1-14『そして何も言えなくなった4』

 ――湯森さなかはごく平凡な女子高生だ。少なくともその自覚において。


 いや、もちろん、それなりに秀でているという自負がないではない。

 運動はできるほうだったし、成績だって悪くない。誰に訊いても明るい性格だと答えてもらえるはずだし、顔だって、たぶん悪くはないと思っていた。

 それなりに、男子から告白された経験だってある。

 その全てを断ってしまってはいるけれど、いやいや、だからって別に、レンアイというものに興味がないわけじゃないのだ。むしろ人並み以上にある。

 そりゃまあ、白馬の王子様が迎えに来てくれるなんて思っているわけじゃなかったし、むしろ本当に来られても困るというものだけれど。

 乙女としての憧れを、それなりに持ってはいるのだった。

 けれどどうにも、それを上手く表現することができないでいるというか。


『だったらもっとぐいぐい行かなきゃダメだよー』


 なんて。そう言う葵がどんな表情をしているのか、電話越しにもわかるくらいのことを言われてしまっているのだった。

 もちろん、さなかにだって言い分はある。

 というか責められる謂われがない。


「だ、だから行ってきたじゃん今日! むしろ褒めてよ、がんばったよ!?」

『うん、それはよくできました。奥手なさなかにしてはがんばった』

「本当はみんなで行く予定だったのに、い、いきなり来ないとか言うから……っ」

『みんなで押しかけたら迷惑でしょー? ただでさえ我喜屋くんも叶ちゃんも、いろいろ大変なとこなんだから』

「それは、そうかもだけど……でもふたりくらいだったら別に」

『よかったじゃん、むしろ。我喜屋くんと、ふたりっきりでお話できたんでしょ?』

「あぅあ」


 まったくこの友人ときたら、後押ししてくれているのか、それともからかっているだけなのか、いまいち判然としないところがある。さなかは唇を尖らせた。


 とぼとぼと歩く帰り道。そろそろ辺りも日が沈み始めている。

 未那と別れてから、まだそう時間は経っていないけれど。なんだか今日は、時間の経過がやけに早い気がしてならない。

 いや、別にあの店に行ったからではないはずで。


 ――ああもう、このところぜんぜんすっきりしない。


 頭を抱えたくなってしまうさなか。零れ出る声も自信なさげに。


「別に、わたし、まだ未那のことが好きって決まったわけじゃないし……」

『でも気になるんでしょ?』そんな迷いを、小学校からの親友はばっさりと切る。『それはそれでいいけど、ならアプローチくらいかけとけばいいじゃない、別に。友達なら友達でいいんだから。いちばん間抜けなのは、このまま叶ちゃんに持ってかれることだよ!』

