1-20『その壁の向こうに1』

『ああ。もしもし、ぼくだよ。未那から電話を掛けてくるなんて珍しいじゃないか。ああ、どうした、とは訊かないよ? 何かあったに決まっているし、未那のことだ、どうせ何かやらかすに決まっていたからね。いつか掛けてくるとは思っていたよ。もし予想外があるとすれば、こんなに早いとまでは思っていなかったというくらいかな――いやいや、別に貶めようと思って言っているわけじゃない。むしろさすがと言いたいくらいだね。それでこそ未那だ。皮肉じゃないよ。皮肉だったら皮肉だって言うぜ、ぼくは。もっとも未那に皮肉を言うほどの時間の無駄遣いもないけれど。まあ時間の無駄遣いとはイコールで娯楽だとも言える。そう考えれば、何、楽しんでみるのも悪くないだろう? そう、大丈夫。今のは皮肉で言ったとも。でも本心だからね。ぼくは君に言いたいことを遠慮なんてしないのさ。なぜって? 決まっているだろう、それはぼくらが友達だからさ。たとえ離れ離れになったとしても友情は続く。それをお互いが望んでいる限りは、ね――さて、ぼくは、つまり今も君に友情を感じているということだ。ん? いや別に恥ずかしいということはないさ。だってぼくはそう信じている。信じていることは口にするさ。いやいや、だからといってわざわざ君に明言させようとは思わない。ぼくらの間に、そんなものは必要ないだろう? もちろんそれは、言葉が要らないって意味じゃないぜ? 信頼は言葉に変えてこそさ。だから言うよ、未那。ぼくが君に言いたいことを我慢しないように、君はぼくに言いたいことを我慢する必要はない。それがどれほど下らなかろうと、どれだけ個人的なことだろうと、どんなことでもぼくは聞くから。だから未那、さあ、話してみてほしい。いったい今日はどんな用事で、ぼくに電話を掛けてきたんだい? 大丈夫、時間ならまだいくらだってある。青春はまだ始まったばかりさ。――そして、ぼくらは今日も友達だ』



     ※



「――これで二度目だな」

 と、笑う真矢さんに肩を叩かれる。

 返す言葉はどこにもなくて、俺はただ「すみません」と肩を縮ませるしかできない。

 だが真矢さんに、今度は背中を叩かれてしまう。しかもさきほどより強く。

「未那は、意外と周りに甘えるのが下手だね。謝るようなことじゃないだろう」

「……すみません」

「話聞いてるのか貴様は……!」

「痛い痛い痛い! すみません、わざと言いました、ごめんなさい!」


 関節を決められて、俺は泣き言交じりに許しを請うた。

 そんな風にじゃれ合う俺たちを見ながら、マスターがコーヒーを持ってきてくれる。


「ほら、未那くん。食後にどうぞ」

「……どうも。ありがとうございます」

 謝罪ではなく謝意を。

 言葉に乗せて放った俺に、ふたり分の視線が生温かく刺さる。

 くそ、恥ずかしい……。

 そんな思いを隠すようにして、俺はマスター謹製のコーヒーに口をつけた。

 相変わらず、ほのか屋の味は最高だ。安い感想を言うことすら憚られる気がして、俺は言葉もなく、ただほっと息をつくだけでリアクションを留めた。


「……まあつまりですね。こう、俺はいったいどうしたらいいんだというお話でして」


 しばらくあってから、俺はそういう風に切り出した。

 マスターも真矢さんも、俺の言葉をじっと聞いていてくれる。なんなら店の客にまで聞かれていた。何この羞恥プレイ。

 とはいえ頼ると決めた以上は、言わなければならないことがあって。

 夕食までご馳走になってしまったのだから。示すべき態度というものがあった。


 俺は、情報の端々は微妙に濁しつつも、友人を怒らせてしまったらしいこと。あるいは悲しませてしまったらしいということ――謝らせてしまったということ。このままでは、二度と話もできなくなりそうだということ。お互い、もしかするとそのほうがいいのかもしれないと考えていて、だけどなんだか納得できないと思うこと。

