1-22『その壁の向こうに3』
――だから。
それはどこにでもある、灰色の青春の物語だ。
「普通にやってたつもりだったんだよ。ほかの誰かと違うことをしていたわけじゃないし、なんだろうな……まあ、でも結局は何もしてなかったってことなんだろうけど」
夜の通り。日は沈み切ったけれど、わずかに見える星空と、何より家々の窓から零れる明かりが暗さを感じさせない。肌寒くもなく、すごく過ごしやすい晴れた夜だ。
そんな通りを、友利とふたり並んで歩いた。
突然に語り出した俺を見て、友利はなんだか妙な苦笑を浮かべて言う。
「いや。何、急に? 唐突に思い出話?」
「まあそんなとこだな。ちょっと昔語りに付き合えよ」
「いいけど」と、言ったから友利はこちらに片手を伸ばした。「その前に、はい」
向けられた掌の意味がわからず、俺は首を傾げる。
「……いや。何、急に? 唐突にお金でも要求してるの?」
「バカ」
「だって意味わからんし」
「手。繋ご?」
何言ってんだこいつ。俺は口角が引き攣る感覚を自覚していた。
「説明されてもやっぱりわかんねけえど」
「いいから。ちょっと確認したいことがあるだけ。ほら握手。早く」
「まあいいけど……」
流れは理解できないままに、差し伸べられた友利の手を握った。
友利は俺の右手を、自分の右手で握り締める。住宅街の狭い道の真ん中で、急に握手を始めるふたり。空で見ている星々は、いったい俺たちをどう思っているのだろう。
にぎにぎと掌を握られる。何かを確認しているらしい友利は、やがて「うん。よし」と何ごとか納得したように一度頷き、それから手を離した。
もうわけがわからない。
「……は?」
「ん、急にごめんね。でも確認できたから大丈夫」
「もう少しわかるように説明してくんない?」
「我喜屋の手を握ってもドキドキしない。何も感じない。それを確かめたかっただけ。うんよし問題なし! 我喜屋なんぞどうでもいい!」
「ねえ、もしかして喧嘩売ってる?」
なぜ急にディスられているんだろう、俺は。
俺だって別に友利のことは女だと思っていないと言いたい。
「言っとくけど、先に変なこと言ったのそっちだから。わたしは悪くない。もういいからほら、はよ歩け歩け」
「釈然としねえんだけど……」
俺の釈然はどこへ奪われてしまったのか。
次回、釈然探偵ワキヤ、釈然怪盗トモリとの決戦! って感じだ。いや何がだ。
全て友利が悪いということで処理を済ませて、再び並んで歩き始めた。
「――で、何?」
友利が覗き込むような姿勢で問うてくる。俺はそれを見下ろして返した。
「それこっちの台詞なんだけど」
「うるせー、もうその話は終わったんじゃいっつの。するんでしょ、昔語り? 聞いたるゆーてんだから早くしなせーよ」
「ああ、まあ……そうか」
どうせ公園までは少し距離がある。
歩けばすぐ着く程度のものでしかなかったが、その道中を無言で過ごすよりは悪くないだろう。もともと、そう考えて切り出しただけのことだ。深い意味などない。
「要するに、ひと言で言うなら――中学のときは、いわゆる不良だったんだよな、俺」
「……何それ」一瞬だけ驚いてみせてから、すぐに友利は目を細める。「昔悪かった自慢? そんなもん急にされてもって感じだけど」
「違えよ。ていうかお天道様に見られて困るようなことは何もしてないっつの。周りからそう思われてたって話。……それにすら、気づいてなかったんだけどな」
「……今、ここで見てるのはお月様だけだけどね」
「だから懺悔してんだろ。お天道様には聞かせらんねんだよ、こんな話」
「見られても困らないんじゃないの?」
「困らなくても恥ずかしいんだよ」
「なら仕方ない」友利は薄く微笑んだ。「月の女神様が、お天道様に代わって聞いたろう」
「……今お前、まさか自分のことを月の女神とか言った?」
「やかましいはよ話せ」
まあ、別に構わないけれど。
――これでも小学生のときは、まだ普通に生きていたと思うのだ。
周囲とのずれを感じたのは中学に入ってから――いや、これも正確に言うならば、俺はそのずれさえまともに理解できてはいなかった。
普通に生きている、つもりだったから。
「友利とそう変わんねえな。興味のあることに熱中して、まあ自分では楽しくやってた。逆に興味のないことには無頓着だったのが、たぶん悪かったんだろうな。今にして思えば」
周りと合わせるということを、俺はやっていなかったのだ。