「だ、だって、ふたり暮らしとかいくらなんでも予想外だし……っ」

『いやまあそれは同感だけど。やー、まさかこんだけやって先越されるとは正直ね』


 まったくである。これでもさなかだって、行動は早かったはずなのに。

 気になる男子はクラスの女子と同居している――なんて。いくらなんでも、神様が意地悪すぎるというものだ。そんな事態、想定できるはずがなかった。


『ていうか、言えばよかったじゃん。今日』


 電話口から『おろおろ』と聞こえてきたような気がして、思わず葵は言ってしまう。

 言われたさなかは、また面白いように顔を真っ赤に狼狽えて答えた。


「い、い、言えばって……何を」

『いや別に告白って意味じゃなくてね? そんなんさなかには無理って知ってるよ』

「その言い方もどうかと思うんですけど……」

『じゃあできるの?』

「……いや、だから別にまだ好きってわけじゃなくてね?」

『けっ』

「ひどい!?」

『そうじゃなくて――? なんで言わないかなあ。向こうから訊かれるなんて絶好球、振り逃しますかフツー?』

「あのときは、一方的にわたしが見てただけだから……会ったわけじゃないし。だから、って答えたわけで……」

『見てたことは事実なんだから言えばよかったでしょうに、このおバカ! そんな偶然、なかなかないんだからね? わかってるの?』

「わかってるよ……」


 拗ねたようにさなかは答える。


 けれど実際、大した話ではまったくないのだ。

 そう。湯森さなかと我喜屋未那の初対面が入学式の日の教室であることは事実だ。

 だが対面ではなく、さなかが一方的に未那を見たことならば、それ以前にもあっただけの話。


 冬のある日のことだった。

 その日、買い物に出かけたさなかは、駅までひとりの少女を見かけた。

 中学生か、あるいは背の高い小学生だろうか。弱々しく泣きそうだったその姿を今も覚えている。

 少女は手元に地図を持っており、それを駅前の掲示板の地図としきりに見比べていた。

 誰が見たって、ああ、迷子なんだな、とわかる姿。


 だが、それだけだ。誰も少女に声をかけようなんて思わないし、さなかだってまったく思わなかった。今だって、それが当たり前の判断だとさなかは思っている。

 なにせ少女は地図らしきメモを所有していたわけだし、すぐ傍には交番だってある。必要となれば誰か周囲の大人に助けを求めることも少女にはできたはずだ。


 少なくとも、さなかが声をかけなければならない状況ではない。声をかけることは親切かもしれないが、声をかけなかったことを不親切と詰られる状況でもないだろう。

 第一、その手のお節介が裏目に出ることなんて、現実にはいくらだってあり得るのだから。

 声をかけるほうがきっと、馬鹿を見る可能性が高かった。


 だから、そんな少女に声をかける少年は、きっとこの上ない大馬鹿に違いない。


 ことさら言わずともいいだろう。さなかはそのとき、その少女へ挙動不審に声をかける大馬鹿を見ていた。

 それが、下見に来ていた我喜屋未那だったというだけの話だ。


「……あれ? おかしいなあ……こっちのはずなんだけどなあ」


 そんなことを、未那は微妙に大きな声で言っていた。そんな様子に注目している人間がそもそもさなかだけだったが、もしほかに見る者がいれば、一瞬でその下手くそな演技を見抜いたことだろう。

