1-10『それは素晴らしき青春の諸々6』

 結局、全てを白状させられた。


 させられたも何も、自分たちから前のめりに黒歴史を白状して倒れて灰になったが如しだが。

 自縄自縛の自業自得に自爆を重ねては自嘲しかなく、あくまで主役理論に則って冷静にあろうという徹底が、友利を相手にはまるでできていないことの証左でしかない。

 これを教訓として反省と自制を獲得する必要があったが、それにしたってダメージは大きい。

 だからこれは、これ以上の被害を増やさないための、いわば白旗である。


「じゃ、じゃあ……ふたりは、ここで、いっしょに暮らしてる、って……こと?」

 おずおずと遠慮がちに、けれど隠し切れない好奇心と戦慄を瞳に滲ませて葵が言うう。

 俺も友利も、まるで裁判に敗訴した罪人が如く、正座スタイルでそれに頷いた。

「うわあ……!」

 思わずと言ったように零す葵。

 その「うわあ」がドン引きの「うわあ」でなく、どこか憧れにも似た色を滲ませるような「うわあ」だったことはせめてもの救いか。

 理解のあるクラスメイトを持って、俺は本当に幸せだ。

 もう、そう思い込んでおこう。


「高校生で……同棲」

 ごくり、と息を呑むように呟いたのは勝司である。

 こちらも驚いてはいるが、揶揄するような色がなかったことは幸運だった。ただ慄然とした感情を隠せていないだけで。

「すげえな。いや、なんつーか……すげえな!? ダメだ、それしか言えねえ……っ!」

「いや、すげえなって言われても」

 俺の返答に、だが勝司は静かに首を振って答える。

「だって、前から知り合いだったわけじゃねえんだろ? 知り合って実質一日で、すでに同棲だったわけなんだろ? それを、しかもふたりして受け入れちゃったわけだろ!?」


 そういう言い方をされると、俺と友利がまるで変わり者のようだった。

 厳密にはもちろん、その裏に複雑な事情あってのことだ。

 ただ、それを説明したところでやはり受け入れてもらえないことは、旧友の前例もあって承知していた。だから細かな説明は省き、あくまで《やむにやまれぬ事情でこうなったこと》だけを告げてある。

