S-08『プレプロローグ/主役理論者の日常』
――主役理論者の朝は早い。
それは、たとえ今日が日曜・休日であっても変わりなく。
いや、あるいは主役理論者に、その青春に、休みなどないと言ったほうが正しいのかもしれない。
……ふっ。
俺は鏡の前で、髪のセットを確認しながらひとり悦に入った。
外見を気遣うことも人間関係には大事である。ただでさえ俺は周囲に威圧感を与えやすい顔をしているらしく――難しい表情をしているときの未那は顔が怖いよ、と旧友にも言われていた――そのせいで、中学時代など何も悪いことはしていなかったはずなのに、気づけばクラスで不良生徒扱いだった。
いやまあ今思えば、あれはやっぱり俺の取った行動が原因だったのかもしれないけれど。ともあれ。
「……正直、差があんまりわからねえんだよなあ……」
前髪を細々と整えながら零す俺。こうしたセットも基本的には旧友から習った(あいつは、あれで、あの性格で、かなりオシャレな奴なのだ)ものなのだが、ぶっちゃけ習っただけというか、言われるがままにしているだけというか。
ワックスで髪をトゲトゲさせることの価値が、未だによくわかっていない。
まあ、こういうのは実際に格好よくなったかどうかではなく、《格好に気を遣っている人間である》ということを周囲に示すことが大事なのだろう。自分と会うときに身嗜みをきちんとしてくれている相手を見て、気分を悪くする人間など、まあそうはいないという話だ。そういう言外の、意識外の気遣いというものが、いつかどこかで活きてくるはず。
……あまり成果が実感できていないことも事実だったが。
もちろん俺だって、ちょっと髪を整えて服に気を遣うようになった程度のことで、いきなり劇的にモテ始めるとまで世界を楽観視はしていない。ていうか、その程度でモテるなら、たぶんこれまでの人生でももう少し女子から人気があった。
実際には人気があるどころか、俺がいるだけでひと気が散っていくレベルだったわけで。うん、朝から落ち込んできた。
これでも旧友からは「充分に格好いいと思うぜ? 元の素材も悪くないんだ」というくらいのお墨付きは頂いているし、俺自身、そこまで見た目が悪いわけでもないと願――もとい信じているのだが。
むしろ鏡の前で見る自分は、「あれ、俺って実はよく見ればイケメンなんじゃないの?」と錯覚できるくらいには、悪くない外見をしている。していると思いたい。ちょっと筋肉が(帰宅部の割には)ついていて、多少ばかり目つきが鋭いかもという程度で、全体的な造形は、うん、……だから不良って言われちゃったんですかね。
第一、おそらくイケメンとは《よく見なくてもイケメン》だからイケメンなのであって、《よく見たらイケメン》というのは《よく見ないとイケメンではない》という時点で、そもそもイケメンの定義に入っていないのだろう。
もはや《イケメン》がゲシュタルト崩壊してきた感じがある。
「ていうか、いい加減そろそろイケメンって表現も若干、死語になりつつある気がする……」
世ではチョイ悪だの草食だの塩顔だのと、流行はどんどん盛っては廃っていく。
こうなると、トレンドとやらを無理に追うよりは、いっそ開き直ってしまったほうがいいような気はするのだ。
――最低限のことができているかどうかが重要で、生まれついてのものなんて実はそんなに気にしなくてもいいんだぜ?
