1-16『そして何も言えなくなった6』

 色で言うなら薔薇色だろうか。

 それから週末までの一週間はなんの変哲もない、それがゆえに最高の青春だった。

 俺が勝ち取った《いつも通り》の素晴らしさを噛み締められるような。

 学校でもバイト先でも、取り立てて言うほどのがあったわけじゃない。

 けれど何もなかったわけでもない――言うなればそんな生活だ。


 本格的になり始めた授業も、もともと成績が悪いわけではないのだ、今のところ大した支障はない。

 そういった学業的な努力はひとまず措くとしても、これまでの努力が一気に実を結び始めていると言えるだろう。

 主役理論は確実にその効力を発揮しつつあった。

 なんてことない日常を、意識的に積極的に楽しむことの意味がわかり出したというか。


 クラスメイトとは積極的に会話をした。この一週間で、一度も口を利いていないクラスメイトなどひとりもいない。

 もちろん性格的、性質的な合う合わないはあるわけだから、クラス全員と例外なく仲よくなったとまでは言えないけれど、それでもとりあえず友達と呼べる程度の関係は築けていると思う。


 よう、昨日出た英語の予習やった? お、さすがじゃん。俺さ、今日指されるんだけど、よければ答え合わせしてくんね? 和訳の部分でちょっと自信ないとこあってさ。マジか、サンキュー。そだ、礼ってわけじゃねえけど、約束してたCD貸すわ。あのバンド興味あるっつってたろ、今日持ってきたんだよ――。


 云々。

 誰がどんな性格で何に興味がありどんなものを嫌いどこへ重きを置くのか。

 興味のある分野の話を振られて、嫌がる人間などそうそういない。

 まあ、中にはこういう雰囲気そのものに拒否感がある奴だっているけれど、それはそれでやり方を考えればいい。

 派手めで快活な奴なら話題の広さを、物静かで落ち着いた奴なら話題の深さを、それぞれ重視してやることが大事らしいと俺は学んでいた。

 これは、成長と呼んでいいだろう。


 ただ、やはりいちばん仲よくなったのは勝司たちのグループだったと言えた。というか俺が、その中に入っている扱いなのだろう。

 入学から半月もすれば、おおよそクラス内におけるグループの割り振りというものも固定化されてくる。この一年一組はだいぶ全体の仲がいいほうだと思うが、だとしても、普段つるむ顔触れとは自然に定まるものだ。


 勝司は、やはり圧倒的に目立つ男だった。このクラスではいちばんだろう。

 なにせ明るい。とにかく明るい。明るいくせにうるさくはないところが上手いわけだ。話し上手であると同時に、とにかく聞き上手であることが最大の特徴だと俺は分析する。


 おおよそ集団において中心に立つ人間の最大の役割といえば、それは全体における意思決定の最終判断を下すことだと思う。全体がどの方向に歩いていくのか、それを最終的に決める立ち位置にいる奴をリーダーと呼ぶわけだ。

 勝司の最も長けているのはその点だろう。別に仕事のグループというわけではないのだから、何かを決めると言ったって休み時間にどこに集まるだとか、次の時間は移動教室だからそろそろ移動しようとか、その程度のことだけれど。

 そういった、全体をある方向へ動かす台詞をというのは、よく見れば限られているものだ。提案ではなく、決定事項の通達として。


 勝司はそれが抜群に上手い。見ていてわかったことだが、勝司は自分の意志や気紛れで口にしていないのだ。全体を見て、流れがその方向に向いたことを明文化しているだけというか、誰かが提案せずとも暗に察して、角を立てずに誘導しているというか。

