彼との再会へと前日

 ふと思い出したように分け与えられただけの過去の栄光にすがり、暗記していた電話番号で一人に電話してみても繋がらず。その日は諦め、一人暮らして身に付いた料理の腕前を一人披露し、自然と笑えるのがなくなったテレビと対面し食い寝る。

 次の日、常人なら暇が出来ているだろう時間を狙いもう一つ覚えていた番号にかけてみた。

 二度一通りのコールを鳴らし、昨日の電話番号にもかけてみてやっと繋がらない事実に戸惑いを覚えたが、この電話番号は新機種というものか、まったく新しい形態の携帯が普及する前の電話番号であることを思い出すと、たしかそのあたりの時に誘われた誘いを仕事を口実に連日で断り、ちょうど落ち着くってころに声がかからなくなったことに心当たりがあった。

 私も携帯は新しくして、用心深い性格と人間関係が目まぐるしく変わっていたその時のこともあって番号を変え、その時の友人も番号を変えていたことを今さら思い出す。

 新しい機能に慣れていなく、メモ帳の紙を引きちぎってメモしてもらったのにそれへの関心を短期間で無くして携帯に登録することも忘れて大事にしなかったそれが手元から無くなっていたことすら忘れて、狂乱交えた振る舞いでゴミ箱をひっくり返して鼻みずまみれたティッシュやティッシュを散乱させると、今感じているのが虚しさであることに気が付き腐敗した蜜柑がゴミ袋にこびりついたまま落ちない。

 なぜ私はその時私の携帯の番号を人に伝えなかったのだろうか、無心が怖かった。仲良しと思っていた友人のことを信頼できないで飲み歩いて酒だけ交わすような仲では無かったのに、その人らが何かしら苦労しているという噂かなんだか情報以上事実未満の話に惑わされて私は自ら独りを選んでしまった。

 完全に孤独であることに気が付いた。なぜすぐわからなかったのか。

 職場ではコミュニケーションを交え、些細なことで笑かしあい、才能も運も無い完全な努力で身に付いた技術で仕事を短い期間で難なく成し遂げ、飲み会などは期待されてなくても、節目の大事なイベントとかなどは無理やり腕を引っ張られたりしていたので、私の今は仕事の為だけに生きていたことに気がつかなかった。職場の皆が私生活では何をして過ごしているのか知らないのだ。

 その仕事ですら職業柄時間にルーズであって、一日9時間も仕事場にいたら長く、月ごとの休みや有休も非常に多く、確実な技術と多少の経験さえあれば成し遂げられる。それで私は月ごとに決められている量を一週間もかけずに終えて、残りは後輩の育成なり手伝いなりで、仕事の報酬以上の手当が貰える。そんな仕事にいますべての拠り所にしていることに、私は突如私個人に対して大いなる不満を抱き、単純に嫌い、自分の価値を咎める。

 一人で住むには大変広い、親から譲ってもらった一戸建ての家。私の住んでいるところはピンポイントで狙ったのかのような田舎で、ここ付近だけは家と家の間が広く庭とただ地面の境など曖昧で、畑や田んぼなどあってもいいのではないのかとは思うが、私の家のすぐ後ろは山の一片と前は車が通れる程度に設備された道路とその向こうのは長らく放置されている住宅予定跡地であり、初春から冬直前まで森手前の林林から虫が降ってくる。もちろん移動には車や自転車が必須だ。それでも店やコンビニへはそうかかりはしないので不便はしなかった。

 秋に差し掛かり虫の声が鮮やかになってそれが私の帰宅を迎える。両親が死ぬ直前立て直してまだ新しいこのドアを引いて、閉じて靴を脱いでもうっすらと聞こえる異性を求める騒音、なわばりの主張、これが私が孤独だと気づくのを遅らせた要因なのだ。家に帰って靴下さえ脱いでも私を気にかける者などいないのに、この静かにならない空間が私を包んでくれていると錯覚して、おふくろと親父が共にいなくなって暫く経っていたのに、私は寂しいと思った自覚が遅れていた。

 近所ともいえない距離のお隣は幼いころよく遊んでくれた息子が上京して老夫婦二人、もう一方の、カーブした道でここからは視野に捉えられないお隣は引っ越してきたばかりの若い夫婦で、たしか同じ職場の後輩の親戚というなんと遠く近い関係で私は一度も顔を見たことがないが、嫁の親を子育ての頼りに実家とほどほどの距離で若くとも買える値段で家を持ったという。

