2-10『オアじゃないよねアンドだよね3』

 ともすると、ではあるが。

 俺は《青春》という言葉の定義を、あるいは世間一般とは違う基準に置いているのかもしれない、と少し思う。

 別段、決定的な乖離というほどではないにしても。


 俺にとっての青春とは要するに、これまでの人生で得られなかった楽しさを指す言葉である。それが俺の知らないものならば、実はなんだって構わない。

 おでん屋で店主の少女と言葉を交わすことも、迷子の中学生といっしょになって迷うことも、その縁から喫茶店でバイトすることも、同居人の弟と会うことも、もちろん気になるクラスメイトの少女とばったり出会うことだって――俺にとっては、その全てが望むべき青春なのである。


 だからって、決してなんでもいいわけではない。

 とにかく何かをすること、誰かと関わることに重きを置いている以上、その結果が常に愉快なものになるとは限らない。

 いつだったか叶にも言われたことだ。

 関係を持つということは触れ合うということ。接触する以上は摩擦が発生することも必然で、ならばそれが軋轢となり、ときには望まない不都合を招くことだってある。まったくその通りだ。

 触れれば必ず熱を生む。

 それがいいものになるか悪いものになるかなんてわからない。

 俺が叶に反駁したこと自体が、あいつの言うことの正しさを、ある一面では認めていたからだろう。

 ただ、だからといって全てを切り捨てることを潔しとはしなかっただけで。


 だから俺は失敗を恐れない。

 いや、恐れているのだとしても立ち止まらない。

 たとええらんだ道の先で後悔することになるのだとしても、立ち止まっていては後悔することさえできない。そのことを後悔するよりは、火傷を負うほうがマシだと思う。


 それが、俺の信じる主役の在り方。

 自分の人生で、自分が主役だ。ならその物語は、劇的であったほうがいい。そう考えてこの場にいる。

 それが前提である以上、俺は現状に確信を持って満足するべきだ。

 そのはずだった。


 けれど、まあ、なんというか……それでもこれはどうなのっていうか。

 ほら、ねえ?