 とにかく周りをよく見ている。観察していると言ってもいいだろう。

 勝司のする発言には、必ず周囲の希望が含まれていた。王様的ではなく、言うなれば、議長的な意思決定の仕方をしていると表現すれば伝わりやすいか。

 中庸を取ること、現実的な妥協案を出すことに長けていると言い換えてもいい。

 見習わなければならない部分だと思う。


 ともあれ、そんな高主役力者の振る舞いを見習いつつも、俺は俺で楽しい学校生活を、青春を送ることができていたわけだ。

 何かがあれば顔を出し、何もなくても顔を見せる。我ながらちょっと見境がないレベルで、俺は自分の日常を楽しんでいた。


 その間。この一週間。

 自宅やバイト先以外では、ほぼ友利と会話がなかったことも、だから普通なのである。




 ともあれ。

 目下、控えている最大の青春的行事といえば、やはりさなかたちとの散策イベントだと言えよう。これから回数は増えていくはずだったが、最初の一回はやはり肝心だ。


 待ちに待った当日。土曜日。

 鳴り響く目覚ましのアラームで午前八時半に起こされた俺は、わずかな驚きに襲われる。

 珍しく――というか同居を始めてからの半月で初めて。


 友利が、俺より早く起きていたのである。


「おはよう、我喜屋」


 緩慢な動きでアラームを止め、床に敷いた布団からもぞもぞ抜け出していたところで、友利は俺に声をかけた。俺は普通に「おはよう、友利」と答えてしまってから、自分が今どれほど驚異的な事態に遭遇しているのかについて遅れて気づく。

 思わずまじまじと友利を見つめてしまったほどだ。

 なくなった壁があったラインのちょうど上で、すでに着替えまで万全に済ませたらしい友利が、腕を組んでこちらを見下ろしていた。

 ちょっと唇を尖らせて彼女は言う。


「……いや、何その目?」

「だって、いや、お前がこんなに朝早く起きてるなんて……」


 思わず俺は窓の外を見た。今日の天気が危ぶまれたからである。

 だがガラス越しに見える外は明るい。この分なら気持ちのいい快晴であることだろう。


「わたしだって、出かける日くらい早起きするっちゅーの。相変わらず失礼な」

 俺がなぜ窓を見たかまで理解したのだろう。不服そうな友利の声が後頭部を叩いた。

「これでもわたし女子ですよ? 身支度とかいろいろ時間かかんの。顔洗って髪整えれば終わりの男子と、そういうとこいっしょにしないこと。デリカシーないな」

 しかも説教まで喰らってしまった。いや、確かに言っていることは正しいけども。


 この半月、友利の驚異的な朝の弱さを突きつけられてきた俺だ。

 だが、こうまで言葉がはっきりしている時点で、かなり早めに起きたことは疑いようがない。「ああ」とか「うう」とか、ほとんど呻き声みたいな音ばかり、いつもは喉で奏でているのだから。

 ちょっとした驚きに包まれつつ、俺は再び友利に視線を戻す。

 そこで気がついた。

 壁に背を預けて立つ友利。その背後にあるキッチンに、なぜか白い湯気が立っているのが見えていた。

 つまり、キッチンが稼働しているということである。


「ああ。今日はわたしが朝作ったから」

「……なんで?」

「さすがにいつも作らせてばっかじゃアレでしょ? 大した理由ないよ。てか、いいから我喜屋は顔洗ってきなって。寝癖ヒドいよ? すっごい間抜け」

「あ、おう……」


 起き抜けの頭にはきはきと指示を出されて、なんとなくそのまま従ってしまう。習慣に動かされるまま布団を畳み、洗面台の蛇口を捻る。

 バシャバシャと顔を洗う俺だったが、なんだろう、あまり脳味噌が覚醒しているような気がしない。


「せっかくだし、たまにはいっしょに食べよ? 用意はこっちでしとくから」


 覚醒した。


 洗面所から戻って来た俺は、タオルで顔を拭きながら、そんな言葉を聞かされた。油の切れたブリキ人形並みに、ぎちぎちと俺は友利へ向き直る。関節の駆動が悪くなっている気がした。

 ていうか今、友利の奴、なんて言った……?