 あまりに大根だったし、そもそも駅から出てきたばかりの段階で、こっちのはずだと迷っていること自体が意味不明だった。

 間抜け丸出しのそんな演技に、けれど混乱の渦中にあった少女は気づかない。


「ああ、えーと。ごめん、ちょっと道訊きたいんだけど、いいかな?」

 だから、そんな風に声をかけた未那に対して、少女は狼狽えてしまって答えられない。半ば雑なナンパじみた感じで、未那はそれを想定していたように言葉を続ける。

「……あれ? もしかして、なんだけど。君も迷子?」

 狼狽しつつも、少女はこくりと頷く。

「えと、あ……はい」

「そっか」と、未那は微笑んだ。「それじゃあ、お揃いってわけだ」


 何言ってんだこいつ、と突っ込む人間はそこになく。

 警戒心が解かれ始めたのか、少女はきょとんと首を傾げて言った。


「お兄さんも、迷子……なんですか?」

「うん。あ、ちょっとその地図、見せてもらっていい? もしかしたらわかるかも」

「あ、はい」


 迷子の振りをして声をかけた青年が、ここで颯爽と少女に道を教えて一件落着――と、誰もがそういう流れを期待するだろう場面だ。

 だが、そう一筋縄ではいかない。

 そもそも未那は、まだほとんどこの土地を歩いたことがなかったのだから。


「……うん? ああ……おお、そっか。あー……あ、これわっかんねえな確かに……」

「……え、ええぇ……?」


 さなかは普通に呆れかえったし、迷子の少女ですら呆れた様子だった。これでは単に、迷子がふたりに増えただけの話でしかない。

 その段階で、さなかは買い物に戻ることにした。

 いつまでも眺めているわけにもいかない。それは失礼だったし、目をつけられても困るからだ。自力での地図解読を諦めたらしい未那が、辺りに視線を這わせていた。


 だからこの段階でのさなかは、単に世の中には変わったお節介がいるものだという程度のことしか考えていなかった。

 それが同い年くらいの青年ということが、しいて言えば珍しかったかもしれないが、だとしてもそれだけ。すぐ忘れてしまう程度のできごとだ。


 実際、さなかはそのままふたりのことなど忘れて再び買い物を楽しんだ。

 その帰り道で再びふたりを見かけたりしなければ、この話はきっとそこで終わっていたことだろう。

 さなかは帰り道に、《ほのか屋》のある道を選んでいた。というかいつも通っている。

 だから、ほのか屋に向かっていたふたりの迷子と、そこで再会したことは偶然ではないのかもしれない。

 再会も何も、やはりさなかは遠巻きから様子を垣間見ただけだったが。


 ちょうど、店の前に未那たちは立っていた。

 遠くからそれに気づき、思い出したように湧き出てきた微妙な罪悪感が、さなかの歩く足を少しだけ遅くする。そのせいだろう、さきほどと同じように会話が聞こえてきた。

 店の前にいたのは未那と迷子の少女だけではない。察するに少女の身内らしき老年の夫婦も立っていた。

 どうやら少女の目的は、見つけることができたようだ。


「ありがとうございました、お兄さん」


 すっかり懐いた様子で手を振っている少女。

 老夫婦が運転する車に乗って、彼女がその場を去っていくまで、出て行けなくなったさなかは一部始終を見ることになってしまう。


 恥じらいを感じたのは、たぶんそのときが初めてだった。


 単に、泣き顔しか見ていなかったはずの少女の笑顔を見たせいだったのかもしれない。後悔としてはきっと実に安く、中身のないものだったことをさなかは自覚している。

 迷う少女に気づいていてなお無視した自分が、その上で後悔の真似事をしていること自体が、中途半端でしかないと思った。いっそ少女を助けた青年に、逆恨みしたくなるくらい。

 下手な善意など目に毒だ。たまたま上手く運んだだけ、リスクを避けたさなかの判断が間違っていたわけでは決してない。

 こんな場面に、遭遇してしまったこと自体が不運だ。


「――しかし未那、見事に格好悪かったな」


 思わず立ち止まったまま恨み節を並べたさなかの鼓膜を、そのとき、そんな女性の声が揺らした。凛と響くような女声だった。

 未那といっしょに少女を見送っていた、この喫茶店の従業員――当時は名前をまだ知らなかった、瀬上真矢だった。

 そして、ここで初めてさなかはその青年の名前を知る。女の子みたいな名前だった。


「いや、それは言わないでくださいよ。でもありがとうございました」

「いきなり店に入るなり、迷子の女の子がいるんで道を教えてくださいなんて言い出すとは思わなかったからね。正直言って面喰ったよ。ここは交番じゃないぞ?」

「う。いやだって、あの子が警察は怖いとか言うんですもの……」

「……まあ迷子の女の子に声をかける、なんて行為にはそもそも勇気がいるからね。特に昨今は。下手に警察なんて絡めたら、むしろお前が職質されかねない」

「あの。そんな怪しく見えますか、俺……?」

「冗談だよ。――その善意は、間違いなく美徳だろう。誇っていいことだと思うぞ」


 大学生くらいの女性が、自分と同い年くらいの青年を褒めている。

 見ていてあまり気持ちのいい光景ではない。同じ立場にありながら、何もしないことを選んだ自分が――まるで責められているみたいに感じられたからだ。


 そもそも、いつまで自分はこんなところに棒立ちしているつもりなのか。

 なんの気ない感じで、もうこのまま通りすぎてしまおう。

 さなかは当たり前の行動を再開した。

 店の前で会話を交わすふたりも別段、通りすがるさなかを見咎めるような様子はない。さなかはそのまま今日のことを忘れてしまうつもりでいた。


 ――すれ違う寸前、未那が言い出したある言葉を聞かなければ、だ。


「別に、善意だけでやったわけじゃないですよ?」


 だったら何もしなかった自分はいったいなんなのだと、思わず八つ当たりしたくなってしまうほどの気分にさせられた。

 いいことをして、感謝されて、だったら気分よく笑っていればいいんだ。そんな風にさえさなかは思っていた。

 続く言葉が耳に残ってしまったのは、たぶんそのせいだったのだろう。


「普通に、下心あってやったことでしたしね」


 真矢の突っ込みが入る。


「ロリコン?」

「いや違いますよ。そういう意味じゃないですから。……なぜちょっと引く!?」

「冗談だよ」

「っだあ……瀬上さんの冗談はわかりにくくて怖いんですけど」

「情けは人の為ならず、という言葉もあるからな。お前が言いたいのはそういうことなんじゃないのか?」

「まあ似たようなもんですかね。いや、だからって別に、なんか見返りを期待してたってわけじゃないですけど。実際、話しかけるときは本気で緊張しましたし。防犯ブザーとか鳴らされたらどうしようかとマジでビビってました」