とかなんとか、そういえばクラスのイケメンが言っていた気もするし。
まあ言っている奴がイケメンだったので信憑性も疑わしいが、基本的にイケメンはいい奴なので少なくとも嘘ではないのだろう。そう思うと一理イケメンという気もした。一理イケメンってなんだ。
……もういいだろう。
髪を整え続ける不毛さ(髪なのに)に嫌気が差したため、下らなすぎるダジャレを頭から振り払って鏡を離れる。
時刻は午前九時過ぎ。
休日だし、叶はまだ起きてこないだろう。バイトは午後からのはずだし。
それでも一応、念のために《おでん》暖簾をくぐって隣を覗くと、光が差したか物音に気づいたか、もぞもぞと叶が身じろぎするのが見えてしまった。
赤ん坊のように据わっていない首をぐでんと動かし、目を細めながらのっそりと上体を起こす叶。投げられた掛け布団があっさりはだけて、色気皆無のジャージからへそが覗けていた。
……嫌だなあ。
昔より慣れたはずなのに、最近むしろ前よりこういうのでドキドキしてしまう。
落ち着け。そいつは女子ではない。友利叶という名のモンスターだ。俺は自分に言い聞かせる。
俺と叶との間に、そういう邪念があってはならない。
大きくかぶりを振って、暴走する思春期のパッションを脳内から払った。
「みぇあ」
声っていうか、もはや音でしかない何かを発する叶。いつも通りの朝の光景。
相変わらずというかなんというか。このなんとも言えない残念さに、もしかしたら助けられているのかもしれない、などと思いながら小さく苦笑する。
「ぅあー……んんっ、朝ぁ……?」
「今日はロードが早いな。ま、普段より遅いとこんなもんか」
「ぅえいぁ?」
「何言ってんのかわかんねーけども」
「あー……みなぁ、かー……」
ともすれば、こいつは寝起きがいちばん素直で口数が多いのではないだろうか。なんて少し思う。
普段から、なんだかやけに眠たそうな雰囲気のする奴ではあるけれど。外見オンリーで。
呂律も回っていないのだから、喋らなければいいものを。もちろん俺は、この件で叶をからかったことは一度もない――切り札は取っておくに限る――が、叶のほうもちょっと抜けているような。
まあ自分ではどうにもできないのだろう。実際、俺に寝起き姿を見られることを、初めは避けていたわけで。
そんなことを考えていると、ぺたんと布団の上で女の子座り的な体勢になっているジャージ姿の叶が、ぼさぼさの髪すら気にもせず、こちらを見上げてにへらと笑った。
なんでか少しだけ、嬉しそうな表情で。
「うぇへー……おはよー、みなー……」
「…………………………………………」
違う。不意打ち。今のは違う。気のせい。気の迷い。
かわいくない絶対かわいくないこいつはかわいくない全部単なる勘違い。
ちょっと顔がよくて体の小っちゃい奴が普段の表情と違う気の抜けきったあどけない笑みを見せたからなんだ。
その程度のことに気を取られるなど主役として精進の足りていない証拠ではなかろうか。
あるまじき失態と言わざるを得まい。いや別になんとも思っていませんけれども。
「……あー、起こして悪かったな。朝飯はこっちの卓袱台に置いてあるから、起きたら食ってくれ。昼になりそうだが」
なんとか普段の自分を取り戻して俺は言う。いやだから別に元から失ってとかいませんけどぜんぜんいませんけど。
しかし、俺の心を寝起きでいきなり掻き乱しておきながら、叶の奴ときたら聞いちゃいない。
「むぁ」
などと呟くなり、そのまま前のめりに倒れ込んで再び眠り始めてしまった。
……こい、つ……。
なぜだか理由はまったくわからないが、なんとなく腹立たしい、というか負けた気分にさせられる俺がいる。ほぼ反射で報復の方法を考えるも、そもそも叶は何も悪いことをしていなかったし、寝ている以上は邪魔もできない。
第一、そろそろ俺は出かける時間だ。完全敗北を喫するほかないということ。
あ、違う。負けてない。負けたとか意味がわからない。何に? ねえ?
暖簾を戻して自室側エリアに引っ込む。
……なんだかなあ。
と、自分でも思ってしまう。脳内でさんざん否定してはみたけれど、それ自体がもう意識している証というか。少なくとも、友利叶という名の同級生が魅力的な女の子であること自体は、俺だってわかっているわけで。
その難儀で面倒な性格を含めたとしても、だ。俺が叶と反発しているのは、あくまでお互いの主張が正反対のベクトルを向いているからでしかなく、ひとりの人間として、友達としてに限るなら、むしろ俺はこいつのことが好きでしかない。
認めるのは癪だけれど。
しかし、なるほど。読めてきた。
つまり俺が、叶にこうしてときどきドキッとさせられてしまう理由は――。
「……溜まってんのかな、俺」
いや。いやね? そりゃ私だって健康健全な男子ですからね?
