1-23『エピローグ/青い春』

 一夜が明けた。

 今の気分を率直に言わせてもらいたい。聞いてほしい。

 せえの。



「――死にたい」



 布団に包まったまま俺は言う。やかましい目覚ましを消して、けれど謎の倦怠感が俺を寝床から逃がさない。

 もう、何をするのも億劫だった。月曜日ってこんな鬱だっけ。


 俺は昨夜のことを思い出していた。

 ていうか、あんなもん忘れられるはずがなかった。


 ――冷静に考えて、昨日の俺はちょっとヤバいレベルで恥ずかしい奴だった気がする。


 なんか熱くなるあまり、言わなくていいことを大量に言った覚えがある。

 同居の女子に捨てられそうになって必死で食らいつく哀れな男と、事実だけ言えばそんな感じだ。もうシチュエーションからしてドン引きだし、俺も自分でドン引きだし、だけど、ねえ知ってる? 自分で引いても、自分ってついて来るんだよ。だって自分だから。


 バカかよ。


「死にたぁい……」

 俺は二度目を呟いて毛布に顔を埋める。

 なんであんなこと言ったんだろう。

 ていうか、なんであんなに俺は友利との同居生活にこだわったのだろう。

 よくよく考えてみれば、別に友達という前提があれば同居する必要なくない?

 仲違いさえ避ければ、俺の目標って達成されてたんじゃないの……?


「ちょっと。朝から景気の悪いこと言わないでくれない?」

「あ?」


 背後からの声に、俺はもぞりと寝返りを打つ。

 そこには、制服の上からエプロンをかけた同居人――か、えー……友利の姿。


「お、おう……おはよう」


 布団に包まったまま俺は言う。


 ……。


 ヤダ恥ずかしい! うわ、なんだ俺ちょっとこいつの顔見たくねえ!

 狼狽える俺だったが、友利は普段と変わらず平静だ。まあ頭がぶっ飛んでたのは俺だけだった気もするから、それも仕方ないのかもしれないけれど。

 普段通りの、覇気がなく、眠たげで、どこかとろんとしていながら透徹した双眸が俺を貫――いや待ておかしい。

 驚きのあまり、俺は恥ずかしさも忘れて布団を跳ね上げた。


「なぜ起きてる!?」

「最初に突っ込むとこ、そこ?」


 不満げに顔を顰められてしまったが、そりゃそうだろう。

 友利叶の朝の弱さを、少なくともこの二週間、俺は誰より突きつけられてきた。

 そんなこいつが、起こされることもなく自ら起きているなんて、一度だってなかったのだから。


「いいでしょ、別に」驚く俺を見下ろし、同居人は不満げに唇を尖らせてみせる。「たまにはわたしが、朝を作ってあげようかって日もあるだけじゃん。これまで、ずっと甘えてたわけだし……まあ、その。何。……一応、仲直りの、アレ、ってわけじゃ、ないけど」

「…………」

「――あ、ん、だ、よっ!」


 睨まれてしまった。藪をつついて黒歴史を召喚するのも間抜けだったので、俺も普通に何を言うこともできなかったから。


「……なんでも」

 と呟いて立ち上がる。

 なんとなく顔を背けたところで、なぜか背中側に回られてしまった。背後を取られた。

「お、おい……何する」

 ぐいぐい背中を押してくることに俺は反論。

「はよ顔とか洗ってこい。もうできるから」

「だからって押さなくていいだろ……おい聞け、おい!」

「はよ行け!」

「蹴んじゃねえよ、痛ってえな!」

「うっさい。そっちこそこっち向くなバカ!」


 理不尽なことを言う奴だった。

 くそ。昨日あんなことがあったせいで、なんかいつもの調子が出ない。なんだこれ。

 押されるがままに、俺は洗面所のほうへと向かった。

 その背に、ふと、さきほどまでとは少し違った雰囲気の声がかけられて。


「――おはよ、未那」


 俺はがしがしと頭を掻いた。

 ん。なんか、いつも通りに行けそうだ。


「おう。――おはよう、叶」



     ※



 まあ、今日くらいはね?

 そうだね、隣同士なのにわざわざずらすのも逆に意識してるみたいでね?


 ――とかなんとかいう合意の結果、朝食後、俺たちは揃って学校へ向かうことになる。


 思えば初めての経験だった。入学式の日は友利が先に学校へ向かっていたし、それ以降はいつも俺のほうが先に部屋を出ていたからだ。

 一応、別々の扉から出て鍵を閉める。

 ありもしない周りの目を意識しているようで逆に恥ずかしかったが、油断していいわけでもないので念のためだ。

 何より周囲の目というものは、ちゃんと存在していて。


「――あ。おはよう、我喜屋くん! 叶ちゃん!」


 外に出たところでちょうど、表を掃除する瑠璃さんに出会った。この時間に会うことは多かったが、叶といっしょとなると初めてかもしれない。


「おはようございます、瑠璃さん」

「どうも。おはようございます」

 俺も叶も口々に言って、お互いに頭を下げる。相変わらず外面のいい奴だ。

 と、挨拶された瑠璃さんは「はい」と呟いてから、なぜか俺たちふたりをまじまじと見つめ続けていた。なんだか、やけに機嫌がよさそうに見える。

 瑠璃さんは言った。

「いやあ。昨夜はお楽しみでしたねっ!」

「あはははは!」俺は笑顔で答えた。「すみません、昨夜? なんのことでしょう?」

「まったくわからないですよ」叶も笑顔になっていた。「あれ? おかしいな、なぜだろう記憶がない。果たしていったい昨夜は何があったのだろう。わからない」


 揃って露骨だったしバカだった。

 ただ瑠璃さん、別に嫌味や鎌かけといった含意あっての言葉ではなかったらしい。


「どうやら、無事に仲直りできたみたいですねっ!」花の咲いたような笑みで手を打っていた。「いやあ、よかったよかった。わたしの目に曇りはなかったみたい!」

 本当に、心から嬉しそうに言うものだから、俺も叶も何も返せない。

「はあ……まあなんというか、お世話になりました」

 なんて返事で、お茶を濁すのが精いっぱいだ。けれど瑠璃さんは重ねて言う。

「うん。ふたりはわたしの後輩だから、仲よくいって嬉しいよ」

「ああ……そういえば、瑠璃さんも雲雀でしたっけ」

 そう言った叶に、瑠璃さんはなぜか首を横に振って答える。

「あ、そうじゃなくてね。いや、わたしも雲雀高校だけど、後輩っていうのは、あの部屋に住む後輩ってコト」

「……うん?」

「あれ。言ってなかったっけ」


 きょとんと目を見開いて、瑠璃さんが小首を傾げる。

 そこに続いた言葉ときたら、ある意味では叶との顛末より衝撃的だったかもしれない。


「――あの部屋の壁、もともとわたしが壊したって話」


「こ、壊した……ですか?」ぱちくりと、叶が目を瞬かせる。「作ったじゃなくて?」

「その前の話。いやね、わたしが現役の頃も、隣の部屋にも同級生が住んでたんだ。そのときに、もう邪魔だからいっそ壁取っ払っちゃえー、ってなくしたの」

 衝撃発言だった。

 まさか、俺たちみたいなことをしている人間に前例があったとは。

「すごく楽しかったから、実はちょっと、期待してたんだよね。おんなじ風に、この部屋で青春を過ごしてくれる後輩がもし出てきたら、それはすっごく素敵だなあ、って!」

 満面の笑みで、当たり前みたいに言ってのける瑠璃さんに言葉がない。


 ――だがこれで謎が解けた。

 なるほど。だから、アパートなのにこの部屋だけ壁が抜けていたってことか……。


 そこに俺たち後輩を住まわせたところまで含めて、瑠璃さんの掌だということらしい。まあ実際に俺たちが自分で壁を壊している以上は何も言えないが、こうも裏事情があると言葉がない。

 まったく、どこまでも劇的じゃないというか、なんというか。

 それは確かに、俺と叶にまつわるものらしい真相なのかもしれない。


「壁を壊したっていうのに、当たり前みたいに許容してくれたのはそういうことですか」

「そうそう。ま、さすがにここまでになるとは思ってなかったんだけどね!」

「ここまでって……」

「わたしのときよりずっと青春してるよ。いいことだね」


 その言いようと生暖かい視線に、思わず眉を顰めつつも。

 俺と叶は顔を見合わせ、それから仕方ないという風に笑い合うのだった。



     ※



『――しかしだ、未那。君は自分の言った言葉の意味を、ちゃんと理解したほうがいい』


 放課後。俺はコトの顛末の報告を兼ねて、再び旧友へと電話をした。

 こいつ相手なら、まあ、俺の恥ずかしい諸々を知られるのも今さらである。背を押してもらった以上、結果の報告義務もあるだろう。もちろん、ほのか屋にも向かわなければ。

 だから俺は昨日の電話以降の件や、今日の朝の話、あるいは今朝登校したあとのことを電話越しに聞かせた。下の名前で呼び合うようになった俺と叶を見て、勝司や葵、そして誰よりさなかが、ものすごく妙な目で俺たちを見ていたけれど。それも面白かった。

 ただ、ひと通りを聞かせたところで旧友が言ったこの台詞ばかりは、さすがの俺も理解できなかった。


「いや、何言ってんだ。俺だって、自分の言ったことの意味くらい理解してるぞ。そりゃ確かに、やたらとこっぱずかしいことばっか言ったって自覚はあるが――」

『まあそれも含めてだ』言葉を途中で叩き切られる。『まず君の台詞、聞いた限りじゃほとんど愛の告白だったんだが、未那はそのつもりだったのかい?』

「――……え?」

『え、じゃないよ。そりゃそうだろう。やれ《ずっといっしょにいたい》だの、やれ《君がいないと嫌なんだ》だの……もうプロポーズのレベルだと自覚していないね?』

「あ」


 言われて初めて気がついた。

 ……確かに。言葉の上だけだったらこれ完全にプロポーズじゃん。


「道理であのとき叶の様子が変だったわけだ……」

『その友利さんとやらには同情するよ。もちろん未那には同情の余地はないよ』

「……知ってるわ」

『ていうか言わせてもらっていいかい? ――バーカ』

「知ってるっつってんだろ。もうやめろ、心が折れちゃうだろ」


 やっぱり別居したくなってきちゃうから勘弁してほしい。

 ていうか、もう別居っていう表現がそもそもおかしかったし。


『そして、重ねて言うなら。まだひとつ、があることについて、未那は自覚があるかい?』


 と、続けるように旧友は言う。俺は首を傾げざるを得ない。


「……なんかあったか?」

『要はまあ、タイミングの問題だね。なぜ、君の同居人が。これについて、未那は答えを出しているかな。それとも偶然と?』

「お前がそう言うからには、偶然じゃないってことか?」

『君がそう言うからには、偶然だと思っていた、ということだね。やれやれだ』


 呆れたような吐息を零す旧友。電話越しだというのに、腹の立つ表情で肩を竦めている様子が幻視できるようだ。

 だが、この手のことでこいつに逆らっても無駄だということを俺は知っている。だから反論はせず、ただ訊ねるに留めた。


「どういうことだよ?」

 旧友の問いは、しかし、どこかずれたもので。

『――ところで未那。君は今後も、主役理論の実践を継続していくんだろう?』

「あ? ああ、そりゃな。そりゃ当たり前だろ」

『なら当初の目的は変わっていないね。わかりやすい目標としてのそれだ』

「……というと、アレか」

『恋人を作る――というアレだぜ』電話の向こうの声が笑った。『その達成の障害になるとわかりきっている同居関係を継続するのは、まあ未那だから納得できるが』

「おい」

 俺はツッコんだ。

『しかし諦めたわけではない、ということで構わないね?』

 スルーされた。

 仕方なく、質問に答えることにする。

「……当たり前だろ。青春には欠かせない要素だぜ?」

『さて。では確認だけど、その日、君と友利さんが出かけたときの面子は、男女ふたりずつの四人組だった。あってるね?』

「ん、ああ。言った通りだけど」

『では確認に質問を続けるけれど、その日――そうだね。が、どこかであったかどうかは覚えているかい?』

「……あったな」


 思い出すまでもない。ファミレスで、勝司と話していたときがそうだ。

 そんなことを、けれどこいつに確認される意味がわからない。俺は次の言葉を待った。

 なんでもないように旧友は言う。


『なるほど。だいたいわかった――まあ、そういうことなんだろうさ』

「……はあ?」

『なんでもない。ぼくが言うことではないだろう。まあ、がんばってくれよ、未那。その目標が達成できる日は案外、近くにあるかもしれないぜ?』

「……あ、そ。じゃあな――もう切るぜ」


 相変わらず言っていることのわからない旧友だ。

 ただまあ、こいつの言うことなら、信じてもいいというくらいには思っていた。


『では、また。息災で』

「お前もな」


 俺は電話を切って、そしてちゃぶ台の上に置いた。


 今日は叶がバイトだから、連結された一〇二及び三号室にいるのは俺だけだ。まだ帰ってくるまでは時間があるから、夕食の準備には早いだろう。

 だから俺は改めて、なんとなく――この春からの自分の城をふと眺めた。


 主役理論に基づいて獲得した、この環境。この生活。

 まだ答え合わせにさえ早いけれど、いつの間にか、たったこれだけの期間だけで、今の生活に慣れてしまっているらしい自分に少し驚いてしまう。


 完全に想定外の方向だったはずなのに。

 完全に――正反対の方向を見ている奴といっしょのはずなのに。


 だとしても、この生活を手に入れた努力は、たぶん否定されることじゃない。


 もちろん、変わったものもある。


「……たまには叶を見習って、散歩にでも行ってくるか」


 ただ自分が楽しむためだけの時間に、人生を使うのも悪くない。ひとりきりでも、別に人生を楽しめないわけではないのだから――いいとこ取りくらいでちょうどいい。

 なにせ俺はまだ高校生で、高校生活は三年以上も残っているのだから。


 ――これから先に広がるはずの青春を思えば、夢も希望も広がろうというものである。


 もちろん主役理論だって、まだまだ完璧と言うわけじゃない。

 とりあえず、まずひとつアップデートされた新しい項目を思い、俺は小さく微笑んだ。


 主役理論、新説――第七条。




 ――《青春は、恥ずかしいくらいでちょうどいい》。

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