2-18『エピローグ/これからとこれまで』
「――おっふぁよ、未にゃっ!」
「…………」
久々に絶句した。
いやはや、俺もまだまだ修行が足りない。
朝。月曜日。
週明けの気分は誰しも憂鬱なものらしい。それは主役理論者たる俺も例外ではなく、学校はもちろん楽しいけれど、学校に向かうこと自体は普通に面倒臭い。
サボる気があるわけじゃないけれど、サボりたいと思わないかと訊かれればそれは思うと答えるしかない、というような、誰しも抱える月曜日のかったるさ。
それを吹き飛ばす何かが、弱運たる俺の世界に巻き起こるはずもなし――と、思っていたのだけれど。
朝から、クラスメイトの女の子が家まで迎えに来てくれる。
そんな青春イベントの王道、花形とでもいうべき事態に俺は遭遇しているのだった。
――が。
「何、してんの……さなか?」
そう問わずにはいられない俺を、いったい誰が責められよう。
普段通り、叶に先んじて家を出たところだった。「にゃー」とか「ぐぇー」とかネコだかカラスだかよくわからない呻き声を放置して出かけたところで、さなかを見た。
見慣れた制服姿。かんな荘の敷地を囲う塀に背を向けて、こちらに気づくと微笑んで。
そして――聞き取りにくい挨拶をした。
当然だ。そう、ちゃんと喋れなくて当たり前なのだ。
なぜならさなかは、口にトーストをくわえていたのだから。
なぜならさなかは、口にトーストをくわえていたのだから。
なぜならさなかは――もういいですかそうですか。いやでもちょっと待って。
本当に何してるんだ、この子は。
トーストを口から放すと、花の咲いたようにさなかは笑う。
「へへー、迎えにきちゃった。どうせ通学路だし、いっしょに行こ?」
「あ、うん。それはもちろん……光栄なんですけれども」
「やたっ」
さなかはすごく楽しそうに笑う。今までだって、そりゃ明るい子だったけれど、最近はまた輪をかけて、一点の曇りもない笑みを見せてくれる。
魅力的、という言葉はこういうときに使うのが本来は正しいに違いないと、そう確信させるような明るさだ。
でも口にトーストをくわえている意味はまったくわからない。
いや。
いやまあ、朝食だというならわかる。まだわかる。
今どきそんな風にトーストを口に通学する奴がいるとも思えないけれど、しかし絶対ないとも言えないだろう。
――でも食べてないんだもの。
くわえているだけ。ひと口たりとも齧っていない。そもそも塀の外で待ってくれていたというなら、その間に食べ終わっているか、せめて食事を進めているはずだ。
どうしよう。訊いたほうが、というかツッコんだほうがいいのだろうか。ボケなのか。
考えあぐねていた俺に、先んじてさなかのほうが言った。
「よし。じゃあ、そこに立って、未那」
「……ん。え、あ、ごめん。何?」
「もう。朝だからってぼうっとしてないでよー。ほら、早く早く」
よくわからないうちに、通りの真ん中に立たされてしまう。
さなかは少し離れた位置から、こちらに向かい合うようにポジションを取った。
……なぁに、これ?
「よっし! それじゃあ行くよーっ!」
わからないうちにさなかが宣言してしまう。
俺はもう棒立ち。
そんな俺の目の前で、さなかは再びトーストを口に挟むと、そのまままっすぐこちらへと小走りに向かってきて――棒立ちの俺に、ぽふっとぶつかってきた。
さなかの額が、俺の胸板にこつんと当たる。
大した勢いではないのだが、思わず支えそうになった。華奢なさなかを、まるで胸の中に抱き留めるような体制になってしまっていて、手をどこに置けばいいのかわからない。
な、なんですか、これぇ……?
「どうふぁなっ!?」
混乱する俺に、トーストくわえたさなかさんが上目遣いで訊いてきた。
さすがにもうツッコんでもいいですよね?