中学のときは女子どころか人間に興味がないみたいな悪評を受けていたけれど、いや女子とかめっちゃ興味津々だったに決まってますよね普通にね。そう普通。こんなの普通のことなの。当たり前の話でしかないわけだ。人並みにね?
まあだから、俺だって、そう、そういった諸々の感情的サムシングを、どこかで発散しなければならないわけで。
でもさ……これ、ふたりで暮らすようになって、ある意味で最大の弊害と言える気がするんだけれど。
――叶がいるとできねえんですよ。
もちろん叶がいない隙にきっちり儀式(暗喩)を済ませておくことで対処はしている。始末も完全だ。バレてはいまい。
儀式(暗喩)に必要な
さながら俺は弾圧(暗喩)を恐れて逃げ惑う宗教徒のように(直喩)。
神へ祈りを捧げている(隠語)。
そうしろという天からのお言葉を得たのだ(勅語)。
いったい俺は、さっきから誰に対して言い訳をしているのか。
叶は叶で、あいつはアウトドア精神とインドア精神の両方を同時に持っているみたいな妙な奴なので、そういった諸々を秘密裏に済ませるだけの隙はある。バイトのシフトも同じってわけじゃない。
逆を言えば、インドア趣味に傾いているときは非常に面倒なのだが。
うーん。そういった感じの対処が、それでも充分ではなかったというのだろうか。
――だって、さもなければ俺が叶にもにょもにょすることはない。
そんなことは絶対にあり得ない。普通じゃない。何かが間違っているとしか思えない。
確かに、なんだかんだ言おうが俺は叶のことが好きだ。本人にはあんまり言いたくないけれど、ことさら強く否定するようなことではないし、いっしょに暮らしていて好きじゃないなんて通らないだろう。
だがそれはあくまで友人としてであって、たとえば叶を彼女にしたいとか恋人になってほしいとか、そういう男女関係のアレでは決してないのである。そんなことは何が起ころうと決してあり得ないし、あり得てはならない。
うん。そういう意味合いを含めても、今日の件は渡りに船だったかもしれない。
なにせ先日、俺は《さなかをデートに誘おう》と計画を立て、その上で完膚なきまでに失敗している。
いやまあ自宅に押しかけて連れ出しはしたから、結果的に半分くらい達成されたと言えないこともないかもしれないが。さすがにアレを含めるのは、何か違うという話で。
もちろん俺は、初めに固めた覚悟を忘れてなどいない。誘うと決めたのだから誘う。
誘った上で断られるならまだしも、誘う前から足踏みしているようでは、それこそ主役理論の神に対する裏切りだ。
そんなもん存在しないから、旧友に対する裏切りとしておこう。
最後に身嗜みをもう一度だけ確認し、財布やスマホを持ったこともチェック。元栓や戸締りもオーケー。
眠っている叶が聞いているわけもないことは知っているが、それでも小さく口を開く。
「んじゃ、行ってきます、と」
※
で。
「――いやバカじゃねえの?」
「こ、こら勝司! そんな直接的な言い方しないの!」
合流した友人は、俺の相談を受けてあっさりそんなことを宣いやがった。
なんて友達甲斐のない奴だろう。さすがに不服に感じながら、俺はアイスコーヒーをストローで啜る。
そうして喉を潤してから、今度は睨みつける相手へ反論するために口を使う。
「あんだよ。これでも割と勇気出して相談したっつーのに」
「あー、まあそれはわかるけどよ。にしたって、その内容がなあ……なんつーか、なあ、葵?」
「いやちょっ、あたしに振る!? 相談されたのは勝司じゃんか!」
「お前だっているんだから立場は同じだろ?」
「それは……そうかもだけど」
もちろん今、俺の正面に座っているふたりは
どちらも同じ雲雀高校一年一組のクラスメイトで、中でも特に親しくしてもらっている相手だ。
中間も空けてしばらく経ったので、ちょっと遊びに行こうぜと俺が勝司を誘ったのが今日の発端である。近くにいた葵もいっしょに誘って、三人で出かけることにしたのだ。
残念ながら、さなかは別の用事があるとのことで不参加となってしまった(ちなみに一応念のため言うと、叶はそもそも誘っていない)が、逆にある意味で好都合だったかもしれない。
それに、残念――というのとも少し違うか。
「……此香とね。ちょっと、遊ぼっかって話してて」
「そっか。うん……そりゃよかった」
「へへ、だね! ありがとっ! 未那のお陰だよ」
そんなことはないと俺は思うのだが、満面の笑みを見せるさなかに野暮を言う必要もないと黙った。
高校に進学して以来、疎遠になってしまったといういとこ同士が、こうして再び遊べるようになったのだから。それは、きっとそれだけで素晴らしいことなのだろう。
みたいなことをしたり顔で考えていたのは当然、「あ、だったらデートにも誘えないなー」という言い訳ができたからではない。断じて。違うって。信じて。
そもそも別にふたりきっりじゃなくて四人なんですし?