 それらを口にした。

 しばらく話を聞いていたところで、細い視線をした真矢さんに言われる。


「要は叶と喧嘩したから、仲直りの方法を教えてほしいと」


 ものすごい簡単に要約されてしまった。


「話聞いてました!?」

「聞いてたから言ってんでしょうが」

「いや聞いてたから言ってるんでしょうけど……別に喧嘩したってわけじゃなくて。そもそも友利の話だとはひと言も……」

「違うの?」


 まっすぐな視線に縫い止められてしまっては、否定などできるはずもなく。


「……違いません……」

 観念して俺はそう言った。

 夜のほのか屋の常連の男性である鈴木さん(三十代後半。独身)が呟くように言う。

「友利ちゃんってーと、あのかわいらしい店員さんだよな? まだ一度しか会ってないが」

「そうそう」宇川マスターが頷く。「いや実はね、このふたり、いっしょに暮らし――」

「――ちょっとぉ、マスター!?」

「あ、ごめん。これ秘密だったっけ?」

「ていうかなんで知ってるんですかそもそも!?」

「さーて仕事仕事……」

「彰吾さん!? 誤魔化すのが下手にも程がありますよ!」


 思わず名前で呼んでしまった。

 常連の鈴木さんが「同棲……この歳で、オレより進んで……」と謎のショックを受けていることはひとまずどうでもいいとするが、しかし、まさかバレているとは知らなかった。

 部屋が隣同士ということはともかく、さすがに壁がなくなったことを知るなんて不可能だと思うのだが。当然、俺も友利も自分からは言ったりしない。なぜだ。

 相談に乗ってもらうために来たつもりが、むしろ懸念事項が増えてしまっている。


「まあいいから」

 と、俺の危惧は真矢さんに封殺されてしまった。

 つまり真矢さんも、当たり前みたいに知っていたということで。

「そんな話をしに来たわけじゃないだろ?」

「……ですけどね。いや、別に仲直りしたいってわけじゃないんですよ。そもそも別に、喧嘩したってわけですらない。ただ、袂を分かっただけというか」

「そりゃ喧嘩すらできなかったってことだろうが」

「別にしないならしないでいいでしょう」俺は言う。「喧嘩するほど仲がいいって言説を、俺も否定はしませんけど。仲がいい間柄なら、みんな喧嘩してるわけでもない」

「それで失敗してたら意味ないだろうが」


 俺の反論はばっさりと封じられてしまう。その通りだった。

 壁を再び作り、共同生活を一方的に打ち切った友利。彼女が何を考えていたのか、俺はまったくわかっていないのだろう。

 だって俺は、自分のことさえ理解できていない。


「……どうしたらいいと思いますか?」

「かっ!」真矢さんは、この世で最も間抜けな人間を見る目を俺に向けた「かあっ!」

 しかも二回言った。だからなぜ。

「未那。お前はアレか? この世でいちばんバカなのか? あ?」

「ほとんど想像通りのことを言われた……」

「どうしたらいいか、じゃねーよ、このバカ!」


 冗談にも取り合わない。

 真矢さんはどうやら本気で怒っている。


「アンタがどうしたいかが問題だろうが! それを決めてから相談しろっつの!」

「……どう、したいんですかね。俺」

 それさえわからない。

 いや、考えることが多すぎるのだ。

「あいつと俺は、あまりに考え方が違いすぎるんですよ。遊びに誘ったのだって、考えてみれば迷惑だったのかもしれない。お互い不干渉なほうがいいのかもしれない」

「……だから、このままでいいって?」

「理屈なら、たぶんそうなると思うんです」理論なら。「俺と友利は相容れない。なら傷を深める必要はない。そもそも壁がなかったこと自体がおかしかったんだから、ただ普通に戻っただけの現状を、不満に思うほうが間違ってる、って。この形のほうが正しいんじゃないかって、そんな風に思えてしまう。少なくとも友利はそう思ったわけで――」