「あんまり買い物ってしないんですよね、僕」


 隣に立つ望くんが言う。

 相変わらずの無表情ながら、なんとなく機嫌はよさそうだ。


「欲しいものがないってわけじゃなくて。単純に、基本的にはまだ親に勝ってもらう年齢ですから。やっぱり高校生ともなると、服とかも自分で買うものなんですか?」

「……どうだろうね。人によるんじゃないかなあ」


 答えにもなっていないような返答をする俺。

 人によらないもののほうが、この世界には珍しいと思うけれど。かといってそんなことを訊かれても、俺には何も言えない。

 高校生を必要以上に大人と見ていると言うべきか。

 あるいは単に、望くんがこちらを立ててくれているだけなのか。

 もうなんかよくわからない。


「えーと。さなかはどう? こういうのはさなかのほうが詳しいんじゃない?」


 困った挙句、俺は望くんの反対側に立つさなかに水を向けた。

 彼女は今どきの女子高生だ。ならばきっとこの手の話題も得意に違いない。俺が名前も知らないようなブランドだって把握しているだろう。

 水を向けられ、水を得たさなかは言った。


「へぁ? え、あ、うん。なんか、えと、その。ひゃあ」


 溺れていらっしゃるようで。


 昼食を終えて店を出てからというもの、さなかは完全にぽんこつと化していた。

 現在、午後二時過ぎ。

 俺たちは駅前を適当に巡って、今は一軒の服屋を訪れている。


「おふたりのデートを邪魔するのも悪いので、僕は適当について行きます」

 という、望くんのひと声によるものだったことを明言しておこう。

「せっかくだしお言葉に甘えようか、さなか」

「うううううん! そ、そうだね! えーと……そうだねっ!」

「……。さなかはどこか行きたいところある?」

「ど、え、ど、どうしようかなっ。あ、あんまり考えてなかったけど。未那は?」

「…………。俺は、さなかの行きたいところならどこでも」

「――――…………ぅあ」


 もはや目の焦点すら合っていなかった。

 いくらなんでも、さすがに恥ずかしがりすぎだと思うのだが。

 さなかがあまりに真っ赤だから、俺のほうは逆に冷静になってしまった。

 普段なら言葉にしづらい浮いた台詞も、そのお陰で気負いなく言うことができる。

 なんなら、ちょっと楽しくなってきてしまったくらいに。


 この謎デートの目的は、俺とさなかが付き合っているのだと望くんに信じ込ませること――ひいてはその結果として、叶と俺との関係を推すことを諦めさせることにあった。

 ゆえに俺たちは、付き合いたての高校生カップルとして振る舞う必要に駆られている。

 まあ、その意味で言えば、盛大に狼狽えまくっているさなかはある意味でナイス演技と言えるのかもしれない。どう見ても演技ではなかったが。


 それなり以上には、さなかもモテるタイプだと思っていたが。

 その割に、もうぜんぜんこっち方面に慣れがないらしい。俺だって他人のことを言えた義理ではないけれど、ここまでぽんこつだとさすがに申し訳なくなってくる。

 まさかここまで初心だとは。

 そんなに苦手なことを、それでも自分から提案してくれた辺り、俺にもまだ目はあると思っていいのだろうか。

 この分なら、いくらなんでもまったく意識されていない、ということはないはずだ。と思う。思いたい。確証なんてないけれど。


 そんな感じで、しばらく俺たちは店頭を冷やかして回った。

 服を買うお金はないということで、続いて雑貨なんかを見て回る。文房具の類いなら、望くんも退屈はするまい。


「最近はいろんなものがありますね。見た目だったり、機能だったり」


 小さく呟く望くん。

 彼は今この状況が果たして楽しいのだろうか。俺が逆の立場なら、確実に微妙な気分になること請け合いだ。

 傍で見ている限りでは、望くんに気負った様子は見られないが。


 この場でおかしいのは、さなかひとりだけだった。

 そのさなかも、さすがにちょっと平静を取り戻しつつ言う。


「あ。このペンかわいー……」


 様々な雑貨が並ぶフロアの一角で、一本のシャープペンシルを手に取ってさなかが言う。かわいらしい柄物で、そのセレクトは実にさなかっぽいと俺は思っていた。

 叶ならこれは選ぶまい。もうちょっとシンプルで機能性の高いもの、もしくはちょっとこだわった高価な品があいつのセンスだろう。なんなら万年筆とか好きそう。

 そんなことを脳裏で考えつつ、俺は問う。


「それ、気に入ったの?」

「えぇ!?」


 声をかけられるなり、跳び上がらんばかりに驚くさなか。

 こちらをじっと見据える望くんには、バレないように目配せをする。話しかけるたびに驚かれていては、さすがに不自然というものだろう。

 さなかもそれを察して、小さく深呼吸をしてから笑顔で答えた。


「う、うん。あ、いやその、なんとなくなんだけどね?」

「んじゃ、それ買おうか」

「え?」

「プレゼント。初デートの記念ってことで」