ともあれ。そんな感じに三人で出かけることとなった俺たちだ。急に決まったことでなければ、もう少しいろんな友達を呼んでもよかったのだが。
まあさきほども言った通り、今日の目的を考えれば都合のいい展開だろう。
というか俺は、そもそも勝司に相談があったから声をかけたわけで。葵が加わったのはアドリブだったが、それはそれで助けになってもらえそうな気もする。何ごとも前向きに行こう。
と、思っていたのだが。
「いや正直……なあ? 未那、そんなことオレに相談されてもって感じなんだが」
勝司は言う。呆れているというか、なんなら困惑すら浮かべた雰囲気で。
その隣に座る葵も、様子としては似たり寄ったりか。俺はそんなに変なことを訊いただろうか。
正直、青春的な意味合いで《恋愛相談》というイベントそのものをやってみたかったことは否定できないけれど。だからってそこまで妙なことを訊いたつもりはない。
なにせ相談したことなど単純だ。
デートに誘いたい相手がいるのだが、どうやって誘えばいいだろう。
たったそれだけ。やはり思い返してみても、おかしなことを訊いたとは思えない。
という俺の感情は、視線でそのまま伝わっていたらしい。
ちら、と勝司は隣の葵を見て、空からこちらに向き直ると言った。
「――いや普通に誘えよ」
俺は溜息をついた。
「はあ……やれやれだ。君には失望したよ」
「おい? ちょっと? なんでお前が上からきたの、ねえ?」
「あはははは……」
大仰に首を傾げてみせる勝司と、苦笑の葵。
だが何もわかっていない。そう認定せざるを得ないだろう。
俺は言った。
「それができたら苦労はしない!」
「……いや、開き直ってどうすんだよ」
「実際もう一回、失敗してる!」
「どう失敗するんだどう」
「なんか照れ臭くて誘うところまで行けなかった」
「それは失敗すらできなかったと言うな」
「正論やめて」
再びコーヒーに口をつける俺である。口が塞がるから、なんとなく黙りたいときには便利だった。
「……何に躊躇ってるのかがまずわかんねんだけど」
首を捻る勝司。これだから生まれついての主役系人間は。脇役に生まれた人間の気持ちってヤツをまるでわかってない。
それができたら苦労しない、というかそもそも相談していないという話だろう。
とはいえ、勝司が言っていることも正しい。何を相談したところで、俺自身が動かなければ話が進まないのも事実。
「だから、つまりだな? こう、上手い誘い文句みたいなのがないかなって話なんだよ」
「別にねえよ」
「おいおい、さては隠してるな? お前みたいな男が、その手のメソッドを持ってないわけがないだろう」
「未那ってオレのことなんだと思ってるわけ……?」
「まあ、チャラいと思ってるんじゃないかな」
「……なんで葵が答えたわけ……?」
落ち込む勝司であった。……でも確かに、こいつは今はフリーか。少なくとも。
もっとも、中学まではどうせブイブイ言わせていたに違いない。ブイブイ言わせるなんて表現を昨今使うかはともかく。
「よくわかんねえけど、別に普通に誘えばいいだろ。今日だってオレのことお前から誘ってるじゃねえか。同じだろ」
やはり簡単に言ってくれる勝司であった。
普通にやればいいよって言われて普通にできる奴はその時点で普通じゃないってことを知ってもらいたい。
普通にやってできなかったから、俺はわざわざ理論を作ったのだ。
「……第一もう、ふたりのことなんて言って呼んだか覚えてないんだけど」
「なんでだよ。こんなところで、そんな予想外のぽんこつっぷり見せられると思ってなかったよ」
「ま……まあほら、それくらい自然に言えば言ってことじゃないかな?」
