2-06『デート・オア・デッド3』
金曜、放課後。夕方の時間。
まだ日も沈まない陽気な春の午後を、俺は屋台のおでん屋で過ごしていた。
店を開けるという連絡を此香から貰って、ちょうどいいタイミングだと管を巻きに行ったのだ。
それこそ、仕事の愚痴を漏らすサラリーマンか何かのように。
アルコールを飲んでいるわけでこそないが、屋台でお茶をかっ喰らって店主にぐちぐち行っている俺は、さながらくたびれた社会人が如く。
主役どころか、これでは単なるダメ人間でしかなかった。
「でもいいの、俺はダメ人間だから。ふふふ……自堕落万歳」
「こいつ面倒臭えなあ……」
呆れた様子の此香。頭に手を置いて溜息をついている。
これ以上やって営業妨害と指摘されては、それこそ馬鹿も極まってくる。
俺は顔を上げ此香に向き直ると、改めて相談ごとを口にした。店主との雑談って屋台の味だよね。
「……どうしたらいいと思う?」
「誘う前の段階で躓いてる奴に何をアドバイスしろっていうんだよ」
「ド正論……」
だが俺だって、まさかあんな段階で躓くとは正直、思ってもみなかった。
中学時代よりは、これでも成長したつもりだったのに、よもやあんな醜態を晒す羽目になるなんて。
「意外と初心だよな、未那。もっとイケイケな感じかと思ってた。初対面から下の名前で呼んできたし」
その程度で恥じらう意外と乙女なおでんちゃんに、初心と言われては立つ瀬もない。
もやもやした気持ちを吐き出すように、俺は視線を細めて答える。
「『イケイケな感じ』とか、今どき使う表現?」
「うるさいな! 別にいいだろ!?」
「いいけど。此香的には、そういう男は苦手ってこと?」
「え? んー……いや、あんま考えたことねえけど。焦らないで、少しずつ距離を縮めていくもんなんじゃないの、こういうのは。あんまがっつく男って、たぶんモテないぞ」
「とかなんとか言っておきながら、結局は草食系男子が売れ残る世の中です」
「落ち込みすぎだろ!」
言われて、俺はふと「ああ、確かに」と呟いてしまう。
自分が相当に落ち込んでいることに、自分であまり自覚がなかったというか。ここまで落ち込むようなことなのか、それが少しわからない。何かが胸に引っかかっている。
誘った上で断られるのなら、確かに落ち込みもするだろう。
けれど、そこまで到達することすらできなかった俺が、うじうじ悩んでいるのは話が違う。主役らしくない。
「……俺、なんでこんなに落ち込んでるんだろうな?」
「いや知らないよ、そんなこと……」
当たり前の返答を此香から頂戴してしまう。その通り大会選抜出場レベルだ。何がだ。
……喉に魚の小骨でも刺さっているかのような、ほんのわずかだけの違和感。
その意味を自分の内側に訊ねてみても、返ってくるものはなく。ただ空洞に反響するだけ。
落ち込み続けていても仕方がない。
俺は話を変えるべく、此香に向き直って言った。
「ちなみに此香はどんな男がタイプ?」
「それ、おでん屋台の店主とするような話か?」
「いいだろ別に。青春っぽいことがしたいんだよ、俺は。付き合ってください」
「告白風に言うなよ! は、恥ずかしいだろ……まったく!」
ちょっと照れた様子の此香だった。そんなつもりはぜんぜんなかったのだが。
初心というなら、彼女のほうが確実に俺以上だろう。
さばさばした性格からすれば少し意外……いや、やっぱりイメージ通りかもしれない。ギャップ萌えってヤツだろうか。
こう言っちゃなんだが、それこそ見た目的にはイケイケっぽい感じなのだけれど。
「俺の失敗談を教えたんだ。此香も少しくらい恥ずかしい話をしてくれ」
からかいがてらちょっと追い込んでいく。調子に乗る俺だった。
「自分から勝手に喋ったんじゃねえか!」
「そうだけど。ダメ?」
「……うぅ」もはや耳まで真っ赤の此香だった。「なんだよ、もう……そういう話題は苦手なんだけどなあ……」
「俺だって得意じゃないよ」
「そりゃ得意ならあんな失敗しないだろうけど」
「すみません、それは言わないでもらえないですかね。つらいので」
「ああもう、わーったよ! ったく……あたしは、そうだな。まあ、なんだ。趣味が合うひとがいい……かな。付き合うなら」
恥ずかしそうに呟く此香だった。俺も頷く。
「趣味が合う、か。まあよく言うよね。此香の趣味ってやっぱ料理?」
「んにゃ、料理は仕事。そりゃ好きだけど、趣味かって言われると違う気がするな」
「難しい話だな、それは……んじゃ、ちなみに此香の趣味って?」
「そっ、そこまではいいだろ!」
なぜかますます顔を赤らめる此香だった。
なんだろう。人には言いにくい趣味ってことなのかな。わからないけど。
「ていうか、別に同じ趣味を持っててほしいってわけじゃないんだ」
此香は小さくかぶりを振って言う。まるで何かを思い出そうとしているかのように。
「まあそりゃ、趣味がいっしょなら話も合って楽しいだろうとは思うけどさ。なんだろ、なんて言うかな……要するに、無理に合わせなくて済む相手が、たぶんいちばんいいって思うんだよな。そういうのって疲れるだろ?」
「無理に合わせなくて済む相手……」
気づけば俺は、此香の言った言葉をそのまま復唱していた。
「お互い気を遣わなくていい関係っていうか、自然体でいても気にならない相手っていうか。未那にはわからんかもしれんけど、相手に合わせて振る舞うのって疲れんだぜ?」
「…………あー」
それは別段、示唆に富んだ言葉というわけではなかった。格別に含蓄ある、目から鱗の特段に秀でた見地ではない――むしろどこにでもありふれた、他愛のない言葉だと思う。どこからでも受けて売り払える、ひと山いくらの、二束三文の金言。
けれど、そんな聞くだに受け売りじみた此香の視点が、今の俺には妙に新鮮だった。
――だから失敗したのかもしれない、と。
そんな風に思わず自戒してしまうくらいには、それはありがたいお言葉だった。
あるいはそれを、此香が本心から言っていることが伝わってきたからかもしれない。
「なんか思わず納得しちゃったよ。いいこと言うな、此香」
「え。いや、そんないいことを言ったつもりはまったくないんだけど……」
「感動した!」
「そこまでのことだった!?」
リアクションの過剰な此香さん。その辺り、ちょっとさなかに似ているかもしれない。
ただ確かに、誰かに合わせて自分を偽ることは疲れる。場に合わせた仮面を被るという行為は、それだけで呼吸の邪魔になった。
これまでの俺は、あるいは今の叶は、そういう風に考えたから自分の思う通りに生きることを選んだのかもしれない。
なら、主役理論とは。
誰かに合わせて自分を偽る行為なのだろうか。
――そんなことはない、と俺は思う。
俺の主役理論は、俺が人生を楽しむために構築したものだ。それで自分を追い詰めては本末転倒以外の何物でもない。
自己を偽り仮面を被り、誰かに合わせるために主役理論を実践しているわけでは決してないはずだった。
だが昨日の俺は違う。
あのとき、俺はたぶん無理をしていた。だからさなかを誘えず、どころか言わんでもいいアホな妄言ばかり撒き散らす結果となったわけだ。
これは明確に反省しておかなければならない点だろう。――それは、主役理論の本意から外れる。
……追い詰められると、どうしても言葉が先に出てしまう体質というか。
「うーん。そう何もかも上手くはいかないか、やっぱ」
「なんだ急に?」
首を傾げた此香に、俺は苦笑で返す。
「いや? せっかく屋台にいることだし、ニヒルに決めてみようかと思っただけ」
「未那の思う屋台のイメージ、あたしちょっとわかんないな……」
「マジか……」
「あと、今のは別にニヒルではなかったよ。似合ってないし」
「それは酷くないですかね……?」
「あははっ」
快活に笑う此香だった。会うのはまだ二回目だけど、ずいぶん打ち解けたと思う。
これも成長。主役理論の成果。そう思えば、やはり素晴らしいことだろう。
これまでの人生より、少なくとも俺は今を楽しめているのだから。様々な人たちとの触れ合いで。
相談に乗ってもらったお礼代わりとして、おでんをいくつか追加注文する。そうでなくとも味はいいため、もっと食べておきたかった。
雰囲気まで含めて味だよなあ……。
たとえ屋台じゃなくても、ここのおでんは美味しいだろう。それでも、屋台だからこそさらに美味しく感じられるというプラスもあるはずだ。
お祭りの出店で食べる焼きそばやからあげ、スキー場のロッジで食べるラーメンやカレー。そういうのと同じに。
しばらく静かに食事を楽しんだ。こういう無言が、俺はことのほか嫌いじゃない。
場が静寂によって包まれた影響だろう、通りの喧騒が、少しずつ大きく聞こえ始める。
……というか、なんか外があからさまに喧しいような気がしてきた。
「なんか、うるさくなってきた?」
花の金曜日だ、酔っ払いのサラリーマンでも現れたのだろうか。それにしてはちょっと時間が早すぎる気もしたが。
小さく呟いて顔を上げると、そこには此香の表情が見える。
彼女は、なんだか鬱陶しそうに、不機嫌にその顔を歪めていた。
「……此香?」
「すまん、未那。少し出てくる。しばらく店番任せるわ」
「はあ。それくらいなら……いや何言ってんの!? よくねえよ!?」
あまりに自然に言うものだから、思わず流れで了承しそうになってしまう。若干、ノリツッコミみたいな俺だった。そんなことをしている場合ではない。
だが此香のほうは、冗談でもなんでもなく大マジで言っているらしい。
「どうせ客なんか来ねえよ。仮に来ても、おでんなら平気だって。盛ればいいだけだ」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくてだな?」
「喫茶店でバイトしてんだろ? なんならあたしより接客は上手いかもしれん。とにかく任せた。心配しなくても、ちゃんとすぐ戻ってくるからさ」