「バーカ」真矢さんは、再び俺にそう言った。「バカ。マジで信じられないほどバカ。このレベルのバカが現存するかね。とんでもない大バカだよ、未那は。引くわ」

「あの……バカにも心はあるんで、もう少し手を抜いた罵倒をお願いしたく……」

「――だったら、どうして心で考えない?」


 とん、と真矢さんの拳が、俺の胸の真ん中を突いた。

 真矢さんとは思えないほど優しく、けれど今までのどんな打撃より深く。

 まるで心を打つように。


「まず考えな。?」

「どう、……って」

「叶のことが嫌いか?」

「……そりゃ、まあ、嫌いじゃないですけど」

「叶といっしょに暮らしてたんだろ。楽しくなかったか?」


 俺は、思い返してみた。

 いつまでも起きてこない、朝に弱い友利を起こして。むにゃむにゃと二度挨拶する朝が日常になっていて。水を与えて覚醒させて、学校には先に行って。瑠璃さんが夕食に俺と友利を呼んでくれたこともあった。事情を知っている瑠璃さんの前では友利も素直で、俺の悪口を言ってみたり、俺がそれに返してみたり。瑠璃さんは笑って聞いていてくれた。

 バイトがあった日の帰りは、家に戻ると夕食ができていた。今日はカレーだ、カレーは人生だ、と謎のこだわりを見せる友利に、いや意味わかんねえよと俺は返した。確かに、そのカレーは非常に美味しかった。スパイスが違うぜ、とかなんとか友利は笑っていた。


 ――あ、そっか。なんだ。答えなんて、最初から出てた。


「楽しかったです」


 と、俺は言う。

 考えるまでもない答えを、考えて出しているのだから。確かに俺は大バカだ。

 それは、求めていた青春と何が違う。それこそを俺は欲していたのではなかったか。

 そのための、主役理論ではなかったのか。


「だけど――それを、友利も楽しいと思っていたかまでは、俺には」


 わからない。そうだ、だから俺は答えを出せなかったのだろう。

 旧友のあいつに言われた通り。俺の求める青春は、俺ひとりでは手が届かない。だからもし相手が、友利がそれを望まないのなら。俺にできることなんてない。

 実際、友利はそうだった。あいつの脇役理論は、俺のそれとはまったく違う。


「なるほどね。――そこか」


 と、真矢さんは俺を見て言った。

 まっすぐこちらを見つめるその目から、視線を俺は逸らせない。


「じゃあ重ねて聞こう。――なぜ叶は、未那といっしょに暮らすことを受け入れた?」

「それは……壁が壊れたからで」

「なら今日まで直さなかった理由がないね。それは違うだろ。わかってるはずだ」

「……どっちの考えが正しいのか、その答えを出すために――」

「出たのか?」

 出ていない。俺は首を振る。

 真矢さんはただ問いだけを重ねた。

「――叶も連れて、遊びに行ったんだろう? それは楽しくなかったのか」

「俺は……そりゃ楽しかったですけど。でも友利がどうかは」

「なら、なぜ行った? なぜ断らなかった?」


 なぜあの日、友利は俺の誘いに応えたのか。


「――言い換えるなら。あの子は、叶は、?」


「それは……」

「わからないだろう? わからないことに答えを出すな。思い込みを正解にするな。その態度は間違ってる。でも少なくとも未那。お前は、自分がどうしたいかはわかるはずだ」


 友利叶のことを考える。

 あいつは、決して人と関わりたくないわけじゃない。ただ、それに煩わされるのなら、最小限に抑えようとしているだけだ。あいつは誰とでも交流はできる。コミュ力なら、俺よりなんなら高いだろう。

 そんなあいつが、あの日、途中から黙った理由はなんだ?

 あいつは何を期待して――なんのために共同生活を受け入れた。

 その答えをまだ出していないというのに、このまま終わらせてしまっていいのか。



 ――それが主役の生き方か?



 俺はテーブルに置いてあったマスター謹製のコーヒーをひと息に飲み干す。


「あっづい、ああ、行儀悪い! えい、ご馳走様でした! 美味しかったです! 夕食もありがとうございました!」

「答えは出たかい?」


 カウンターの奥のマスターに問われる。行儀悪くてすんません。


「どうですかね。まだ出てないですけど。でも、たぶん、それは俺ひとりで出すもんじゃないんで。話、してこようと思います。……ありがとうございました」

 俺は頭を下げた。

 真矢さんが苦笑して、その頭に軽く触れる。

 叩かれなかったということは、まあ、赤点は回避できたのだろう。

「ん。いい顔になった。主人公って感じだ」

「……うっす」


 ああ、まったく。マスターといい真矢さんといい、どうしてこう格好い台詞が様になるのやら。同じことを俺が言おうものなら、滑ること間違いなしだというのに。

 でもまあ、たぶん、そういうこと。主人公ってヤツはつまり――。


「真矢ちゃんはああ言ってたけど、喧嘩はしないようにね」マスターも笑っていた。「コーヒーでも飲みながら、落ち着いて話すことを心がけたほうがいい。ぼくも、奥さんと喧嘩したときは、いつもそうしてるからね」

「マスターそれ頂きます。そうしますわ、俺も」

「がんばれよ、若人」


 何かに触発されたのだろうか。常連の鈴木さんまでそんなことを言った。


「鈴木さんこそ、早く彼女ができるといいっすね」

「余計なお世話だこの野郎! マスター! キツいの一杯! やってらんねー!」

「あっはは! そんじゃ行ってきます、っつか帰ります!」

「次はひとりで来るなよ?」


 ニヤリ、と格好いい笑みを見せる真矢さんに、俺も格好つけて答えた。


「――もちろん。次は、友達と」


 からりと鳴ったベルの音を背中に、俺はほのか屋を後にする。

 そして、俺は、家に向かって駆け出した。駆け出しながら、ポケットからスマホを取り出してコールを掛ける。こういうときに電話したい奴はひとりくらいだ。

 出るなり、いつも面倒臭い旧友が、いつも以上の長台詞をいきなり語る。

 相変わらず遠回しというか、何言ってんだかわからない奴だったが、こいつのそういう言葉を、俺は聞きたくて電話しているのだろう。まあ、たまにはいいものだ。

 台詞の最後に俺は言った。


「――勇気をくれ」

『何?』

「これから恥ずかしいことをしに行くから。俺って奴は結局、主役を目指してるだけで、まだまだなりきれてないからな。お前、友達だろ。ちょっと背中を押してくれ」

『任せろ』と、旧友は言った。『君は現時点でもう充分に恥ずかしい奴だ。青春のために、なんて理屈で主役理論なんぞを実行しているバカ、恥ずかしいに決まっているだろう』


 さすが、と俺は笑う。


「マジかよ正論。さてはお前、天才だな?」

『で、勇気は出たかい?』

「ああ。普段に比べりゃ、これからやることなんざ恥ずかしくもなんともねえや。もう大丈夫ってもんだろ。これでいけるわ、もう、どこにでも」

『お礼を言ってくれてもいいぜ?』

「ありがとよ、友達」

『ああ。がんばれ、友達』


 その言葉を最後に、俺は通話を切って走る速度を上げた。

 まったく。事情なんて何も知らないだろうに、それでもこうも的確な言葉をくれるのだから、あいつにも頭が上がらない。

 この恩を返す方法が、俺にはひとつしか浮かばない。


 いつか俺の新しい友達を、紹介してやらなければならないだろう。


 夜になり、日のすっかり沈んだ街を走る。

 まあ、なんだ。考えてみれば、これも青春っぽい気がしないでもなかった。やっぱり青春は走ってこそだろう。

 まあ、目指しているのが自宅という時点でかなり締まらないが。できれば空港目指して走るくらいの物語性が欲しいところだったが、文句は言うまい。


 だって、俺の青春は、まだこれからなのだから。


 かんな荘にはすぐ辿り着いた。鍵を開け、自室の扉の鍵を開け、暗い部屋に靴を脱いで入った。

 隣からはやはり物音がない。けれど外から見たとき、電気がついているのは確認した。

 いるならいい。俺はマスターの指示通り、とりあえずお湯を沸かした。せっかく買ったコーヒーメーカーだ。ここで初陣を切ってもらおうとしよう。

 お湯を沸かしてコーヒーを作る。カップ二つ分にそれを注いで、ちゃぶ台の上に置いておいた。……いや、ほらね。これからすることを考えれば、近くにあると危ないしね。


 そして。

 俺は心を落ち着けるべく、一度だけ深く深呼吸。

 大丈夫だ。背中なら、たくさんの人が押してくれた。それでいい。それならやれる。

 俺は――壁の向こうへと声をかけた。


「おい、友利! いるか? いるよな! いるなら返事しろ!」


 がたん、という音が壁の向こうから聞こえた。想定外に焦ったのだろう。まったく、目に浮かぶようだ。

 ともあれいることは確認できた。俺はしばらく返事を待つ。


「……何?」

 どこか感情を殺すような、低い声だった。

 友利らしくない。実に面白くない。そんな声は俺が聞きたくない。

 ――だから言ってやる。

「ああ、いるならいいんだ。いいか、危ないからちょっと壁から離れててくれ。いいな? 離れたな? 五秒待ったらからな? からな!」

