S-05『湯森さんのヒロインチャレンジ ~立志編~』

 ――やってしまった。

 さなかは思った。

 何をやってしまったのか自分でもよくわからないのだが、それでもたぶんやってはならないようなことを、それはもう盛大にやらかしてしまったという自覚がある。いったいなぜああも暴走してしまったのだ。くそう。

 そんなような反省を胸に今、さなかは駆け出した先の廊下の片隅で、ひっそり落ち込みのオーラを纏いながらしゃがみ込んでいた。何が最悪って、なんのフォローもできず逃げ出してきてしまったことがいちばん最悪かもしれない。


「うぅうあぁー……何やってんだよ、もう、わたしー……」


 文字通りに頭を抱え、深い自責に苛まれながらさなかは呻く。

 こんなはずではなかったのだ。

 せっかくヒロインらしい振る舞いを考えてきたのに、まさかこんな明後日の方向に行くとは思っていなかった。


「……はあ。わたしってどうしてこうかなあ……」


 昔から、追い詰められて焦りが出ると、自分でも行動を制御できなくなるという自覚はあった。

 もちろん致命的になるほどバカな行為に出るわけではないが、どうにも意味のわからないことを口走ってしまうだとか、挙動不審になって最終的に逃げ出してしまうだとか、そういったことは少ないながらもこれまでにあったのだ。


 いや、別に《ヒロインチャレンジ》自体がどうこうというわけではない。

 やっぱりそれも上手くはいっていなかった気がするけれど、こちらはもともと失敗も織り込み済みなのだ。要するに未那に対するアピールであって、彼がドキッとするとか、好みに合うだとか、そういったものを見つけ出すために試行錯誤を重ねている、と表現するのが本質に近い。自分がそうなりたいかどうかというより、あくまで未那のリアクションを優先しての――言ってみれば、恋する乙女のアプローチなのである。

 効果が出ないのなら次に行けばいい。その失敗は、少なくともさなかの恐れるところではない。

 いまいち成果は出ていない感じなのだが。


 だから、問題はそのあとだ。

 ――逃げ出してしまったことのほう。

 より正確に言うなら、未那とふたりっきりでいることに耐えられなくなってしまったことのほうだろう。

 最初はそんなことを意識していなかったからよかった。未那が来たのは偶然だったし、早く学校に来たのは目が冴えてしまい、ほとんど眠れなかったからでしかない。そこにたまたま現れた未那を見て、好機とばかりに昨日までの情報収集の成果を発揮し、ちょっと自分に自信のある感じのキャラクターで向かってみた、というだけのこと。

 なんか、自分が観ていたドラマのヒロインではなく、その上司のほうのキャラに寄ってしまった気はするけれど。そもそも古いドラマの登場人物の真似をする、ということがアピールになるのかどうかについては、彼女に突っ込む者がいない限り気づくことはない。未那は「さなかがやってることなら付き合う」というスタンスだったし、ほかに誰が見るわけでもないのだから。

 まあ、それはそれだ。とりあえず試してみて、失敗したら次に行く。初めからそれくらいのテンションでいたのだから、未那の反応が芳しくなかったからといって別段、落ち込むほどのことではない。


 ――けれど、そのあとはよくなかった。

 未那と朝の教室にふたりきり。

 それだけのことが、どうしてこんなにも恥ずかしく思えてしまったのだろう。


 大して狼狽えることではなかったはずなのに。教室ではともかく、ほかの場所でふたりきりになることがこれまで皆無というわけでもなかった。休日にばったり出会って遊びに行ったことがあるし、ふたりで夜の公園にだって出向いた。

 そのときは――まあ交わした会話の内容は恥ずかしかったかもしれないが――少なくとも、ふたりきりでいること自体にそこまで照れはなかったはずだ。ああも調子を崩して、妙なことを口走った挙句に逃げ出すなんてレベルでは絶対になかった。

 それが今や、未那とふたりきりで話すこと自体にさえ驚くほどの恥ずかしさを感じてしまう。

 さなかがドラマなどの登場人物を真似ていること自体、素で話すことに抵抗を覚えてしまっているからかもしれない。


「……どうしよ。なんか、未那の顔、まともに見れる気がしない……」


 顔を真っ赤にして、しゃがみ込んだままさなかは呟く。

 なぜだろう。どうしてここまでになってしまったというのか。

 挑戦を誓った自分が、それ以前より弱くなってしまっていては本末転倒だ。さなかのヒロインチャレンジは、もちろん未那にとってのヒロインを目指すという裏目標もあるけれど、主題はあくまで自己の成長だ。そこは履き違えられない。