だって、自分の意志に則って生きるなんて当たり前のことなのだから。誰もがそうしていると思っていたし、だからその通りに、俺も生きているだけのつもりでいた。
「気づいたらクラスで浮いてた。仲のいい友達なんていなくて、いつもひとりだった――そのことに、俺は疑問すら抱いてなかったね。みんな自由に生きてるだけだって」
「協調性がなかったってこと?」
「近い、けど違うな。別に空気が読めなかったわけじゃないはずだし、普通にはやってた」
誰かと協力して物事に当たることはあった。雑談を振られれば答えもした。
そして、それだけだった。
それ以上のことを、俺は何もしていなかったのだ。
それが傲慢で、身勝手で、するべき努力の放棄でしかなかったことに、俺はまったく気がついていなかったということ。
普通にしていれば楽しく生きられるなんて、そんな考えは思い上がりだ。
「それを、最後の最後に突きつけられてな。ああ、俺ってずっとひとりだったのか、って。青春の楽しみをまったく手に入れてなかったんだなあ、って。そう思った」
「……別に、悪いことじゃないと思うけど」
「そりゃお前はそうだろうよ」
ある意味で、友利はかつての俺と同じ生き方をしているのだから。
そこに違いがあるとすれば、友利は周囲とも不和を作らず、上手くやれているという点だろう。
俺はできていなかった。
できているつもりで、俺は何もしていなかったということ。
「俺だってそりゃ楽しいほうがいいわけさ。だけどそれは、ただ漫然と過ごしてるだけで手に入るもんじゃなかったんだよな。当たり前の話だ。友達なんて気づけばできてるっていうけど、最初に声をかけることだって、それから仲を深めることだって、本人の認識はともかくとして――ひとつの努力であることに変わりはないと思うんだよ」
その努力を、努力と思わずにできる人間を指して、きっと主役と呼ぶのだと思う。
それは何もそいつが特別だからとか、できた人間だからってわけじゃない。
楽しいことなら苦に思わないというのは、至極単純で当たり前の理屈だと思ううのだ。
「だから、俺は何かがしたかった」
「何かが……したかった」
俺の言葉を、友利は小さく繰り返す。
俺は頷きを返して続けた。
「なんでもいい。ただ、これまで努力せずに失ってきた楽しいことをしたかった。今までそれが手に入らなかったのは、誰でもない、俺が努力してなかったせいだ。だから、これからは努力して生きようと思ったわけだ。それを教えてくれた奴といっしょに、主役理論なんてもんまで作ってな。見過ごしてきた綺麗なもんに、手を伸ばしたいと思ったんだ」
なんとなく、言い終わると同時に空を見上げた。
星に手を伸ばしても手は届かない。でも、それよりずっと身近な輝きなら、努力次第で手をかけられると俺は思った。これはそれだけの話だ。特別なトラウマだったり、何か劇的な転換点があったわけではまったくない。ありふれた高校デビューの物語だ。
「……つまんない話だ」
友利は言った。俺は友利の顔を見ず、ただ噴き出した。
「まったくだ。でも、面白い話するなんて別に言ってねえぜ?」
「……それもそうだけどね」
そんな身の上話をしているうちに、近所の公園へと辿り着いた。
特に目立つところのない場所だ。言うなれば《近所の公園》という概念がそのまま具現化したみたいな特徴のなさ。
住宅街の片隅に、人の意識の間隙に、ぽつんと存在しているだけの、忘れ去られたみたいな公園。小さな砂場と水飲み場、遊具なんて木馬がぽつんとひとつあるだけで、あとは石製の腰かけ場がふたつに、街灯がひとつに立っている。
近所の子どもたちのものなのか。誰かが忘れて帰ったのか。ボロボロの縄跳びが一本と、空気の抜けかけたゴム製のボールがひとつある。砂場には比較的綺麗なバケツもあった。
「……嫌いじゃない雰囲気だ」
俺が呟くと、友利が苦笑して答える。
「同感」
「さすが。趣味だけは合うな、本当」
俺は小さく笑ってから、揺れる木馬に腰を下ろした。まあ木馬といっても普通に金属製ではあるが。
スプリングを体重のバランスでぐわんぐわん揺らしつつ、遊具を楽しむ。
友利はそんな俺を阿呆を見る目で見てから、脇にある石の椅子を払ってから座る。足を投げ出して、股の間に両手を置いて、体重を前にかけてこちらを見ていた。
視線がぶつかる。友利は呆れ交じりに言った。
「次はわたしが話す番って?」