「いや、だから驚きすぎでしょーが。本当に失礼だな、もう」

 おかんむりの友利さんが見える。

 大丈夫? これ、ここに立ってるの本当に友利であってる? なんなのこれ。

「ただの効率化だって」友利は俺をジト目で睨みながらそう言った。「いっしょに出かけるんだから、それに予定合わせただけ。遅刻するわきゃいかんでしょーに」

 そういうことになった。


 さて。

 一〇二号室わきやエリア一〇三号室ともりエリアは、基本的に左右対称の間取りになっている。

 俺の部屋を説明すると、友利の部屋を上として俯瞰した場合、右手側が玄関だ。右下に風呂、そしてトイレが地味に別々に並んでおり、つまり玄関近くだけ少し狭い。その廊下を抜けた先(俯瞰した場合は中央下辺り)がキッチンになっていると言ったところか。

 友利の部屋は、この完全に対称な間取りで、要するにぶっ壊れた壁が鏡だったら友利の部屋として映る感じ。


 その、壊れた壁があった部分の、真ん中に卓袱台を置いて俺たちは座った。

 一面が完全に取り払われているの以上、これは普通に部屋の真ん中にテーブルを置いているだけの形なのだが、なぜか妙な違和感が拭えない。

 ない壁を、それでもあるものとして暮らしてきたからなのか。それとも、友利と並んで朝食を取る機会が初めてだったせいか。

 ちょっと言語化しにくい感覚があった。


「いただきます」

「……いただきます」


 手を合わせて、友利の言葉に続けて言った。

 メニューはオーソドックスな感じで、白いご飯に豆腐とえのき茸の味噌汁、主菜には安売りしていた塩鮭を焼いたものが出ており、隣に卵焼きが添えられている。夕食の残りであるこんにゃくや里芋の煮物(これも友利が作った)も小皿に盛りつけられていて、見事に和の朝食と言えよう。

 ちなみに俺が卵焼きが作れない。目玉焼きとスクランブルエッグしか無理だ。

 朝食といっしょに、謎の敗北感をいっしょに味わってしまったけれど、さすがに友利と争うほうが馬鹿げている。

 ここは素直に、美味しい朝食に感謝を捧げておこう。


「そういや友利。こんだけ料理上手いってことは、実家いた頃から作ってたんだよな?」

 なんとなく間が持たなくなって、俺は友利にそう声をかけた。友利は頷き、

「うーん、どうかな。親といっしょに作ってたっていうか、習ってたっていうか。そんな、料理担当とかやってたわけではなかったけど。まあ、このくらいはね」

「それは俺に対する皮肉なのか」

「悪いけど、焼くか炒めるかせいぜい茹でるだけで料理を完結させる程度の奴は、戦いの俎上にも上がってないから。まずは揚げるから修得してみたら?」

「くっそ言い返せない……」

 地味に揚げ物ってまだ手を出したことがなかったりして。

 やる機会がないっていうか、難しそうというより、作る段階まで至る部分にちょっとハードルを感じるのだ。

 炒飯とかパスタとか生姜焼きとか、そういう作る分には手軽な料理にどうしても偏ってしまう。そして、そういうのですら友利のほうが美味しく作った。


 もう手際からして違うんだよなあ。

 俺が野菜を切る音が「ざく、ざく」という感じなら、友利は「しゅだだだだ」って感じなのだ。

 ようあんだけ手が早く動くものである。


「つーか我喜屋、気ぃ抜くと麺類に走るよね。もうちょいチャレンジしなきゃねえ?」

「……うっさいな。わかってるよ、今に見てろっつーの」

 いつか美味いと言わせてやりたい。

 高校生活の目標に、新しく追加されたものだった。

「――ん」


 と、友利は小さく笑って、言う。


「まだ、期待しておくことにしてるから」


 なんだか妙な言い回しではあったが、特に突っ込もうとは思わず。

 俺はお椀を持ち上げて、友利の味噌汁をずぞっと啜った。


 美味えんだよなあ……。

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