2-07『デート・オア・デッド4』
幸い、此香はすぐに戻ってきた。
なぜ店を空けたのかと問い質したい気分ではあったのだが、
「おっ、お客さんか? 歓迎するよ、いらっしゃい」
と接客モードに入ってしまったためタイミングを逃してしまう。
……まあ、これだけ早く帰ってくるのなら、大した用件ではなかったのだろう。
再び静寂を取り戻した店内で、小さく笑いながら此香は言った。
「未那の連れか?」
「いや……なんて言ったらいいのかな。別に呼んだわけじゃないんだが」
「うん? よくわかんないけど」
「あー、ほら。前に少し言ったろ。俺と同居してる奴。友利叶。通りがかったんだと」
「……ああ、例の。じゃあやっぱ未那がここ教えたってことだよな?」
そう思うのも無理はないが、そうではない。
これに関しては、叶の側が自分から答えを言った。
「いえ。単に雰囲気のいい屋台を見つけたから、入ってみたかったってだけです。決してこいつに唆されて来たってわけじゃありませんので」
「お、おう。そうか……趣味が合うんだな」
「……そうですね。趣味だけは確かに合うかもしれません。ふふっ」
発言の一部だけを強調しながら微笑む叶。
ふふっ、だってよ。何その笑い方。
久々の猫被り友利さんではあったが、残念ながら迫力がありすぎて此香が引いている。
そんなに俺と被ったのが嫌でしたかね。俺もですよ。やったね両想い。
わざわざお互い一席分離して腰を下ろしているところに、この言葉にできない関係性を見出していただきたいところだった。
よろしくお願いしますよ、此香さん。
「ん? 席詰めて座ったらどうだ。いっしょに暮らしてんだろ?」
ダメでした。そういうトコだけなぜ気を遣うんですか。
「……そうですね。ええ、ほかのお客さんが来るかもしれませんからね」
少しだけ引き攣った笑みを零しつつ、いちばん右端に座る俺の隣へ叶が席を移す。
まあ何も言うまい。俺は口を噤んだまま流れを見計らう。
それをどう受け取ったのか、やはりエセキャットモードのまま叶が此香に声をかける。
「それにしても、驚きました。まさかこんなに若い店主さんだなんて」
「あー、まあそうだよな。だけど珍しいっつーなら、こんなに若いお客さんが来ることもそうそうないぜ? よく入ろうって気になったな、こんな屋台に。えーと、友利さん?」
「叶でいいですよ」
「そっか。あ、名乗り忘れてたな。あたしは赤垣此香だ。こっちも此香でいい――ってか敬語やめようぜ? そんな気取った店じゃないし、未那と同級生ならあたしともタメだ」
「……わかった。ありがとう。それじゃ此香って呼ぶことにするよ。この店に入ったのは、さっきも言ったけど雰囲気がよかったから。こういうの好きなんだよね、わたし」
下手に敬語を使っているよりも。この、気安い感じのキャラを偽っているときのほうが違和感すごいよな、こいつ。
もちろん絶対に言わないけど。
代わりに注文を入れておく。暗に、お前もさっさと喰えよと促すように。
「此香。こんにゃくとはんぺん」
「あいよー。さて、叶は何が食べたい?」
「それじゃあ――」
と叶が注文している様を、横合いから眺めながら思う。
なんとなく、ではあるのだが。
叶の纏う雰囲気が刺々しいような気がするのだ。
それは、かつて叶がさなかたちに見せていた、一線を画すような生温い隔絶とは違ったもの。どことなく、敵意にも似た攻撃性をわずかに滲ませる、そんな断絶。
もちろん、攻撃的な態度など叶は見せていない。だから、これはあくまでなんとなくの話。叶が常から俺に見せている態度と比べれば、天地ほどの差があるだろう。
けれど。もし俺の《なんとなく》が的中しているのだとすれば。
――それは叶の主義である、脇役哲学の在り方とは明確に違う。
それが違和感だった。関係を操作することで接触を、そしてその先に起こり得る摩擦を減らすのが友利叶の方針だ。それは味方以上に、敵を作らない振る舞いに終始される。
だから叶は猫を被る。適当に――最も適した対応を当てることで、毒にも薬にもならない
その叶が今、けれど此香に対しては妙に隔意を抱いているように感じられるのだ。
いったいなぜだろう。その理由がわからず、知らず俺は悶々としてしまう。
別段、俺が気にするようなことではないはずなのに、なぜか気になって仕方がない。
「――それにしても」
と。そんな俺を文字通り傍目にして、なんでもないように叶は言う。
注文が終わって、俺と叶の正面におでんが盛りつけられた直後のことだった。
「ずいぶん、仲がいいみたいだね? 未那はそんなにここに通ってるの?」
まるで彼氏がほかの女と仲よくしていることに嫉妬する彼女みたいなことを言い出す叶。
