元気だった? 俺の元気は今ちょうどなくなったとこ。うふふ。

 知らず背筋がどんよりし始めたところで、背中から「……よし!」と声がした。


「さなか?」


 いきなりのそれに疑問を返すが、さなかの答えは微妙にズレていて。


「――さなかではない!」


 というか意味不明で。


「は?」

「わたしのことは部長と呼びなさい!」

「――あ、はいはい。了解了解。いつものアレなのね。オッケー」


 湯森さなかさんのヒロインチャレンジのお時間だ。座して待つように。

 今日はアレかな。熱血系部活動ヒロインとか、たぶんそんな感じなのかな。

 楽しみー。


「さあ、もっと腕を伸ばして! もっとだ! もっと行ける!」

「え……ちょ、あっ、いだっ!? いだだだだだっ!!」


 背中を潰す勢いで思いっきり押され、足の筋がめきめき伸びていく。

 柔軟を手伝ってくれているのはわかったが、それにしたってまあ容赦がない。そこまで俺は軟体じゃない、と待ったをかけたいところだったが、


「あ……いっ、でぁ……!」


 言葉にならない。痛すぎる。あかん。

 くそう。どうしてこう、さなかは肝心なところで残念になるんだ……っ!


 自分の爪先を手で掴んだまま謎の拷問を受け続ける羽目に。

 さなかのほうは、まだまだ行けると判断したのだろうか。さらに強く、俺の背中にほとんどのしかかる形で――あ。


「……………………」

「どうした! 声が出てないぞー、どうした未那っ!」


 いや。いや、どうしたと言われましても。

 むしろそちらがどうしたというか。

 なんなら俺はどうしようというか。

 この状況をどうするべきだろうというか。


 もう背中から抱き着かれているに近い形でぐいぐい押してくるさなか。

 そのせいで、というかもう体勢の問題で当然にというか当たり前にというかそれ同じっていうか。


 ――あの。当たってるん……です、けども。


 まさかヒロインチャレンジ(という名の実質コント)に熱中するあまり気づいていないとでも言うのだろうか。

 ほとんど背中に負ぶさるような形でのしかかってくるさなかの、あの……あ、これ、想像よりもあるのでは? ジャージ越しでも、おう。うわあ。


 言語能力を失う俺だった。

 それほどの破壊力を持っていたと、そう述べておきたい。


 ――いやこれどうするべきだマジで!?


 男ならこの状況を楽しんでおくべきなのだろうか。それとも紳士たるもの真摯に事実を告げておくべきか。いやでもさなか気にしてる様子が皆無なんだけど。

 何これ。焦ってる俺がおかしいの? このくらい高校生なら普通なの? なんなの? 何もわからない。


「――お、おぉー……だいぶ柔らかくなったねえ」


 さなかが言う。いつの間にか、痛みを完全に忘れ去っていた。

 無我の境地だった。

 いや無我ではねえな。むしろ我欲にまみれまくってる。

 いずれにせよ俺にできることなど限られていて。

 小さくさなかにこう答えた。


「……そうだね、柔らかいねっ!」


 俺はいったい何を言っているんだろうっていうかもうこれセクハラでは?