フォローを入れてくれる葵だったが、考えてみれば葵も最初、割と失礼なフォローの仕方をしていた気がする。
なんだろう。何が伝わっていないのだろうか。
やはり主役側に属する人間には、この手の脇役的な悩みは理解できないということなのか……。
「てかさ、未那。デートに誘いたいってのは、具体的に誰のことなの?」
と。そこで葵が、なんの気なくそんな風に訊いてきた。
まあ訊かれるだろうとは思っていた。この相談をする以上は避けられない話題だろう。
ちらと隣の勝司を見ると、特に普段と変わった様子はなかった。となると、あまり気になってはいない感じなのか。
以前、勝司からその手の話を振られたことがあった。それも脈略なく。それを思えば、食いついてくると思っていたのだが。性格的にも。
あとどうでもいいが、こうやって前にふたりいる状態でテーブルを囲んでいると、なんか面接じみた気分。
ともあれ、別に隠すつもりはない。知っていてもらえば、なんなら協力を仰げるかもしれない。
懸念されるのは、勝司がもしさなかのことを好きだったら――という点か。
仲のいいふたりだし、可能性がないとは言えない。が、少なくとも見ている限りでは、そういった素振りは皆無。勝司のことだから、仮にそうならすでに行動に移しているだろう。それなりには、俺も周りを見るようになったつもりだ。
――俺は言った。
「えーと。いや……まあその、誰ってこともないんですけども……」
「…………」
「…………」
「……黙らなくてもいいじゃないですか……」
「いや……だってお前」
「……ねえ?」
ものすっごく白けた視線を送ってくるふたりだった。
え、何、今さらこの期に及んで濁すの? みたいな思考が表情だけで読み取れる。心がつらい。
「いやあの、別に隠すつもりはないんだよ……? ほら、こうして相談に乗ってもらうわけですし」
「じゃあ言えよ」
「……だっ」
「だ?」
「だって……なんか、ちょっと恥ずいし……」
勝司と葵は視線を見合せて言った。
「葵さん葵さん、聞きました?」
「聞きましたよ勝司さん」
なんか小芝居が始まっていた。
「あの我喜屋未那ともあろうお方が。あれだけ学校中の人に声かけて回っている男が!」
「ねえ! まさかこんなにウブでかわいい反応するとは思いませんよねえ!」
「……いやオレはかわいいとは思わないけど」
「あ、そう」
「にしたって驚きですよ葵さん! いや、さっきからそうじゃないかとは思っていましたけれども!」
「本当に! 普段はあれだけ明るい性格なのに、こと恋愛ごとに限っては小学生みたいですよ!」
……なんだろう、この新手のイジメは。
完全にからかわれてしまっている。
「通りで『どうやってデートに誘ったらいいか』なんて質問してくるわけですよ」
「ええ。てっきり慣れているのかと思いきや。勝司とは違って、この人そっち方面ぜんぜんダメですよ!」
「……え、なんで俺を引き合いに出したの?」
「いや別に深い意味は」
「あ、そう」
「――いやちょくちょく素に戻るんじゃねえよ!」
俺は突っ込んだ。そこじゃない。
もう開き直って告げる。
「仕方ねえだろ! ああそうだよ経験ねえよ、まったくな! デートなんてしたことありません!」
「別に、さなかなら呼べば喜んで来ると思うけど」
「だだだ誰もさなかとは言ってないじゃないですかね葵さん!?」
「わあ。この人バレてなかったと思ってますよ」
「もう私がヘタレで悪かったので、そろそろ勘弁していただけませんか……」
なんでここまでの辱めを受けなければならないというんですか。
「ていうか、そもそもほかにいねえだろ。それとも叶ちゃんだとでも言うつもりか?」
「いやそれは絶対あり得ないだろ」