 ――やはり自分には無理だったのだろうか。

 なんて、そんな弱気が鎌首をもたげてきてしまうくらいには大事である。


 だって理由がわからない。

 なぜ自分は、未那とまともに話せなくなってしまったのだろう。

 その理由がちっとも浮かばないのだ。


 ――こんなことをしている場合ではないはずなのに。


 落ち込むさなか。自分の凡人っぷりを突きつけられた気分とでも言おうか。

 決意が、そう簡単には結果に結びつかないことを、事実として改めて理解させられたような。そんな気持ちだ。

 廊下に通りがかる影があったのは、ちょうどそんなときだった。


「……あん? 何してんだ、さなか?」

「え?」


 言われてさなかは顔を上げる。

 そういえばここは廊下だ。片隅とはいえ、別に陰があるでもなし、通りかかる人間がいれば普通に気づかれてしまう。

 こんなところで屈み込んでいるさなかを見れば当然、不審にも思われてしまうだろう。

 慌ててさなかは立ち上がる。声をかけてきた人間の顔は、そのタイミングで見た。


「あ……ああ。なんだ、勝司か」

「なんだとはなんだ。失礼な奴だなあ」


 苦笑するクラスメイト――宍戸ししど勝司まさし

 制服ではなく学校指定のジャージ姿であるところを見るに、おそらく朝練の帰りといったところか。まだ早い時間なのに通りがかるということは、つまりそういうことなのだろう。


「ど、どしたの、勝司? 体育館ってこっちじゃないよね……?」

「通りすがり。部活の奴らと戻ってきたんだけど、なんか屈み込んでんのが見えたから。何? 体調?」

「や、そういうんじゃないんだけど」

「みたいだな」

「ごめん。ありがとね」


 立ち上がって普通に受け答えをした辺りで、体調不良で蹲っていた可能性は排除されたようだ。

 余計な心配をかけたらしいことはわかったので、謝罪と礼を述べておく。勝司は一見してチャラい考えなしの男だが、その実、かなり細やかな気配りのできる人間であることをさなかは知っている。気づいているクラスメイトは五、六人いるかどうかだろうが、さなかの見る限り、葵や未那は少なくとも勝司を高く買っている様子だ。


「んで? 体調が悪いわけじゃないってことは、なんか悩みごとか?」


 勝司は言う。珍しく突っ込んでくるな、とさなかは思ったが、考えてもみれば廊下の隅で蹲っていること自体がそうない事態だ。勝司だって、理由を確認するくらいはやるだろう。

 さなかは少しだけ考えた。

 別に大したことじゃないよ――などと言って話をズラすのは簡単だ。こちらが拒む雰囲気を見せれば、勝司が深く掘り下げてくることはないだろう。

 思えば勝司も、意外と珍しいタイプの人間ではある。

 いわゆる《陽キャ》、《リア充》系の人間の特徴は基本的に完備している男だ。顔がよく、運動も得意で性格は明るい。集団の中心に立つ二枚目的な要素を備えていながら、けれど基本的な振る舞いは三枚目系の賑やかしキャラ。下らない冗談を振り撒く道化的なモチベーターでありながら、誰より集団の機微に聡い。空気を読むのではなく作るタイプだ。


「んー……まあ、ちょっと失敗しちゃってね」

「失敗?」

「や、教室に未那がいたんだけど……」

「……ああ。なんか、だいたいわかった気がする」

「その納得の早さは甚だ不本意だなあ……」


 少し迷ってから、さなかは思い切って勝司に相談してみることにした。悩みのタネについて相談できる相手として、これ以上は――というよりこれ以外はないという人選だ。

 仮にも恋愛ごとの相談をできる男子などさすがにほかには思いつかないし、勝司なら適性もある。何より、


「……で、なんだ。未那とはどこまで進展したんだ?」


 勝司は知っているのだ。さなかが、未那を好きだということを。

 初めて未那の部屋に遊びに行ったとき、話の流れから伝えざるを得なくなってしまったということ。

 ――まあ正直、見てりゃ気づくレベルだったと思う。

 とは本人の談で、そこまでわかりやすくはないはずだというさなかの反論は、そう思ってるのはさなかだけだという葵の言葉に封殺されてしまっていた。


「その質問は……何? 興味本位?」

「そうだけど。相談に乗るなら、ある程度は知ってないとなんも言えんしな」

「認めちゃうかー。いや、言ってることはそうだけどさ」


 軽く笑う勝司に、さなかも少しだけ笑みを作った。

 逆の立場だったら自分でも同じことをするという自覚はあるものの、それはそれとして、やはり少し気恥ずかしい。ドのつく恋愛初心者のさなかは、同性の葵に気づかれた時点ですらかなりテンパってしまったのだから。