「いや何が!?」
「え、あ……あれえっ?」
俺のツッコミにさなかが狼狽える。
「だ、ダメだった?」
「ダメとかダメじゃないとかいう以前に、そもそも意味がわかんないんだけど」
「え、えと……ヒロインっぽくなかったかな? ドキドキしない?」
トーストを口から外したさなかが、至近距離で小首を傾げる。
かわいい。やばい。
その距離感には今めちゃくちゃドキドキしている確かにしてる。
けど、
「そういうことじゃないよね!?」
「そ、そっかー……これ、違うかー……」
困ったように、たははと笑うさなかだった。
要するに、例のヒロイン化のためのセルフプロデュースの一環ということらしい。
ようやく理解に及んだ俺は、軽く笑ってさなかに告げた。
「え、えっとね? その、わたしなりにいろいろ考えてみてさ? ほら、やっぱりこう、わたしみたいなのがヒロインを目指すなら、相応に先達に倣おうといいますかね?」
「あー……えっと、それでトーストくわえてると?」
「……うん。お約束かなー、って思って。ヒロインっぽくない?」
「いや、まあ、かもしれないけど……」
「そっかー……ダメかあ。まあ、確かにトーストくわえて曲がり角でぶつかるの、普通は転入生とかだもんね。うーん、シチュエーションが違ったなあ……」
シチュエーション以外にもあらゆる全てを間違っているとしか俺には思えないのだが。
まあ、でも。
「よし! 今回は失敗! まあ仕方ないっ!」
失敗を認める言葉。だがそれは、決して後ろ向きなものではない。
諦めずに前へと進む。努力を重ねることを厭わない。
そんなさなかの姿は確かに、いい意味での変化だと言っていいように思えた。
なら俺は、そんな彼女に恥じないよう主役を目指していくだけだ。
それを隣で見ていると、俺たちはお互いに約束したのだから。
こんな挑戦なら、いくらだって付き合おう。
それに、せっかくさなかがやる気を出して、こうしてお約束を考えてくれているのだ。
なら俺のほうも、せめてそれに見合う格好いい台詞くらいは言っておくべきだろう。
だから俺は口を開こうとした。
きっとなれるよ、とか、いっしょにがんばろう、とか。まあそんな雰囲気の、いい感じの台詞を吐こうとしたわけである。
「――いやあ。朝からお熱いですねえ、若者!」
こちらを見てニヤニヤと笑っている人影に気づかなければ、の話だったが。
一斉に。俺とさなかで声の方向に目を向ける。
かんな荘の敷地の中。いったいいつからそこに立っていたのだろうか。いつの間にやら見慣れた竹箒を装備した瑠璃さんが、こちらを生暖かい満面の笑みで眺めている。
俺は視線をさなかに戻した。
ちょうどのタイミングで、さなかも俺のほうを向く。
ちょうど抱き留める形ですっぽりと胸に収まっているさなか。触れる勇気などなかったため腕は空を掴んでいるが、傍から見れば抱き留めているのと大差あるまい。
目の前に見えているさなかの表情が、徐々に徐々に朱色へと染まっていくのがわかる。
「いいなあ。青春だなあ。いやあ、いいものを見せてもらったよー」
悪意なく瑠璃さんは微笑ましいもの見たように言うが、さなかには効果覿面だ。
ほとんどトドメと言っていいその言葉に、ついにさなかは決壊した。
「う、ぁ……うぅうぅぅぅぅっ」
顔を真っ赤にして呻きながら、さなかが屈みこんでしまった。
俺だってめちゃくちゃ恥ずかしいのだが、さなかに比べればまだマシだろうか。
「……そのパン、食べちゃったら?」
結局、道の端でうずくまってしまったさなかに告げたのは、そんな言葉だった。
小さくなって恥じらうヒロイン志望の少女は、俺の言葉を耳の端で聞いて。
「……ぅん……」
消え入りそうな声で、それでも小さく頷き、はむはむとトーストを食べ始めた。
……こう言っては悪いけれど。
今みたいに恥ずかしがっているときのさなかが、いちばんかわいらしいと俺は思う。
※
まあ結局、こいつはあくまでもさなかの物語だったということなのだろう。
俺は自分の人生の主役なのだから、さなかの人生にとってはあくまで脇役でしかない。それでも、お互いが先を目指すことには意味があったから、そこに不満は当然ない。
しかし俺は俺で、俺の物語を進めていかなければならないこともまた事実。
――今回の一件で改めて思ったことがある。
人生に劇的なことなど起こらない。だからこそれは、あくまで自分が起こすものだ。
現実なんざ、ちっとも面白いもんじゃない。だからこの世には創作がある。事実は小説より奇なり、なんて実しやかに言われはするが、どう考えたってそんなもんは嘘だ。
だから、この面白くない世の中を、それでも面白く生きるためには努力と情熱がいる。
それを助けるのが主役理論だ。この考えは、自分の理論がまだ完全ではないと認めた今でも変わっていない。だから俺はこの先も、主役理論を掲げて生きていくつもりだった。
「ま、そんなもん、あくまで小難しくもっともらしく言っただけの言葉なんだけど……」
実際にはもっと単純だ。俺は何も考えていない――わけじゃないが、俺が考える程度のことが絶対に正しいはずもない。人生なんてデカいものに対して、知った風な口を利ける歳じゃないだろう。よくわかんないから、がんばる。その程度のものでしかない。
それでいいと、今は思う。
中間テストの期間を挟んで、時間が経って。梅雨も明け、雨足の代わりに初夏の足音が響き始めてきた頃。
放課後。俺は電車を乗り継ぎ、再び繁華街のほうまで足を運んでいた。
待ち合わせをしている。考えてみれば結局、彼との約束通り一対一で会ったことはまだなかったわけだし、そうでなくとも俺は彼に対して嘘をついてしまっている。
その件を清算するため……などと言うと聞こえはいいが、要するにそういうこと。
待ち人は、約束の五分前には現れた。
「――どうも、先輩。また呼んでいただけるとは思ってませんでした」
「そう寂しいこと言うなよ。友達だろ、――望くん」
友利望はにっこりと微笑んで、俺の正面に腰を下ろした。
……何も言わなかったのって暗に否定してるわけじゃないですよね? 大丈夫だよね?
相変わらず小悪魔的な叶の弟に、出だしから不安にさせられつつも口火を切る。
「悪いね、いきなり呼び出したりして」
「いえいえ。僕も先輩と会えるのは嬉しいですから。大丈夫ですよ」
「……望くんに言われるとドキドキする……」
「え……えーと。それは、なんでしょう。光栄です、とは言いにくいですね……」
少し引き攣った笑みになる望くんであった。
まあ、こういう辺りはまだ年相応の顔を覗かせてくれるらしい。正直、男子だと知っていても不安になるほど線が細いため、あながち冗談で言ったわけでもないのだが。
望くんの注文が運ばれてくるまで待ってから、再び会話を再開する。
「最近、望くんのほうはどう?」
「どう……とは?」
「え。あー、そう訊かれると具体的なことはないんだけど……まあ学校とか。楽しい?」
「親戚の大人みたいなこと訊くんですね?」
「あはは。ごめん、なんか雑談を振ろうと思ったんだけど、意外と話題がなくて」
「意外とこなれてないんですね、先輩」
「うっせ」
俺は小さく肩を揺らし、望くんは嫋やかに笑む。
「僕のほうはつつがなくって感じですね。勉強は少し大変になってきましたが」
言葉を選ぶセンスが、なかなか中学生という感じではない。
「テスト期間だったもんね。ってか今さらだけど平気だった?」
「あ、僕のほうはもう終わりましたから」
「ならよかった」
「先輩は、成績のほうはどうでしたか?」
「ま、つつがなくですよ。成績落とさないのは親との約束だからね」
所詮は一年生一学期の中間テスト、とも言える。気を抜いてはもちろんないが。
「それで?」と、今度は望くんのほうから問いがあった。「今日はいったい」
「ああ。まあ……謝罪かな、基本的に」
「謝罪……?」
そう、と俺はあっさり頷いて言った。
「こないだ会ったの、覚えてると思うんだけど。湯森さなか。あの子、別に俺の彼女とかじゃぜんぜんないんだよね、実は。嘘ついたから、それは言っとこうかと思って」
「はあ……え、それだけですか?」
きょとんと首を傾げる望くんに、少なくとも驚いているような様子はない。
「ああ。やっぱり気づいてた?」
「気づいてた……というか。まあ不自然だとは思ってましたが、本人たちが言うんだからそうなんだろうな、ってくらいですけど」
「そんなもんか。まあ、そんなもんなのかもしれないな」
「いえ、そうではなくてですね。結局、それをわざわざ僕に言う意味が……」
少し困った様子の望くん。少し珍しく思えたが、確かに言われても困るだけか。
ただこの辺りは、やっぱり言葉にしておくべきだと俺は思っていた。
理由のひとつはさなかへの礼儀だ。彼女もまた主役を目指すと決めた以上、その邪魔になるような嘘をこのまま放置しておくのは潔くない。まあ、とはいえこの理由はいささか言い訳じみていて、たとえ本当に望くんが勘違いしていたとしても、そんなことが何かの障害になる可能性は甚だ低いと言うべきだろう。
理由としては、だから別の要素が大きい。それを俺は望くんに告げる。
「俺は、ほら。叶といっしょの部屋に暮らしてるわけで」
「はあ……」
正確には別の部屋なのだが、壁がない以上は同じようなものだ。
「いろいろ理由はあるんだけどね。まず単純に、今の状態を続けていく以上、叶の家族に嘘をつくのは後ろめたかった。隠すようなことをしてるわけじゃないのに」
後ろ暗いことは何もなく、悪さをするつもりもない。この同居はお互いの同意の下に、あくまで青春内容の発展向上を企図して成立しているものなのだから。
である以上、俺たちは大手を振るべきだ。まあ学校に好き好んで事実を喧伝するつもりまではさすがにないけれど、だからってこそこそするのも違う。それでは価値を貶める。
青春を楽しくするため、という前提で行っている同居だというのに、それで青春を後ろ暗いものにしては本末転倒でしかない。その点は、意識しておかなければならなかった。
「……それは建前ですよね?」
と、だが望くんは言う。
相変わらず聡い。中学生だとはとても思えない。
「それは、《湯森先輩と付き合っているという嘘》とは本質的に関係ないじゃないですか。話が変わっていると言ってもいいくらいです」
「まあ、だね。でも建前は大事だから」
「だいたい、この場合、嘘をつかせたのは迫った僕ですからね。我喜屋先輩が場凌ぎ的に湯森先輩との件を嘘として僕に言ったのだとしても、それをしたのは、姉と先輩との仲を僕が勘繰ったから。なら、僕が謝られなければならない理由がありませんよ」
「君は本当に中学生なのか? 落ち着きありすぎでしょう」
俺が中学生の頃とは比較にもならないほど頭がいい気がする。
おかしいな。男子中学生って、もっとずっとバカだったような気がするんだけど。男子高校生になっても俺なんか未だにバカなのに。何これ。俺だけなの?
「気を張っているだけですよ。背伸びをしているんです」
望くんは小さく言う。その言葉は、まあ、少なくとも嘘ではないのだろう。
というか、たぶん事実だ。
問題はなぜ望くんが気を張っているのかということのほう。
さきほど彼は、なぜ自分が謝られなければならないのかと訊いた。
言い換えるならば、なぜ俺が謝らなければならないのかとは訊かなかった。
その言い回しは普通しない。
俺がこれから言うことを、ある程度は察していない限り。
「ま、なんか微妙にバレてるみたいだし、それなら単刀直入に言うけど。今日は望くんに謝りに来たことが本題じゃない。それは前提で、本当は訊きたいことがあって来た」
「つまり先輩は、僕の機嫌を取るために嘘を申し開いた、ということですか」
やっぱり見抜かれていた。俺は苦笑する。
「そういう表現をすればそうなるね」
「では、そういう表現はしないことにします」
「そりゃどうも」
「それで、先輩? 僕に訊きたいこととはいったいなんですか」
友利望に訊くべきことなど決まっている。
友利叶に関すること。それだけだ。
おそらく、答えは貰えないだろうと思っている。なぜなら、もし俺が叶に関することを知りたいと思うのなら、問いは弟ではなく本人に向けるのが礼儀だからだ。
それを本人のいないところで、年下の少年を呼び出して聞き出そうとしている時点であり得ない。
第一、望くんが俺のことを好いてはいないだろうことにも気づいている。
そりゃそうだ。見も知らぬ男が、自分の姉といきなり同居など初めて警戒しないわけがない。そんな相手をひと目で信頼するとか、まして姉と付き合うことを勧めるとか。
――そんなことあるはずがない。普通に考えて意味がわからないだろう。
なら、そこには初めから別の思惑があったということになる。
「……望くんと叶って、割と仲がいいのかな」
「はい?」
いきなり話を変えるように問う俺。望くんは少し戸惑ったらしい。
「ええと……それが訊きたいことですか?」
「さすがにそうじゃないよ。ただまあ、傍で見る限りは結構仲いいよね、たぶん。俺にはきょうだいがいないからわからないけどさ。まあ、仲いいほうなんじゃないのかな」
「……どうでしょうね。少なくとも険悪だったりはしないですけれど」
「うん。まあ、じゃあとりあえず、すごく仲のいい姉弟だと仮定してみるけど」
仮にそうだったとして、何かおかしいことがあるか。
――ある。
「だとしても、たとえどれほど仲がよかったとしても――いや、仲がいいからこそ絶対にありえないと思うことがひとつある」
「……それは?」
「君が、叶の脇役哲学を知っていること」
さなかを含めて、三人で会ったときのことだ。
その言葉は望くんのほうから言った。
普通なら出てこない表現だ。なら確実に叶本人から聞いたということになる。
だけど、
「それはない。絶対にあり得ない。叶は自分からそんな話をしたりしない」
「それは、何を根拠に?」
「俺なら言わない。それが根拠だよ」
根拠になっていませんよ、と望くんが指摘することはなかった。彼はただ黙った。
別に納得したとか、説得されたわけじゃないだろう。言う必要すらないと思っただけ。
「でも、我喜屋先輩も知ってますよね」
「そりゃ俺と叶は似てるからな。でもそれは例外だ。例外でもなきゃ、叶も俺も、そんなこと誰にも言ったりしない。だって、言ったところで誰にも通じないんだから」
とはいえ、俺の主役理論だけでも、叶どころか旧友やさなかも知っているのだ。例外が多すぎて説得力などあったものではないけれど、少なくとも俺はそう確信している。
叶は、自分の弟に、自分から脇役哲学のことを教えたりは絶対にしない。
「でも現に僕は知っています」
「だからそこには、例外的な何かがあったってことだろう」
主役理論を知る三人の人間を考えてみる。
ひとりは旧友。あいつは初めからいっしょに考案した相手で、そもそも《主役理論》という表現を考え出したのは奴のほうだ。教えたというよりは初めから知っていた。
ひとりは叶。彼女の場合は、自分とは正反対だということに気づいたから。これは直感的なもので、これもまた教えたというよりは初めから知っていたに近い。
ひとりはさなか。俺が教えたというなら彼女が初めてだろう。この場合はさなかを巻き込む形で、同じところを目指そうという提案だった。教えるパターンはこのくらいか。
では、望くんはどうなのか。
「……叶は、言い回しを聞いた限り、脇役哲学を自分ひとりで作ってる。なら、あとから望くんに完成した哲学を披露したりはしないだろう。だったら考えられる可能性としてはひとつだけ――作っている最中に、望くんが知るような事態があった、だ」
「根拠が皆無ですけど……仮にそうだとすると、何か問題がありますか?」
「別にない。ていうか望くんが知ってること自体は、むしろいいことだとすら思う。けどそれは……その場合、きっと、間違ってるのは俺のほうなんだ」
「我喜屋先輩が、間違ってる……?」
さなかは俺にこう言った。
たとえ同じことを考えたとしても、それに徹底できるほど人は強くないと。
俺も同感だ。俺のような人間が主役理論に沿って行動できているのは、それを見ている旧友のような人間がいるから。ひとりでは絶対に無理だった。どこかで諦めていた。
なら叶は?
俺と同じように、自分を見張らせる人間として望くんを選んだのか?
――違うと思う。
それは、なんというか叶らしくない。脇役哲学の前提と食い違う。
なら違うのは前提だ。青春を楽しく過ごしたいというモチベーションだけでは続かないというさなかの言葉を是とするとき、叶が徹底してひとりであろうとしている理由は何か。
もしも彼女のモチベーションがそれだけではないのだとしたら。
「あいつの友達の話は聞いた。あいつが、脇役哲学に目覚めた理由だ」
それだけのことだ、と彼女は言った。
だけど、それだけのことでは続かないのだとしたら。
答えはひとつ。
「――叶が脇役哲学を始めた理由は、本当にあれだけだったのか?」
それが。
それを望くんに訊くことが、今日ここに来た理由だった。
望くんは少しだけ考え込むそぶりを見せた。少なくとも訊ねたことに、答える気がないわけではないことを示すかのように。
だがやがてかぶりを振って、小さくこう言った。
「なんのことだか、わかりません」
わかった、と俺は笑った。
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