1-21『その壁の向こうに2』

 で、まあ、何。

 とりあえずお互い落ち着こうぜ、ということで俺と友利は合意を得た。


 その際「まあ俺は落ち着いてるけど」「別にわたしもぜんぜん落ち着いてるから」「いやその格好で落ち着いてるのはおかしくない?」「我喜屋こそいきなり妙なこと言っておいて落ち着いてるは無理あるでしょ」とかやり取りがあったが、もう面倒臭いので忘れる。

 真矢さん。俺たち喧嘩してないって言ったけど、あれ訂正します。

 小競り合いは常にしていました。


 そんなお決まりじみてきた会話もいい加減そろそろアホらしくなってきて、ひとまず俺たちは小休止を挟んで、それから改めて話をしよう、という流れになったわけだ。


「つーわけで、お前はまず服を着ろ」

「えー。別に上から何か羽織ればよくない?」

「ねえなんで? なんでお前はそんなに体を見せびらかそうとしてくるの? 裸族なの?」

「見せびらかそうとはしていない」

「じゃあ着ろ。着れ。頼むから着れ。でないと俺がキレそうなんだけど」

「なんでキレるんだよ……それはおかしいでしょーに……」


 明らかに不承不承といった体ではあったが、なんとか友利に服を着せることに成功した。

 いやおかしいだろ、お前のほうがよっぽどおかしいよ。なんで嫌そうなんだよ。

 俺に下着姿を見られることのほうを嫌がってくれよ、頼むから。


「だってなんか我喜屋に向かって恥ずかしがってみせるの癪だし」

「やかましいわ」


 妙なところにプライドを見せる友利に、プライドをかなぐり捨てて頼み込む俺。

 おかしいな。なんか、こう、思ってた感じとぜんぜん違うんだけど……。

 釈然としない気持ちを抱えたまま、なんとなく顔を背けて友利が服を着るのを待った。

 友利がまともな格好に持ち直したところで、改めてふたり、卓袱台を挟んで向き合う。


 ぶち抜いた壁の、境界線上で。

 真ん中に置いた卓袱台を挟んで向き合う俺たちは、傍から見ればきっと滑稽だと思う。


「……とりあえず、コーヒーどうぞ。冷めないうちに飲んでくれ」

「それ、気遣いじゃなくて、冷めて味が下がったらちゃんと評価できないからだよね」

「わかってるなら言わなくていいから飲めっつってんだよ、面倒臭えな」

「それだけは我喜屋には言われたくない……」

 えーからはよ、と俺は視線だけで卓袱台の向こうの友利を促す。

 友利はちょこんと小さく正座したまま、

「じゃあ、……いただきます」

 妙におっかなびっくりと、カップを両手で抱え込んだ。ふぅふぅと、息を吹きかけ熱を冷ましている友利を見届けてから、俺も自分の分のカップに手をつける。


 いただきます。

 ずずっと、そのひと口目を喉に流し込んだ。温かな温度が、馥郁たる香りが、体の中を通り抜けていく。……なるほど。

 そこそこいい豆を購入しただけあって、素人が作ったにしてはなかなかの出来だ。が、


「……ほのか屋のほうが美味しい」


 カップから口を話して、こちらを見据える友利が言った。


「おい。比べる対象がこくすぎると思うんですけど?」

「だってそうでしょうが」

「……まあ、そりゃそうだけど」


 特に俺なんか、ついさっき飲んできたばかりなのだから。その差は、俺の舌でもわかるほどに歴然としていた。いや、インスタントや缶コーヒーよりはだいぶ美味いけど。

 さすがに趣味人・友利を唸らせるほどではなかったらしい。

 まあ、そりゃそうだが。

 それは追々としよう。俺はふた口目を喉に流す。

 と、そこで友利が言った。


「――でも。思ってたよりは、悪くないよ」


 俺は思わず目を丸くした。そんなことを言われるとは露ほども想像していなかったからだ。まさか友利が、こういうことで譲歩してくれるとは思っていなかった。

 きょとんと前を見た俺に、正座の友利がちょっと唇を尖らせて不満そうに続けた。


「あによ?」

「いや……まさかデレるとは思わず」

「デレてねーよ」刺すような視線に早変わりの友利。「ただ、まあ、アレでしょ? 一応、作ってもらったわけだし。感謝したってバチ当たんないじゃん。……だから、ありがと」

 それだけ言うと、友利は俺から視線を逸らしてしまった。

 俺は、さすがに少しばかり狼狽える。

 なにせさきほど、めっちゃ恥ずかしい宣言をしたばっかりなのだから。

 よりにもよって友利を相手に、しかも《友達になってほしい》である。そんなこと言ったこと自体が何年振りかというレベルだったし、しかも友利。相手が友利!