「善意が必ずしもいい結果を呼ぶわけではないからね。なら、なぜ声をかけた? 助けを求められたわけでもなかったんだろう?」

「正直、口で言えるほどの理由なんてないんですけどね……」


 ちょっと恥じらうように、未那はそこで言い淀んだ。

 いつの間にか、その言葉の先を待ってしまっている自分にさなかは気づく。

 やたら遅い足取りの、ギリギリ不自然ではない程度の牛歩になっているという自覚はあった。



「――要するに、んですよ、俺」



「言っていることの意味がわからないけど……」

 困惑したように言う真矢。未那も伝わるとは思わなかったのか、苦笑いを浮かべる。

 だがさなかには、未那の言いたいことがこの時点でわかってしまっていた。

「まあ、なんか結果論、今回はほら、いい結果になりましたけど。あの子はお祖父ちゃんお祖母ちゃんと合流できたし、俺はいい気分になった。ついでにいい喫茶店も見つけた」

「世辞ならバイトの私じゃなくマスターに言っときな」

「そんなつもりはないですって。ま、でも、もしかしたら探し回っても見つからなかったかもしれないし、なんか面倒臭い冤罪かけられて不審者扱いの可能性もなくはなかった」

「……それで?」

「でも、それでもじゃないですか、どっちに転んでも――なんて言い方しちゃうから、口が裂けても善意だけだとは言えないですけどね。いや見つかったほうがそりゃ俺もよかったことは事実ですけど。五割くらいはちゃんと善意のつもりでした」

「善かれ悪しかれ、その結果に関われさえすればよかった……って?」

「そういう言い方をするとクソ野郎感が増しますけど、でも近いかもしれないです。どう言うべきかな……そう、もし俺が、あそこで、あの子に声をかけなかったら」


 湯森さなかがそうしたように。

 ほかの誰もがそうしたように。

 何もしない、という選択肢を選んでいたとしたら。


「そしたら俺にとっての今日一日は、何も予想外なことがない、たぶん予定通りの一日で終わってたんですよ。だけど、声をかけたから変わった。想定より楽しい一日になった。まあ、なら差し引きプラスじゃないですか。よしんばどっちに転んでも、です。そういうイベントが、俺はなるべく人生に多く起きてほしいんですよ。最悪、勘定で損してでも」