 決して付き合ってなどいなければ、それ以前に好き合ってもいないことだけは、なんとか理解してもらわなければならなかったが。

 その説明が、ある意味で最も大変だった。


「……まあ、ともあれ事情はわかった。いやわかってはいねーんだけど厳密には」

 勝司が言う。女子はともかく、男子の勝司は《同棲》と聞いても抵抗より驚愕が上回るらしい。珍しいことだと思いはすれど、受け入れるまでが早かった。

 何より俺たちの身の上が、事情を覆い隠すことにひと役買ってくれたらしい。

「独り暮らしだもんな、この歳で。なんかあるんだろうし、ま、その辺は任せろよ。このことは俺たちだけの秘密にしておくぜ。な?」

 このチャラ男はいいチャラ男。勝司はやたら格好いいというか、頼もしい。

 実際には何もない。ただ独り暮らしがしたかった、という理由だけで俺は独り暮らしをしている。

 けれど申し訳ないが、もうそれくらいしか言い訳の余地がなかったのだ。

 そして、勝司があっさり受け入れたからだろう、それに押されて葵も頷いてくれた。

「うん、そうだね。あたしもすっごい驚いちゃったけど、でもだいじょぶ! 言い触らしたりとかはしないからね! 安心してね、叶ちゃん! 未那くんも!」

 謎の同情票を得たとでもいうか。期せずして葵からの名前呼びを獲得するに至っている。怪我の功名、というにはさすがにリターンが小さすぎる嫌いはあったが。まあいい。

 ともあれなんやかんや、勝司と葵のふたりを味方につけることに成功したわけである。


 ――だから、残る問題があるとすれば。

 それはさきほどから黙りこくってしまっている、湯森さなかということになろう。


「……………………」


 その無言は、勝司と葵が静かになったことでより浮き彫りになっていた。

 沈んだ表情で俯くさなか。だがどちらかといえば、この反応のほうが自然なのだろう。冷静に考えて、俺と友利の環境は――少なくとも絶対に普通ではない。異常だ。

 そして異常というものに対し、一般的に返される感情など嫌悪がほとんどである。理論的でも哲学的でもなく、ただ感情というものが表に出るのが《普通》というものだった。


「……あー。えっと、さなか……?」

「だ、だいじょぶ……かな?」


 俺や友利だけではなく、勝司と葵もこの変化には当然、気づく。

 非常に暗い表情をしたさなかは、やはり誰の目から見ても普通ではなかった。ある意味で、普通の反応であるがゆえに、だ。

 ただ、その反応は、当のさなか本人にとっても意外なものであったらしい。


「――え?」と、驚いたように呟いて、さなかが顔を上げる。「あ。え、ああ! ごめん、ちょっとぼっとしちゃった! その……さ、さすがにびっくりしたからさっ! あはは」

 慌てて誤魔化すようにさなかは言う。

 だが、やはり妙な態度であることにはたぶん全員が気づいていた。

「えっと、た、大変だね、ふたりとも! そっか、そんな事情があるんだ? 壁が壊れるなんて、なかなかないもんねっ! うん、大変だ!」

「や、まあ……うん、そうだね。あ、あんまりよくないよね、こういうのはね?」

 フォローに入るように言う友利。彼女なりの脇役哲学なのか、それとも素なのか。

 ただその言葉に対するさなかの反応はむしろ、友利を気遣うようなもので。

「と、特に友利さんは大変だよね、女の子だしっ! や、でも、仕方ないことってあると思うんだよ! うん! わたしは気にしないし、ほら、むしろ協力するから。ねっ!?」

「あ――あ、ああ……ありがとう、湯森さん……」

「さなか……」

 礼を言う友利と、さなかのほうに気遣わしげな視線を向ける葵。


 やはり男子と女子では、考え方の傾向が違うのかもしれない。この状況では確かにまず、男のほうではなく女のほうを心配するだろう。そこに異論はなかった。

 さなかの反応を見るに、もしかすると彼女は男関係で何か嫌な思い出があるのかもしれない。妙な反応や、葵の対応から俺はそんな可能性を考える。触れずにおこう。


 まあ、そんなぐだぐだな感じで。


「――んじゃ、そろそろ俺たちはお暇するわ。今日は呼んでくれてサンキューな!」


 という勝司の声を皮切りに、この場はお開きの流れとなった。上手いこと空気を読んでくれたのだろう。その辺りはさすがのひと言だ。

 俺と友利は、去っていく三人を見送って、それからふたりで部屋に戻った。

 ひと通り片づけられた卓袱台の上。俺たちは何も言わずにそこへ向かっていき、お互い向き合うような位置で、

 ――ぐでっと突っ伏して溜息を零した。


「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」


 という嘆きの声がシンクロし、一〇二号室の空気を揺らす。

 青色だった世界が灰色に。含有青春量が一気に希薄になったせいか、なんだか呼吸すら億劫になってきた気分である。

 それでも体は自動で息を吸ってくれることの奇跡に、俺は感謝すら覚えたい気分。自律神経万歳。ああ、生きてるって素晴らしい。


 要するに脳味噌が狂っていた。

 言語中枢に深刻なダメージを受けてしまっている。


 まあ。もし結果論だけを問うのなら、考え得る中で最高の結末だ。言うなれば俺と友利は、クラスの中に秘密を共有できる協力者を獲得したに等しいのだから。

 なら何が問題かといえば、そこに至るまでの過程だろう、これは、完全に。


 ――なぜならあまりにも間抜けすぎる。

 バカなの? いやバカだ。バカの上にアホでしかも間抜け。ドジもつけ足して満貫だ。

 しばらく動きたくない気分だった。主役理論? 何それ意味わからん。


「……なあ友利」

 それでも、そんなことを考えていること自体が欺瞞だ。俺は口を開いて告げる。

 普段からものぐさな友利が、これまで見てきた中で最も億劫そうにしながら顔を上げた。

「何、我喜屋?」

「コーヒーでも飲むか?」


 数秒ほどの間があってから、友利は答えた。


「……紅茶がいい」

「りょーかい」


 俺は湯を沸かす準備を始めた。どうせインスタントのパックなのだし。カップなら確か友利が意外に、ペアのものを持っていたはずだ。借りておこう。

 その背後で、のそりと起き上がった友利が我喜屋エリアの冷蔵庫へと向かう。そして、さきほど買ってきたまま冷やして取っておいたチョコレート菓子を取り出してきた。ひと口サイズに小分けされた、よくある感じのチョコ菓子だ。