「うん。まあオレは絶対あり得ないって言い切る意味がわかんないけど」
「……そうだよ。さなかを、こう……誘ってみようかと。思って、いるのですが……どうでしょう?」
「知らんわ」
バッサリだった。
俺は相談する人選を間違えたのかもしれない。
しかも勝司は続けて、
「いや知らんわ」
「二度も言いますかね」
「だってそうだろ……好きにしろよとしか言いようがねえよ。おめでとうございます」
「なぜ祝う」
「……葵さんパス」
「あたしもパス」
「ねえ俺のターンに戻ってきちゃったんだけど。もう切る札がないんだけど」
会話が不毛になりつつあった。
勝司に至っては、もうなんか完全にやる気をなくしてしまっている。
それを見て、横にいた葵が小さく溜息をつくと言った。
「……まあ、未那の言いたいことはわかったよ。それくらいなら普通に応援するし。男なんだから、未那のほうが引っ張っていかないとだしね」
「おっと、こう来たか。男だけに」
やる気の消滅した勝司が、ゴミみたいなダジャレを言った。
下らない上に上手くもないとか下の下すぎてもう。
がん! と音がする。
「え?」「は?」
その音に、店中の視線が一瞬だけこのテーブルを向いた。
俺と勝司の視線も、揃って音の出どころ――つまり葵を向いている。
葵は、どうやら肘をテーブルの角にぶつけたらしい。少し涙目になって肘を押さえていた。
大したことではないとわかったからだろう。視線が再び離れていくのを感じる。
「ご、ごめん……打った……痛ったあ……」
「大丈夫か? 何してんだよ……」
「いや別になんでも。うんぜんぜん別になんでも」
「……そ、そうか」
早口で『なんでも』を強調する葵。
勝司はこちらを見て、わけがわからないという表情を見せる。俺も同感だ、と肩を竦めた。
竦めたが……いや。これは、もしかして。
「んんっ! 話を戻すけど、正直言ってあたしも勝司も、単に誘い方とか訊かれても答えられなかったわけよ。今まで」
そんな風に葵は言う。引っかかる表現に、俺は思わず訊き直した。
「今まで?」
「そう。……うーんとさ、ひとつ訊きたいんだけど、未那って中学のときとか彼女いなかったの?」
「……まあ、いませんでしたが」
「まあ、さっきの感じならだろうけどさ。それ、割と意外だったのよ、あたしらからすれば。でしょ、勝司?」
「――ん? ああ、まあな」
そう言われることが俺にとっては意外だったのだが、水を向けられた勝司はあっさりと頷く。
少しだけやる気を取り戻したのか、背もたれに預けていた体を起こして、勝司は言った。
「だって未那、割とモテそうだろ、普通に。そりゃオレほどじゃないだろうけどさ」
「……さらっと自慢を混ぜ込んだなあ」
「いや、マジな話だって。たとえば小学校とか思い出せよ。学校でモテる男子って、だいたい運動できて足早い奴だろ? つまり俺とかだ」
もう勝司の小ボケには反応しないことにして。
しかしまあ、言っていることはわかる。
「だなあ。あの頃って、なんかこう足の速さって一種のステータスだよな。運動できる奴がおおむねモテる……って小学生に言うことでもないかもしれんけど。まあ女子人気はあるよな」
「ま、年頃によってモテる男の条件ってのは割と確固とあるからな。んでさ、その意味で言うと、未那みたいな奴は中学でモテてもおかしくない。モテるとは言わんでも、彼女のひとりくらい普通にいそうなキャラじゃん。もっとハードル下げたとしても、ああまで恋愛方面ダメダメだとはまず思わねえよ」
「…………」
自分の中学時代を思い出して。
俺は、下手なことを言うのをやめた。
露悪趣味はない。
