S-02『湯森さなかと小生意気な少女2』

 少女は、峯森みねもりながると名乗った。

 現在は近くの祖父母の宅から、近隣の私立中学校に通っているという話だ。それはさなかも名前を知っている結構なお嬢様学校で、確かに頭はよさそうだ、と適当なことを彼女は思う。

 真矢の計らいもあって、流は今、さなかと相席になっている。少女のほうから、同じ席がいいと申し出があったのだ。なんとなく、断り切れなかった。

 以降、さなかはそんな流の自己紹介を聞かされる羽目になったわけだが、かといってそんな個人情報に感想などない。そうですか、という返事しかできなかった。


「――それで」


 と。注文したブレンドを啜りながら少女は言う。

 ブラックのまま口に含んで、一瞬だけ顔を顰めた辺り苦手なのだろう。それを隠そうと飲み続けている様はずいぶんとかわいらしかったが、かといって言葉にはできない。

 なんだか、やけに敵意を持たれている様子だったからだ。

 なんだかも何もないが。


「さなかさんは、お兄さんの彼女さんですか?」


 正面に腰を下ろした流は、諦めたのかカップをテーブルに置くと、さなかにまっすぐ切り込んできた。

 予想していなかった質問というわけではない。というか、絶対に訊かれるだろうとさなかは思っていた。いくらなんでも、それくらいの機微は察するというものだ。

 すなわちこの少女、淡い憧れを未那に対して抱いているのだろう。


「……いや。ただのクラスメイトだよ?」

 少し迷ってから、さなかは答える。

 だって、それが事実だったし。自分で言っておいて少し凹むさなかだったが、かといって見栄を張って嘘をつくことはできないし。

 だが流のほうは、これでいささか頑なだった。

「ただのクラスメイトなのに、この店に来るんですか」

「いや、別に喫茶店くらい自由に来てもいいでしょ、別に……」

「ではお兄さんとはなんの関係もないと?」

「だから普通の友達だって……」


 遠巻きから真矢の呆れたような視線が突き刺さっている気がしたが、無視である。

 だって、ねえ? いくらなんでも、明らかに未那に惚れているらしい年下の女の子に、まさか《わたしも好きです》なんて言えないのであって。

 こればかりは仕方のない選択肢なのである。


「ですがその割には、さっきからじろじろとこちらを見ていましたが……」

 納得いかないのか流は言う。

 というか、確かにそれはその通りだった。

「それは、ごめんなさい。確かに、失礼だったよね」

「あ……いえ。すみません、わたしも、その――失礼を言いました」

 ぺこり、と頭を下げる流は、やはり年の割には礼儀正しい。

 こう見るとずいぶんとかわいらしい少女だ。

 別に、それは造形云々の話ではない。見た目も美少女の素養に溢れてはいたが、そういう些末以上に、所作の一部一部に背伸びした少女のかわいらしさが見える。

 

 さなかは流を一方的に知っていたが、流はさなかのことを知らないのだから。

 店に来ただけで、いきなり不躾にじろじろと眺められ、あまつさえあんな大きな反応をしてしまえば、それは流も警戒するというものだろう。

 未那の名前に反応してこともあって、どうやら必要以上に不信感を与えてしまったらしい。


「その……すみません、でした。ヘンなコトを訊いてしまって」

 素直に謝る流。育ちのよさが見て取れる。

「いやいや! いいんだよ、別に。ていうか、わたしのほうが失礼だったし……」

「……はあ。ですが……」

「そ、それより、えーと。なんだっけ? 未那に会いたいんだっけ?」


 謝罪合戦になるのも気まずいものだ。実質、初対面みたいなものなのだから。

 ということでさなかは話を誤魔化しにかかった。未那にお礼を言いたいというだけならば、力にはなれると思ったのだ。連絡を取ればいいだけなのだから。

 まあ明らかに恋敵になりそうな少女を好きな男に紹介するというのもアレではあるが。

 とはいえ相手は中学一年生だし。助けてもらったお礼をしたい、という健気な思いにケチをつけるほど大人げなくもなれないさなかだ。

 これも縁ならば、協力することは吝かじゃない。


「あ、はい。……そっか、さなかさんはお兄さんと連絡が取れるんですね」

「うん。同じクラスだからね」笑顔でさなかは答えた。「必要なら、呼ぶくらいは大丈夫だけど、話つけよっか? そこそこ仲いいし。そこそこねっ!?」 

「そこそこ……」

 謎の強調をするさなかと、押され気味の流。妙な組み合わせになっていた。

 ただ、さなかはこれですでに、流のことを割と気に入っているのだ。勢い切って迫ってきたところも、きちんと謝れるところも――こうしてさなかに声をかけた理由が、決して未那に繋がりをつけてもらおうとしたわけではないところも含めて。

