2-19『接続章/それは波乱の前兆か、あるいは日常の延長か』
かんな荘の部屋に戻ると、奥からどたん、と何かを落としたような物音が届いた。
首を傾げながらも入っていくと、ちょうど壁の向こうから叶が姿を現す。なんでか不満そうな表情で唇を尖らせて、いきなり「あんだよ」と睨まれた。
「いや、何も言ってないんだけど……」
「……まあそうだけど」
「なんだよ。むしろそっちこそなんだ、今の物音は」
「別になんでもない」
すっと目を逸らす叶。
「ちょっと金槌を落としただけ」
ちょっとなのか、それは。
ちょっとではあるけど、ちょっとどうだろう。
「なんで金槌をご使用なのですかという話なんですけど。……いったい何してた?」
「くっ……そもそも未那がすっかり忘れてるからやってるってのに」
「はあ?」
「カーテン、っていうか、仕切り? 作るって話だったでしょ」
こっち来い、という視線を叶が見せたため、その後ろについて壁を越える。
叶の部屋を覗くと、そこには切り取られた布が置かれていた。
以前、叶に見せられた《おでん》の暖簾。それが三枚に分かれ《お》と《で》と《ん》になっている。
「これを壁の穴に掛けようと思って。暖簾なら役目としてもぴったりでしょ」
「ああ……なるほど。それで切ってたのか」
「横向きだと合わなすぎて掛ける意味ないしね」
「……金槌使う要素ある?」
「だって壁に掛けるたってそれ用の器具あるわけじゃないし……」
「わかった。もういい。俺がやる」
叶はこの手の日曜大工というか工作というか、そういったことが不得手らしい。
壁の再建のときもだいぶアレだったし、意外に手先は不器用なのだろう。料理は得意なのに。
「く……っ!」
実に苛立たしげな叶さんである。
いや、こんなことで張り合われてもという話なのだが。
「つってもな。まあ今日は縦に縫い合わせるくらいまでしかできないなあ。まさか壁に釘打つわけにもいかんでしょ。借家だぞ」
「わかってるよ……」
「じゃあなんで金槌出したんだよ……持ってるのはまあ前のとき買ったからとして」
「……お、おまもり的な」
「やめろ笑わせるな面白いこと言うんじゃねえ」
「そんなつもりねえ――っ!」
げしげし蹴られてしまう。
それを躱しつつ、俺は言った。
「適当に突っ張り棒でも買ってきて、それ使おう。なんなら百均とかでも買えるだろ」
「……あー」
「なんでこういう関係になると急に知能指数まで下がるんだ……」
「うるさいな。ちょっと図工が得意だからっていい気になりやがって」
「いい気にはなってねえよ別に」
本当はなっていた。
勝てるところで勝っておかないと、こちらとしても負け越しは嫌なわけで。
……俺も充分に張り合っちゃってるんだよな。
なんで叶が相手だとこうなるのやら。
暖簾を回収しながら、ちらと叶の顔を覗き込んでいる。
背の低い叶が、むっとした表情のまま逆に睨むようにこちらを見上げていた。
「……? 何さ?」
「いや。別になんでも」
「じゃあなんでこっち見てんの……」
「見たいから」
「答えになってないんだけど」
「見下しやすいから」
「ぶっ飛ばすぞ」
「叶」
「なんだよ」
「呼んでみただけ」
「ぶっ飛ばす」
女子らしからぬ勢いで放たれたストレートを掌で受け止める。
さすがに体格では負けない。
「なんで急に気持ち悪いこと言い出すかな……」
本気で不審そうだった。そりゃそうだろうという話でしかないのだが。
本当は。何か、訊ねることがあるような気がしたのだ。
だけどそれが何かはわからず、結局は言葉が浮かぶ前に話のほうが終わってしまった。茶化して濁す以外には、何もできなかったと言ったほうが近い。
――ポケットの中のスマホに着信があったのは、ちょうどそんなときだった。
未だこちらを睨み続ける叶を抑えながら、表示を見れば慣れた文字。
旧友からだった。
「ああ。あいつか……」
「……そいや未那、よく同じ誰かと電話してるよね」
普段通りに戻った叶に問われる。
「ん、ああ。昔の友達」
「いや別に確認しただけで訊いてないし興味もないんだけど」
「こいつ……」
「いいから。さっさと出なよ」
……まあいいや。今のは着信が来ているときに長話しないようにという、叶なりの配慮だったのだと強引に納得しておこう。
自分の部屋に戻りながら、通話に応答した。
「もしもし。どした?」
『やあ、未那。久し振りだね。試験はどうだった?』
相変わらずすぎる話し方に安堵する。
「ぼちぼちだよ」
『なるほど。君がそう言うなら重畳だ』
「お前のほうは……訊く必要ないな、これ」
『それは寂しいな。近況報告くらいは楽しみたいところだというのに。友達だろう?』
「……じゃあ、お前はどうだった?」
『学年一位だそうだよ』
「はっはっは。……自慢したいだけだなテメエ」
どうせそんなことだろうとは思っていたが。
よくないなあ。そのキャラで実は勉強できないみたいなギャップが欲しかった。
『相変わらずかわいらしいリアクションをありがとう。やはり楽しいね』
「俺はぜんぜん面白くない、今の流れ……」
『と、そうだ。それより報告だ。例の件をこちらでも調べていてね』