「顔なんて最低限整ってりゃいいし、なんなら言い方悪いが誤魔化す方法なんざいくらでもあるわけで。んで、人気のある人間の条件ってのは、逆説的だが《人気があること》なんだよ」
「あー……まあ言わんとせんことはわかる」
多数派に流れるというか。持つ者はより多くを持ち、持たざる者は新しきを獲得する機会さえ与えられないというか。
「だからなー……あー、これ正直言ってオレもかなり意外なんだよな。お前なら普通に上手くやると思ってたんだけど……まあ考えてもみりゃ、高校入っていきなり女子と同棲始める奴を俺の常識で測るほうが無理か。ある意味、誰よりレベル高えだろ。その上で付き合ってないどころか好き合ってすらないとか、正直わけわかんねーよ」
「えー? それはふたりがそう言うんだし、そういうものだって思うけどなあ。逆にちょっと羨ましい関係だよ、未那と叶ちゃん」
「いや葵、男女間に友情が云々とまでは言わねえけどさあ。それは違うと思うぞ、俺は」
「……まあ、叶の話はいいだろ」
ふたりの話が妙な方向にズレ始めたので、軌道を戻してもらう。
あいつに関しては、かなり特殊な関係だということ自体は俺も理解している。だから説明しているのだが、その説明のほうは今まで一度も伝わったことがない。
もう、俺と叶の間でしか伝わらないことなのだろう、と最近は納得することにした。
「確かに話ズレたな。えーと、なんだっけ?」
勝司が首を傾げ、葵が笑って引き継ぐ。
「珍しくなんか賢そうなこと言ってたと思ったら、すーぐこれだ」
「おいちょっと? オレは一般に賢いほうだぜ割と?」
「そんな話はともかくさ」
「そんな話って……」
「……まあまあ。いい、勝司? 考えてもみて。未那はこの体たらくなんだよ?」
本当、葵さんは葵さんで割とバッサリ斬ってきますよね。
もっともこの点に関して、俺は反撃の糸口は掴んでいるため黙っておく。
「そして勝司。いい? あたしらがいちばん考えなきゃいけないこと、何かわかる?」
「いや、知らねえよ。放っとけばそのうち決着つくと思うぞ、俺は。まあ下手なことは言わんでおくけども」
「まったく。やっぱりわかってない。いい、未那のほうですらこのザマなんだよ?」
「だから、それが?」
「……そして、その相手は、あのさなかだよ?」
「――――」
「この恋愛情緒小学生コンビが、本当に放っておくだけで決着つけると思う? それいつの話よ」
「よし未那、オレが悪かった。お前の相談、オレがきっちり乗ってやろう」
勝司のやる気が一瞬で頂点に達した。
……ええ……。
俺も俺で相当なこと言われてる気がするけど、さなかもさなかで納得されちゃうんだ……。
「……さなかってモテるんじゃないの?」
「まあ、そりゃね」
葵は言って。
葵は言った。
「でも、それだけだから。あの子、放っといたら悪い男に貢ぐようになるか、もしくは一生独り身かのどっちかだよ」
さなか……なんて不憫な子。
いちばんの親友にそこまで言われるのか……。
そして葵がバッサリすぎる。
「だから大丈夫。さなかを思えば、やる気があるだけ未那はまだマシなほうだから!」
「うん。ありがとう。できればもう少し表現を選んでくれるともっと嬉しい」
「――というわけだからさ」
ガン無視された。
葵は続ける。なんかノリノリだった。
「まずとりあえず、さなかを誘うところからだよね。そろそろ夏になるし、気張っていこうぜい!」
「……おう」
「返事が小せー! そんなんで彼女ができると思うなよっ!」
「なんでそんなにテンション高いの?」
「暗い、暗いぞ、未那! 未那の取り柄は明るいとこなんだから、もっと明るくいかないと!」
それ明るいところ以外に取り柄がないって意味じゃないですよね? 大丈夫?
