幕間1

S-01『友利叶のお料理教室1』

 ところで俺と叶は、あまり学校では口を利かない。

 別段、これは意図してお互い避けているというわけではなく。単純に機会と必要の問題だ。

 いろんな方面へ声をかけて回る俺と違い、叶はあまりそれをやらない。別にいつでもむっと押し黙っているというわけではなく、ごく普通に――目立たないように暮らしているという話だ。浮きも沈みもせず、当たり前の景色としてあろうと努めているような。そんな感じか。

 話しかけられれば答えもするし、そのときは人当たりもいい。笑顔だし、声も明るく柔らかで、そのことに疑問を持たれない程度には完璧な擬態を完成させている。

 ただ結局、自分から声をかけるわけではなくて。

 俺も、ほかの相手にはともかく、わざわざ脇役哲学者・友利叶に声をかけたりはしない。

 交流がない理由など、せいぜいその程度のものでしかなった。


 ――さて。

 まあ、そのせいもあるのだろう。

 いざ学校で叶と会うと、なんとなく微妙な気分になってしまう。

 何を話せばいいかわからなくなるといった感じだろうか。


 もちろん同居を匂わせるようなことは言わない。それはさすがに前提だ。

 だが、そんな意識が普通の会話さえどうもぎくしゃくさせてしまうというか、話していると同居がバレてしまいかねないという恐怖のせいというか。

 実際問題、勝司や葵、さなかにはあっさりバレたわけだし。

 そんな理由からも、俺たちは必要が、機会がない限りは学校で言葉を交わすことがない。

 だから、なのだろうか。

 クラスメイトたちは、そんな様子からすら逆に違和感を見出しているようだった。


「……もしかして、なんですけど」


 放課後。学校の図書室にて。

 宿題がてら、読書をしに来たときのことだった。

 クラスメイトの女子に言われたのだ。


「我喜屋くん、友利さんと仲が悪いん、ですか……?」

「――え……?」


 その言葉に、俺は狼狽えた、というか面喰った。驚いたのだ。

 つい最近まで、俺たちは恋愛関係を疑われていた仲だ。それが一周回って、今度は不仲説に発展しているのだから驚きも理解してもらえると思う。

 そんな間の抜けた反応をどう捉えたのか。

 訊ねた女子生徒が、ちょっと慌てたようにして両手を振ってみせた。


「あ、すみませ……違うんです。変なこと、訊いてしまっていたら……ごめんなさい」

「ああいや、それは別にいいんだけど」


 恐縮したように縮こまるクラスメイト――野中のなか小春こはるに、俺はなんでもないと笑みを向ける。

 野中はクラスメイトの中でも、特に仲よくなるのに苦労した相手だと言っていいだろう。

 物静かで、文学少女然とした少女だった。自己主張の薄いタイプ、なんて表現すると叶まで含まれそうな気がするが、大人しく落ち着いていて、どこか小動物然としたイメージがある。獰猛な野生の獣に怯えるような、そんな感じだ。

 そのせいもあって自然、クラスでもあまり目立つタイプではない。普遍の中心を貫くがゆえに結果論的な没個性を志す叶とは違い、単純にあまり喋る性格ではないという意味だ。

 よく見ればかわいらしい、なんていうか、クラスで五本の指に入る人気はあるけれど告白されるまでいかないような――そんな奴だった。その容貌通り読書が趣味らしく、話せるようになったのはその辺りを突いたから。初めて声をかけたときは、俺の目つきの悪さも相まってだろう、なんだか怯えられてしまったらしいが、図書室に通っているうちに打ち解けた。中学のときは葵と同じ学習塾に通っていたという話で、その辺りからもきっかけを掴んでいる。


「いや。どうしてそう思ったのかなって。そう思って」

 笑みを向けた俺に、野中も少し落ち着いたらしくこくりと頷きを見せた。

 この、こくこくと動く首が、なんだかイメージに反して少し慌ただしくて面白い。

「あの……失礼だったらすみません。なんだか、お互い避けているみたいに見えて……」

 よく見ているなあ、と俺は内心で感心した。

 色素の薄い髪を揺らして、野中がこちらを見る。これで意外と、野中はまっすぐ相手を見る少女だ。

「ちなみに、どうして? 仲悪い振りしてるのかもしれないよ?」

 と、思いつきで突っ込んだ問いを返してみる。

 野中は一瞬だけ目を伏せてから、けれど改めてこちらに向き直ると、静かに答えた。

「そういうふうには……見えませんでした、から。お互い意識してはいるみたいですし……」

「なるほど。へえ……外から見ると、そういう感じに見えるのか」

 物静かに見えても見ているところは見ているというか。なかなか侮れない。


「すみません、ヘンなコト訊いちゃって」


 ぺこり、と対面に座る野中が頭を下げて言う。

 常に礼儀正しい彼女は、誰と話すときも敬語を貫く。よそよそしい印象は受けないから、単にそういう性格なのだろう。温厚な少女だが、口を開くまでに時間をかけるということは、それだけ考えて喋っているということだ。そういうところが、たぶん好ましいのだと思う。

 こうして野中と図書室で会うことは、別にそう頻繁にあるわけではなかった。

 そもそも約束して会っているというわけではない。

 俺はそれなりに読書が好きで、だから図書室という名の無料読み放題コーナーをそれなりに重宝している。他方、野中はそのイメージ通り本の虫で、よく図書室に入り浸っていた。そんな場所でクラスメイトと顔を合わせれば、自然と会話が始まる――と言うとさすがに少し盛りすぎだが、とりあえず声はかけるのが主役理論である。


 まあ、そういう過程で話すようになったということ。

 最初は警戒していた野中も、もともと人嫌いというわけではないのだろう、すぐに打ち解けて話に乗ってくれるようになった。特に本の話題にもなると、彼女の口数も少し多くなる。

 俺以上の読書家である彼女の話は、聞いているだけで面白いものだった。


「まあ単純に、なんとなく話すことがないんだよなー」


 話題が叶のことになったから、ではないが。

 俺自身、抱えていた違和感はあったのだと思う。気づけばそれを言葉に換えていた。


「なんせバイト先も同じだし、家まで隣ときたもんだ。話したいことがあればそっちで済ませちゃうから、わざわざ学校でまで話題がないというか」

「それは……少しだけ意外かも、です」

 ちょっと驚いたみたいな反応で、野中が目を丸にした。

 首を傾げて意図を訊ねた俺に、彼女は続けてこんなことを言う。

「んと……もし失礼だったら申し訳ないんですけど」

「いいよ。ていうか、野中に失礼なことを言われるとは思ってないから」

「では。その……我喜屋くんは、誰かと話す理由を必要性では判断していないと思うんです。その、普段は、ですけど」

「必要性?」


 その言い回しに首を傾げる。俺は少し、旧友の語り方を思い出していた。

 読書家というものは、誰しも会話で普通以上に言葉を選ぶものなのかもしれない。


「すみません。今のはちょっと言い方が違っちゃったかも、ですね。単純に、我喜屋くんって《雑談》が好きですよね、と言いたかったんですが」

 そう言われて否定はできない。俺は素直に首肯した。

「あー、あれか。要するに、ほかの人間とは意味のない雑談でも積極的にしてるのに、叶とはしてないって話?」

「そういう感じです」

 ふっと、野中は花の咲いたように笑う。言葉が伝わったことを喜ぶみたいに。

 花の咲いたような笑顔、なんて表現はありふれた言い回しだと思うが、そのとき咲く花の種類は人によって違うように俺は思った。

 たとえば、さなかなら太陽を思わせるひまわりとか。今の野中なら、たおやかに咲く百合とでも言ったところだろう。

 叶は知らん。彼岸花とかじゃねえの。

 微妙に詩人ぶったロマンチックなことを考えていた俺に、野中は続ける。

「別に、雑談って普通にするものじゃないですか。ええと……つまり考えてはやっていない、集まったから、友達と会ったから、だからなんとなく始まるっていうか」

「ま、そうだね。そう思うよ」

「――でも我喜屋くんは違いますよね?」


 まっすぐに。野中は俺の表情を見たまま断言した。

 そのことに少なくない驚きを俺は覚える。野中の言葉はさらに続く。


「我喜屋くんはたぶん、自分から、積極的に、ように思うんです。誰にでも自分から声をかけて回ってますよね、我喜屋くんは」

「……本当によく見てるもんだね」

「これくらい、よく見てなくてもわかりますよ」

 なんでもないことのように野中は言うが、普通はそこまで見ていない。

 視界に入っていたとしても、それを意識の俎上には載せない。人は目に映るもののことを、いちいち深く考えたりはしないのだ。

 なぜなら、それが普通だから。

「でも我喜屋くん、友利さんにだけはそれをしないから。少しだけ気になったんです」

「……あー……そうかー」

 俺はほとんど呻き声みたいな返事をした。上手い言葉が見つからなかったせいだ。

「ほら。私なんかとも、こうしてお話しに来てくれますし」

「……それは別に、俺が楽しいからやってるだけなんですよ? 一応」


 どこか言い訳がましく俺は言った。

 単に取り入るために八方美人を演じていると、そう捉えられたくなかったからだ。男に対してその表現を使っていいものかは、いまいちわからなかったが。

 誰にでもいい顔をして、楽しくもないのに雑談に興じてみせている。

 確かに一面を切り取ってしまえば、そういう見方ができなくもないのかもしれなかった。俺にそんなつもりはないし、それを自分で望んでいるからこそやっているのだとしても。

 幸い、野中はそこまで穿った考えをしているわけではないようだった。


「もちろんわかってますよ」と、野中ははにかんで言う。「私も、その……我喜屋くんとお話するのは楽しいですから」

 言ってから、野中は恥じらうように視線を下げた。耳が赤くなっているのが見える。

 気を遣ってくれたのだろう。わざわざ言葉にしてくれたことが、俺にはとてもありがたい。

「ありがと。野中は本とか本当に詳しいからさ。いろいろ話が聞けて面白いんだ、俺も」

「あ、ありがとうございます」恐縮するように身を縮ませてから、野中は視線を上げた。「ところで、今のはジョークでしたか?」

「いえいえ。――本心ですよ?」

「……っ!」


 ぷるぷると肩を震わせる野中だった。

 彼女はいつも、俺の下らないダジャレにいい反応を見せてくれるからありがたい。

 ていうか、俺のダジャレでここまで笑ってくれるのなんて野中くらいだろう。

 さなかですら若干引くし、叶に至っては鼻で笑う。許さんあの女。


「したらちょっと、叶とも話すようにしてみたほうがいいかな」

 野中が持ち直すまで待ってから、相談がてら訊ねてみる。

 こちらに向き直った野中は、少しだけ考え込むようにしてからこう答えた。

「いえ……どうでしょう。別に無理に話さなくてもいいと思うんです」

「無理に、かあ」

「ほら。我喜屋くんはいつも、本当に楽しそうにお話を聞いてくれますから」


 片手で口元を隠し、くすりと微笑むように野中は言った。

 不覚にも。その様子が妙に色っぽくて、俺はごくりと息を呑んでしまう。


「――そういうところが、我喜屋くんのいいところだと思いますよ?」


「あ、えぁー……そう?」

 なんだかやけに気恥ずかしくなって、思わずそんなリアクションをしてしまう。

 ああくそ、なんだこの主役力の低い切り返しは。これはよくない。

「はい」

 と、野中は嫣然と笑みを見せる。

 クラスではあまり目立たないとはいえ、もともと野中は、なんていうか非常に素材のいいほう(婉曲表現)の少女だ。こういう悪戯っぽいところを見せられると、なんだか落ち着かない気分になる。

「もしかして、からかってる?」

「いえいえ。本心ですよ? ――ただ」


 さきほど俺が言ったのと同じ切り返し。

 なんだか手玉に取られてるなあ、と思う俺に彼女は言った。


「ちょっと、さっき笑わされたお返しをしただけです」

「……それは仕返しって言うんじゃない?」


 からかっているようでいて、悪役になりきれない野中に俺は苦笑した。

 うむ。しかし、女子といっしょに放課後図書室トークとは、実に青春濃度が高い。

 ともあれこの頃の学校生活は、こんな風に進んでいた。


 主役理論、万歳。



     ※



 その後、野中イチオシの本についての情報をいくつか仕入れてから俺たちは別れた。

 時間もそれなりにいい頃合いだ。今日はシフトが入ってないはずだから、叶ならたぶん家にいるだろう。


「ただいまー」


 がちゃり、と戸を開きながら俺は告げる。

 これは別に叶に言っている、というわけでは必ずしもない。習慣だったから、わずかだった独り暮らしの頃から言い続けていたものだ。あんまり答えも帰ってこない。

 ただ、この日は少し様子が違った。


「お、お帰り。いいところに帰ってきたねー?」


 部屋の中にちょうど、叶の姿を確認した。

 声のトーンだけで、彼女が妙に上機嫌であることがわかる。

 珍しい。俺は少しだけ身構えた。こんなに弾んだ声を俺に対して出すこと自体が奇妙だったが、それ以前、まずなぜにいるのだろう。

 実際的なことを言えば、壁を取り払ってしまった時点でどちらの部屋も何もない。だが基本的にはお互い、もともと自分の部屋だったエリアにいることが多かった。出入りも自分の部屋だった側を基本的には使うため、こうして俺が一〇二号室側の扉を開けて入ったとき、その正面に叶の姿を見つけるなんてことはほぼないに等しいのだ。


「……何を企んでる?」


 俺は訊ねた。疑念、というか警戒しか抱かなかったからだ。

 ただ、さすがにこの反応は叶の機嫌を損ねたらしい。頬を膨らませ、唇を尖らせ、刺すように俺を睨みつけてくる。


「帰ってくるなり失礼な奴だな……企んでたとしても悪いこととは限らないでしょーに」

「企んでるって部分は否定しないのかよ」

「言い方の問題でしょうが。何も考えてなきゃ声かけないっちゅーの」

「それもそうか」


 いくら叶が相手とはいえ失礼すぎたかもしれない、と少し反省。

 いや、叶ならいいか。むしろこいつのほうが俺に対して失礼だし……いやいや、だからって俺が叶と同じことをするというのは……でも叶にならやっぱいいか?


「おい。何を考えている。言え」

「いや何も。ところでなんの話があるって?」


 ジト目を向けてくる叶に誤魔化しを返球。

 お互い回避を選ばない会話のドッジボールに飽きが来たのか、叶は溜息をひとつつき、それから言った。


「ほら、見てこれ。貰っちゃった」

「……その卓袱台の上のビニール袋のことか」

「まあ中を見てみなさいって」


 ちょいちょいと手招きする叶に引きずられて、俺も部屋の中に入る。

 俺の部屋の卓袱台。その上に、何やらビニール袋が置かれているのが見えた。というか見えていたというか。

 それを見据えながら俺は叶に言った。


「何これ。草?」

「ハッ」

 叶は。

 鼻で笑った。

「バーカ。バー……ッカ!」

 溜めて言った。

 二回。

「ブッ飛ばすぞテメエこんにゃろう」

 叶は俺を無視した。

 ……畜生。

「ほら、二○一の松沼さん、いるでしょ。上の階の」

 友利の言葉に「ああ」と頷く。


 このかんな荘には、当たり前の話だが俺と叶以外の住人もいる。

 一階の、俺の部屋から見て叶の部屋の逆側、つまり一○一号室だけが現在空室。二階の三部屋は全てが埋まっていた(ちなみに管理人の瑠璃さんは普通に裏手の一軒家に住んでいる)。

 そのうち二○一号室に住んでいる住人が叶の言った松沼まつぬまさんだ。

 瑠璃さんと並んで年齢不詳――見たところ二十代後半から三十代くらいだろうと思うのだが――にして職業不詳。やけにくたびれた無精ひげの、ぶっちゃけ言って見た目にはかなり怪しいオッサンである。かんな荘随一のレアキャラクターとして俺は認識している。

 というのも松沼のオッサン、だいたいのだ。

 基本的に、二○一号室は不在であることが多い。ときおりふらっと帰ってきては数日ほど滞在し、またすぐに十日単位でいなくなる。長ければ数か月帰ってこないこともあるとは瑠璃さんの談で、俺もこれまで三回しかエンカウントしたことがない。


 なぜこうもかんな荘の関係者は変な奴ばっかりなのだろう、という疑問はさておき。

 松沼のオッサン、見た目には不審者ながら、これで話してみるとかなり気のいいオッチャンなのである。めちゃくちゃ気さくだし、話していて非常に面白いお方だった。

 初対面のときはちょうど瑠璃さんと三人であったのを覚えている。なんか死んだゾンビ(もう徘徊すらしていない的な意味で)みたいな目をしながら、やる気のないキョンシーじみた挙動で近づいてきたときは正直だいぶやべえと思ったものである。が、


「おぉ! 君が新しいお仲間の我喜屋くん! オレ二階に住んでる松沼っつーんだ。よろしく少年、あはははは!」


 一瞬で活力を復活させ、別人みたいに気さくに挨拶されてしまった。

 それはそれでむしろ面食らったものの、打ち解けるまでに数分とかからなかった気がする。

 まあ瑠璃さんと並んだ謎の住人であることに変わりはなく、未だもって理解と常識の外側で笑っている感じはするのだが、ともあれ。


「てことは、またあの人のお土産か」

「そういうこと」


 と叶は頷いた。

 ふらふらとどこかに出かけては帰ってくるを繰り返す松沼さんは、なぜかいつもお土産を持ち帰ってきて配ってくれるのだ。主に食べ物関係であることが多く、かんな荘で《松沼土産》といえば、それはちょっとしたパーティのきっかけにすらなるものだという。

 俺も初対面のときには高級っぽいお肉――松なんちゃら、という表示からは目を背けた――を頂いたし、次に会ったときはなぜかインスタントラーメンを山盛りくだすった。

 ……本当になんなんだろう、あの人。


「で、なんか今回は野菜をたくさんくれたのよ。春が旬の。山菜とか。ちゃんと、わたしたちふたり分ね。これで」

「……なあそれ壁の件バレてんの?」

「知らないけど。まあ、ありがたいじゃん」

 ほくほく顔の叶であった。こいつの上機嫌はそれが理由だったらしい。

「しかし、山菜って……何? 採ってきたの?」

「さあ? 別にそういうわけじゃないんじゃない? こないだのラーメンは、駅前のディスカウントストアで大人買いしたって言ってたし。これも安く買ってきたのかもよ」

「なんでわざわざ買ってきてくれるんだろう……天使か、あのオッサン……」

 怪しいから最初はどうかと思ったけど、ただただいい人なんだよなあ、松沼さん。


「そういうことだから今日の夕食は山菜尽くしってワケよ。うふふひ……」


 なんか笑い方のキモい叶だった。ということは、今日の夕食は叶が担当するつもりらしい。

 いくら考え方が似ているからといって、これまでの人生で培ってきた知識や経験、技術まで同じというわけではない。俺と叶が違う人間である以上、それは当たり前の話だ。

 たとえば俺は叶ほど料理が得意ではないし、たとえば俺は叶よりは運動が得意だった。

 そして、好みの件だってそれは同じことなのだ。

 確かに似通ってはいる。だが完全に同じというわけではない。鏡に映ったものが、左右逆になるのとそれは似ている。

 だからその言葉を、俺はあまり深く考えず口にしていた。


「俺、あんまり山菜って好きじゃないんだよなあ」

「……なんだと?」


 激震、走る。

 そう表現していささかも誇張にならない。

 そんなレベルで叶が驚いていた。

 いや驚きすぎだろ。


「なん……だと……!?」

「二回も言う?」

「いや。いやいやいやいや。待ってよ。え、嘘でしょ? ――え!?」

「俺のほうこそ『え?』なんだけど。何その感じ」


 完全にを見る目をこちらに向けてくる叶。

 まあ、ということは叶は山菜が好きなのだろう、ということはさすがに察するが。そもそも最初のテンションを見ていてわからないはずがないが。


「……なんで?」

「なんで、と来たかあー……」


 本当に不思議そうに首を傾げる叶であった。

 まあ、わからなくはない。こういった好みの点では実際、俺とこいつはほとんどズレることがなかったからだ。ここまで言うということは、こいつ、相当な山菜好きなのだろう。


「特に理由はないけど別に……そもそも一般的に、あんま高校生が好きな食べ物って感じでもないだろ、山菜は」

 まず食べる機会がそうないし。あと苦いし。

 食べ物の好き嫌いで、割と苦手な人が多いランキングの上位に位置すると思うのだが。

 セロリとかニンジンとかタマネギとかピーマンとか、嫌いな子どもも多いだろう。俺は全部好きだけれど。

 だが叶は首を振る。

「未那の口から、そんなつまらない一般論が出るとはね……はあ。嘆かわしい」

 また露骨にショックを受けたみたいに呆れを表す叶だった。溜息つきながら首を振るなや。

「そもそも、言うほど山菜って食べたことないんだよな」俺は言う。「せいぜい炊き込みご飯とか、あとは……山菜そばとかか。そんな嫌いってほどでもないけど、特別に好みってことはないよなあ。苦いし」

「わかった」と、その言葉に叶は言う。「あんたは、まだ本物の山菜料理を食べたことがないというわけだ」

「なんで急に料理研究家みたいなこと言い始めてるの?」

「いいでしょう。二時間後に来てください。わたしが本当の山菜料理ってものを」

「やめろや。テンション高えな」


 なんか面倒臭い感じになっている叶であった。

 趣味人であるところのこいつは、こうなると本当に熱意がすごい。


「いいだろう」と、だから俺も答える。「そこまで言うなら、作ってもらおうじゃないか」

「美味しかったら謝らせるからね」

「ふ。だがそう簡単にいくとは思わないでほしいな! 食わず嫌いには、なぜなら理由などないのだから!」

「……偉そうに言うこと?」

「違うけれども」


 ともあれ、そんな感じで。

 クッキング開始。


 ……なんかもうオチが見えてる気がするけど、気のせいだよね?

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