 それでも言葉に変えたのは、バレているのに隠すほうが恥ずかしいという見栄と、あとは単純に、その手のことに慣れているだろう勝司から何かしらを得られたら、という期待だ。ヒロインを志望する以上、足踏みし続けるのも避けたい。


「……や。なんかさ、ちょっと気まずくって」


 さなかは言う。その言葉に勝司は首を傾げて、


「気まずい?」

「んー、いや気まずいってのはちょっと違うかな。ただ恥ずかしいっていうか。上手く話せない」

「意外と乙女なこと言うなあ」

「うっさいバカ。……なんか、顔見て話すの微妙に抵抗あるんだよ」

「……なんかあったん?」


 その問いには答えを窮するさなか。

 あったと言えば、あった。未那が自宅まで駆けてきたことだ。

 その一件が、決して小さくない心境の変化を招いたことも事実だろう。

 ただ、いくらなんでもそのことを話すのは恥ずかしすぎる。

 だから言い淀んださなかに対し、勝司のほうはその反応で充分すぎたのだろう。小さく、苦笑を零して呟いた。


「あったんだな」

「……バカ」

「お前がわかりやすすぎるだけだっつの。中学生かよ」

「くぅ……」


 返す言葉もない。

 勝司は「なるほどな」と零し、さらに言葉を重ねた。


「最近、なんか急に芸人みたいになったと思ってたけどよ。そういう話か」

「芸人って何」

「ピエロと言い換えてもいい」

「ピエロって何っ!?」

「裏でなんかあったわけだ。――いや、これ俺が相談に乗らないとダメかなあ」


 ひとしきり自分の中で何かを噛み砕いたあと、その中に苦虫が混じっていたというような表情を勝司は見せる。

 その表情に、反射的に少しむっとしつつもさなかは首を傾げた。いったいどうしたというのだろう。


「何さ? 言いたいことがあるなら言ってほしいんだけど」

「……んじゃひとつ訊くけど」

「質問? まあいいけど」

「いや――お前さ、これまでの恋愛経験ってどうなん?」

「なっ……!?」


 想定していなかった質問に、思わずさなかは顔を赤らめる。

 いや、さすがにセクハラだどうこう騒ぐ気はないが。にしたってストレートすぎはしないかと。

 そんなさなかの反応を見た勝司は、けれど小さく口の端を歪めながらこんな風に言う。


「ああ、別に誰かと付き合った経験とか、そういうこと訊いてるわけじゃない。どうせ一回もないだろ」

「し、失礼だな勝司は!」

「ならあんの?」

「それは……いや、まあ、告白された経験くらいなら……ないとは……」

「そうか。……なんか、悪かったな」

「こ、このタイミングでそんな風に謝るなよぉ!」

「ははははは」


 軽く笑う勝司だった。完全に遊ばれているらしい。

 やっぱり人選を違えたか、と思うさなかだが、かといってほかに選択肢もなし。この程度は呑み込むしかない。

 勝司のほうも別段、この機に盛大にからかってやろうとまでは考えていないようだった。あっさり「悪い」と謝ると、改めるように問いを重ねた。


「単純に、どんな男を好きになったのかと思っての質問だよ。特に意味ないし、これも興味本位っちゃそうだけど……さすがに未那が初恋ってわけでもないんだろ?」

「まあ……それは、そうかな」

「ちょっと移動しようぜ」


 と、そこで話をずらすように勝司は言った。

 首を傾げるさなかに、彼のほうは内心の読めない表情で笑って。


「いや、そろそろみんな登校してくるだろ。ここじゃなんだし、飲み物でも買って話そう。喉乾いてんだ」

「まあ……そういうことなら」

「悪いな。面白い話を聞かせてくれる礼として、ジュースくらいは奢ってやるぜ?」


 どちらかと言うと、それは部活の終わりに掴まえて話を聞いてもらっているさなかの側がするべきかもしれない。

 ただ、それを言っても意味はないだろう。ことさら固辞はせず、さなかは頷いて、それから唇を尖らせた。


「ありがと。……勝司って、そういうとこきっとずるいよね」

「オレは未那よりモテるからな」

「バカじゃないの」


 と、さなかは笑ったが。

 きっと、そういう発言でさえ、勝司は意図して言っているのだろう。