「言いたくないなら無理して言わせようとは思わないけど」
「先に勝手に語っといて、よく言うよ。いいよ。わたしも話してあげる」
こいつなら、まあ、そうするだろうと思ったのは事実だ。少し卑怯な気はしたが。
俺たちは天敵同士であるという、その一点をもって対等なのだから。どんなことであれターンは交代制。そのテーブルから逃げたりはしたくないと、お互いに思っている。
「友達に、なりたいんだもんね、我喜屋は。なら腹を割ってやろうじゃないの」
俺は、たぶんそれをずっと聞きたかったのだと思う。訊くべきだったの、だと思う。
「……言っとくけど、わたしの話は我喜屋よりつまらんよ?」
「いいよ、別に。つまらない話をするほうが、友達っぽい感じするだろ?」
「バカだな、我喜屋は。わたしくらい」
そんな言葉を零してから、友利はふと空を見上げた。その先に何かを見ているように、なんてたとえが正しいのかどうかさえ、思えば俺は知らないのだ。
「わたしは友達が多かったんだよね」
果たして、友利は言った。
思うことがなかったわけではない。けれど黙って、ただ先を待つ。
「でも、親友だと思ってたのはひとりだった。いい子だったよ。弱気で、正直わたしとはぜんぜん違う性格だったけど、ふたりきりのときはよく話をしてくれた。ほら、わたしはまあ割と昔から、こんな性格だったから。女の子っぽいその子が憧れでもあったんだ」
親友、という言葉を聞いて、俺も思い出す存在がひとりだけいた。
奴をそんな風に呼んだことは一度もないけれど。今となっては旧友だとしても。
「ただ、なんだろ。その子はほかに友達いなかったんだよ」友利は言う。「だけどわたしがいればいいって、そう言ってくれてた。迂闊にもわたしはそれが嬉しかった。特別なんだって、そんな風に思ってた。だからその子に尽くすのも、当然だと思っちゃってさ」
「……尽くす?」
「そ。いろいろ言われたよー。どこどこに遊びに行こうとか、何々を買いに行こうとか。放課後はあそこに寄って遊んで帰ろうとか。趣味は共通にしようとか。いや、ぶっちゃけあんま趣味合わなかったんだけどね。でもまあ、ふたりでいる分には楽しかったから」
その何が悪いというのか。瞬間、俺にはわからなかった。
ただ、友利がその思い出を間違いなく失敗談として語ろうとしていることは明白で。
「――だけど。別に、わたしの友達はその子だけじゃなかったんだよ。その子にとってはわたしだけが友達だったけど、わたしは違った。わたしはほかにも付き合いがあった。何度か断るうちに、向こうも躍起になってさ。友達なんだからいいでしょ、友達なんだからいっしょにいてよ――そんなことを繰り返すようになってた」
「……ああ。そうか」
「話が見えた? ま、そういうこと。その子にばっか合わせてらんないじゃん? だけどあの子は納得しなかった。付き合いが悪いとか、さんざ詰られたよね。いや、詳しい話はしないけど、別に。もっとも面白くなくなっちゃうし。だから、最後にその子に言われた言葉だけ、まあせっかくだし? 我喜屋には教えておいてあげよう」
訊ねた責任として。
俺は言う。
「なんて言われたんだ?」
「――友達だと思ってたのに、裏切り者」
それを聞いて。答えられる言葉が、きっと俺にはいくつかあったはずで。
だけど俺は何も言わない。何も言えなかったのだ。
友利が、それを下らないことのように笑い飛ばしていたから。
「言っとくけどトラウマになってるとかじゃないよ? 普通に思ったもん。いや知らねえっつの、友達だからなんだよ、全部何もかも付き合えってかよ、うるせえこのバーカ――そのくらいに、普通に思ったよね。うんざりだったし、だからもう連絡も取ってねーや。進学するのをいいことに、独り暮らし始めて関係切った」
「……、……」
「なんかもうさ、全部、面倒臭くなったんだよね。なんでわたしの時間を。友達って名の他人にここまで費やさなきゃならないんだって。だったらわたしは脇役でいいって」
「……だからか」
「だからだね。だからだけじゃないとしても」
「なんか……まあ、そうだな。いろんなことが腑に落ちた気はする」
「ならよかった。いや、よくはないか、別に。まあいいや」
「いや、なんだそりゃ?」
俺は笑って、釣られるように友利も笑ったが、たぶんその笑いに中身はなかった。
というか結果的に、今の話は俺の《友達になってほしい》という誘いを、遠回しにお断りする内容だったのではないだろうか。