「行く……やる?」友利は、三秒だけ迷って。「おい待てちょ、我喜屋、まさか――」

「離れたな! よし、行くぜ友利!!」

「や、ちょ、待っ――」


 待たない。

 俺は。


「ど、っしゃあ、おらあぁぁぁぁぁぁっ!!」




 ――友利が作った壁を、足で、思いっ切り蹴り抜いた。




 ばごん! という大きな音が響く。薄いベニヤ板が、俺の本気の蹴りの一撃で、破れて破壊された。そのまま足でべきべきと、俺は穴を広げていく。木の破片が足に刺さりそうで少し怖かったが、まあ長ズボンだし大丈夫だろう。たぶん。

 穴を広げ切ったところで、「ちょっと待ってろ!」と向こうの部屋に向けて言う。友利の返事はなかった。そもそも微動だにしていない気がした。

 あえて中は見ないようにして、俺は離しておいた卓袱台からカップを取り、コーヒーを持って隣の部屋へ。

 ちょっと気取って、さて、お待たせしましたとでも言おうかと――、


 ――なぜか友利は下着姿だった。


「だあっつぅ!?」


 コーヒー零した。手にかかった高温の液体が俺の動揺を押し広げた。

 部屋の向こうにいた友利(下着ルック・仁王立ち)が、ちょっと慌てたように言う。


「あ、ちょっと、なぜ零す!」

「なぜ服を着ていない!?」

「いや、止める間もなく壁破ったバカに言われたくないからね!」


 ド正論だった。

 隣人である女性の部屋に壁突き破って侵入する男ができる言い訳などなかった。


「いや待て! ちょっと間があっただろ! せめて体を隠すくらいはできたはずだ、それくらいの猶予はあった! なんでむしろ見せつけんがばかりの仁王立ち!?」

 友利は答えた。

「今さら隠したらなんか負けた気分になるでしょうが!」

「お前もだいぶバカだよなあ!!」

「うるさいっ! アンタこそ今さら動揺するんじゃないし!」

「してねーよ別に動揺なんて! ちょっと驚いただけだ!」

「同じことでしょうが!」

「お前こそ下着姿でいるんじゃねーよ! 前から言ってただろうが!」

「お、お風呂に入るところだったんですー!」

「給湯器動いてねえわ! すぐバレる嘘ついてんじゃねえよ!」

「なんだとぉ!? ……いや、いや! いい! そんなことよりも!」


 友利は言う。普段通りになりかけた空気を強引に壊して。

 俺を睨み上げるように、友利叶は言った。


「……なんで、壁、壊しちゃったの? これでも苦労して作ったんだけど」

「決まってるだろうが」俺は、当たり前の顔で答える。「まだ答えが出てないからだ。それなのに終わりにするなんて、俺は納得できない」

「答えなんて……」

「やかましい。お前の反論なんざ聞かん。いやあとで聞くが、まずお前は俺の話を聞け」


 さあ、ここからだ。

 ほかの誰に言えたところで、友利相手にはこれまで一度だって言えなかった、死ぬほど恥ずかしいことをここで口にする。

 それを、友利に言う日が来るなんて、想像さえしてはいなかったことを。

 それでも俺は言わなければならない。まず、そこから始めなければ。

 だから俺は息を吸って。

 意を決して。

 友利叶に向かって、告げる。




「――

「は……えっ、な――はあっ!?」




 俺の顔はたぶん赤い。友利にだけはこれが言えなかったのから。つーかほかでも別に、わざわざ口に出したりはしない。

 くそ、やっぱりこれ言うほうが恥ずかしいわ……! 騙しやがったな、あんにゃろめ。

 ただまあ。

 巻き込み事故というか。

 言われた側の友利も珍しく顔を真っ赤にしているのだから。この表情を見られただけで、恥を掻いただけのことはある。うん、戦局的にはイーブンといったところだろう。

 なんの話かはもうよくわからなかったが。


 ともあれ、そんなわけで。

 俺と友利の間の壁は、一日すら待たずして、再び大穴を開けたのだった。

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