S-01『友利叶のお料理教室2』
TENPURA――。
それはSUSHIと並んで世界に誇る日本料理のひとつ。
今日、友利が作るのは山菜の天ぷらだという。確かに山菜の食べ方としては、最もメジャーなもののひとつ、だと思う。詳しくはないが。
「ていうか……そういや山菜の天ぷらは食べたことがなかったな」
「そうなの?」
俺の呟きに、叶がきょとんと首を傾げる。
まあ、そもそも山菜自体、そんなに頻繁に食卓に並ぶ食材でもなかったというか。
「家で天ぷら作ることがあんまりなかった気もするし。たまにあっても、まあ蕎麦のお供に、えびとかかぼちゃとか、マイタケとか……メジャーなヤツだよな」
メインで食べる料理、という枠の中に、そもそも天ぷらが入っていないような気がする。
ただ、そんな俺の述懐を聞いて、叶は心底からバカにするように鼻で笑った。
鼻で笑って、そして言った。
「それは人生を損していると言わざるを得ないよね」
「……うわー。出た出た」
今度は俺が鼻で笑う番である。
こういう言い回しが、実は俺は好きではない。
山菜の下処理が終わり、すでに熱し始めている油を見つめる叶に言う。
俺? 俺はまあ、隣で豆腐とエノキの味噌汁を作ったので。
あとは見ている係とかでいいんじゃないだろうか。
「なんか自分が観た映画とかをさあ、『これを観てないなんて人生を損してる』とか言うヤツいるじゃん? そういうこと言われると、なんでお前に俺の人生の損得を語られなきゃならんねんって思って……なんか逆に観る気なくさない?」
「うっわ面倒臭っ」呆れた様子の叶である。「いやまあ、気持ちはわかるけど」
「うるさいな……いや、わかるのかよ。わかるのに言うのかよ」
「いいんだよ。わたしは、自分が面倒臭い人間だって自覚ちゃんとあるから」
「そういう問題かなあ……」
「ていうか未那って、意外と性格悪いよね。主役が云々言うくせして」
「性格悪いってどういうことだよ、失礼だな……」
「考え方が捻くれてるってこと。そりゃわたしもヒトのことは言えないけど、未那も割と筋金入りじゃない?」
だとすれば、それはたぶん周囲に影響されたせいだと思う。
かつての旧友だったりとか。あるいはそれこそ、どこかの脇役哲学者だったりとか。
「……そういえば、中学のときは不良だと思われてたんだっけ?」
「あー。目つきと口が悪かったからな」叶の言葉に、中学時代を思い出して苦笑した。「友達いなかったし。塩対応だったからな、素で」
「塩対応」
「必要最低限の会話しかしてなかったっていうか。俺としては普通なつもりだったんだけど、意味のない会話を誰かとしてなかったんだよな。みんな自分のために生きてると思ってた」
「……今はその反動みたいなモンなわけね。雑談にこだわるし、未那は」
そういう言い方をすれば、そうなのかもしれない。
反省を活かして成長していると、俺としては表現させてもらいたいところだが。
「ある意味、性格が悪いまんま主役を目指してるとか、よりタチが悪くなった気もするけど」
「うるせえな……そうそう簡単に寝っこの考え方まで変わんねえんだよ、人間」
「どうでもいいー」
「あっそ。――なんの話だっけ」
「そりゃ天ぷらの話でしょ」
そうだったか。
叶との会話はすぐ脱線するような気もしてきた。
なんだろう。ままならないものだ。
「……遺憾ながら、好みは似てるからね。わたしたち」
と、叶がそんなことを言った。
なんの話かと思ったが、要するに天ぷらの話に戻っているのだろう。
「あー……まあ、その辺はな」
人生の損失、か。まあ脇役哲学者の叶らしい、それは趣味人の発想なのだろう。
確かに気持ちはわかってしまう俺。
「というわけで、何ごともまずチャレンジ。――ん、油の温度ももういいでしょ」
衣をつけた山菜を、油の海へと投入していく叶。
しかし、こうしているとかなり手持ち無沙汰な感が否めない。
普段はお互いの調理風景を、こんな風に眺めていることなどないせいもあるだろう。
なら、この際だ。
今日の放課後、野中と会話したことについて話題を振ってみよう。いい機会だと思って。
「なあ、叶」
「んー?」
エプロンをつけて、油を眺めている叶に声をかける。
こちらへ振り返ったりはせず、適当な返事を返してくる彼女に俺は言った。
「いや。俺たちって、学校じゃあんまり話しないじゃん?」
「……はあ?」叶はものすごく変な声を出した。「いや……ハァ?」
「二回言いやがったな……」
「え、何? どしたの、急に。頭でも打ったの?」
「なんで事実確認をしただけでそうなるんだ」
「どうもこうも、その話の流れなら《もっと会話しよう》って方向に行くでしょーに」
それもそうかもしれないが。
話が早すぎて、叶とは逆に話しづらいみたいな感になっていた。
……まあ実際問題、こいつと学校で話す理由がぶっちゃけ何もないんだよなあ。
夕食どうする? とか、そういう話はさすがにできないし。
何もないのに雑談をするような関係じゃ……ない、こともないのか。一応。
「ほら。俺たち、友達だろ?」
「……………………」
叶は無言。警戒のオーラが可視化されているかのようだ。
油の跳ねる音だけが、しばらく鼓膜を彩っていた。
「だから、学校で雑談くらいしようって?」しばらくあってから、ようやく叶は言う。「まあ言わんとせんことがわからないわけじゃないけど……」
「いや。なんか、俺らの仲が悪いんじゃないかって疑われてるみたいでな?」
「ちょっと前まで付き合ってるとか言われてたのに?」
「別にその疑惑が完全に晴れたってわけでもないみたいだが。あー、ほら、知ってるだろ? 野中。あいつに言われたんだよ」
その言葉に、叶は少し意外な反応を見せた。
「あー、野中さんか……野中さんはなあ。そっかー……」
なんだか困ったような表情を見せる叶だった。
俺が言ったのは、いくらお前でも同じクラスの女子くらい知ってるだろ、という程度の意味合いだったのだが。この反応を見るに、それ以上の付き合いがあるのだろうか。
どちらも教室では目立たないほうのタイプだから、あまり交流が想像つかないのだが。
「何? 苦手なの?」
「なわけない」俺の問いに、叶は首を振る。「人としては好きだよ。理想的と言ってもいい」
「理想的……とはまた意外な言葉が出てきた気がするが」
「脇役の先輩みたいなものじゃない」
そんなことを言う叶だった。
俺には、野中が叶のような脇役哲学を掲げているとは思えないのだが。
そんな俺の疑念をよそに、どこか讃えるように叶は言う。
「彼女、かなり頭がいいと思うんだよねー」
「……それは、成績がいいって意味じゃないよな?」
「いや成績は知らないけど」
ああ。まあ、それもそうか。まだ中間テストすら始まっていない。
野中のイメージ的には、確かに勉強が得意そうだが。
「彼女、すごい周りをよく見てると思うわけよ」
叶はそう野中を評した。その意見は、俺も同じくして抱いているものだ。
「その上で自らの分を弁えて……ってのは領分って意味ね。自分がやるべきこと、言うべきことの範囲をちゃんと自分で決めてる。その上で、考えてあの立ち位置にいるところが尊敬できると思うのよね」
「……あー……」
「未那ならわかると思うけど。クラスとか、集団でのポジションってさ、ぶっちゃけ性格とか普段の態度とかで決まるわけじゃん? 考えてそのポジションに立ってる人間なんてほとんどいない。なんとなくそういう流れだったから。ただそれだけで、《集団の真ん中にいる目立つ人間》とか、《教室の端に座る地味なヤツ》とか、そういうレッテルを貼られる」
「まあ、そりゃそうだな」
中学までの俺がまさにそうだったのだから。
その意見は非常によくわかる。
今の俺や叶のように、望んで考えて立ち回ることでポジションを狙う人間のほうが稀有だ。
「その意味で、野中さんは考えてあの場所にいると思う。だから尊敬できるってこと。物静かで目立たないけど、それで逆に浮くわけでもない。適切な距離感を狙ってて、ちゃんと自分の趣味を確立させてる。ほら、よく図書室にいるでしょ? 自分のための時間の確保が上手なタイプだよね――ちゃんと、人生を楽しんでる」
「……そうか」と俺が納得したのは、何も叶の言葉の内容ではなく。「お前も図書室にはよく行くわけだ。……俺が行ってるってことはそうだよな」
「やっぱ未那も、そこであの子と知り合ったわけね。まあ未那なら自分から声かけに行くんでしょうけど。何? なんか言われたの?」
「もしかして喧嘩でもしてるんですか、ってさ」
よく見ているとは思っていたが、叶の評価も合わせるとさらに上のようだ。
別に野中が脇役主義者だとは言わないが。その視点、あるいは立ち振る舞いには今後、尊敬と参考を含めていきたい。
と、ただ叶は、ここで思わぬ言葉を口にした。
「……こわっ」
野中があまりに周囲を見抜きすぎる、ということだろうか。
いや、別に俺と叶は喧嘩などしていないのだが。普段からしている、というアレは除き。
なんだか失礼なことを言うものだ、と思った俺に、けれど叶は首を振った。
「今のは未那に言った」
「予想外。……いやなんでだよ」
「だってあの子、普通ならそんなこと絶対言わない」
「……はあ?」
それは俺も想像だにしていない言葉だった。
思わず首が傾がっていく。
「いや、言わないも何も、実際そう言われたんだが」
「だから、それは未那が相手だから言ったんでしょう」
「俺が相手だから……?」
「あの子は自分の領分を弁えてる」野中は鋭く言った。「だから、そりゃクラスで不仲な人間がいればすぐ気づくだろうけど、そこに自分から首を突っ込んでみたり、まして本人に直接、確認したりなんてしないよ、本当なら。絶対しない」
「……でも現に」
「だから、未那は言ってもいい相手だって、そう判断されてるんでしょう。いや、本当に怖いわ、アンタ……あの子がねえ。どんだけ取り入るのが上手いわけ?」
よくわからないことを言う叶だった。
わからないが、たぶん褒められてはいないことだけは確かで。
とりあえず俺はこう答えた。
「人聞きの悪い言い方をするなよな。話してればそりゃ仲よくもなるだろ」
「……主役理論どうこうより、アンタはその天然がたぶんいちばん怖いんでしょうね」
「いや。さっきから何を言ってんのよ、お前は」
「別に何も」あっさりと肩を竦めて、話を流す叶だった。「それより、ほら、皿の準備とかして。天つゆと、あと抹茶塩。買ってあるから。はよ!」
「はいはい……」
相変わらず、こういうことにだけは全力の友利先生であった。
※
そうして食卓に、叶お手製の山菜の天ぷらが並べられた。
あとは炊いたご飯に、俺が作った味噌汁。天ぷらが野菜オンリーというのは少し寂しい気もするが、まあ今日はそれが目的なのだから構わないだろう。
ちゃんと、俺が美味しく食べられれば、の話だが。
もちろん俺は、叶の調理の腕は疑っていない。プロ並みとは言わないが、慣れた手つきを見るにちゃんと完成はしているのだろう。少なくとも俺が作るよりは遥かにマシだ。
きつね色の衣が実に美しい。香りもよく、食欲はこれでもかとそそってくれている。
だから、あとは問題は好みである。
山菜は大人の食べ物、というイメージは強かった。あとは俺の舌が、それに適応してくれるかどうかの――言い換えれば運の問題になる。
「どうぞ? 冷めないうちに召しあがってくださいな」
こちらに手を伸ばして、叶は微笑んだ。
先に喰えということらしい。自身に満ち溢れた表情は心強いが……さて。
いざ実食。
……正直に言うと、見た目だけじゃどれが何かわからない。
たとえわかったところで、味を知らないのだから意味ないのだが。
とりあえず、小さめの手頃な塊を取って見みる。
それを天つゆにつけて、いざ口へ。衣の感触、その下にある野菜の食感。それらが混然一体となって舌の上で踊った。
わずかな苦みが口の中へ広がって行った。そして独特の香り。馥郁たるそれらが口から鼻へと抜けていく感触……。
「…………」ふむ。
なるほど。これはつまり。ほう。
うん。
食べきって、それから俺は目を閉じた。そして口を開いた。
茶碗のごはんを置き、箸を置き。
「……な、何その反応」
叶の声が聞こえる。だが俺は問いに答えず、むしろこちらから疑問を発する。
「叶。これ、なんて山菜だ?」
「ふきのとう……だけど」なんだか狼狽えた声だった。「……えと、未那? その、やっぱり駄目だったんなら、別に無理はしなくても――」
「叶」
「お、おう。なんだ。どした?」
「――これ美味え」
「今そんな感じのリアクションじゃなかったのに!?」
目を開いた俺に、叶の大仰なリアクションが飛び込んできた。
いや。まあちょっと狙ったけれどもね。
狼狽える叶は面白かった。とは言わずに続ける。
「いや、うん。苦い。苦いんだよ……けどなんだろう、この独特の苦みが、逆にこう、美味いっていうか。なんだお前。すげえな。天才か」
「まあ食材がいいだけだけど……そりゃどうも。ありがとう……」
「え、次行こ。何これ美味い。やばい。これ何?」
「ヒメタケ……」
「ああ、これが例の。そうかお前が……話には聞いている。だがどうかな? タケノコの仲間か。だがあの高い壁を超えられるかな? はは!」
「おいテンションどうしたお前」
さく、っと口に運んだ。テンションは気にしないでいただきたい。
……何これ美味い。ていうかやばい。語彙が死んでる。普段は切った形でしかみたことがないものだったが、……いやマジでヤバくねコレ? 天ぷらになるために生まれてきたの?
「美味い……美味いっていうか、いや美味え……」
「変わってないぞ!?」
「そしてあんまり苦くない――ていうか、なんだむしろ甘い? まであるか? おお……やべえこれご飯が進む……次だ、これは!?」
「タラの芽ですが……」
「ほう! お前が! 会うのは初めてだな!? さあ、今のインパクトに代わる衝撃を、果たして俺に残せるかな!?」
「どうしたの? 大丈夫? ……あ、お味噌汁おいしいよ……?」
「うっっっっっっま!!」
「もう話を聞いてないよね未那ぁ!?」
「やべえ。山菜舐めてたやべえ。ごめん……俺が間違ってた……人生を損してた……」
「そっかー!」
テンションが振り切れていく俺の目の前には、しきりに首を傾げる叶がいた。
なぜだろう。珍しく素直に負けを認めてやったと言うのに、何が気に喰わないのか。
「なんだろう。なんか釈然としない……いや、ぜんぜんいいんだけど」
「おい。なんだその態度は。お前はすげえ。もっと堂々としてていいんだぜ?」
「……恥ずかしいからやめて……」
「握手しよう」
「なんなんだよぉ!?」
卓袱台の対面にいる叶に、俺は片腕を伸ばした。
変な表情で、それでも押されて握手に応えてくれる叶。さすがだぜ、シェフ。
「さすが趣味人だな……この手のことは今度からお前を頼るようにしよう」
「……はあ」なぜか溜息をつく叶だった。「ま、よかったよ、気に入ってくれたなら。確かにこの手の話ができる相手いないし、脇役哲学の実践としては及第と思おう。うん」
「ほら、お前も喰えよ」
「食べるよ……むぐ。うん、さすがわたしだ。超おいしい」
「だろ?」
「なぜ未那が偉そうに……」
「俺は負けを認めたらちゃんと態度を変えるよ」
「掌を返したというのでは?」
「いいだろ別に。あ、これ塩もいいのでは?」
「やっぱ天ぷらは塩派だなあ、わたし。天つゆもいいけどさー」
「てか思いのほか白飯と合うよな。いいなあ……お前、こういうのどこで食べてるの?」
「いや。いろいろ食べ歩いたりとかしてるし、わたしは。趣味人だからね」
「そっか、そういう。なあ今度どっか連れてってくれよ。いつもお前に作らせるのも悪いし」
「んー……言っても、この辺はわたしも開拓が進んでないからなあ。あ、駅前のほうならいいよ。割といい店知ってるんだ。親がお酒好きでさ」
「酒か……二十歳になったら飲むようになるのかね。天ぷらには日本酒が合うと聞くし」
「大人は美味しそうに飲むようねえ。居酒屋とかよく連れてかれるんだけど、やっぱ入りにくいからさ、ひとりじゃ」
「なら卒業したら行くかー」
「そだねー」
「あとは旅行だよなー。美味しいものを食べる機会っていうと」
「あ、それわかる。ほら、食べ歩きって言っても行ける店限られちゃうからさ。お酒が飲めない年ってだけでアレだし。その点、旅行に行くと旅館で出してくれるじゃん?」
「わかる……今度どっか行こうぜ。近いうちに」
「週末にちょっと遠出するくらいでいいなら、宇都宮とかでも行く?」
「餃子か」
「イエス」
「いいなそれ。行こうぜ」
「んじゃ今度ねー」
そんなことを話しながら食事を進める俺たちだった。
……あれ? と。
何か引っかかるというか、妙な疑問を感じたのはそのときだ。俺は箸を止めて、目の前に座る叶を眺める。
さっき、なんか雑談ができないとかなんとか話していたような気がするのだけれど。
「んー、おいしー……あれ? どした未那?」
天ぷらに舌鼓を打っていた叶が、こちらに首を傾げて言う。
しばし考えてから、ふっと笑って俺は答えた。
たぶん、そう言うことなのだと思う。無理をする必要はないということだ。
俺たちは俺たちの速度で、進んでいければそれでいい。変に意識してしまっていたから、それを野中に指摘されてしまったのだろう。
「――いや。なんでもない」
そう答えてから、俺は再び食事に戻った。
今日の夜は、きっとぐっすり眠れることだろう。
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