 正直そこがいちばんキツい!!


「…………」


 思い出したらまた顔が赤くなってくる気がして、誤魔化すようにカップを口へ。


 くそ、なんかムズムズする。

 だいたい友利は、さっきの宣言をいったいどう受け取ったのだろう。気になって仕方がなかった。ああもう、こんな風に落ち着いてコーヒー飲んでる場合じゃねえのに。

 オーケー、そろそろいいだろう。主役理論を思い出せ。

 何かがあれば口を出す。

 言葉を止めない。

 それが俺の選んだ在り方だったはずだ。

 意を決して、俺は再び友利へと声をかけるべく口を開いた。


「――あの」

「ねえ――」


 被った。またこのパターン。


「……………………」

「……………………」

「なんだよ」

「そっちこそ何さ」

「いいよ。お前から言えばいいだろ」

「いいから。そっち先言って」

「なんでだよ」

「何がだよ」


 ていうかこの感じがなんだよ! 無性に恥ずかしいから被るのやめてくれ。

 くっそ、なんでこういうところばかり同じなんだか。本当に、やりにくいったらない。


「ああああ、もうっ!」俺はがしがし頭を掻いた。「わかった! 埒が明かん、俺から先に話す。壁ぶっ壊したのは俺だしな。なら、俺から言うのが筋ってもんだ、確かに」

「そもそもさっき自分から話すって言ってたじゃん」

「うっさいな。ちょっと間が空いたらなんか微妙な感じになっちゃったんだよ」

「だいたい、よく女の子の部屋の壁を壊せるよね、当たり前みたいに」

「だーからうっさいっつーの! 俺から話すってことになったんだから静かに聞けや!」


 ひと息。間を空けて、俺はすっと立ち上がった。

 低い位置からまっすぐに突き刺さってくる友利の視線。負けじと正面から見つめ返し、何度目かの覚悟を決めて俺は言う。

 大丈夫、いちばん恥ずかしいことは最初に言った。

 これは本来、とっくに言っているべきことだったのだ。遅らせた俺が全て悪い。


「……その、なんだ。悪かったよ」

「は?」


 友利は言った。


「……はあ?」


 二回も言った。

 なんで煽ってくんねんこいつ、と俺は友利を睨んだが、どうも友利は本気で俺の言ったことを理解していない様子だ。


「え、ごめん……何が?」

「何がって、まあ、……いろいろだけど」

「いろいろって」

「たとえば――それこそさっき言ったことだよ。お前、そりゃ、女子だもんな」

「いや、何言ってんの?」

 友利の発言がいちいち釈然としない、が俺もいちいち気にしない。進まない。

 そもそも俺は、謝っている側なのだからして。

「お前、あれだろ。寝るのいつも遅いだろ。……あれ、?」

 初めて。そこで友利のリアクションがなかった。

 答え合わせだったと俺は受け取る。だから言葉をそのまま続けた。

「まあ、そりゃそうだよな。俺の考えが足りなかった。見ず知らずの男と、いきなり同棲なんてすることになって、そんなもん当たり前に考えてよな」


 友利叶と、我喜屋未那は似ている。それは確かに事実だと思う。

 けれど、。わかっているはずで、俺はそれを何もわかっちゃいなかった。

 単純に、まず性別が違うということさえ意識していなかった。

 友利はずっと、俺のことが怖かったに決まっている。

 だから友利はずっと夜更かしをしていたのだ。より正確に言うなら、ということ。俺より先に眠ってしまうことを、彼女は恐れていたから。


 相手が友利でさえなければ、そんなことは最初に気づいていたはずのことなのに。

 当たり前のことだったはずなのに。


「だから、すまん。考えが足りてなかった。無神経だった。そのことだけは、まず最初に言っておかなきゃならんと、思った。……ごめん」

「……ぇ、あ。あー……」


 頭を下げた俺に、友利は呻くような声をあげた。

 それから言う。


「……わたしこそごめん。それは、本当に。気づかれてたとは思わなかった」

「気づいてなかったよ。正直、本当についさっきまで」

 友利があえて煽情的な姿を取っていた理由のひとつには、たぶん俺を試す意味合いが含まれていたのだと思う。

 まあ、単純に性格的な面も多くあったことも事実だろうが。だとしても、俺がそこにまったく配慮していなかったのは問題だ。

「違う。……ごめん、顔上げて。それは謝ってもらうようなことじゃない」

 だが友利は言う。どこか焦っているかのようですらあった。

 言われて顔を上げた俺が見たのは、くしゃりと表情を歪める友利の表情だ。そんな顔は初めて見たから、俺は思わず息を呑んでしまう。

 友利は、ほとんど泣きそうに見えた。

「ていうか、謝られても困るよ。それは、わたしが悪いんだ」

「……え。いや、なんで?」

 今度は俺のほうがきょとんとしてしまう番だった。

「な、なんでって……」友利は困ったみたいに眉を寄せる。「だって、同じ部屋で暮らそうって先に提案したのはわたしなんだよ? なのに、そんな、我喜屋を信じなかっただけのこと、そんなの、だって……どう考えてもわたしが悪い。無神経なのはわたしだ。別に、こんなの男か女かって問題じゃないじゃん。人間同士の話じゃん。だって、疑えることはほかにもあったんだ。金目のもの盗まれるかもとか、そういう警戒、しててもよかった。ううん、して普通だった」

「……そう言われても」

「でも我喜屋、んだもん。ぜんぜん警戒しないし、こいつ実はすげーバカなんじゃないのかとすら思った」

「そうは言わなくても……」

「だよね。ごめん――わたしも、我喜屋と同じこと考えてたはずなのにね。信じたから、部屋いっしょにしてもいいって考えたはずなのに。だけどわたしは、最後までは信じられなかった。つーかこいつわたしのこと信じすぎだろって、それだけで逆に疑った」

「……懺悔してもらってるとこ悪いんだけど、お前ちょくちょく俺をバカにしてるだろ」

「実はしてる」

「はは。素直かテメエ。ぶっ飛ばすぞ」


 そこまでを言って。

 お互い、顔を見合わせて――それからいっしょに、思わず噴き出す。


 つまるところが、きっと揃ってバカだったと。

 これはそういう話なのだろう。


「なんだろな。我喜屋が主役理論がどーとかアホなこと言い出したときに、わかった気がしたんだよ。ああ、我喜屋はきっとバカなんだなあって」

「言っとくけども俺もだからね? 初対面でいきなり脇役哲学が云々とか言ってケンカ吹っかけてくるから、やべえこいつ相当やべえバカだと思ったからね? マジで」


 思っちゃいなかったんだろう。俺たちは。

 こんな大バカが、まさか自分以外にもいるだなんてこと。そいつが同じクラスで、同じバイトで、しかも隣の部屋だなんて。そんな奇跡みたいな偶然に遭遇して。

 その劇的さに、物語性に、主人公みたいな境遇に。


 ――きっと、ただ舞い上がってしまっていたのだと思う。


「だから、なんだろうね。同じ部屋に住んでも、そんなの普通じゃないってわかってても、我喜屋なら別にいいかなって。たぶん、最初に思ったんだ。思ったのに、いざ始めてみたあとで、やっぱり怖くなっちゃうんだから――わたしも割と勢いで生きてるバカだ。その点、さすがに、我喜屋のことは言えないね」

「まあ俺も正直かなり勢いだったけどな。青春っぽいとはなぜかまったく思わなかったし、ただお前を主役理論に巻き込んでやろうとか考えてただけで。なんかすぐ忘れたけど」

「バカだよね」

「バカだな」

「うん。でも、だからこそ」


 と、友利はカップを卓袱台に置く。

 そして、正座をしたまま、立っている俺を真っすぐに見上げて。

 彼女は言った。




「――このままこの生活を続けるわけにはいかないことも、わかるはずだよね?」




 結局、話はそこに戻る。

 俺たちはただ、これまでの生活についての清算を、反省を済ませただけだ。禍根になり得るものを潰しただけ。その先に、どう続くかの話はまた別だった。


「正直に言うよ」友利は、言った。「せっかく恥ずかしい宣言をしてもらったから、だからわたしも、たまには正直に返すけどさ。――悪くなかったよ、この生活」

「……友利」

「てか、うん、楽しかった。いろいろ迷ったり、なんでわたしはあんなこと言っちまったかなあと頭を抱えたこともありましたが。ええ。でもまあ、うん――


 ――だけどさ、と友利は続ける。

 俺は、その言葉を黙って耳にしていた。


。だって、この楽しさは違うから。わたしが求めたものでも、我喜屋が求めてたものでもない。お互い、ただ、なあなあで譲歩しただけの楽しさだ。でも、それは徹底できてないってことでしょ? わたしたちは、


 もともと、そういう話から始まった同居生活だった。

 俺は自分の主役理論を。

 友利は彼女の脇役哲学を。

 お互いに共有し、披露し合うことで相手を巻き込もうという約束で開始された生活だ。


 だが、その建前は今や機能していない。俺たちは嫌というほどに、お互いが相容れないと知ってしまっている。

 この同居生活が続いたのは、ただ、それ以外の部分で馬が合ったからに過ぎない。当初の目的は失われ、別の意味だけを価値としてしまっていた。

 その安易な気軽さに。

 同居の快適さに。

 納得はできずとも、理解してくれている相手の存在に。

 ぬるま湯のような心地よさを感じてしまって――俺たちは目的を見失った。

 友利は言う。


「わたしがいるせいで、我喜屋はほかの友達に踏み込めないでいる」


 俺は答えない。


「我喜屋がいるせいで、わたしは面倒なことに巻き込まれてしまう」


 そして、それをお互いによしとしてしまっていた。

 ほかでもない。それは単純に、ただ、お互いがということ。


「だから、もう、やめよう。この生活を続けても、わたしたちはお互いの目的を達成できない。いや、できないだけならいいよ。でもいつか、できないことに満足してしまうかもしれない。それを認めてしまうかもしれない」


 今の生活をよしとして。

 自らの理論を。

 哲学を。

 捨て去ってしまうときが、あるいは訪れるのかもしれない。


「もしかしたら、我喜屋はそれでいいのかもしれないけど。でもわたしは違う。わたしはダメだ。勝手なこと言って悪いけど。わたしは――その想像には、耐えられない」


 友利が語り終わるまで、俺はその言葉を、ただ黙って聞き続けていた。

 言いたいことは、とてもよくわかる。俺たちの間に流れる理屈は共通している。友利の言葉は、少なくとも、俺を納得させるには充分すぎるものだった。

 だからこそ、俺は答えなければならない。


「お前の言いたいことはわかった。確かに言う通りだとも思う」

「……うん」

「だから返答しよう。――嫌だ。断固拒否する。俺は、絶対に、嫌だ!」

「うん。……ん? え、おう、……うん? あれえっ!?」


 混乱する友利であった。

 珍しくも、なんだか無闇に辺りをきょろきょろと見回し、手許のカップを取って、なんとなくそれに口をつけて、ほっと息をつき、再びカップを置いて、それから俺を見て。


「――いやなんで!?」

「お前こそなんで今ひとりでコントやったの?」

「そういう話じゃなくてだ!」狼狽えた様子の友利だった。「あ、あれえ……? わたし、なんか日本語間違ったかな? わたしの言ってること、もしかして、伝わってない?」

「伝わったけど」

「なら――」

「――けどそれは、、だったらの話だろ」


 そう。友利の理屈は一見完璧だが、明確な瑕疵がひとつある。俺はその点を突く。

 確かに正論だ。ほかの生き方を選べない以上、関係を解消して元に戻すというのは理に適っている。それが、たったひとつの冴えたやり方だと、そう思えてしまう。


「だけど違う。だって、


 友利は、俺との関係を完全にリセットしようとした。だから壁を再構築した。

 あの日、街へ出かけたときに黙り込んだり、自分の意志を押しつけようと振る舞ったのもそうだ。

 友利はただわがままに振る舞ったわけじゃない。

 こいつは、そんな奴じゃない。

 そうすることで、全ての関係のリセットを図ったのだ。

 たとえ嫌われても、厭われても、そのことで元に戻れるのなら構わないと。友利はそう考えたから行動に移した。


 だけど、友利。それは違う。それはできないんだ。

 ゼロだった状態とは違う。俺たちは、もうお互いを知っている。

 一度は知ってしまった以上、今さらゼロには戻せない。それではもうマイナスだ。

 それでは困るんだ。


「最初は俺もそう思った。お前とは関わらないほうがいいとすら考えてたよ。だけどな、もう俺はお前を知ってるんだ。


 その蜜の味を知りながら。

 お預けなんて、耐えられない。


「だから嫌だ。理屈じゃない――理論でも哲学でもない。ただの感情論で俺は言う。俺はもう、お前がいない生活なんて耐えられない」

「――なっ」

「だって俺の主役理論に、俺の青春に、もうお前は組み込んじまったあとなんだよ。俺はもう、この先もずっと、お前といっしょにいたいんだ」

「んな、や、ちょ……うえぇ!?」


 友利が盛大に狼狽えているのが見て取れた。

 あらぬ方向を見たり、俺の顔を見直してみたり、かと思えば赤くなったり。何やら実に忙しい。


「なんだよ、さっき俺が言った恥ずかしい台詞、まさかもう忘れたのか? 言っただろ、俺はお前と友達になりたいんだ」


 そうだ。俺たちはまだ、

 その過程をすっ飛ばしたみたいに、同居人という前提が先に来てしまった。

 天敵という認識だけが先行してしまっていた。

 それが、そもそもの間違いだったのだ。


 まずは、きちんと、俺たちは。

 段階を踏んで、友達になってみるべきなんだ。


「……いや」友利はなぜか、どこか戦慄したみたいな表情を見せる。「さっきの台詞より、明らかに恥ずかしいこと言ってますけど、我喜屋さん……」

「……ん? え、マジで? どれ?」

「素ぅ!? あ、えー、そうきたかー……この主役男ってば始末に負えねえー……」

「何言ってんだ、お前?」

「完全にこっちの台詞なんだけどなあ……」

 はあ、と溜息を友利は零す。それからかぶりを振って言った。

「……まあ、我喜屋らしいといえばらしい、かもね」

「さっきからなんの話をしてんだ、お前」

「わかんないならいい。それよりさ」


 改めるように、友利はまっすぐに俺のことを見つめた。

 俺もそれをまっすぐ見返す。言われる言葉には、けれど検討がついていた。


「――我喜屋の感情論はわかった」

「ああ」

「なら、我喜屋もわかってるとは思うけど――わたしが、それに従わなきゃいけない理由は? 今の話を聞く限り、そんなものはひとつもなかったと思うけど」


 さすがは友利、話が早い。その通りだ。

 今のは俺の感情論。俺が嫌だというだけの話で、友利がそれに従う理由はない。

 いや、むしろ彼女は、そういうことをやめようと言っていたわけで。

 彼女が嫌だと言えば、話はそこで終わる。この同居は、あくまでお互いの同意があって初めて成立するものなのだから。

 どちらか一方でも拒否すれば、その先などない。


「ないよ」俺は正直に答える。「そんなものはない。言わなかったわけじゃない。本当に、どこを探したって存在しない。お前が、俺に従わなきゃいけないなんてことは、ない」

「……なら、話はここで終わりだけど? わたしが嫌だって言えば、それで終わり」


 それでいいのか。友利の視線が俺に訊ねている。

 無論、それでいいわけがない。だから俺は、友利に告げる。


「――出かけようぜ」

「待って」友利のリアクションは早かった。「待って。もうちょっと待って本当。何? 今、何がどうなってそこに話が飛んだの。さすがのわたしもわからんぞ?」

「だって俺、思えばお前とどっかに出かけたことなかったし。友達として。だからまず、そこから始めてみないかっていう、これは提案。ただのお誘い。断るのは自由」


 断られたら困るけれど。

 俺は、それでも友利に手を差し伸べて、ただ訊ねる。


「――遊びに行こうぜ」


 友利はしばらく、差し伸べられた手を無言で眺め続けていたが。

 やがて、諦めたように息をつくと、俺の手を取って立ち上がってくれた。


「……何考えてんのかわかんないけどさ。ま、今日くらいはいいってことにしてやろう」

「ん、サンキュ。てか、お前ってやっぱ意外と付き合いいいよな」

「うっせー。んで、出かけるってどこ行くの?」

「――あ」

 俺は答えに詰まった。

 友利はジト目で俺を見据える。

「おい。おい我喜屋くん? その反応はどうした?」

「……ええと」

「まさか。まさかとは思うけれど、そこは考えていなかったとか言わないよね?」


 考えていなかった。

 まったく考えていなかった。

 え。どうしよ。そもそもこんな時間からどこ行きゃいいんだ。

 しばらく迷った末、俺は絞り出すように小さく呟く。


「……えーと。近所の公園、……とか?」

「いや。いやまあ別にいいけど。何しに行くわけ?」

「それは決まってる」


 俺は友利の手を離し、自宅の鍵を持って、それから笑った。

 だって、これから友達と遊びに行こうというのだ。やることなんて決まっている。




「――青春を、しに行くんだよ」




 友利は、噴き出すようにこう言った。


「……恥ずかしい奴」

「放っとけ、バカ」

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