2-02『おでん屋台と弟君2』
打ち解けるまでは早かった。
同い年ということだし、話が合った――というか馬が合ったのだろう。
暖簾をくぐったときの鋭い視線はなんだったのかというくらい、此香は気のいい、話しやすい奴だった。
「へえ。じゃあ元はお祖父さんの店なんだ、この屋台」
「そういうこと。ただちょっと腰やっちゃって、その間だけ代わらせてもらってんだ」
「そりゃ……すごいね」
おでんを味わいながらの雑談。
この屋台は此香のお祖父さんが趣味で開いていたそう(本業は料理屋なのだが、一線を退いてから始めたという話)だ。此香は昔からよく手伝いをしており、そのお祖父さんの許しを得て、つい先週から始めたという。
地域密着型、と言うと少し違うが。地元の景色に馴染んでいるおでん屋台というのも、実に素晴らしいと俺は思う。
こういう店の常連になってみたいという気持ちがあるのだ。
いつもの、で注文が通ってしまうような、そういう立場に憧れがある。
あまり贅沢できる立場ではないのだが。
「でも、大変でしょ? 学校だってあるだろうし」
話の流れで俺は言う。俺だってバイトはやっているけれど、たったひとりで屋台を切り盛りするのとでは、やっぱり次元が違うはずだ。
責任が、全て自分にのしかかる。
そんな俺の言葉に、だが此香は少し笑って手を振った。
「あー、違う違う。あたし高校行ってねーから。今はこの店にかかりっきりなんだよ」
「……あ。そう、なんだ」
下手なことを言ってしまったか、と謝りかけたけれど、たぶんそれは違う。
実際、その話をする此香は笑顔だった。
「言ったろ、実家が料理屋でさ。んであたし料理人目指してて。修行の一環ってこと」
俺には想像もつかない世界だった。
最高の青春を求めて、そのための準備に俺は励んできた。ことさら自慢できる話は何もないが、そのことに俺は後悔がない。
だけど俺は、高校に行くかどうかではまったく迷わなかった。行かないという選択肢は脳裏に浮かんですらいない。それは青春を求めて云々とはまったく違うベクトルの話で、ただ俺は今だけを考えて道を選んだのだ。将来のことなんて考えてもいない。
たぶん勉強をして、受験をして、そして大学に行くのだろう。
けれどそんな人生設計、何も考えていないのと実質的に同じ意味だ。ただ今を楽しみたかっただけ。
繰り返して言うけれど、もちろんそこに後悔はない。
悪いと思っているわけでもない。
ただ、自分の道を考えて進んでいる此香には、決して小さくない尊敬があった。
「……すごいね。俺、将来のことなんて何も考えてない」
「あたしだって別に大して考えちゃねーよ。勉強、苦手だったから逃げただけだし。経営とかそういうのは兄貴が継ぐだろーから、あたしは料理だけ練習しようってだけ」
少し恥じらうように此香は言った。
「しかも結局、味つけとかはお祖父ちゃんの真似してるだけだからね。遊んでるのと大差ねーよ。今みたいに、お客さんと話すんの楽しいし。採算とかほとんど考えてねーし」
なるほど、と思う。これもひとつの青春のカタチなのだろうと。
俺はいろんな人と触れ合って、いろんなことがして暮らしたいと願った。
此香は進学を選ばず、料理人になるための修行としておでん屋台をやっている。
そこには、もちろん大きな違いがある。
だけど、だとしても、お互い自分が望んだ生活のためにがんばっていることだけは同じだと思うのだ。
まあ料理修行をしている此香と、ただ楽しく遊びたいってことだけ目的にしている俺を同列に語るのは、彼女に対して失礼かもしれなかったが。
「就職先が決まってるだけ、あたしのほうが恵まれてっかもよ? 雲雀は結構レベル高えだろ。そりゃ近くの
と此香。家はこの近隣だろうし、その辺のことは普通に知っているようだ。
「まあ、ほどほどにね。勉強はあんまり苦手じゃないんだ」
「あたしからしてみりゃそのほうがスゲーよ。いいのか? 高校行ってねーからよく知らねえけど、そろそろ中間テストとかあるんじゃねーの?」
「いや、こんないい店を見つけたんだ。そんなことは言ってられない」
「はー……未那も変わってるよね。この屋台に高校生がひとりで来るなんてたぶん初めてだよ? 少なくともあたしが知る限り」
「俺が知る限り、この屋台を好きそうな高校生、もうひとり知ってるけどね」
誰であるかなど言うまでもなく。
俺はちくわを口に運んだ。
練り物うめえ。もしかして自家製か……?
などということを考えていると、此香が首を傾げて問うた。
「その知り合いってどんな人だ? 常連になってくれそうな人か?」
「んー……同居人なんだけど」
ちくわを食べきってから俺は答えた。
彼女から学校にバレることはないだろうし。ていうかバレてるに近いし。言っても構わないだろう。
「同居人? 親戚とかってこと」
「いや、同級生。実は俺、独り暮らししてるんだけど――って言うと嘘になるんだけど」
「うん?」
「いろいろあって今、同級生の女子と同居してんだよね。面白いでしょ?」
「えっ、ちょ、何それっ!?」
笑い話のつもりで言った俺に、ひゃー、と目を輝かせる此香だった。
なんか瞳が爛々と輝いてしまっていらっしゃる感じ。こんなに食いつくとは予想外だ。
「す、すごいね。最近の高校生は進んでるんだね……」
「そういうわけではないと思うけど……ま、単に成り行きだよ」
「なんか少女漫画みたい」
そうなのだろうか。そっち方面の知識はあまり自信がない。本は読むんだが。
しかし、此香も意外とそういうの読むらしい。正直ちょっとイメージはなかったが……いや、逆にイメージ通りな気もする。
口調が安定していないし、これで此香は意外とインドア派なのではないだろうか。かつての俺と、なんだかちょっと近い印象。
「今度、機会があれば連れてくるよ」
俺は言った。まあ、おそらく叶ならば気に入るだろうから。なんなら俺以上に。
「実はあんまり仲よくないから、いつになるかわかんないけど」
「仲よくないのにいっしょに暮らしてるわけ……?」
「いや、えー……まあいろいろあるんだって。別に険悪ってわけじゃない。ちょっと戦争してるだけだから。心配はいらない」
「それは険悪って言うんじゃないの!?」
「…………」
どうしよう。俺と叶の関係を上手く説明する方法が見つからない。
少しだけ迷ってから、俺はもう話を流すことにした。叶とかどうでもいいだろう。
話を変えるように俺は言った。
「あ、そうだ。よければ連絡先とか教えてくれない?」
「え?」
「今度は友達とか連れて来たいし。いつもやってるわけじゃないんだろ? もちろん、初対面の男に連絡先なんぞ教えられないっていうなら別だけど。屋台の連絡先とかある?」
「……友達かあ」
小さく、ふっと力を抜くように此香が肩を落とした。まるで遠くを見るような目で。
それからすぐ元の笑顔に戻って彼女は言う。
「店の連絡先はないなあ。いいよ、あたし個人の教えるよ」
「……オーケイ。ありがと」
女子の連絡先をゲットした。自然に訊く訓練は入学時にしっかりと積んでいる。
てかLI○Eやってる? ってヤツだ。それは違う。
アホなことを考える俺の対面で、スマホを取り出した此香は言った。
「あ、でもちょっと待って。今アプリをインストールするから」
「……やってないの?」
「んー……いや、卒業のときやめた。いっか、なんか面倒だし。アドレスと電話番号教えとくよ。それでいい?」
「うん。それはまあ、なんでも」
「やる日は連絡するから、ぜひぜひまた来てよ。いろんな人に食べてほしいしね」
「もちろん、必ずまた来るよ。――ところでたまごとはんぺん欲しい」
「毎度!」
それからは、再びふたりで益体もない雑談を重ねた。
※
小一時間くらい居座ってから、会計を済ませて帰路についた。
時間が少し早かったからか、その間、ほかの客が来ることはなかった。日に多くて十人もないという話だ。
それで経営は大丈夫なのかと訊くと、これは本業のほうが順調だから問題ないそうだ。こっちの店の常連が、実家の店のほうに行ってくれることもあったという。