こうまで言われ続けていると、もちろんこちらがダメなところを晒しすぎたせいとはいえ、さすがに反撃したくなってくる俺がいる。
というわけで、ちょうどいいタイミングだ。俺は、さきほど気づいたことを試してみることにした。
「そんなに暗い暗い言うなよ。泣きたくなっちゃうだろ。……Cryだけに」
効果は劇的だった。
「――っぷ!?」
葵が噴き出しかけて、それを必死に抑えるように蹲った。
……やっぱりだ。
「え? 今の面白かった? ゴミでは?」
葵の隣には、自分のことを盛大に棚に上げて宣う勝司の姿。まだ気づいていないらしい。
ならば、と俺は畳みかけるように続ける。反撃の隙を逃す俺ではない。
「言ってくれるよね、いろいろと。もう今日だけで俺のアイデンティティがね。――クライシスですよ」
「――っ!? ちょ、未那、や――くっ!?」
「だけど仕方ないよね、言われても当然だったかもしれない。目の前に高い壁があるのがわかった気分だよ」
「ふー、ふー……!」
「だから俺は、この壁を登り切ってみせる」
「……、……!」
「言い換えるならクライミングだ!」
「あはははははははははははははははは――!?」
ついに涙を流して、葵は笑い始めてしまった。
必死で笑わないように腹と口を押さえ、それでも堪え切れていない。
勝司が、何か信じられないものを見るような表情で横の葵を眺め、それから視線をこちらに向ける。
ああ、そうだ、勝司。お前も気づいたことだろう。
どうやら葵は――極端にダジャレに弱い。
意外な弱点だった。
意外っていうか……うん。いや、えーと、マジで? って感じなんですけど。
俺、ダジャレ単体でここまで笑う人間、生まれて初めて見たんですけど。
そんなに面白いことは絶対に言ってないんですけど。ほかにもう少し上手い切り返しあったと思いたいんですけど。
そちらには一切反応しないのに、こんなダジャレで大笑いを取れてしまったことが、なんだろう。
……逆に、悲しくないです?
「ええ……嘘、おま、マジかよ……」
なんなら勝司に至っては若干、引き気味だった。
まあ、気持ちはわかる。だって絶対に面白くはなかった。
葵のほうも、ダジャレで笑う自分がおかしいという自覚はあるらしい。肩をふるふるさせながら、なんとかといった風情で口を開き、言い訳を放つ。
「い、いや……違っ、そじゃな……っ!」
「……あー。まあなんだ、気にするなよ、な? うん。趣味はそれぞれだ」
「いやだから違くて、べべ、別に笑ってとかじゃないし……っ」
「さすがにそれは無理があるだろ……」
笑っている葵自体が面白くなってきたのか、次第に半笑いになる勝司だった。
その勝司に声をかけて、俺はとどめの一撃を準備する。
「まあまあ、勝司。いいじゃないか。ていうか俺の言ったことが普通に面白かったってことだろ?」
もちろんいくら俺でも、アレが面白かったとは思っていないが。
勝司は、俺が本気で言ったと思ったのだろう。愕然とした表情で目を見開いた。
「は!? う、嘘だろオイ? さ、さすがにあのレベルで……」
「いやいや。葵にはね、ちょうどよかったんだよ。――あのくらいが」
「――……」
「あのクライが」
「んひっ!?」
これですら葵は笑った。
変な声を出して、それから口を押さえて、助けを求めるように勝司を見た。
涙目だった。
勝司は目を逸らした。
俺は言った。
「助けてあげればいいのに」
「……お前が言う?」
「頼まれたら答えてあげないとね。いわば葵は、勝司にとって――クライアントなんだから」
「ひゅぎゅっ!?」
葵、轟沈。
俺は勝利の余韻を噛み締めた。
「ひ、あ、息――でき、――ひっ!!」
「……あの。にしたって笑いすぎなのでは……」
「だっ、れのせいだと……思って……っ!」
「ていうか、未那は未那でよくそんなポンポン出てくるよな……」
「……………………」
「こんなんで勝って嬉しいのか、未那?」
「言うなよ……」
「ひ、は、ひ、ふひ、ひゃえ……っ!」
試合に勝って勝負に負けた、みたいな。
そんな、釈然としない思いを抱かされるひと幕であった。
――なお、その後。
呼吸困難に陥った葵が復活して、当然のように怒られた。
俺は謝罪の代わりとして、この喫茶店の代金を一手に支払わされることとなったが、まあ安い買い物だろう。
ともあれこれで、俺は強力な協力者(なんかダジャレが抜けなくなってきた)をふたり得ることができたのだから。
……いや、あれ?
そういえば肝心のアドバイスを、何も貰っていないような気がするんですが?
あ、あれえー……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます