2-11『オアじゃないよねアンドだよね4』
事件は――まあ事件と言ってしまっていいだろう――駅に着いて、西口へ出るのとほぼ同時に起こった。
というより、起こってしまっていたものに巻き込まれたと言うべきか。
「――とにかくもう来るなよ! 邪魔されんのも迷惑なんだよ!!」
そんな怒声。駅前の耳目を集めるそれが、知人の声であることにはすぐ気がついた。
「此香……?」
「――え?」
思わずそう呟いた俺に、さなかが揺れる瞳を向けた。
けれど、それに構っている暇はなく。怒声はさらに響き続ける。
「んだと――!? おい此香、あたしがいったい――」
「うるせえ! だからお前には関係ないだろ!」
「――何を……っ!!」
反射だった。何かを考えていたわけでは、おそらくない。
けれど、考えていては動きが止まる。思考より先に身体を動かす主役理論者の特性が、気づけば俺を行動に走らせていた。
バカな真似を、と。どこかの誰かが脳裏で嗤う。
「悪い、さなか。ちょっと行ってくる」
「え――ちょ、未那!?」
ひと言だけ告げて、そのまま返事を待たずに駆け出した。
向かった先に見えたものは、辺りも憚らず口論するふたりの少女。
片方は此香で、もう片方には見覚えがない。
俺はその間に、割って入るように突っ込んでいく。
「おい、此香。どうしたんだよ、何してんだ?」
「――あ? アンタ誰だよ」
突然の闖入者に、顔を知らない少女が露骨に表情を歪めた。
一方の此香は、俺に見つかったことを悔いるように、こちらもわずかに顔を顰めて。
「……未那か。そっか、もう来ちゃったのか……」
此香は何も毎日、屋台を開けているわけではない。当然、実家のお店で修行に励む日もあるだろう。だから店を開ける日に関しては、此香から連絡を貰っていた。
こちらからも行く日はそれとなく伝えてある。今日は外出するから、顔を出そうと思っていたのだ。
しかし、まさかこんな事態に遭遇するとは予想外だった。
予想できる、はずがない。
「俺は……その、まあ、客だけど。えーと、いったいどういう――」
それでも言葉を重ねようとする俺は、いったい何を考えていたのか。
決まっている。当然、俺は何も考えてなどいない。ただその場の空気を、事情も知らないのに改善させようとしているだけだ。
そういう人間を、決まって脇役と表現する。
「あ? アンタには関係ないだろ」
見知らぬ少女は言った。
俺は部外者だ。だからそう言われてしまっては、もはや返せる言葉がない。
にもかかわらず引かない俺を見て、少女は面倒に思ったらしい。
ち、と舌打ちが響く。
「とにかく、アタシは認めねえからな、此香」
吐き捨てるような、それは言葉通りの捨て台詞。
それだけを残してから、少女は足早に駅のほうへと去っていった。
「……なんだか注目を集めちまったな」
その場に残される俺たち。此香が少し恥じらうように言った。
「このまま晒し者になってるのもアレだろ? 店まで来なよ、なんか出す」
「あ……ああ」
さきほどまでの勢いなんてもうどこかに消えている。
俺は何を答えることもできずに、ただ曖昧な表情を浮かべて頷くほかなかった。
「てか未那、ひとりか? 今日は連れがいるって聞いてあったけど」
「ああ――そうだ。やべ、置いてきちまった」
そこで、ようやく俺は駅に放置してきてしまったさなかのことを思い出す。
いや、別に忘れていたわけではない。ただ駆け出してきてしまっただけなのだが、考えなしだったことは事実だろう。今日はさなかに迷惑ばかりかけているような気がした。
俺は振り返ってさなかを呼びに行こうとする。
しかし、背後を見れば、さなかはすぐ傍にいた。
考えてもみれば、あの状況で俺を追いかけてこないほうが不自然だ。待っていてほしいと頼んだわけでもない。
俺は片手を挙げて、謝りながらさなかを呼ぶ。
「すまん、いきなり走り出したりして。もう片ついたっぽいから大丈夫――」