 そうも思っていた。



     ※



 校舎の中には、いくつか自販機の設置されたエリアがある。値段も割安で便利なものだ。

 ただ、その中でも立地の問題から、人気がある場所とない場所に別れていた。

 どうせホームルーム前だ。まだそうそう生徒が訪れるわけでもないが、ふたりはその中でも特に生徒が訪れにくい場所を目指して移動した。

 私立だけあってか、校舎の数や規模は多く、大きい。もともと部活動が盛んなこともあるだろう。体育場(体育館とはまた別の施設だ)のある校舎の二階。自販機があって椅子とテーブルもあり、それでいながら教室からは離れていて人目につきにくい立地。この場所は、秘密の話をするには都合がよかった。


 勝司にホットの甘い缶コーヒーを奢ってもらい、プルタブを空けて口をつける。

 甘い。甘いだけであまり美味しくはない。

 もともと大して缶コーヒーを嗜まないさなかだったが、こう感じるのはほのか屋に通う中で舌が少し肥えたせいか。

 功罪あるなあ、などと適当な感想を抱く彼女の正面の椅子に、スポーツドリンクのペットボトルを買った勝司が座る。その半分までをひと息に飲み干してみせたのは、さすが男子と言ったところだろうか。


「んで、質問の答えは?」


 しばらくあってから勝司は再び訊ねた。

 少し考えてから、さなかは言う。


「そう、だなあ……いちばん思い出せるのだと、中学二年のときかな。陸上部の先輩が人気で、なんとなく憧れてたことならあったかも」

「……返答まで乙女とは畏れ入ったぜ。まるで少女漫画だな」

「バカにしてるでしょ」

「してねえよ別に。今どき珍しいとは思うけどさ」


 からからと笑う勝司。失礼な奴だ、と思わないこともないが、


「で? その言い回しだと、結局それは憧れで、恋とは違いましたー、みたいなことを言うわけだ」

「…………いや別に言わないけど」

「言わなくてもわかったしな。もう逆に尊敬するわ。これバカにして言うんじゃなくて」

「バカにしてるようにしか聞こえないんだけどなあ……」

「人の気持ちにどうこう野暮は言わん」


 こうまで見抜かれては返す言葉もないというか、もはや自分でも王道すぎてバカみたいだというか。

 実際、ただのミーハー心というか、みんなが憧れる格好いい先輩に、人並みに理想を投影していただけというか。

 結論から言えば一切何もなかったのだが、仮に告白されるようなことがあったとしても、当時の自分では焦るあまり断っていた可能性が高いくらいに思う。自分の恋愛経験値がどうしようもないことは、さすがのさなかも自覚しつつあった。


「んじゃ、ほかには?」


 特に掘り下げもせず、勝司は言う。


「ほか……かあ」

「や、さっき『いちばん思い出せるの』って言ってたろ。なら別のがあるのかなって」

「本当に目敏いよね。意外に」

「耳聡い、じゃないか? あと意外も余計」

「そうだね、ごめん。……えーと、たぶん最初の初恋は小学生のとき、だった……と思う。たぶん」

「たぶん?」

「覚えてないんだよ相手のこと。顔どころか名前も出てこない」

「ふぅん……記憶にない初恋の相手か」

「そういう言い方されるとあれなんだけども……」


 ちょっと顔を赤らめながらも、思い出しながらさなかは語る。

 といっても、語れることなど大してないのだが。


「わたし小っちゃい頃、引っ越しが多くてさ。中学で安定したんだけど、そのせいで小学生の頃は友達あんま作れなくて」

「へえ……それはなんつーか、少しだけ意外だな」

「あー……いや、どうだろ。確かに引っ越しが多いのはちょっと堪えてたけど、わたしはわたしでまあ、いろいろやってはいたし。で、中学年くらいのときかなー。ふたり、仲いい友達ができたんだ、その学校で」

「ほおん?」

「変なふたりでさー。どっちも男子……だったの、かな……いやどうだろ。片方は女子だったかも」

「性別すらあやふやなのか……」

「や、覚えてないっていうか、わからなかったんだよ。クラス違ったし、仲よくなってすぐまた転校だったし。最初は男子だと思ってたんだけど、あれ、もしかして女の子? みたいな。でも訊いても教えてくんないし」

「教えてくれない?」

「両方変わってたけど、そっちの子は特にだね。格好は男子なんだけど、なんか、なんて言ったらいいかな……超美形だった」

「それ小学生に使う表現か……?」

「いやでも本当にそんな感じでさ。なんかめっちゃカッコよかった。言ってることも大半意味わかんなかったしさ、覚えてる限りだと――そう、『友情は性別を超えると言うだろう? そのほうが美しいのだから、大した問題じゃないとぼくは思うよ』とか、なんかそんなこと言って誤魔化された。学校じゃぜんぜん顔合わせなかったから、放課後だけの付き合いだったしね」

「キャラ立ってんなあ……中二病ってヤツか?」

「いやアレは素だったよ絶対。名前も……あんま覚えてないんだけど、男子でも女子でも通用しそうな感じで。アイドルになってても納得しそう。年齢不詳で性別不詳だった」

「どんな小学生だよ。なんか気になってきた」

「オーラあったなあ……ああいうの主役って言うのかな。わかんないけど。まあ、わたしの初恋はそっちじゃないし」

「そりゃ性別もわかってないんじゃな……」


 懐かしい友人を思い返す。本当に一時期、ほんの少しだけ遊んだだけの相手だから、名前も顔も出てこない。卒業さえしていない学校だから、文集も貰っていないため、今から調べることも不可能だ。


「もう片方の子も変わってたけど、さすがにこっちほどじゃないね。ただまあ……なんて言うのかな。面白いことを探すのが得意な子だった。わたし、割と浮いちゃってたから、その学校だと。いろいろ連れ回してくれたからかな」

「はーん。まあ、小学生が好きになるには充分か」

「だね。結局、本当に何回かってくらいなんだけど、いっしょに遊んだのは。それでも嬉しかったの覚えてる。あ、中二病っていうならこっちの子のほうがそれっぽかったよ。斜に構えた感じっていうのかな。大人なんて信用してないぜ系」

「うわー、いそう」

「その割に子どもっぽいんだよね。いや子どもだったんだけど。今思えばって言うのかな。なんか面白いこと考えたから、いっしょにやろうみたいに誘ってくれて。その子自身より、だからやってことのほう覚えてる感じ」

「思ったより微笑ましいエピソードが出てきて驚いてる。何してたんだ?」

「いちばん冒険したのは、近所の川を上流まで遡ろうとしたことかな」

「青春だー!」


 茶化すように勝司が笑って、さなかも頷いた。


「そうだね。かなり青春野郎だった。ま、だからってわけでもなかったと思うけど」

「なるほどなー……いや。思ったより面白い話だったわ。コーヒー奢った甲斐はあった」

「何それ」


 苦笑するさなかは、勝司の言葉を冗談と捉えたのだろう。

 それがわかっていたからこそ、勝司はにやりと笑んで彼女に言う。


「いや、だって今の話を聞く限りさ。そりゃ納得するだろ」

「え……何が? 何に?」

「――だってめっちゃ未那と似てんじゃん、そいつ。そういうのがタイプなんだろ」

「ふぇ――っ」


 硬直するさなか。よもやそんな指摘を受けるとは予想もしていなかったのだ。

 いや、そうだろうか? 言うほどには似ていないような気がするのだが。いやでも――ああもう。

 結局さなかにできたことは、恨みがましくからかう勝司を睨むだけ。


「……そんなこと言うために訊いたの?」

「最初っから興味本位だって言ってあっただろ。でもまあ、結局そういうことなんじゃねえの」

「そういうこと?」

「おいおい。なんのためにこの話したと思ってんだ。未那と上手く話せないっつったのお前だろ?」

「あ――いやまあ、そうだったけど……」

「そりゃお前が未那を好きだってちゃんと自覚したってだけの話だ。ったく、惚気を聞かされる身にもなってくれ」

「――――~~~~っ!?」


 過去の話ならばともかく。

 現在の話を、こうもまっすぐに聞かされては恥ずかしくてならない。

 さなかは羞恥で耳まで真っ赤に染まる。


「本当にわかりやすい奴だな……これもう何度か言った気がするけどよ」


 勝司は少し呆れ気味。まあ実際、こうも初心なのは、年齢や立ち位置を鑑みれば珍しい。

 どうにもならなくなったさなかとしてはもう、この場は怒った振りでもして有耶無耶にしてしまおうかというところまで思考が及んでいた。

 ただそこは勝司、ギリギリの点を見極めて彼はこう言葉を作った。


「ま、特に言うようなこともないけど……アドバイスするとしたら積極的にがんばれ、ってとこじゃないか」

「……何それ。なんのアドバイスにもなってないよ」

「特にするようなことないしな。未那は、少なくとも彼女は欲しいと思ってるっつってたし、さなかならだいぶ近い位置にいると思うぞ、ってこと。高校生の男子なんざバカなんだから、最悪押し倒せば流れでどうとでもできる」