 ――もう何も考えられなかった。

 天国と地獄が一度に襲いきた、とでも言おうか。今度こそ本当に無我へと境地に至った俺は、抵抗せず無言でされるがまま。

 そんな俺の耳元で、さなかが再び、小声で囁いた。


「ね、未那。ドッジボールは試合時間、決まってないからさ」

「へ――え?」

「んと、だから――試合、早く終わらせて、ちゃんと応援行くからね?」


 ――正直言って、ゾクッとした。


 思わず全身が震えるほど。

 吐息がかかるほどの距離で、いっそ艶めかしいような声音で告げられたその言葉に、まるで神経を直接、指先でなぞられたかのような感覚があった。

 それも束の間。直後にさなかはぱっと俺の体を解放すると、


「あははっ。うーん、これじゃダメか。また失敗かなっ」

「え……いやおい、さなか――」

「そ、それじゃ、わたし、みんなのとこ行くから! またあとでっ!」


 言うなり返事も待たずに、たたっと駆けて行ってしまう。

 そのままクラスの女子たちと合流して、何ごともなかったかのように、俺はひとりその場に佇むほかなかった。


 ――女子って、こわ……っ。


 珍しく、完全に大成功だったと言っていいだろう。

 まさかこんなにドキドキさせられるとは思っていなかった。それに気づかず行ってしまう辺りが、さなかっぽいのだが。


「……まーまー、赤い顔しちゃって、まあ」

「うおっ!?」


 呆然としていたところに突然、声をかけられて跳び上がった。

 まったく気づいていなかったのだが、どうやら勝司まさしがこちらに近づいていたようだ。


「つーかお前ら、よくこんなところでイチャイチャできるな、オイ。ここ校庭だぞ?」


 少し呆れ気味の勝司にそんなことを言われてしまう。


「別にイチャイチャしてたわけじゃねえよ。人聞きの悪いことを言うな」

「お前、その真っ赤な顔でよくそんなこと言えるな?」

「……いや、鎌掛けだろ?」


 ジト目で言った俺に、勝司は軽く肩を竦める。


「今は、な」


 さっきまでは赤い顔だった、と言いたいらしい。否定はできそうになかった。


「……そりゃあんなに接近されたらそうなるっつの、くそ……」

「まあまあ、いいことじゃねえの。仲よさそうで何よりですよお兄さんは」

「誰がお兄さんだ誰が。……ったく、さなかの奴、あんなこと意識せずにやるか、普通? 主役力が高すぎるだろ……こっちはどんだけ意識させられたと思ってんだ……」

「……これだよ。まあお前は、さっきのさなかの顔見てなかったからってのはわかるが」


 もはやひと回りくらい年下の子どもを見る目で勝司は言う。


「なんだよ……」

「顔が赤かったってのは、何もお前だけじゃなかったって話だよ」

「……、……」

「なんつーか……お前ら、かわいいな」

「うるせえ、バカ」


 ニヤニヤ悪い顔で笑う勝司に対し、俺はもう、そんな捨て台詞しか返せなかった。

 ああもう。祭りの熱気に浮かされすぎている気分だ。少し自分を落ち着かせるように、俺はゆっくり深呼吸をする。準備体操の最後は、これと相場は決まっていよう。

 立ち上がって落ち着く俺を見てから、勝司は薄く笑って、こう言った。


「――で?」

「いや……で、ってなんだよ」

「いつ言う気なんだよってことだ。ほらほら、俺にだけは教えとけって。な?」

「何そのウザいノリ……」

「そういうもんだろ、こういうのは」


 ……そういうもんか。

 なら仕方ない。主役はお約束を守らなければならない(?)。

 というかこれまで場の空気に合わせるということを人生でしてこなかったため、これはこういうものなのだ、と説明されるとどうにも弱かった。

 従わないといけない気になる。


 いや。まあ仮にそんな理由がなくとも、だ。


「――スポーツフェスタが終わったら言うつもりだよ」

「へえ……」


 ちょっと驚いたという風に、勝司が目を見開く。

 そんな意外そうな顔しないでほしい。


「期末が終われば夏休みに入っちまうからな。その前に一歩進んどかないと」

「なるほどねえ。いや、まあ確かに、そらそうだわな」


 頷きながら、勝司が視線を遠くへと向けた。それを追ってみると、先にはジャージ姿のふたりのクラスメイト。片方はさなかで、もう片方は――叶。


「ほらほら、叶ちゃん! そろそろ行くよー?」

「や、だからわたしは養護係だから、試合には別に……」


 なんか陽キャに絡まれてる陰キャみたいになっていらっしゃった。

 みたいなだけで実際はぜんぜん違うんだけれども。


「ならますます、みんなを応援しないとね。それともほかに観たい試合あるとか?」

「ない」

「わー即答。ま、ならいいじゃん。わたしのとこ応援してよ。ねっ?」

「……さなかはわたしを試合に出そうとするでしょ……」

「えー、しないよー? でも叶ちゃん、運動とか絶対得意じゃん。体育とか見てる限り」

「ほらそういうこと言う!」


 さなかは実に楽しそうに、叶の背中に絡みついていた。叶のほうはもう明らかに厄介だという表情を隠そうともせず鬱陶しげにしている。あいつ酷えな……。


「最近、仲いいよな、あのふたり」


 それを見ながら言った俺に、勝司が軽く肩を揺らして答えた。何かを笑うみたいに。


「――いや、まあ……どうだろうなあ? さなかが絡んでるだけじゃね?」

「ま、それはそうだけど」

「ああいうの、叶ちゃんは嫌いなタイプかと思ってたけどな。めっちゃ猫被ってるし」

「前までは借りてきた猫みたいだったのにな。今じゃ慣れてきた猫になってる」

「それで言うならさなかは犬だな。ありゃ忠犬タイプだ」

「女子を犬呼ばわりはどうなの」

「叶ちゃんは、あれだろ。目立つのが本当に嫌だってタイプだろ。苦手とかじゃなくて、単純に嫌いってタイプ。やりたくないからやってない、避けてるって感じ」

「強引に話題を戻すんじゃねえよ……」


 ともあれ俺は答える。

 別に、勝司の言っていること自体は間違っていないと思うが――ってかむしろよく見てんなあと感心さえ覚えるが。

 叶は、むしろさなかを好きだろう。


「あいつ、もし本当に嫌がってたら、あんなにされるがままになってないと思うぞ」

「……まあな。言うときは言うタイプだしな、考えてみりゃ。さなかにゃ荷が重かろう」


 ついに押し切られたのか、さなかに連行されて、叶が体育館のほうへ消えていく。その周囲には、楽しそうに笑うほかのクラスメイトの女子たちも見えていた。


「ま、いいことではあるか。叶ちゃんもなんだかんだ打ち解けてきたっぽいしな。あんな風にしてるとこ、前まで学校じゃ見なかったし」


 勝司のそんな呟きに、そうだな、と頷いて答えようとして。


「――――」


 なぜか。それができない自分に気がついた。


 どうしてだろう。

 何かに引っかかったことはわかるのに、いったい何に引っかかってしまったのかがわからない。ただ出どころのわからない感覚の意味だけを理解している。


 自分が、どうやらそれをいいことだとは思っていない、ということだけ。


 かといって悪く思っているわけでもない。ただなんとなく釈然としないだけ――そんな気分だ。

 よもや叶に対して独占欲でも抱いていたとか言うつもりか。俺が? いやいや。


「……そろそろ俺らも行こうぜ、勝司。外は暑い」


 結局、俺は何を言うこともなくそう告げた。元より語るべきことなど何もない。

 勝司は軽く頷いて歩き出すと、すぐに振り返ってこう言った。


「で、未那。これが終わったら言うっつってたけど、さっき」

「……なんだよ?」

「いや。いったいなんて言う気かな、と思って」

「なんてって……夏休みに、どっか遊び行こうって誘おうかと思ってるだけだけど」


 勝司はあからさまに落胆した、という表情で盛大な溜息をついた。


「お前には失望した」

「なんで!?」

「そこまで言うならもう告白しろよ、バカ」


 これでも割となけなしの勇気を振り絞っているつもりなので。

 あまり高いハードルを、俺に期待しないでほしかった。

 もちろん勝司は、そんな反論を待つこともなく。


「行くぞー」


 という声に従って歩き出した。


 ……どうでもいいけど。

 たぶん叶の奴、試合に出たくないから養護係を選んだよな?

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