「……お金、あとで清算しないとだよね」

 それをつまんで友利が言う。俺は振り向かず、首だけを横に振った。

「いいよ別に。お前が買ってきた菓子が、たぶんいちばん高えし」

「あ、そ。まあいいならいいや」

 ふたり揃って、何もかもどうでもいい感じになっていた。

「お前の部屋のペアカップ出してきて。せっかくだし使っとこうぜ」

「あー、あれねー。親の貰い物だったんだけど、埃被ってたから借りてきたんだよ」

「それでこっちでも埃だけ入れてちゃ世話ねえだろ」

「うっさーい」


 言いながら友利エリアに戻っていく友利。その背に俺は訊ねた。


「つーか意外だな。お前は割と、飲めればなんでもいいタイプかと思ってた」

「いやー? わたしはむしろ凝るよー、そういうとこ。んん、やっぱり我喜屋はまだまだ脇役のなんたるかを理解してないね」

「そんなお前の中の定義なんか知るかよ」

「はいブーメラーン」


 会話の知能指数が著しく低い。

 友利が持ってきたカップを一度水洗い。お湯が沸いたところで中に安売りの紅茶パックを放り込み、適当にお湯を注いで卓袱台の上に並べた。仮にも喫茶店員とは思えぬ雑さ。

 お互い再び、正面に向き直って座る。友利が小さく笑って、


「乾杯でもする?」

「紅茶でかよ。てか何にだよ」

「ごめん適当言った。……そいや我喜屋は、スティックシュガーとか買ってたよね?」

「ん、使うか? 棚に入ってるから勝手に開けていいぞ」

「わたし紅茶はストレート派」

「……コーヒーは?」

「ブラック」

「……なんでそういうとこは俺と同じなのお前」

「知らんがな。ちゅーか我喜屋、ならなんで砂糖とか買ってあんのさ」

「客用」

「バカじゃないの」

「……今は否定できるテンションじゃねえや」

「あっはは……わたしもだなー。したら、それでいこうか」

「何が」

「乾杯の理由」

「お互いのバカさ加減に?」

「乾杯」


 俺は苦笑。行儀は悪いが、まあいいだろう。

 カップを机の上で滑らせて、かちりと静かにぶつけ合わせた。紅茶でやるこっちゃねえ。

 ちびり、と俺は温かなカップに口をつける。ひと口飲んだ段階で、俺は友利がコーヒーではなく紅茶をセレクトした理由に気づく。


「……あー、なるほど。さすがにインスタントのコーヒーはしばらく飲む気しねえな」

「ほのか屋の味を知っちゃうとねえ」

 へにゃりとした表情で微笑む友利だった。プロの味を思い出しているのか。

 こういう気を抜いている姿は、そういえば外ではまったく見ない。俺は今さらにように思い出して訊ねた。


「その格好、いったいどしたの、お前?」

「人と会うときにいつもみたいな格好できないでしょーがさ」

 友利は目を細めた。というか、これは俺を睨んだのか。

 普段はこの通り気だるげな奴だから、迫力というものが一切ない。

「それは礼儀ー。自分を飾るのは見る側への誠意であって、飾ること自体を目的にしないタイプなの、わたしは。友達にお呼ばれするなら、相応のコトするよ、もちろん」

「……まあ言わんとせんことはわかるが。それだと俺が見てることについての誠意は」

「ない」

「食い気味に言うんじゃねえよ、ったく……」


 ずず、っともうひと口、紅茶を啜る。

 ほのか屋の味を知っても、そもそも舌が馬鹿だから、これはこれで味わえる。

 少しの間。室内に戻ってきた静寂を、けれど普段通りと言えないのは、果たして気分だけの問題なのか。俺は思う。やるべきことと、やりたいことと。そしてそのバランスと。

 カップを置いて俺は言った。


「……悪かったな、友利」

 その言葉に、友利は姿勢を崩すと、顎を卓袱台に乗せてこちらを睨む。投げ出された手足が、俺の部屋の中にだるんと伸びていた。けれど、今は突っ込めないだろう。

 明らかに不機嫌になった友利に対して、俺は言葉を重ねる。

「あー……なんだ。俺のせいで、こうして同居してることもバレたし、なんか、妙な疑いまで掛けられちまった。そのことは、一応、謝っておこうと思った」

「何それ?」だが友利はさらに不機嫌さを増す。「意味わかんないんだけど」