 言っててだいぶ恥ずかしい上に中身が嘘って辺りいろいろアレだったが、これくらいのことならば、俺は普通に言えるようになっていた。

 なぜなら、


「――ぷ、れ、……え」


 と、さなかが硬直するから。

 このぐっだぐだな感じを横で見ていると、こちらが恥ずかしがる余地もない。めっちゃ怒っている人間が隣にいると、なんとなく自分が怒れなくなってくる、みたいな理屈。

 まあ初デート記念というよりは、単に付き合わせてしまったことへのお礼という意味が強い。

 そして、その辺りの思いはさなかも汲み取ってくれたらしく。


「ん……ありがとう。大切にするね?」


 そう言って、嬉しそうにはにかんでくれた。

 恥ずかしい台詞を口にした甲斐がある。


 もっとも、そんな様子を見ていた望くんは小さくこんなことを呟いて。


「――なるほど」


 それを聞いた瞬間、さなかはまたしても真っ赤になって縮こまってしまった。

 まあ、かわいらしくて好ましいけれど。




 そんなことがあった。

 逆を言えばそんなことしかなかったというくらい、三人での買い物は平穏に終わった。

 望くんは特段、こちらを監視する様子も、疑う様子もなく。翻って、ふたりで会う約束が反故にされたことに怒りもせず、むしろ楽しそうに俺たちについて来てくれた。

 だから俺はさなかとふたりで、当初の目標だったデートを普通に楽しめたと言っていいだろう。

 それこそ、こちらが勝手に勘繰っただけで、望くんのほうは初めから気にしてなどないと言わんばかりだ。

 そして冷静になってみれば、俺からしても望くんは、付き合いやすい年下の友人、そんな感じでしかない。叶の弟は思えないほどに。


 夕方になるまで普通に遊んで、「そろそろ帰ります」と彼は言い出した。

 初めに集まった駅の謎オブジェの前まで、三人で戻ってくる。


「ありがとうございました、我喜屋先輩、湯森先輩。今日は楽しかったです」

 望くんは言う。含むところのない自然な様子で。

「なんか、悪かったね。いろいろと予定外な感じになっちゃって」

「いえ。僕も遊びに来ただけですから。むしろわざわざ付き合ってくださってありがとうございました。いろいろと案内していただいて嬉しかったです」

「叶には会ってかなくていいの?」

「僕が我喜屋先輩たちと会ってると知ったら、あまりいい気分はしないと思いますから」

「……かもね」俺は軽く肩を竦める。「そんな気を遣わなくてもいいとも思うけど。結構、仲がいいんだね、ふたりは。この年の姉弟にしちゃ珍しいくらい」

「そうでしょうか? ……まあ、そうかもしれませんね」


 小さく、少し微笑むように望くんは言う。

 俺も笑って答えた。


「まあ、そんな大事な姉が、妙な男といっしょに住んでるってなったらアレだよね」

「いえ? そんなことは」茶化すように言った俺に、望くんは普通に答える。「姉が選んだ相手なら、別に文句を言ったりしませんよ。というか僕が口を出すことじゃないので」

「……ありがたいと言えばありがたいけど」

「ああ。いえ、別に含むような意味はありません。姉も別に、こういう言い方もおかしいかもしれませんが、我喜屋先輩が好きだから同居に踏み切ったわけじゃないでしょうし」

「それは、まあ……そうだろうね」

「僕が言うのもなんですが、姉は割と変わっているので。その姉の基準で選ばれた――という言い方は先輩に失礼かもしれませんが、いずれにせよ先輩と姉が納得していることに何かを言う気なんて初めからありません。まあ、湯森先輩は複雑だと思いますけど」

「……あ、あはは……」


 話を振られて、さなかは複雑そうにそう苦笑した。

 実際には嘘だとしても、そもそも《姉と同居している男が(悪い言い方をすれば)ほかに女を作っている》という嘘がまずいろいろとどうなのって話だ。あまりに今さらだが。

 さすがに弟だけあって、望くん、叶への理解度が半端ではなかった。


 しかし、こうなってくるとやはりわからないことがひとつある。

 俺は思い切って直接、望くんに訊ねてみることにした。この分なら、望くんも隠すことはないだろう。


「……それで望くんは結局、今日は何をしにここへ来たの?」


 望くんは、ほんのわずかだけ笑みを見せる。


「今日は我喜屋先輩のほうから呼んでいただいたつもりでしたけど」

「連絡を取ったのは俺からだけどね。さすがに、あんな風な方法で連絡先を置いてって、それで何の目的もなかったってのはちょっと信じがたい」

「……まあ、目的ってほどのことはないんですけどね」


 少しの間があってから、望くんは言った。

 観念するようにでもなく、単に訊かれたことに答えるという風に。


「ひとつは、単に姉の近況を知りたかっただけです。まあたいていのことは訊けば教えてくれるんですけど、住んでる街のこととか、周りの友達のこととか。そういうことは直接じゃないとわからないじゃないですか。いろいろあったので、気になってたんです」

「……なるほどね」


 と俺は言う。単純に、姉を慕っていたのだろう、と。

 それをわざわざ口で言うのは野暮だ。叶の中学時代のことは俺も聞いていたが、だからこそ安易に言葉にするべきじゃない。そう思ったから。

 ゆえにその続きは、望くんのほうから述べられた。


「やっぱり、我喜屋先輩はご存知だったんですね」

「……って言うと」

「姉の――脇役哲学のことを」


 その言葉は、どうしても強く耳に残る。

 辺りの喧騒を遠くに追いやるほど。


「なら、それで充分です。今日は来てよかった」


 望くんは言う。その様子は、本当に、心から安堵したようなものだった。

 俺にその意味なんてわからない。ただ望くんは叶を心配していて、それが解決したのだろう、という程度のことをなんとなく察するだけ。それさえ正しい確証はない。

 別れを告げて、去っていく望くんをただ見つめていた。


 俺にはきょうだいがいないから、その関係なんて想像するしかない。

 だけどおそらく、きっと悪い関係ではないのだろうと。

 そんなことを、ただ思った。


「ねえ、未那。脇役哲学って、何?」


 望くんが改札へ消えていったところで、さなかがふと呟く。

 俺は軽く答えた。


「……叶の趣味、っていうか主義」

「主義……?」

「そ。人生を脇役として生きたいみたいな主張」


 あまり深く言うことでもないと思った。だから最低限の説明だけをする。

 それを説明するのなら、叶の口からであるべきだ。


「……それって」


 わずかに考え込むような間があってから、さなかは言った。


「なんだか、未那とは正反対なんだね」

「そうだね。ん、まったくその通りだ。理解できないね」

「……そうかな」

「それより、このあとどうする? よければ夕飯もいっしょにどう?」


 話を変えるように俺は提案した。掘り下げるような話でもないはずだった。


「今日のお礼ってことで、なんなら奢らせてもらうけど。ちょうどいい店を知ってんだ」

「……ん、そうだね。それじゃ、いっしょにご飯、行こっか」


 けれどさなかは、なぜだろう、まるで何かを考え込むように一瞬だけ目を伏せた。脇役哲学という言葉に――あるいは別の何かに、思いを馳せるかのように。

 けれど結局、何ごともなかったかのようにさなかは言う。


「あ、でも奢りはいいよ。プレゼントも貰っちゃったしね? これ以上は」

「そう? アホみたいなことに付き合わせたし、それくらいはしようかと思ったけど」

「だからいいって! そもそも言い出したのわたしだし、それに楽しかったしね。うん、役得だったし、わたしはいいよ。いろいろ、わかったこともあったから」

「……なんの話?」

「秘密の話。てか未那、そんな懐に余裕ないでしょ。あんまり格好つけなくていいよ」

「……それは、まあ」


 素直に頷くほかない。見透かされていては世話なかった。

 さなかはわずかに苦笑して、それから言った。


「それじゃ、行こ? エスコートしてくれるんでしょ」

「……今日中は彼氏役だしね。もちろん」


 ふたりで連れ立って、帰りの電車の改札を目指す。


 いい一日で、そしていい青春だった。

 俺はそんな風に考えていた。

 浮かれていたと言い換えてもいい。ごっこ遊びのようなものとはいえ、今日一日、彼氏役として振る舞えたことに、たぶん舞い上がってしまっていた。


 だから見逃した。


 それは主役として、おそらく致命的な失態。

 主役理論の決定的な弱点。

 考えておくべきだったことを、俺は考えておくことができなかった。

 だから、傷を負うことになる。




 ――さて。物語は、ここから伏線の回収に入っていく。

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