「――さなか?」
その言葉は、振り向いた俺の背後から聞こえた。
つまり、此香の口から響いたということ。
「え?」
思わず再び振り返った俺。
此香は、さきほどにも増して気まずそうな表情を見せている。静かにこちらへ近づいてくるさなかと、黙ったまま立ち尽くす此香の表情を、俺は交互に眺めていた。
それ以外にできることなんて、あるのかどうかさえわからない。
「……こんなところで、何、やってるの? 此香」
やがて、俺たちのすぐ近くまで来たさなかが、感情を押し殺したような声で言う。
それこそ言葉通り、溢れんばかりの感情の渦を、喉の奥へ仕舞い込むみたいに表情を顰めて。
ふたりが知り合いであることは、この一瞬でもちろんわかった。
けれど、それ以外にわかることなんてひとつもない。
「別に。なんでアイツは帰ったのに、お前にまで似たようなこと訊かれなきゃなんねーんだよ。関係ねえだろ」
「おじさんのところで修行してるんじゃなかったの?」
「してるよ。だから店出したんだろーが。別に許可は貰ってるよ。その一環だ」
「……やってるんだ、屋台」
「何が悪いっつーんだよ」
「じゃあ、今日はなんで来なかったの」
「それこそさなかには関係ないじゃん!」
此香が身を切るように叫ぶ。
去り始めていた衆目が、再びこちらに向くところだった。それを懸念して、此香は再び声音を落とすと、「……忙しかったんだ。どうでもいいだろ」と小さく続けた。
その発言は。
だが、今度こそさなかの急所を貫いたらしい。
「どうでも、いいって……関係ない、なんてこと……っ!」
「うるさいな……なんだよ、事実だろ。別にあたしはさなかに迷惑はかけてない」
「――もういい」
それきりだった。
さなかは踵を返すと、一度だけ俺を見て「……ごめん。先、帰る」と告げる。
「え。あ、いや」
そんなことだけを呟く俺。言語にすらなっていなかった。
止める間もない。そのまま駆け出して行ってしまうさなかに、俺は何ひとつ言葉を返すことができなかったのだから。
間抜けさも、ここまで極まれば滑稽すぎて笑えてくる。
無言のまま棒立ちを続けるだけの俺。フラれ男だってここまで惨めじゃない。
「……行こうぜ」
しばらくあってから此香が言った。
俺はそちらへ顔を向け、それでいいのかと視線で問う。
此香は笑顔だった。
「あんまり客を待たせるのも悪いだろ。……ま、迷惑かけた分のことは補うからさ。勘弁してくれ」
そのまま屋台のある方向へと歩き出す此香に対し、俺が告げられる言葉はやはりなく。
後を追って歩き出した自分のことが、歯噛みするほど憎らしかった。
――でもまあ、このあとに起こったことほど腹立たしいというわけではない。
神様というヤツは実に陰険で、こんな状況にさえきっちりオチを用意しているというのだから始末に負えない。思わず逆に有神論者になってしまいそうな気分と言えばいいか。
少なくともそれは幸運ではない。強運でもないが、弱運というのも憚られる。
あるいはそもそも、運命ですらない程度のありふれた偶然の範疇なのかもしれない。
まあ、そんな前置きはさておいて、今日のデートのオチをここで言うのならば。
屋台の暖簾をくぐった先で、響いた声がその答えだ。
「――いらっしゃいまクソ」
そんな、客商売を舐めてんのかという感じの声に俺は出迎えられる。
此香はいっしょに歩いてきたのだから、当然その声の主ではない。
ていうか、この声の主に俺が気づかないはずもなかった。声音ではなく、人の顔を見るなり悪態を漏らす失礼加減でだいたいのことは察せるのだから。
思えば逆パターンは一回あった。
いい加減、こうまで被ることに驚きはない。逆に倦怠というか食傷というか、そろそろ違うパターンを見せてくれてもいいんですけど? みたいな諦観くらいだ。
それでもまあ、一応は突っ込んでおかなければなるまい。
俺は言った。
「で? 何やってんの、こんなとこで」
「お帰りください」
失礼の国から、友利叶さんのエントリーである。
「おい質問に答えろよテメエ。お前の一存でこの店の売り上げを下げていいのか」
「――チッ」
「うわあ。舌打ちひとつでここまで人を苛立たせるとかすごいね? タイミング完璧か」
「舌打ちどころか喋りもせずに、顔ひとつでわたしを苛立たせる誰かには負けるよ」
「誰のことを言っているんですかねえ」
「え……? 嘘、わからないの? 本気で? ……うわあ」
「え? わかっててあえて言ってるってわからないの? 本気で?」
「うっわ、性格悪っ」
「なぁに、お前には負ける」
「喋んなくてもムカつくけど、喋ったらよりムカつくね。だいたいさっきの何さ? わざわざわたしが言ったときと同じリアクション被せて」
「そりゃお前がこんなところにいるとは思わないしな。訊いて当然だろ」
「わかってるくせに。わかってることを訊くから性格が悪いってさっき言ったよね?」
「だいたい察したってだけだろ。今日お前がいるとは思ってなかった」
「未那が外で食べてくるって話だったから、わたしもそうしたんでしょーにさ。この店はわたしだって気に入ってるんだから。気軽に入れる屋台なんて、そうそうないんだし」
「まあ、その気持ちはわかるけどな」
「はーあ。いつになったらこの店のおでんをひとりで楽しめるのかなあ」
「ほかの客が隣に来るのも屋台の醍醐味ですけど」
「わかってるっつーの。だからって、知ってる顔わざわざ見たくないでしょーに」
「同感だ。特にお前は」
「はいはい両想い両想いやったね」
「はっ倒すぞ」
「あ、此香さん、ごめんね。わたしもう戻るから」
そこまで会話を続けたところで、屋台の中に戻った此香が戦慄したように言った。
「……えっと。確か、別に付き合ってないんだよね、ふたりは?」
俺は言った。
「だから、そんなわけないだろ」
叶は言った。
「だから、そんなわけないって」
ふたりで言った。
「おい被せてくるのやめろ」
そんな様子を全て見てから、どこか混乱した様子で、小さく此香がこう言った。
「それは……つまり、恋人じゃなくて夫婦だから、付き合っているとは言わないみたいな、そういう叙述トリックってこと?」
「いや叙述トリックって何」
と、これもふたりで言った。
……お願いだから、叶はちょっと黙っててくれないかなあ……。
※
とりあえず、俺たちは食事を取ることにした。
隣の席に叶がいることは……まあいつも通りといえばいつも通りだし、気にすることのほうをやめるとしよう。
此香も此香で、叶が来てるなら教えてほしかったというか、あっさり客に店番させてる辺り、叶も此香の友達枠に入ったっぽいことは喜ぶべきかもしれないというか……。
なんだかね。むしろ叶の奴、学校の連中により心を開いてるんじゃねえの。
さておき、その辺の話は有耶無耶にしばらく食事に集中する。
もともと、そのつもりで来ているのだから、当初の目的は果たすべきだ。それ以上のことは、そのあとに。
食べ終わってから俺は訊ねた。
「……此香が、さなかと知り合いだとは思わなかったよ」
訊ねたというよりは、単に確認しただけといったほうが近いか。その点は明らかだったし、それだけなら何が問題というわけでもない。だから、ことさら軽く言った。
叶は無言。我関せずといったその態度が、今はいっそありがたい。
「いや、知り合い、っていうかね……」
此香のほうも隠すつもりはないのか、小さな苦笑とともに言う。
今回ばかりは、ほかに客がいなくて幸いだった。
「中学が同じだったとか?」
「そういうんじゃない。学校は違ったんだけど……そもそもあたしら、親戚なんだ」
「……親戚」
「そ。いとこ同士、ってことになるのかな。歳も近かったし、まあ、昔は仲もよかったよ」
「そういうことだったのか……」
腑に落ちた気分であった。