「バカじゃないの!?」

「大丈夫だよ。お前にできると思っては言ってないから。そこまでバカじゃない」

「そういう意味じゃないんだけど! 本当に失礼だな勝司は!」

「……まあ未那はほら、叶ちゃんのこともあるからな。正直わからん部分もあるんだが……今のまま行くのがいちばんいいと思うぞ、俺は。少なくとも応援はしてるから」


 勝司は軽く笑って言う。

 だが、なぜだろう。

 さなかは、そこで初めて妙な違和感に勘づいた。


 ――思えば初めから妙ではあった。

 勝司は、この手のことに自ら踏み込んでくるような性格だっただろうか。

 ない、とは言えない。いや、やる気になれば他人の恋路に首を突っ込むくらいは平然とするだろう。にもかかわらずこの違和感はなんなのか。宍戸勝司らしいその言動が、なぜだか宍戸勝司らしくなく思えてくる。


「……応援してくれるんだ? いいの?」


 結局、さなかが訊ねたのはそんなことだった。

 どうとでも取れる言葉だ。実際、勝司は軽く笑うだけだった。


「いいも悪いもないだろ別に。言ったろ、興味本位だって。上手くいけばいいと思ってんのは本心だよ」

「……興味本位にしては真摯だったように思うけど」

「今の対応でそう思うのか? どんだけ心広いんだよ。俺は単に言ってるだけだぜ? 自分の興味を本位に置いてるわけだ」


 微妙な言い回しだった。さなかはふとあることを思う。

 けれど、それを言葉に変えるより早く、勝司のほうがこう言った。


「さて――そろそろ教室戻ろうぜ。まだ余裕はあるけど、ギリギリに行って遅刻扱いになるのもアホ臭いだろ」

「……そう、だね。そろそろ戻ろっか」


 いつの間にか飲み干したらしい空のペットボトルをゴミ箱に捨てる勝司。

 さなかも缶を捨てて、それから連れ立って教室を目指した。だから抱いた違和感が、言葉として発露されることはない。

 ただ、内心で思うだけだ。


 ――そういえば、勝司には好きな女の子はいないのだろうか、と。


 自分の恋愛ごとにはとことん疎いさなかだが、それでも年頃の女子高生だ。自分以外の恋愛事情に関しては、これまでも相応に首を突っ込んだり、察しのいい部分を見せたりしたことはある。

 だからって、何もかもするというわけじゃないし、不用意な真似をするわけでもない。だから何も言わないままに、この朝の妙な会合は、有耶無耶のままに終わりを迎えた。


 ――どうするのかな、葵は……。


 さなかの抱いた妙なしこりが、顕在化することはなく。



     ※



 以下、余談として。

 勝司はそれなりに真面目にさなかの相談に乗ったつもりだった。

 つまり《今のまま行くのがいい》というのは本心で、それは《余計なキャラ作りしてないで、素の自分を見せたほうが未那には効くと思うぞ》というような意味合いだったわけだ。これは誰もがそう思うだろう。

 けれどさなかには、どうも微妙に曲解して伝わってしまったらしい。

 教室に戻ったさなかに対し、未那は言った。


「……あ、お帰り、さなか。どこ行ってたの?」


 少し探るような雰囲気の未那。

 突然に飛び出していったのだから、その辺りを考慮しているのだろう。

 対するさなかは、その問いにこう答えた。


「ちょっと……その、えっと。うん……なんでもないの」

「お、おお……そっか」

「ただ行きつけのバーに行っていただけだから」

「ただ行きつけのバーに行っていただけだから」

「そういう時間も必要よね」


 未那はしばらく視線を方々に彷徨わせ。

 抱いた感情を全て自分の中で昇華してから。

 答えた。


「おう、そうだな!」


 ――さなかと未那の間が進展するには、まだちょっと時間がかかりそうだなあ。

 勝司は思ったが、ことさら言葉にすることはしなかった。


 あくまでも余談である。

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