 ……まずいな。思っていたより、怒りがずっと大きそうだ。

 ただ、こればかりは明確に俺の失態なのだ。謝罪を重ねる以外のすべなどない。

 さらに言葉を続けようとした俺に対し、けれどここで、制するように友利が言った。


「つまり、謝られる意味がわかんない、って意味なんだけど」

「……あん?」

「だってそうでしょうが」友利はチョコの包みに手を伸ばして言う。「わたしたちは互いの了解と心情に基づいて協力関係を結んだわけ。責任を勝手におっ被られてもムカつく」

「……でも今回の一件は、お前の脇役哲学にはダメージでかかったんじゃねえの?」

「そうでもないよ」


 あっさりと友利はそう言った。チョコの包装を剥がし、それを口に運んでもぐもぐ。

 意外と、甘いものが好きなのだろうか。目つきがちょっと甘くなっていた。


「ていうか今回の件だったら、わたしにはほかのやりようも実はあったし。都合がいい点がないじゃなかったよね」

「お前の言ってることのほうが意味わからんな」

「そう?」


 ふっと。

 力の抜けた表情で、小さく、友利が微笑んだ。

 その表情に、俺は何かを言おうと思った。だが次なるチョコに手を伸ばす友利が、そのまま言葉を続けたからだろう。

 舌に乗らずに飲まれた思いは、俺の中から消えてしまう。


「わたしは、今日ので割と我喜屋のことわかったつもりだけど」


「……、そうかい」

「ん。だから、次はこっちのことわかってもらう番だよね」

「ああ……なるほど」ようやく、俺にも友利の言いたいことがわかった。「俺に協力した次は、お前のターンだと言いたいわけか」

 協力を前提とした敵対。きっと、ほかの誰にも伝わらない友利との戦争。

 そのルールに則るのならば、確かに今度は友利の番だ。


「そういうことだから、その小うるさい口をさっさか閉じる」


 友利はそんなことを言いながら、卓袱台越しにこちらへと身を乗り出してくる。

 突然の動きに、俺には身構える隙すらなかった。気づいたときには、小さなチョコレートを口の中へと押し込まれてしまう。「むぐ」と俺は唸りながらも、騒いでしまうわけにはいかず、されるがままの体だった。

 紅茶で湿った唇から、人差し指が離れていく。その向こう側で友利が言った。


「明日はわたしに付き合いなさい。シフトは入ってないはずだよね?」

「俺はないが、お前は明日バイトだろ?」

「それはそれ」くすり、と微笑む友利だった。「楽しい脇役の生き方を教授してあげるから、覚悟しておくといいんじゃないかな?」

「……ふっ、いいだろう。楽しみにしておいてやる」


 押されっ放しは性に合わない。何より友利が相手となれば。

 だから、せいぜい不敵を気取って俺も笑う。友利は頷いて手を引くと、いつも通りの気だるげな様子に戻って言った。


「で、今日の夕食どうしよっか」

「あー……なんだろな。なんか面倒だな。もう外食にする?」

「贅沢」と言いつつ立ち上がる友利。「だが乗った。わたしの当番だしね」

「都合のいい奴だ」

「お互い様でしょうが」


 どこまでいっても平行線。どこまでも口の減らない女だ。

 だが、そんな会話も慣れてしまえば気にならない。俺は立ち上がって財布を掴み、外へ続く扉へと歩き出した。その後ろを、友利もゆっくりついて来る。


「んで、何食べるよ?」

 と俺が聞き、

「なんでもいいよ」

 と友利が答える。

「そういうのがいちばん困るヤツだろ」

「どうせ意見合うし」

「……なんでもいっか」

「ほら見ろ」


 そんなことを言い合いながら、俺たちは同じ扉から外へと繰り出した。

 まあ実際、そんなに贅沢はできないから。駅前の安いファミレス辺りが妥当な線か。

 春の季節がゆえだろう。この時間でもまだ外は明るい。

 俺は、この劇的な新生活にも、意外と適応しつつある自分に少し驚く。

 果たして、これは何色の青春なのだろう。

 そんなことを、考えた。



     ※



 ――翌日。

 俺たちが付き合っているという噂が学校中に広まっていた。

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