思い出すのは、俺が雲雀高校の生徒であると言ったときの此香の反応であったり、あるいはさなかがこの辺りには親戚が多いと言っていたことだったり。
そういえば、《さなか》と《此香》という名前の感じも割と似ている……って気づけねえよ、こんなこと。
少なくとも顔は似ていない。いとこなら似ているなんて理屈もないし、当然ではあるが。
「さなかの家のほうは、割と引っ越しが多かったんだけどな。親戚の集まりみたいなのは結構あったから、顔を合わせる機会も増えた。同い年くらいなのあたしらだけだし」
「ああ。そういうのは仲よくもなるよね。親戚関係とか基本、子ども置いてきぼりだし」
一応聞いてはいるらしく、そんな風に呟く叶だった。かなりどうでもよさげだが。
その反応はとりあえずスルーして、俺は此香のほうに訊ねる。
「にしちゃ……その、あんまり仲よさそうには見えなかったんだけど」
「んー……まあ、だな。中学の終わりにちょっとあってさ」
「喧嘩でもしたってこと?」
「いや……あー、でもまあ喧嘩したようなもんか。ほら、あたしは高校行ってねえだろ? そういうのは、あんまりよくないんじゃないのかー、みたいなこと言われたんだ」
「……なるほどね」
そこで話を切って、俺はおでんを口に入れた。
叶が一瞬、こちらを見たようなが気配があったけれど。何か言いたいことでもあるのか、それとも単に気のせいなのか。
それを判断するより早く此香が言う。
「つか、悪かったな。二回も面倒なことに巻き込んで」
申し訳なさそうな此香に、首を振ってから答えた。
「……別に気にしてないけど。最初のあの子は?」
「あれは中学んときの連れ。あっちも、あたしが進学しなかったことが不満らしくてさ。ああいや、そういう言い方だとちょっと違うか」
「それは……どういう?」
「グループから勝手に抜けたのが気に喰わなかったんだと。それでよく来るんだ」
そういえば、此香が店を抜け出したのは今日が初めてではなかった。
思えば俺が最初に来たときも、冷やかしではないのかと妙に警戒されていたのをよく覚えている。
その裏にあった事情は、これなのか。
「……もしかして、なんか、営業妨害とかされてるのか?」
そのレベルなら話も変わってきてしまう。
だが、これには此香は首を横に振った。
「まさか。そこまで大きな話じゃねーよ。つーかそこまでできる連中でもない」
「……ならいいんだけどさ」
「まあよく顔を出しちゃ、戻ってこいみたいなこと言うけど。無茶言うなよな?」
「誰がどんな風に生きようと、そんなの当人の勝手なのにねー。まして自分で働いてるんなら、なおさら。誰に文句を言われる筋合いもないでしょ」
疑う余地のないロジックであるとばかりに、そう呟いたのは叶だった。
彼女ならそうなのだろう。
全てを自分の中の哲学に、信念に沿って生きられる叶なら。
もともと叶は、そういう煩わしい人間関係に嫌気がさして脇役哲学者となったのだ。
あの夜の公園で、彼女から聞いた理屈なら覚えている。
それに、たとえ違う道を選んだとしても共感した俺には、嘘でも間違いだなんて言えない。叶の言う通りだ。
「だよな?」
と、此香は笑う。
その共感に喜んだというよりは、どちらかというと安堵したように。
「悪かったな、ふたりとも。今日は奢りでいいからさ。せめて食べてってくれよ」
「……別に、そこまで気にしなくていいぞ」
俺はそう告げたが、此香は納得しなかった。
「いいから、いいから。それにほら、こんな同年代の常連は貴重だしな。これに懲りずにまた来てくれよ、っていうサービスってことで。な?」
「そう? まあなら店番した甲斐があったってことで、遠慮なく」
叶がそう言ってしまった時点で、もう、話は終わったということらしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます