1-09『それは素晴らしき青春の諸々5』
正直、ちょっと詰めが甘かったかもしれない。
というか、いくらなんでも《クラスメイトの男女が同じ部屋で暮らしている》なんて突飛な発想、そうそう出てこないだろうと思っていたのだ。
大した打ち合わせを友利としてあったわけでもない。普通にやっていれば、まずバレないと慢心していたということ。
しかし、女子の勘は恐ろしい――とでも言うか。
「あ。えっと、ほら。そう、わたしが注ぐよ、友利さん!」
若干の妙な空気的なアレが蔓延したところで、執り成すようにさなかが言った。呆然と固まる友利の手からやんわりとペットボトルを受け取り、「え、あ、どうも」などと一気に残念なリアクションを見せるアホのコップにお茶を注いでくれていた。
まあ他人のこと言えなすぎるというか、俺も俺で相当アホ丸出しではあったのだが。
見れば勝司と葵のふたりも、ちょっと不思議そうな表情でこちらを見上げている。
だが今はこのふたり以上に、俺にはさなかのことが恐ろしかった。やけに勘がいい気がする。
オーケー。落ち着け俺。
友利の驚異の変貌と、あと俺に対する態度にちょっと気を取られすぎていた感がある。ここは一度、冷静になって今後の対応を友利と協議するべきだろう。
そんな意を込めて、俺は再び座――ろうとしたところで、遅れて気づいた。
俺の分の座布団がない。
というか、友利が使っている。
「あ。ごめん――つい」
それに気づいたのだろう、友利が言った。珍しくも少し申し訳なさそうに。咄嗟に立ち上がろうとする彼女を、俺は片手で制して告げた。
「いや、別にいいよ。座ってろって」
招待している側だったし、ならば客を優先するのは当たり前の話だ。本当は友利は違うのだとしても、今はそういうことになっているのだから、気にするようなことじゃない。
さすがに同じ失敗を二度する気はなかった。友利エリアから座布団の代わりになるものを引っ張り出してくるほど、俺も間抜けではないということである。
だいたい、そういう余計な行動をするからぼろが出るわけで。
友利を押し留めたのも、下手な行動で勘繰られるのを避けるためだった。これはファインプレーだろう。
視線を向けたことで、友利もそれに気づいたらしい。ものぐさ娘の友利と行動する以上、目の色を読んで意志を把握することは必須条件みたいなものだ。ずいぶんと上達した。
「……ごめん、我喜屋」
小さく呟く友利に、俺は肩を竦めるだけで答え、代わりに全員を見渡しながら告げる。
「さて。友利も来たことだし、二回目だけど乾杯といこうぜ」
そうだ、同居を隠すなんてのは前提条件。コトの本質ではまったくない。
わざわざこの場に友利を呼び出した本当の意図は、彼女をこの空気に巻き込んでしまうことそのものである。
脇役哲学なんぞを標榜する友利――その意識を変革するためには、主役理論に則った青春の楽しさを、友利に突きつけてやる必要があった。
よってこの場における最大の必要条件はひとつ。
すなわち、楽しむこと。
俺自身の目的とも完全に合致する、この上ない完璧な作戦であると言えた。
はずなのだが――。
「あ、ああ。そうだな、もっかい乾杯といくか!」
俺の言葉に、答えて勝司が続けた。
言っていることは普通でも、その態度は明らかに、そしてあからさまにおかしかった。なんだか勝司らしくない雰囲気というか。
違和感に俺は首を捻るものの、注ぎ直したグラスを全員が手に持ったところでその暇がなくなった。とりあえず俺もグラスを持って、「じゃ、かんぱーい」と口にする。
二部屋分とはいえ、元の広さを考えれば足の踏み場がそうあるわけでもない六畳間に、かちりと音が鳴り響く。
俺はなんとなしに、壁に掛けた時計や、隅の本棚を眺めた。
「…………」奇妙な無言が。
静寂が辺りを包んでいることには気がついていた。
おかしい。なんだこれは?
何か言うべきかと首を捻っていたところで、勝司が口火を切った。
「そういや、叶ちゃんはどの辺に住んでるんだ?」
「えあえ?」
いきなりの切り込みに口籠る友利。このおバカ。
誤魔化すべく俺が答える。
「この近くだよ。なあ友利?」
「え? あ、ああ、うん。そう。この近くこの近く」
何ひとつ嘘は言っておりませんしね!