 打算を働かせているようでいて、詰めが甘いというか、人のよさが捨てきれていない。

 さなかは流を、すでにそれなりに好きになりつつあるのだった。


 ――基本的にちょろいのだ。


「あ、えっと。でもそれは大丈夫です」

 ただ流は、さなかのその申し出を、両手を振って断った。

 さなかは少し意外に思いつつ、首を傾げる。

「え? だって――」

「いえいえ! そんな、初対面のお姉さんに頼むのは申し訳ないですしっ! それに、お兄さんをこちらから呼び出すというのも、ちょっと……」

「別にいいよ、気にしなくて。未那もそんなこと気にしない――っていうか、未那ならむしろ喜んで来ると思うけど」


 なにせ、さなかから見た未那は生粋のイベント好きだ。

 それは祭好きとか騒ぎ好きとは少し違って、彼は日常の中に、ちょっとした盛り上がりが起きることを非常に喜んでいる。普段通りの生活という範疇の中に、それでも普段通りとは違うちょっとした《何か》を求めている、という感じだろうか。

 あのとき流に声をかけたこと自体、それを目的としていたのだとさなかは(隠れて勝手に)聞いている。

 それを聞いてしまったせいで、あっさり陥落したと言い換えることもできたが。


「えーと……ですね?」

 ただ、さなかの提案に流はあまり乗り気ではない様子だった。

 不思議に思う高一に、中一の少女は、少しだけ頬を赤らめて言った。

「できれば……その、んです……!」

「……はい?」

「だ、だってですね! その、わたしはほら、お兄さんとは偶然会っただけなわけじゃないですか! そんなわたしに、お兄さんは声をかけてくれてですね……!?」

 その辺りの顛末は、さきほど(あたかも初めて知ったという体で)聞いてあった。

「うん。それは、聞いたけれど……」

「これって、その……アレじゃないですか。そういうのが、いいって感じじゃないですか」

「それは……どういうことかわからないけれど」

「つ、つまりですねっ!?」流は、どこか混乱した様子のまま断言した。「お礼をいうときも、こう、この店とかで、偶然に会っていう感じがいいんです……! そのほうが、ロマンチックだと思うんですっ!!」


 ――何を言ってるんだ、あのアホっ子は。

 と、傍からこっそりふたりの会話を聞いていた真矢が思った事実は余談として。

 少なくとも、その熱き思いを正面から聞いたさなかはこう感じていた。

 すなわち――、


「――わかる」

「えっ」

「それ、わかるぅ……!」


 同感だった。

 運命とか好きなお年頃だった。

 ダメダメだった。

 まず狙って起こしている時点で偶然でもなんでもなかった。

 けれど、この段階で「アホくさ……」と盗み聞きを真矢が打ち切ってしまい。

 つまりはふたりに突っ込みを入れられる人間が、この場にはいなかった。


「いいよね……そういうの、運命的で。憧れるよね……」

「……で、ですよねっ!?」


 ――なぜ同意を得られたのだろう。


 という点はわからなかったが、それでも割といっぱいいっぱいになっている流だ。思わず、さなかといっしょに盛り上がってしまった。

 なにせ流、これで割と箱入りのお嬢様である。

 道がわからず困っていても、誰かに声をかける勇気がなかなか出てこないくらいには、割と内気で引っ込み思案なタイプなのだ。それはおそらく、さなか以上に。

 さなかに強気に声をかけていったこと自体、こうやって《初めてのお使い》的なイベントにテンションが上がっていたことと、周囲の目に対する見栄が多分に含まれていた。

 要するに、子どもと思われたくないお年頃ということだ。


「お、お兄さんは、とってもいい人なんですっ! 困ってたわたしに、ただひとり声をかけてくれましたし、そのあともいっしょにお祖父ちゃんとお祖母ちゃんを探してくれましたし! それでいて偉ぶらないで、いっしょに笑ってくれたんですっ!!」

「だよねー。そういうとこあるよねー。ずるいよねー……」

「そ、それでですねっ! この店に来て連絡先がわかったとき、お兄さんは『がんばったね』って褒めてくれましてっ!! わたし、心細かったんですけど……でも!」

「……いいなぁー……」

「え?」

「んんなんでもない」


 首を傾げる流。

 さっと視線を逸らすさなか。


「……えーと。だからお兄さんは、わたしにとって憧れなんです。あんな風になりたいなっていう、そういう人っていうか……!」

「好きなんだ?」

「す、好きとかじゃなくてですね!? いえ、それはもちろん、人としては好きですがっ!!」

「…………」

「尊敬してるんです、わたし。だって、あんなわたしに声をかけてくれるなんて――当たり前のことじゃ、ないんです」


 その言葉を聞いて。

 実際、それは嘘ではないのだろう、とさなかは思った。強がりや恥じらいだとは思わなかった。勝手に気持ちを決めつけたことを、むしろ恥とさえ思っていた。

 思えばさなかだって別段、流を助けている未那を見たから好きになった、というわけではないのだから。それはひとつのきっかけでしかない。

 その青年のことを覚えていて。そのあと同じクラスになって、隣の席になって、友達になって話してみて――そういう当たり前の過程を経て、ただ普通に好きになっただけなのだ。


 ――ああ。


 と、さなかは納得した。どうしてこの少女を嫌いになれないのか、わかった気がしたのだ。

 負い目は、ある。

 流に声をかけた未那とは違って、あのときさなかは何もしなかった――何もしないことを、当たり前に選んだのだ。

 それはきっと責められることではないのだろう。


 困っている女の子がいたら、声くらいかけるのが普通だと。たぶん人は言うのだろう。

 だが違う。それはまったく当たり前じゃない。あんな様子を見ても、関わり合いになろうとしないほうがむしろ普通なのだ。だって、それはから。

 当たり前を当たり前にできることが、どれほど当たり前ではないのかくらい、きっと誰だって知っている。

 だから、当たり前のことではないと知っていて、それでもそのをやった未那に、さなかは憧れを抱いたのだ。

 きっと助けられた側の流が、同じように思ったように。


 一方的な共感で、取るに足りない感傷だ。何もしなかったさなかが、今さら知った風に言うべきことではないのだと思う。

 それでも、同じ相手に、同じものを見出したのなら。同じ気持ちを抱いたことに、言いようのないシンパシーがあったのだ。それがあったから受け入れられたのだ。

 青年を好きになる、それよりずっと前から。

 少女は、青年に憧れていたのだから。


「ね、流ちゃん。それなら、わたしと連絡先、交換しよ?」

 だから、気づけばさなかは言っていた。

 この少女とは仲よくなれると。いや、仲よくなりたいと。身勝手でもそう思ったから。

 まだ自分が変わったとさなかは思わない。あのとき感じた憧れを、自分のものにできたとは自惚れられない。

 それでも、変わりたいと願ったことは嘘じゃなかったから。

 なら、勝手でもなんでも構わない。やるべきだと、そう自分が信じたことを、湯森さなかは当たり前にやるべきなのだ。そうして一歩を踏み出すべきだと、自分は決意したはずだから。


「いいんですか?」

「うん。わたし、流ちゃんとは友達になりたい」

「……ありがとうございます」


 その申し出を聞いて、嬉しそうにはにかむ少女にさなかも笑った。

 ――その変化は、きっと素晴らしいことのはずだった。


「えへへ。迷子になってから買ってもらったんです。もうならないように、って」

 新品のスマートフォンを取り出して流は言う。

 彼女にとっても、年上の友達ができることは嬉しいことだった。

 そうして巡っていく人と人との繋がりを、尊いものだと教えてくれた相手がいたから。

「そうなんだ。もしかして、おうち、厳しいの?」

「いえ。厳しいのは学校のほうって感じですね。だから周りにも、あんまりスマホとか持ってる友達いなくって。電話帳が埋まるの、ちょっと嬉しいです」

「あー……でも、その気持ちわかるかも。わたしも、初めて自分のを買ってもらったときは、そんな風に思ってたなあ」


 番号を交換し、アプリのアカウントも登録する。

 そうして、少女と少女は友達になった。


 ――空気を読まない。

 あるいは、逆に的確すぎるほどのタイミングで来客が現れたのはそのときだった。


 からり、と涼やかな響きが鳴る。

 来客を報せる鈴。ふたりの少女は自然とそちらへ視線を向け。

 そこで。


「――こんにちはー!」

「どうも真矢さん! 暇なんでふたりで――あれ。さなか?」


 まるで休日にデートをする恋人同士のように。

 私服姿の未那と叶が、連れ立って姿を現したのだった。


 がたん! と思わず椅子を蹴るレベルで反射的に立ち上がる流。

 そんな様子を眺めながら、背中に冷や汗をたらたらと感じるさなか。


 ――なんでこのタイミングで、しかもふたりで来るかなあ!?


 そう叫びたかったが叫べるはずもなく。

 事態は勝手に進行する。さなかの手が届かないところで。


「お、お兄さん!?」

 叫ぶ流。

「あ――ああ! 流ちゃん!?」

 驚く未那。

「……?」

 じとっとした視線を向ける叶。

「あ、あわ……」

 どうするべきかと混乱するさなか。

「――ブフォッ!?」

 なんて面白い状況に、噴き出す傍観者、真矢。


 店内は、一瞬で混沌カオスに陥った。




 ――どーしたもんかな、これ?

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