「……なるほどね」と、真矢が答える。「お前にとっては、行動することを選んだその時点で、もう損することは実質なかったわけだ。面白い考え方するなあ、おい」

「あー、なんかすんません」

「褒めたんだよ。百パー善意でやってたなんて言われるより信じやすいってもんだ」


 真矢がばしばしと未那の背中を叩く。

 さなかも、そして叩かれている未那も知らないことだが、それは彼女が特に気に入った相手にしか行わない親愛表現だったりする。


「ちょ痛い、痛いんですけど! いや力強っ!?」


 大袈裟に未那が呻いている頃にはもう、さなかは店の前を通り過ぎてしまっていた。

 背後を、ちらりと振り返って、さなかは未那の顔を確認する。

 取り立てて目立つところのない風貌だ。しいて言えば少し目つきが悪いが、どこにでもいそうな平凡な風体。その辺りは、ある意味で自分と似ているかもしれないと思うほど。

 だが彼は決して平凡ではなかった。

 むしろ劇的だ。

 より正確に言うならば――劇的であろうと自ら心がけている。


 その違いが、きっとその青年と、自分の違いなのだとさなかは思った。

 逆恨みしていたことが恥ずかしくなってしまうほど、彼女は未那のその言葉に共感してしまったからだ。


 さなかの人生は平凡だ。

 それはつまり、さなかがということである。

 そして、本来はきっとその青年も――未那も、さなかとなんの違いもないはずだった。ごく普通の一日を、当たり前のように繰り返すだけで一生を終えるはずだった。

 それを悪いとは思わない。

 けれど、そうではない《特別》というものに、憧れる気持ちならずっと持っていた。忘れそうになっていた、それはきっと、子どもの頃の願い。

 だが現実、それは求めたところで与えられない。

 だから誰もが諦めてしまっている。


 考えたことすらなかった。そんなものを自分から、追いかける選択肢があるなんてこと。

 それが違いだ。あのとき、迷子の少女に自分から声をかけた――当たり前ではない選択肢を未那と、声をかけないという当たり前の選択肢を選んださなかとの、決定的な格差。

 自分が平凡だなんてことは知っていた。悩むことすら忘れてしまうほど。

 だとしても、自分の人生まで平凡なまま終わらせる必要はなかったのだろう。

 それを、教えられたような気がしてしまったのだ。

 だから、ちょっとした尊敬と、憧れにも似た思いを、たぶんそのとき、さなかは未那に対して覚えていた。



『……で、いざ進学してみたら、そのときの男の子が同じクラスで、しかも隣の席だったと。なるほど運命とか感じちゃうよねえ、わかるよー?』

「葵、絶対わたしのこと馬鹿にしてるでしょ……」


 あのときの男の子だ! と、ついテンションが上がって、その一部始終を葵にすっかり話してしまっているさなかである。

 もう、後悔してもやり直せない失態だ。


 ――ともあれ、それがコトの顛末。

 取り立てて劇的なことなんて何ひとつない。当たり前だ、彼と彼女はまだ出会ってすらいなかったのだから。運命の再会、なんて劇的な呼び名をつけるにはあまりに足りない。

 だとしても、そこになんらかの意味を感じ取ってしまったとしても無理はない話で。


「そりゃすれ違っただけだし、なんならわたし、話を盗み聞いてただけだけど。それでも驚くでしょ? あれ以来、実はちょっと探してたし。あんま深い話じゃないけど、わたしも高校生活、ちょっとがんばってみようかなって思ったきっかけになったわけだし。それに、そうじゃなくても普通に友達だし! いい奴だし! だから、もう、――何!?」


 喋りながら謎のキレ方をするさなかに、親友たる少女は思う。

 この、優しくてかわいらしいくせに、妙に自分に自信のない親友が、一歩を踏み出そうと思うきっかけがあったのなら素晴らしいことだと。

 後押しをして当たり前だろうと。


 さすがに、その相手が、当たり前みたいにクラスメイトの女子と同棲かましてるなんてことは予想していなかったけれど。だから家に呼ばれたときは驚いた。


 ――結局、途中で勝司にまで協力を求めることになったしなあ……。


 さなかの気持ちなんて丸わかりだった。

 だからこそ、明るいくせに意外と奥手な親友の背中を押してやったわけだが、あそこまでの強敵がいるとなると話は変わってくる。

 まだ入学したばっかりだ、なんて気を抜いていいはずがなかった。

 さなかもその一件があったからか、こうして自分から喫茶店に向かってみたりと、いろいろ行動的になっている。いっしょに出かける予定まで作ってきたのなら実際、上等だ。


『ま、当日は行けないけどがんばってよー? ちゃんと進展させてくること!』

「……だから、別にまだ男の子として好きってわけじゃ……」


 うじうじとぼやくさなかだったが、葵に言わせれば悠長極まりないという話であり。


『わかったわかった。細かいことはいいから、まずは楽しんでおいで!』


 意外と頑固な親友の、まずは心を固めてやろうと葵は告げた。


「……うん。それはもちろん。がんばってくる……!」


 葵の言葉に、さなかも気合いを込めて答える。


 そう。これはまるで劇的な話ではない。どこにでも転がっている普通の物語。持て余す初めての感情が、どこに向かっているのかが、まだわかっていないだけ。

 冬休みに見かけた、優しい青年の姿を少女は覚えていて。

 その青年が、まるで漫画か何かみたいに、高校で隣の席になった。


 ――それは、それだけできっと理由のひとつだ。


 話してみたことも理由だろう。仲よくなったからでもある。家に招いてもらったこともそうだろうし、喫茶店やその帰り道で交わした雑談だって同じことだ。

 特別と思えるような出会いの向こうに。

 特別ではない積み重なりがあったから。




 ――少女は、ただ、当たり前の恋をした。

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