俺ではなく、あえて此香に対して聞いている辺り、いろいろと始末が悪い。
無論、まさか叶がそんな風に考えているはずもないのだが。
「まだ二回目だな」
此香はあっさりと答える。彼女のほうは、叶の妙な雰囲気に気づいていないらしい。
もっとも、俺だって叶とひとつ屋根の下に暮らしているからわかったことだ。
普通なら気づかなくても無理はないし、それを考えれば、今も脇役哲学は継続中なのだろう。
「ふぅん。それにしては打ち解けてるみたいだねー」
やはりあっさりと叶は言う。
此香は一瞬だけきょとんとした表情を見せたが、それからすぐ笑って言った。
「いやいやいや。心配しなくても、あくまで客と店員の関係だって」
「そう? ならいいんだけど」
「つーか、何? 未那からは違うって聞いてたけど……もしかしてそういう関係?」
そう訊ねた此香の瞳が、少し輝きを増している。
前から思っていたことだが、やっぱり此香は意外と恋愛トークが好きらしい。
一方で叶は、恥じらう素振りすら一切見せない超絶フラットな態度で否定。
「え? 嫌だな、そんなわけないよ。どこまで聞いてるか知らないけど、同居してるのはあくまで必要に駆られてってだけだから。仕方がない事情があるんだよ」
その通りだけど。
そして、その通りでしかないんだけど。
なんだろう。
そう断言されるのも、それはそれで、ちょっと、少しだけ……ムカつく。
「でも気をつけてね? この男は手が早いから。毒牙を持っているから」
「おい。あることないこと吹き込むなや」
さすがに割って入った。言われっ放しではいられない。
第一、手が早いなどと言われるような真似を叶の前でした覚えはない。なんなら一生で一度もしたことないレベル。もし俺がそうなら、あんな無様をさなかに晒すものか。
だが叶のほうは、そんな俺の反論さえ予期していたという顔で。
「自覚がない辺りがいちばんタチ悪いって、わたしは思うんだけどねえ」
「なんの話だよ……」
「あ、このおでん美味しい。うわあ、やっぱりいいなあ、屋台。大当たりだった」
さらっと無視。こいつ本当にどうしてくれよう。
気持ちはわかるため、叶の食事を邪魔することだけはできず押し黙るしかなかった。
そんな様子を見ていたからだろう。此香は少しだけ目を細めて言う。
「なんか、仲いいのか悪いのかわからんな、おふたりさん」
「たぶん両方当たってるんだと思うぞ、それ」
「そうだね。好きと嫌いって、別にどっちかだけに振れる感情じゃないから」
「友達としては好きだけど考え方は合わない、みたいなね」
「趣味は合うけど生き方は合わない、のほうが正確じゃないかな。だからこそ、ってトコあるしね」
「……うん。なんか、少なくともめちゃくちゃ気は合うみたいだけど……」
口々に答えた俺たちに、そんな感想を、どこか慄然とした様子で零す此香だった。
今の何を見てその解に至ったのか、俺にはちっともわからなかったけれど。おかしい、俺と叶は、考え方が合わないという話をしていたはずではなかったのか。
「でも面白いな」此香は続ける。「同じ高校で、同じ部屋で暮らしてるなんて、まずあり得ないだろ? それ……ほら。そのまま惹かれ合うみたいなことないの?」
「ない」
返答は同時で、しかも一言一句違わなかった。
此香が笑う。
「息は合ってるみたいだけどな?」
叶が一度だけ俺を睨んで(理不尽)から、短く答える。
「このくらいなら偶然の範疇でしょ……」
その流れに乗って、さっと話題の矛先を変えた。
「それより、此香って何、そういう系の話が実は好きなの?」
「そ、そういう話ってなんだよ……」
「好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰だ、って話。なんか、意外と乙女っぽい恋愛小説とか読んでそうだよな、此香は」
「な――なんだよっ。いいだろ、別に、それくらい!」
「読んでるんだ……なんかごめん……」
「謝るなよ!?」
あたふたとする此香ちゃんだった。意外と乙女である。
……正直、結構かわいい。
耳を真っ赤にして本気で恥ずかしがっていたため、再び話題を逸らしていく。むすっとした表情で唇を尖らせている此香が、ちょっとかわいそうになってきた。
「でも、てことはもしかして、此香って意外と読書家?」
「……似合わなくて悪かったな」
「いや? そんなこと思ってないけど。俺だって読書は割と趣味だし。なあ?」
「……ん。そうだね、本はいいよ。人生を豊かにする」
そこまでは俺も言っていないんですけれども。
もくもくおでんを食べていた叶は、顔を上げるといかにも真面目な表情で言った。趣味人・友利が言うと、なんだか説得力がすごい。罵倒語のストックも豊かだしな、こいつ。
「……ま、その話はいいだろ」