だからそういう問題ではない。
俺はそう思ったのだが、けれど此香は止める隙すら見せなかった。あっさりと身を翻すなり、彼女はそのまま屋台の外へと出て行ってしまう。
……本当に店を空けやがった。
「うっそだろ……」
呆然と、無人になったカウンターの向こうを見つめたまま呟く俺。
そのまま視線を手元の器に移し、再び奥を見て、それから此香の去っていった後ろ側を見て、視界が暖簾に隠されていることを意味もなく確認して。
それから立ち上がって、決意するように小さく言った。
「ま、これも主役理論ってことで。いっちょやってみるか!」
せっかく面白そうな事態のほうから俺の元へ飛び込んできてくれたのだ。弱運の俺が、この貴重な機会を逃していては話にならない。まずはやってみてから考えよう。
別に、客が来るより早く此香が戻ってくる可能性だってあるわけだし。
そんなわけで、俺は席を立つと、そのまま屋台を外側から回って此香の立っていた側に回る。なんだか入るのにも、少し緊張してしまった。聖域、とまでは言わないけれど。
でも感覚としては近い。ほのか屋のバイトのときだって、マスターのテリトリーであるキッチンに入るのはまだまだ緊張するものだった。
「……つってもどうしよう。とりあえず、えー……手を消毒しとくか?」
なんとなく口に出して確認しながら、同時に辺りを観察する。アルコール消毒液で手を綺麗にして、それから客席のほうへと向き直った。……何も起こらない。
まあ、今回ばかりはさすがにそのほうがいいような気はするけれど。
主役理論的には、ここでお客さんにでも来てもらったほうが面白いことになりそうだったが、さすがにこればかりは責任の取れないことだ。此香に迷惑をかける可能性を思えば避けたかった。
実はちょっとだけ、屋台の店主ってのにも憧れはあったんだけど。
などという、あるいは邪な考えがあったからか。それとも弱運が今回ばかりは精力的に活動してみせたのか。
直後、俺の目の前で、屋台の暖簾がめくられていく。
――き、来てしまったかあ……!
即座に全身を緊張が貫く。手先の感覚がなくなっていく気がした。マジで来客か。このタイミングで、よりにもよって。
いったいどうしたらいいものなのだろうか。
高速で回っていく思考。けれどそれは、同じところをずっと巡っているようなもので、一向にゴール地点へと辿り着かない。
ただ時間だけがゆっくり素早く過ぎていくような、そんな矛盾した感覚。意識だけが引き延ばされた主観の中、客は一瞬で姿を見せた。
「――い、いらっしゃいませ」
俺は言った。
「あ、すみません。やってますかー?」
客は言った。
俺と、客の目がまっすぐに向き合った。
このとき自覚した感情を、果たしてなんと名づけるべきか。驚きよりは、納得のほうがむしろ大きかったという気はする。
そう、それは想定して然るべき事態ではあったのだ。
俺がこの屋台の暖簾をくぐった理由はただひとつ。
こういう、なんかいい感じの店が好きだから。
そういう言葉にできない空気感みたいなものに、俺は強く惹かれてしまう。見かけたら立ち寄らずにはいられないくらいに。
――さて。ここでひとつ考えてみよう。
そんな俺と、まったく同じようなことを考える人間に心当たりはあるだろうか。
答えは言うまでもないと思う。
「……何、やってんの。こんなとこで……」
来客が言った。俺をまっすぐに見据えて、心底から呆れたような表情で。
俺は、その見慣れてしまった顔を真っすぐ見返して答える。
「そうだよな。こんな屋台見つけたら、お前が覗きにこないわけないんだよな……」
「……何それ。いきなり喧嘩売ってんの?」
「まさか。また考えることがどこまでも同じだと思っただけだよ。まあ座れ。せっかくの客を追い返すなんてことは、店主に悪くてできそうにない」
「そうじゃなきゃ追い出してたみたいな言い分じゃんか、それ……」
とか言いつつも、言われた通り素直に座る辺りがこいつららしい。
このひと月で、間違いなくいちばん見ただろう顔の少女。
そいつはこちらを睨み上げ、さきほどの問いを再び繰り返す。
「で? 何やってんの、未那」
「見りゃわかるだろ、店番だよ。だから一応言っとこう。いらっしゃいませ――叶」
「……状況がよくわからないんだけど」
友利叶は。
まだ何も食べていないというのに、それこそ苦虫を嚙み潰したが如き表情で呻いた。
「察するに、また被ったってことでいいのかな?」
「いいセンスしてるぜ、叶」
「あ、もういい。もうわかった。この店当たりだ。やったね、わーい」
棒読みの叶。言葉の割にまったく嬉しくなさそうに、叶は頭を抱えて叫ぶ。
「でもなんでかな。なぜかぜんっぜん嬉しくねえーっ!!」
心の底から同感だった。
同じことを感じる、っていう字面がもう嫌だったけど。
なんでこうなるの……。
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