コンビニのおでん並みに安い支払いを済ませてから、また来ると告げて此香と別れる。
駅を超えて反対方向へ。
すっかり暗くなってしまったが、さすがに迷うほどではない。この時間ならまだほのか屋もやっているだろう。
少しだけ迷ったけれど、今日はもう寄り道はしないでおく。満腹だし、何か出されてしまっては申し訳ない。
家に着く頃には二十時を少し回っていた。
此香がやる以上、あの屋台も十時には閉めるということなのかと少し考えた。よく知らないが、まあ許可は取っているのだろう。
自宅であるかんな荘を見てみると、部屋には明かりがついていた。
叶は帰っているらしい。お土産でも買ってくればよかったかな、と少し考えつつ、俺は自室側、一〇二号室の鍵を開けて、中へ入った。
――そして、その瞬間に硬直した。
「は――、あ?」
間抜けな声が口から漏れる。そんな風に気を抜いていい場面ではないはずなのに、頭が回っていなかった。目の前の光景が、それくらいには予想外だったのだ。
なぜなら。
俺の部屋の中に。
――知らない女の子がいたからだ。
中学生くらいだろうか。叶と夕飯を食べるときに使う卓袱台の手前に立って、向こうも驚いたようにこちらのことを見ていた。まあるい目が、凍ったように俺を見据える。
まず空き巣を疑って、それから否定した。年があまりに若すぎるし、仮にそうなら電気を点けていることがいくらなんでも間抜けすぎる。鍵だってちゃんと閉まっていた。
「……誰ですか?」
と、謎の侵入者のほうが俺に訊いた。ハスキーな声だった。
お前のほうが訊くのかよ、それは俺の台詞だよ、というツッコミは口から出てこない。
「誰って、この部屋の住人だけど……そっちこそ誰だ? なんで俺の部屋に」
警戒しつつ訊ねる。もし荒事になっても、まさか負けるとは思わないが。華奢で身長も低く、とてもではないが喧嘩慣れしていそうにはない。
とはいえ、そんなものは俺も同じだ。中学時代は不良と見られていたけれど、見られていただけで喧嘩なんてほとんどしたことがなかった。相手が武器を持っていたらまずい。
いつでも逃げられるように身構えた俺に。
果たして。そいつは言った。
「僕は友利
「……、……、……今なんて?」
「友利望です」
「あ、はい」
「友利叶は僕の姉です」
「はい」
いや、はいではない。
「えっ、てことは、つまり――か、叶の……妹ぉ!?」
驚きも露わに叫んだ俺。
この子が俺の部屋にいた謎は解けたも同然だったが、それ以上の驚愕が全てを覆い尽くしていた。
重ねて目の前の子は、さらに俺を驚かせることを言う。
「……妹ではなく、弟ですけど」
「え」
マジか。線の細さから、てっきり女の子かと思ってしまっていた。
いや、言われてみれば別に服装は女物ではないのだが。勘違いだったらしい。
咄嗟に俺は謝ろうと口を開く。いや、開きかけた。
だが、それより先に
「――あの。お兄さんは、姉といったいどういう関係でしょうか」
「え、あ――いや、その……」
「部屋の間に壁がないのはどういうことでしょう。これ、どう見てもいっしょに暮らしているとしか思えないのですが」
「…………」
「できれば説明していただきたいのですが。構わないでしょうか?」
そうですよね。
そうなりますよね。
さて。
――これ、かなりマズいんじゃないですかね?
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