絶妙な切り返しにひとり満悦していると、なぜか勝司がやけに目を細めた。
「……あー、あれか? 未那は、叶ちゃんとは割と仲いいのか?」
「え?」
問われたことの意味がわからず、眉根が自然と寄った気がした。
何を訊かれたのかわからないということじゃない、なぜそんなことを訊かれたのかがわからなかった。
別に不自然な問いではなかったと思う。改めて友利が参加した段階で、しかも俺が呼び出しているのだから、むしろ訊ねて当然くらいのタイミングではあっただろう。
俺が妙な違和感を覚えてしまったのは、相手が友利だったことと、そしてこの場のどことなく重いような、あるいは何かを思いあぐね、言いあぐねるかのような雰囲気のせいだった。
「……まあ、普通に?」結局、俺はそう答えた。「あー、ほら。バイト先がなにせいっしょだからな。話す機会も自然と多くはなって、その縁って感じかな。なあ、友利?」
正直に答えたつもりだったのだが、なぜかいたたまれなくなって俺は話を友利に振った。
友利もまた、どこか違和感を覚えている素振りは見せたものの、さきほどからの仮面を被り直して応じる。
「あ、うん。そんな感じ。別に普通だと思うけど……えっと、なんかおかしかった?」
さらに切り込みまで入れていく友利。さすがである。
これには問われた勝司のほうが、逆に狼狽えたようになった。
「いや、おかしかったっつーか、あまりにおかしくなかったつーか……なあ?」
「え、あたし!?」水を向けられて葵が焦る。「……や。まあ、そうだね。なんだか我喜屋くん、友利さんにはあんまり遠慮がないっていうか、すごい自然に見えたから。えっと、前から知り合いってわけじゃないんだよね?」
「いや、入学してから」これも事実だから普通に答える。「あんま学校じゃ話さないしな。そこまで仲がいいかって問われると、別にそんなでもないと思うんだけど……」
そこまで言ってから、俺は友利の表情を窺った。
――なあ、これなんか疑われてる?
と。そんな問いを視線に込めて。友利もそれを見て取って、視線でもって答えてくる。
――いや、どうだろ。わかんないけど。なんかおかしかったかな?
――わからん。
と、俺は静かに首を振った。
そんな様子を見ていたらしい葵が、「いや絶対仲いいでしょ……」とわずかに零す。
……あ、あれえ……?
「だってさっきから、すごい視線で会話してる感じあるし!」
葵が言って、それに頷き勝司も言う。
「それは俺も思った。だいたい途中から、呼び方が変わってるし」
「いやいやいやいやいや」
首を振りつつも俺は焦っていた。
やべえ。呼び方が普段通りになってることにまったく気づいていなかった。
くそ、友利のせいだ。来るなり妙な真似をするから。
思わず恨みを込めた視線をプレゼント、しそうになった寸前で止めた。視線で会話していると疑われておいて、同じことをやっては馬鹿丸出しだ。むしろ視線を逸らして言う。
「呼び方で言うなら、名前で呼んでるほうが近い感じじゃないか? 俺は友利のこと《友利》って苗字で呼んでるし。友利からもそうだろ?」
だが勝司たちには通じなかった。
「そうか? なんか怪しいぜ、おふたりさん」
「あや、怪しいって……何が?」
さらに焦る俺。まさかこの程度で同居がバレてしまうのだろうか。そんな馬鹿な。
しかし、どうやらそういうことではなかった。
というか俺と友利は、もう完全に想定外の疑惑をかけられていることに、まだ気づけていなかったのだ。
それは、ここまで黙っていたさなかの口から、こうして告げられる。
「――もしかして、なんだけど。ふたりって、その……付き合ってる?」
ひゃー、訊いちゃったー、と葵が零した呟きを、頭の片隅だけで認識した。認識できただけで意識はできていなかったが。
当然、別のことに意識を持っていかれたせいで。
つきあってる。
その音だけが脳内でリフレインを続けている。
はて。つきあってるとはどういう意味の日本語だろう。いやこれは日本語だろうか。俺の知る日本語の語彙に、ツキアッテルなどという音は実在したか。さては湯森語か?
などという現実逃避で自分を誤魔化せるスキルがあるなら、俺は主役理論などそもそも構築していなかっただろう。
爆弾発言であった。
まさか、そんな明後日の方向の疑いをかけられるとは露ほども思っていなかった。
――待って。いや待って。
おかしいでしょう。なんでそうなるの? 恋人どころか天敵同士、戦意はあっても恋愛感情などあるはずもなし。それが俺と友利の関係だ。なぜそれでこんなあらぬ疑惑が。
あまりにも突然に突飛で突拍子もない突撃に、困惑しか浮かんでこない。
「……いやいやいや」俺としては、もう否定するしかない。「別に付き合ってねえよ。正直なんでそんなこと訊かれるのか、ワケわかんねえレベルだぜ。なあ友利?」
「そ、そうだよ」友利もそれに答えた。「そんな、いや、わたしたちが付き合ってるなんてあり得ないって本当に。やだなあ、もう、湯森さんってば。どうしてそうなるの?」
「そうそう。俺たちにそんな、なあ? 隠すようなこと別にないって」
「ないね、ない。その通りだ我喜屋。いいことを言った」
「だいたい友利はほら、あんまそういうことに興味ないんじゃないの?」
「そうだね! うん、お恥ずかしながら、これまで独り身で暮らしてきましたので」
「うん、俺も俺も。いや、そりゃ彼女は欲しいけどさ。なかなか、こう、難しいよね?」
「だよね! 独り暮らしって大変だしね! こう、なかなかねっ!」
口々に言い合う俺と友利であった。
教訓。人は何かを誤魔化そうとするとき口数が多くなりがちであるらしい。たとえそれが本当に濡れ衣であってもだ。それとは別に隠したいものを抱えているときは特に過剰な反応が出てしまう。濡れ衣の裏に抱えたものを、隠すために濡れ衣を払おうとする。
そんな様子は――他者から見れば、もうあからさまに怪しく見えるものだということで。
「……ははぁん?」ニヤリ、と勝司は笑った。「ほう。へえ、なるほどね? はいはいはい」
「な、なんだよ勝司。その腹の立つ笑みは、いったい」
「いや、なるほどわかった。ふたりが付き合っていないというなら、それは信じようじゃないか! 俺はダチの言うこたぁ疑わねえぜ」
嫌な予感以外の何も感じないレベルで不自然な勝司であった。
これ本当に疑いは解けたのだろうか。違う気がする、どころかより悪い方向に向かったような気がしていた。
その勘が間違いでないことを、続く言葉で勝司は証明する。
「だけどよ、未那? 俺ら……友達だろ?」
「……そうだが。それが、なんだよ。気持ち悪い確認すんなや」
「いや、野郎には野郎の友情ってもんがあるわけだ。隠しごとはナシといこうぜ?」
「…………、…………」
「俺は理解のある男だぜ、ああ。未那と叶ちゃんはまだ付き合ってない。理解したさ」
何も理解していないことを俺は理解した。どういう誤解を受けているかについても理解した。
ここまであからさまに《まだ》を強調して言われれば、いくら俺でもわかる。
これ、あれだな。俺と友利が好き合っていて、けれどなんかお互い素直になれない的な、あるいはまだ出会ったばかりゆえの遠慮が云々的な、まあそれ系のアレによって告白まで至っていないヤツ――という系統のことを思われているわけだ。
そして、無駄にお節介というか面倒見がいいというか、あるいは単にからかわれているだけか、とにかく勝司の阿呆は俺たちの後押しでもしてやろうと思われているらしい。
……あれだな。この面子に、友利を捻じ込んだのが今さら響いてきた感じ。
なんかもう正直、そういうことにして流してしまおうかと思った。面倒だったし。
だがいくら相手が友利とはいえ、俺との噂が無駄に流布してはさすがに申し訳ない。というか俺としても、そのせいで本当に彼女が作りにくくなってしまう事態は避けたかった。
しかしどう誤魔化すか。
言い繕えば言い繕うほど綻びがむしろ増えていく。隠したい裏事情があるのも事実だ。
しばし迷っていたところで――、
「――いったんストップ!」
と。なぜか、両手をばっと広げて葵が叫んだ。
……なんぞなもし?
あまりの唐突さに、これは俺だけではなく友利も、というか勝司もさなかも面喰う。遅れてそのことに気づいた葵は、わずかに顔を赤くしながらも続けて言った。
「あ、えと、あの……た、たいむっ!」
「……タイム?」
「み、みたいな……ちょっと、あの――集合! さなかと勝司はとにかく集合っ! 我喜屋くんと叶ちゃんはちょっと待っててっ!」
「はい?」
「もういいからっ! 見逃してっ!」
などと言うなり葵は、さなかと勝司を引き連れて部屋の片隅に言った。そして小声で、何ごとかを話し始めている。
俺と友利は、さすがに顔を見合わせて首を傾げた。
しばしあってから戻ってくる三人。もうワケがわからない。
ぽかんと間抜けに目を見開いていたところで、ふと気まずそうに勝司が言った。
「……あー。なんだ、その。悪かった」
「は……?」
「え、何が……?」
戻ってきたと思ったら突然の謝罪。俺も友利も、もうまったく理解が追いつかない。
「いやその、あれだ。違うっつーのにからかうようなこと言ってよ。ん、すまんな。俺が口挟むことじゃなかった。この通りだ」
こうまで謝られてしまうと、むしろこちらの罪悪感がすごかった。
「ああ……いや、いや別に気にしてねえって。いや本当マジで」
「そうそう。うん、わかってくれればそれでいいからさ!」
口々に言う俺と友利であった。
だよなあ。なんか逆に申し訳なくなってくるよなあ。
しかし好機であることも事実であって。
謎の部屋端会議で、いったい何を結論づけたのかはわからないが、このチャンスを逃す俺と友利ではない。ここで一気に、疑惑の解消まで持っていくのがベターだろう。ついでにこの微妙になってしまった場の空気も、一度に改善まで運べればモアベターである。
「ま、別にいいって。確かに驚きはしたけどな。いや、友利が相手はまさかだったわ」
一拍の間があってから、友利も続いた。
「そうそう。まったく、わたしにだって相手を選ぶ権利はあるぞー?」
……。
いや別にいいんですけどね。
その程度で怒ったりしませんけどね。
俺も続ける。
「俺だって友利なんぞ願い下げだからなあ! こいつはちょっとないわー」
友利も続く。
「あっはっはっは! わたしだって我喜屋みたいな面倒なのは絶対ごめんだよねー!」
「あははははは! いや面倒とか友利に言われたくないわー! 友利だけはないわー!」
「そりゃそうでしょ。いちいち細かいし微妙なところで神経質だし」
「いやいや、誰かさんがあまりにがさつすぎるだけだと思いますけどねえ!」
「あ?」
「は?」
俺は友利を睨みつける。が、こちらを睨んだ友利と真正面からぶつかる結果になった。
さすが。考えることは同じというわけか。いい度胸だ。
「お、おい……あれ? おーい?」
勝司がなんか言っているが、ちょっと今それどころではない。
この女、この機会にかこつけて言いたいことを言う気なのは明白だ。
されるがままにはできないだろう。俺からも、きっちり反撃しておかなければならないのは自明の理だ。
「いや勝司、知らないと思うから言うけど、お前も友利だけはやめといたほうがいいぜ」
「なぜ急にそんな話に……」
「こいつ、こんな顔して実はすげーものぐさだからな。朝は起きねえ夜は遅え、ていうか起きてくるときなんかマジでもうゾンビだから、ゾンビ。やばいよ?」
友利からも応戦が入る。
「何を言ってくれちゃってるんだか! 葵ちゃんも湯森ちゃんも、我喜屋には騙されないほうがいいと思うなあ! 人畜無害そうな顔してるけど、裏じゃすっごい細かい性格した陰湿野郎だからね! だいたい自分の家でわたしが何してようとわたしの勝手じゃない?」
「陰湿とかお前にだけは言われたくないですけどねー?」
「はあ? ナニ、我喜屋ってば自分の性格にちょっと自覚が足りなんじゃないの? それ割と致命傷だって早々に気づいたほうがいいよ、これ善意から言うけど。ていうか我喜屋って他人には求めるレベル高いくせに、自分のことはかなりずぼらじゃない? ヒトにはやれ片づけろやれだらしなくするな言う割に、自分の服は畳みもしませんよね? さっき誰が部屋片づけたと思ってんの? 馬鹿なの?」
「それは他人を気遣ってやれる俺の優しさなんですけど、友利にはわかりませんかね? だいたいそこまで頼んでねえから。お前もうちょい身嗜みに気を遣ったほうがいいよ?」
「あ?」
「は?」
馬鹿がふたり、馬鹿やっている光景がそこには広がっていた。
つまりはいつも通りということで。
睨み合う俺と友利を見つめながら、そのことに、代表するようにさなかが言及する。
「……ねえ、ふたりとも」
その言葉に、同時にそちらへ視線を向ける俺と友利。
お互いが視界から消えたことで、その瞬間に冷静になった。
……おやあ?
今、俺、明らかに言ってはならぬことを口にしてしまっていたのでは……?
お互いが相手だと一瞬で理性が蒸発し冷静さが溶け出してしまう、鏡合わせの間抜け。
自分たちがいったい何を言っているのか、言う前に考えることはできないのか。
全てを余すところなく、三人が聞いていることが頭から抜け落ちてしまっていた。
「なんで、そんなこと知ってるの……かな?」
さなかの言葉。《そんなこと》という言葉が示す意味は、この場合あまりに明白で。
俺は何も言えなくなる。
ということは、つまり友利にも何もできない。
俺たちは無力な高校生だった。もう少し言うなら、力というより知能がない。
――おっとぉ? これ、いったいどう誤魔化せばいいんでしょうか?
残念ながら、主役理論はその答えを返してくれなかった。
たぶん、脇役哲学も。
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