「は? ――例の件?」
俺は首を傾げた。そんな裏社会の情報屋みたいなことを言われても覚えがない。
と、そこまで考えたところで引っかかるものがひとつあった。
「……そういやお前、前に電話したとき、さなかの名前聞いて急に切ったよな」
『そうそう、その件だよ。いや、悪かったね急に。驚いたものだから』
「いや、完全に忘れてたからいいけど……そういやあれ以来か、電話するの」
『それはそれで寂しいんだが……』
「あー、すまん。お前がわけわからんこと言い出すのはいつものことだったし、こっちもこっちでいろいろあったからな、ここんとこ」
『引っかかる物言いだが……まあ、いろいろあったのならいいことだろう』
「いいこととは限らんでしょう別に」
『限るよ』
あっさりと言って、それから旧友はこう続けた。
『それより、湯森さなかさん。覚えがあると思ったけど、やっぱりだ』
「何? 実は知り合いだったりするのか、お前ら?」
冗談のつもりで訊いた。
だが、返ってきたのは肯定だった。
『そうだよ。ぼくとも、ていうか君とも、湯森さなかさんは知り合いだ』
「――え。や、はあ……?」
『覚えていないのも無理ないかもしれないけどね。一時期だけ、近所に住んでいたことがあるんだよ、彼女は。まだ小学校の三年生だったかな……幼馴染みってわけだ』
「待て。ちょ、待てって。いきなりすぎて話についていけねえぞ」
と言いつつ思い出すことがあって。
そういえば、さなかの家は引っ越しが多かったとかなんとか此香が言っていた。
「え……じゃあ俺とさなかって、もともと知り合いだったの? お前も?」
『そうだよ。と言ってもいっしょに遊んだのは一か月あるかどうかってところだったからね、未那が覚えていないのも無理はない。ぼくも名前を聞くまでは忘れていたわけだし』
「…………」
『現に、これはおそらくだけれど、湯森さんのほうも覚えていないんだろ?』
覚えていない、と思う。それらしい素振りは一切なかったし、隠していたわけでもないはずだ。
もし覚えていたのなら、この前の夜にでも聞いていてよかった。
『思い出してきたかな?』
旧友が問う。俺は言った。
「……ぜんぜん思い出せねえ。いや、あの時期にお前以外の誰かとも何人か遊んでた奴がいたのは覚えてる。でも、そこにさなかがいたかどうかは……」
『まあクラスも違ったしね。彼女も半年程度でまた引っ越してしまった。ただ、あの頃はかなり仲がよかったはずだよ――それこそ、少し妬けるくらいにね』
てことは、何か。
俺とさなかは昔すでに出会っていて、幼馴染みと言えなくもない関係だった……と?
「は――はは。なんだそれ……」
『未那?』
思わず。
俺は、笑ってしまった。
「はは……あはははは! うわ、マジかよすげえ。くっそ、なんで覚えてないかなあ!」
『……割に嬉しそうだね?』
「いや、なんか俺っぽいなあと思って。くっそ、これでどっちかが覚えてりゃ劇的だったっていうのにさ。ったく、あんなイベントのあとでおまけみたいに発覚する事態じゃねえだろ、これ……ははははは! 主役もヒロインもあったもんじゃねえっての!」
『……ま、こっちで調べたのはそれだけだ。いろいろ伝手を伝って、そっちの湯森さんとぼくらの友達だった彼女が同一人物であることは確定させてきたよ』
「ああ……何、そんなことしてたの? それで時間かかったのか」
『いやまあテストもあったからね。調べること自体は別に苦労しなかったし。まあぼくは確証がないことは、基本的には口にしたくなくてね。場合によるけれど』
「それでわざわざ調べるまでしたのか……」
本当、笑ってしまう。
幼い頃に出会っていたなんて。それこそ風格だけならメインヒロイン級だというのに。
締まらないもんだ。俺も、さなかも。
これじゃあ単なる笑い話になってしまう。
「はは……なるほどね。それでわざわざ連絡くれたのか。サンキュな」
『ん? ああ、いや。これはどちらかというと余談だ。前座であって余興だよ』
「あん?」
『本題はちゃんと別にあるのさ』
もっともらしく肩を竦めている旧友の様子が、見もしないのに伝わってくる。
本題の前の雑談のために、わざわざ時間を取って調べている辺りがこいつらしい。
「で? 本題ってなんだ」
『うん。そっちでもいろいろあったらしいからね、さっき聞いたけれど。ここらでひとつ近況報告会を兼ねて、久闊を叙すとしようじゃないか』
「ああ、そういうことか。まあ確かに面白い話はいくらかあるけど――」
『だからね』
と、旧友は意図的に俺の言葉を切るように、ひと言。
思わず俺は黙り込む。その間に、隙に、すっと挟み込むように。
旧友は言った。
『――近いうちに、君の顔を見に行きたいと思っているんだけれど』
「え、何。こっち来るの?」
『ああ。それで訊きたいんだが、布団は、ぼくの分を空けられるかな?』
「しかも泊まんの?」
『可能ならね。というわけで――ぜひ友利さんにもよろしく頼むぜ、友達?』
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