少なくとも俺の言う《友達》と、友利の言うそれでは中身が違いすぎる。
腹を割って話したことで、出た結論が《相容れない》では変化がなかった。
――俺は、それでは、嫌なんだ。
だからこそ言う。言葉を、行動を躊躇わない。俺の信じる主役は、ここで諦めるような奴を指す表現では絶対にないから。
何を言えばいいのかなんて俺はわかっちゃいなかった。友利を説得するに足る論理など何ひとつ浮かんでいない。
こいつの哲学に、太刀打ちできるだけの根拠を持っていない。
だけど、そう。もう友利がどうとかなんて関係ないんだ。
相手がどうじゃない。ここで俺が自分を曲げることだけは、主役理論者として認められない――これはもう、そういう話に変わっている。
俺の主役理論でもって、友利の脇役哲学を倒すための、戦いに。
「……俺は、ずっと脇役にすらなれなかった人間だ」
モブどころか背景だった。ただ在るだけで、在ることに意味のない空気のような存在。
誰ともつるまないから不良なんじゃないかって噂をされることもあったけれど、だからといって何が変わるでもない。そこに存在する意味がなかった。
俺は、ただ俺だった。
「それが嫌で主役に変わった……いや、主役を目指したんだよ。その場にいることに意味があるような、誰かにとって意味を持てるような存在に。そうすることで、きっと自分の意味を自分で認められるようになれるはずだって。自分の人生の主役になれるって」
「わたしは、そんな風には思わない」友利はまっすぐに答えた。「わたしは脇役がいい。誰かに煩わされるような生き方をしたくない。どんな物語にも入りたくない。脇役だって、自分の人生の主役なんだから。だったらわたしは、そんな人生を楽しんでいたい」
「……わかるよ」俺には、嘘はつけなかった。「お前の言ってること、正直、正しいと思う。友達がいることをいいことだっていうけど、いないことが悪いわけじゃない。別にひとりで生きられる奴は生きられるんだ。それは責められない。人間関係が必ずしもいい結果を生むわけじゃないなんて誰だってわかってる。それでも拒絶できないなら、上手い距離を取ろうと誰だって考える。友利の言ってることは当たり前ですらあるさ」
「なら、話は終わりのはずだよ。いや、そもそもわたしたちはそんなことわかってた」
「だけど友利、だったら聞かせろ。――なんでお前は、俺との同居を受け入れた?」
「……、……」
初めて、友利から答えが返ってこなかった。
俺は重ねて言葉を続ける。
もう考えてなんて喋っていない。ただ思いついたことをそのまま言っているだけだとしても、止まる気はなかったし、そもそも止まれない。
「なんで最初に宣言してみせた通り、俺と距離を置かなかった。なんで遊びに誘ってその場に来た? それは――本当ならしなくてよかったことなんじゃないのかよ」
「……理由なら言ったでしょ」友利は無表情に変わる。「同居したのは都合がいいと思ったから。実際、お互い便利だったでしょ? 家に招いたのはあんたの勝手だし、遊びの誘いを受けたのは……わかるでしょ。もうやめようと――もう、切ってやろうと思っただけ」
「嘘だ」
直感的にそう言い切ってしまったことに、友利が鼻白んだように狼狽える。
彼女が立ち上がるのが見えていた。俺も自然とそうなってしまう。
「嘘って……何それ。そんなこと言われたくない。わたしは、嘘なんて言ってない」
「いや、うん。まあそうだな。すまん、嘘ってのは言いすぎた」
「謝んのかよ……いや、ならいいけど」
「でもそれだけじゃない」俺は首を振る。「お前はそれだけの理由で、俺に付き合ったりはしない。そういう風に信じてる。ならそれ以外の理由があったはずだ。何か」
真矢さんに言われたことを思い出す。
友利は、いったい何を期待していたのかという問いだ。
その答え合わせを、今、ここでしよう。
「お前は、アレだろ。自分で好きなように生きたい。だから人間関係は最低限でいいって言ってたな。それに俺は、人間関係の悪い部分しか見ていないと、確かそう答えた」
「……あったね、そんなことも。それが?」
「あれは訂正する。すまん。お前がそんな奴でもないことは、見ててわかった」
ふたりで暮らしてきたのだから。
そんな風に、一方的に関係を断てるほど友利が冷酷じゃないことくらいわかる。
もしもそれができるなら、友利は独り暮らしをするから、なんて言い訳を作らなくてもかつての友人を切り捨てることができていた。
わざわざ遊びに誘われて、その上で雰囲気を悪くして次から誘われないようにする、なんて遠回しなことはしなくてよかった。
だいたい、それすら中途半端にしかできていなかった。
――友利は、人間関係に絶望しているわけじゃない。
「そりゃ、俺はお前のこと、まだちゃんと理解してねえよ。――だけどな、友利。それでもこの二週間に限って言えば、俺以上にお前を見ていた人間なんていないはずなんだよ」
「……同居、だから?」
「そういうことだ。だからわかるんだ。お前、そんな酷い奴になりきれねえよ。脇役哲学なんて言い訳を用意しなくちゃ、ひとりでいることもできないんだ、お前は」
たとえば初めて会った、あの教室での朝のように。
器用なようでいて、こいつがどこまでも不器用なのを俺はちゃんと見ていたから。
「結局、何が言いたいの?」
友利は言う。まっすぐな表情で俺を見据えて。
怒っているのか。悲しんでいるのか。呆れているのか。あるいは――。
どこまでも無色に透徹した彼女の表情から、その内面を窺い知ることなどできない。
だが、そんなことはそもそも当たり前の話なのだ。
友達だろうと、同居人だろうと天敵だろうと、あるいは家族だろうと恋人だろうとなんだろうと、自分ではない誰かの心を、本当の意味で確認することなんてできないのだから。同情も共感も感情移入も、全て思い込みに過ぎない。
それを、お互いに共有していると信じることを、関係と呼ぶのだ。
それを、俺は尊いと思う。
「我喜屋の言いたいことがわからない。だとしたら、わたしはなんでそうしたの?」
だから思い込もう。
俺の信じる友利叶という人間。それが正しいとしてしまえばいい。
傲慢でも、増長でも、俺は友利を信じている。それを押しつけてもいい相手だと思っている。そういう関係になりたいと、心の底から願っている。
――だって、俺たちはそれを《友達》と呼ぶから。
俺は彼女にこう告げた。
「友利。お前だって――本当は友達が欲しかったんだろ?」
それが俺の、理論を辿って着いた答え。
さあ、採点の時間だ。
「な――何言って。わたしは、友達をなるべく作りたくないって――」
「言ってない。お前はそんなこと言ってなかった」俺は友利の言葉を封殺する。「似たようなことは確かに言ったかもな。でも真意は違う。お前は、煩わされるくらいならいなくていいと言ったんだ。なら――本当に気が合って、お互いの楽しみを共有できて、これ以上ない親友と呼べるほど最高の相手なら――そんな友達なら、欲しいってことなんだろ?」
「――――!!」
友利の表情が歪んでいた。
わかるよ。俺にはお前のことがわかる。今なら自信を持ってそう言える。
「そうだよな。言えねえよな、こんなこと。だってあり得ねえもん。そんな最高の相手が、自分の願望を全て押しつけられるような理想が、手に入るわけないんだから」
そりゃそうだ。そんな都合のいい関係はこの世に存在しない。
それこそ鏡の向こうの自分にだって、自分じゃないという時点で不可能な理想。
まして友利は親友だと思っていた相手に裏切られている。
いや、向こうから見れば、裏切ったのは友利ということになるのだろうが。そんなずれが出ている時点で自明だろう。
この世に、本当の意味での共感なんて、きっと存在してはくれない。
「だけどお前は期待した――期待してくれたんだろ、俺に。理想通りどころか正反対ではあったけど、それでも理解ができるなら、あるいは手が届くかもしれないって」
あり得ないとはわかっていても。
もしかしたら。
友利叶と我喜屋未那なら。
あるいは――同じものを分かち合えるのではないかと期待してくれた。
「……よくも、そんな、恥ずかしいことを……」
友利は否定も肯定もしなかった。俺は笑う。
「だって俺も同じだから」
「同じ、って――」
「たぶん、俺もお前に期待してた。こいつなら、もしかしたらいっしょのものを見られるかもしれないって。ま、でなきゃ会った初日で同居はないわな」
理論を、哲学を――お互いに押しつけようとしたのはそれが理由だ。
そもそもの出だしがその場所だった。
この相手なら。もしかしたら、自分の考える理想を共有できるのではないか、と。
ただ逆方向に向かっただけなら、起点が同じなら、道を変えてくれるのではないかと。
「でも、まあ――無理だったよな」
俺は小さく笑う。
そのバカらしさに、友利もことさら否定せず頷いた。認めた。
「……だね。そんなの無理だってことくらい、最初からわかりきってたはずなのに」
「だから、元に戻そうとしたんだろ」
「だから、元に戻そうとしたんだよ」
「だけどな、友利」だったら。「だったら俺たちは、まだ、諦める理由はないはずだぜ」
「……それは、どうして?」
俺の言葉を友利が聞く。
俺が友利に言葉を聞かせる。
「お互いに納得はできなくても、少なくとも理解は十全だ。だいたい、違ってることは別に否定することじゃないだろ? むしろそのほうがいいって話だ。個性なんてぶつかってなんぼだって、よく言われてるぜ。実しやかに」
「受け売りの上に信じてないじゃん……」
「そんなもんだろ。俺たちまだ高校生なんだぜ? わからないことのほうが、わかることよりよっぽど多いんだ。何かに見切りをつけるなんて、そんな達観は早すぎる」
「……だから我喜屋は主役を目指した?」
「ああ。これまで見てこなかったもんに手を伸ばした。それが素晴らしいもんだってことはすぐにわかった。でもな、友利。その中には、もう――お前だって入ってるんだ」
だから、と俺は手を伸ばす。
友利に向かって、まっすぐに。
「――まだ答えなんて出てないんだ。なら、それまではお互い協力していこうぜ。別段、言うほど俺たち、お互いが邪魔になるようなことねえよ。少なくとも俺はお前が言うほど、お前を邪魔になんて思ったことはなかった。お前はどうだ、友利。――俺は邪魔か?」
友利は答えた。
「その質問は卑怯だよ。答えない」
「そっか。ま、確かにな」
俺たちの同居の前提は、お互いがそれを嫌だと思わないこと。
友利がそれを拒否しないのなら。壁を再構築した理由が俺への遠慮だというなら。
「なら、俺たちはまだいっしょにいられる」
「……そう、かな?」
「そうだって。お前は、お前の思う通り脇役を目指せよ。それでいい。――だから」
だから。
俺は。
「――俺は、お前という脇役がいる物語の主役になる」
恥ずかしいことを、口にする。
それが俺の信じる主役理論だから。
それが、俺の望みだから。
「本当……自分が自分がって、勝手なことばっか言うんだから」
そう言って、友利はこちらへと歩いてきた。
俺は、ただ笑った。
「それが目的だったんだろ? たとえ考えが違っても、勝手な意思を押しつけ合えるならそれでいい。お前の理想とは違うだろうが、及第点には充分だ。いや――」
「……そうだね。意見が合うだけじゃ、確かに面白くないかもだ」
なぜなら俺たちの共同生活は、どこまでも楽しいものだったから。
馬が合っても気は合わず、理想なんて程遠いすれ違いが楽しかったと証明されている。
――なら、それは俺が望んだ青春だ。
「まあ、そっちのほうが都合がいいのは確かに事実、か。単純に生活の面でも、お互いの目的を達成する上でも、協力者がいたほうがいいってことでしょ?」
「そうだな。だから結論としちゃ、最初のときの焼き直しでしかないわけだが……」
「――それは違う」
握り締められた右手を、彼女は俺のほうへと向ける。
だから俺も、手を握り込むことでそれに応えた。
なるほど握手なんぞをするより、確かにこのほうが俺たちらしい。
「あのときは、わたしたちは友達ですらなかったけど。でもこれからは、ちゃんと友達になるんだから。だから我喜屋の言った通り。……いや」
小さく、友利は首を振って。
「未那が言った通り」
「――――!」
「その恥ずかしい台詞に騙されて、まだしばらくはいっしょにいてあげることにしよう」
だから俺も、その言葉には笑って答えよう。
別に、それで構うまい。
青春なんて恥ずかしいものだ。俺たちは、恥ずかしいことを進んでしよう。
「改めて。これからよろしくな、叶」
「――おうよ、未那」
俺たちは、こつりと拳を打ち合わせる。
手は繋がない。向き合って、真正面から相対して、打ち合うくらいがちょうどいい。
恥ずかしい喧嘩で部屋の壁をぶち壊し、作り直した壁さえ恥ずかしい顛末で二度壊し、誰もいない公園で、心底恥ずかしい暴露大会に励んで。
どこまでも痛々しい青春を、俺たちは、壁の向こうに見つけたのだ。
――だって主役と脇役が、友達じゃダメなんて決まりはないだろ?
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