俺と叶の言葉を聞いて、此香はそんな風に話題を終わらせた。
なんだか妙に寂しげな表情をしていた気がする。話題の変え方にも少し無理があった。そのことには、たぶん俺だけではなく叶も気がついたと思う。
一瞬だけ、俺は叶の視線を交わす。けれど結局、俺も叶も何も言わないでおいた。
――ことが失敗だとわかるのは直後だった。
「話を戻そうぜ。そもそも未那、今日はお前の恋愛相談だっただろ?」
「あ。おい、おまっ――」
「――へえ?」
止める暇なんてまるでなかった。
気づいたときには此香は全てを言ってしまっており、それを聞いた叶は、ものすっごい嫌な表情を作ってニヤニヤこちらに視線を流している状態。
痛恨のミスだった。こいつに聞かれるのが、俺はいちばん嫌だったというのに。
「なるほど。へえぇ……なるほどねえ。それ興味あるなー。聞きたいなー?」
「うっざ! こいつ、うっざ! だからお前には知られたくなかったってのに!」
「えー、ひっどーい! 心配しなくてもぉ、ちゃんと協力してあげるのにー」
「何が!? 明らかに面白がってんじゃねえか!」
「そんなことないよー? うん、そんなことぜんぜんないってー。超マジメー」
「どの口が言うんだ! そしてどの表情が言うんだ!! 超笑ってんじゃねえかよ!!」
「だーいじょうぶだよぉー。我喜屋くんならぁ、そこそこイケるってぇー」
「うっぜえええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」
やはりこの女とはいつか決着をつけなければならぬ。
さっきまでちょっと機嫌悪かったくせに。こうなった途端に持ち直すとか。
「本っ当に性格悪いな、お前……」
「別に、冗談で言ってるわけじゃないんだけどなー。いやマジで」
恨みを視線に込められるだけ込めてお手紙してやるも、友利さんたら受けずに流した。仕方がないので息の根止めたい。
そして。さらに重ねて最悪なことに、そんな様子を見ていた此香が、ぽつりとひと言。
「言っといてなんだけど。……おふたりさん、めちゃくちゃお似合いじゃないかな」
「どこが!?」「どうして!?」
「……そこがそうして、かな……」
心底から呆れた表情の此香さんであった。続けて言われる。
「ていうか、なんでそこまでして否定するわけ?」
「え? いや、なんでって……」
「すげえ息合ってるし、そんな躍起になって拒否ることでもないと思うんだけど。ふたりとも、めっちゃ自然に話してるじゃん。お互いまったく気を遣ってないっていうかさ」
「…………」そう言われてしまうと。
確かに、そうなのかもしれない、と少しだけ思わされてしまう。
さきほど此香の言った言葉が、まだ頭の表層のほうに残っていたからかもしれない。
少なくとも、叶のことが嫌いなのかと訊かれれば、これは明確に否だ。
もっとはっきり言えば、人としてはかなり好きな部類だろう。ここまで趣味が合って、話も合って、嫌う理由などなかった。
喧嘩は多いが、だからって険悪にまでなるわけじゃない。
だが。そんな疑問を深く掘り下げる暇もなく、叶のほうが断言するようにこう言った。
「――あり得ない。それだけは、わたしたちにはあっちゃいけない」
取り立てて大きな声でもなければ、鋭い声音でもない。
けれどその雰囲気に押されて、俺も此香も、何かを返すというところまで思考が向かうことはなかった。
「でしょ、未那?」
頷く以外、何ができるというのだろう。正しいのは叶で、俺の思考は気の迷いだ。
ああ、まったくその通り。俺たちだけは、そんなことは考えてはいけない。
なぜならその行為は、どちらかが自分の主義を捨てるということだから。
確かに俺たちは、お互いに相手を打倒し、自らの抱く考えが勝るものと証明するために同居を始めた。
その前提を、けれど今の俺たちはなあなあに忘れてしまっている。
しかし。もしもこの先に、どちらかの勝利が、どちらかの敗北があるとするのなら。
そのとき俺の知る叶は、あるいは叶の知る俺は――違う何かに変わってしまっている。
主役を、脇役を、志さなくなった俺たちがいる世界。
今の俺か、あるいは今の叶。そのどちらかが、確実にいなくなっている世界。
そんな
今の相手を好きになったとして。
けれどその先まで進もうというのなら。
その時点で全てが破綻する。
価値観を変えるということは、今の自分を消すということ。
――だから、つまり。
俺たちが好きになったはずの相手は、その世界には絶対に存在しないのだ――。
……まあ、そもそも叶に惚れたりしないから、別にどうでもいいんだけどね?
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