 幼いころは歩けば知らない人はいないで、誰とも話して打ち解けて遊んでそんな暮らしだったのに、今でも歩けば全く知らない人はいないで、相手の内を探り合って他人の情報以上事実未満の話を欲する。地元の人間のことはうっすらと大抵把握しているのは皆同じで私も同じで誰彼の旅行話を聞いて私も行った気になれて、誰彼が結婚したと聞けば私も結婚したような喜びに駆られて、それでも私が青春時代に過ごした友人などは皆私の狭い行動範囲での話題の中ですら居ないで、あの時と微かに似ている感情に縋るように過ごしていて。

 寂しい人間だと、批評されたことのない私にそういう思いが募って、努力だとか成果とか素晴らしい事しか成し遂げないでいる私はつまらない人なのかと振り返り、真面目であることがいかに素晴らしい事だと、他人を傷つけない意見のはきはきさがいかに素晴らしい事かと、私はそれを十分に知っていてそれを他人に理解されることにも名掛けていて共感がどれだけ素晴らしいものかと、そういうのを持っているのにつまらなく侘しいかもしれないという不安で胸が苦しい。

 かもしれない、かもじゃない、現に夕方にすらなっていないのに私は一人で自宅にて過去を空想して、自分なりの人生観や部屋に置いてあるものから哲学を連想して、虫の鳴き声に耳を傾けて、テレビをつけて幼い時に見ていた幼児向けの教育のなんだかクッキングのなんだかを見て、人はたくさん目に映しているのにやはりどうしてもか私は一人だった。

 そうやって一人自覚したあとの短い間独りでいて、表面上はきはきとして爽やかな私は苦しみ苦しんでいるのを内に秘めて、職場と自宅を往復するだけの日々にげんなりするしてを繰り返す。

 人のぬくもりを知っていた私はすぐ耐えられなくなり、新しくしてからズラリと仕事関係の連絡先以外載っていない携帯の中のリストを知っていながら一通りスクロールした後一度壁に放り投げ、画面にひびが入ってしまい焦りながらもまだ使えることを確認したら、宛先の知らない覚えていた携帯番号を打ち込む。

 短いコールの後すぐ返答があり、相手を確認しないまま電話してしまったことを詫びて相手がこちらに返答をする間を与えず一方的につらつらと現状への不満と愚痴だけ並べていたら、私が酒交わず気兼ねなく遊びたいという発言だけくみ取って私の足を都会へと勧める、この電話の相手は私がかつて軽薄な態度や意識から共に過ごした時間は長くとも友人とすら思っていなかった人だと直感した、散々蔑ろに扱われて今更心の拠り所として運悪く選ばれたという感覚を向こうは持っていてもおかしくはないはずなのに、私への不満をあらわにせず約束だけとりつけて、待ち合わせの日にちを合わせ切られる。あんまりにあっけない対応に唖然として私生活で誰かと会話をしたという事実に画面に目を移すとあんなに語った私の不幸は5分すら満たしていなかったことになんだか気が抜ける。

 都会、近くて遠い響きだ、仕事の関連で人に連れられ足を運んだりすることが一度や二度あっただけで、私用で観光だったり買い物だったり、縁がなかった。酒を飲むだけなら歩いて10分かかるバスですぐ人通りの多いところに出れて、その付近で私事は済んでいたのだ、飲んで酷く酔ったら近場で一番安いホテルに泊まり、付き添いの人の目が無かったら車で行き返りする。私はその範囲で十分だったし、気兼ねに遊ぶ、というのも人と喋って、達観して人生への喜びに叫ぶ一方嘆いてる中年のように歩きまわって肩を組んで歩いて鼻歌を歌い帰路につくのだ。そういうのを想像していたからこそ今回、いつもと違う行動範囲への踏み入りが、少しの不安と寂れたくだらない奴の足しにもならない期待感を都会へ向けて、今までに感じたことのない緊張感で足の裏を濡らし、汗で寝れなくなる。

 大したことではないのに両手に汗が握られていることに動揺して大げさな素振りで立ち上がると馬鹿馬鹿しいと思いしゃがむ。都会に出るという目新しい自分の行動に戸惑いを覚えてるのでは無いとはわかっていた。シャツが肉にまとわりついていたので、指で引っ張りすくいあげ風を作るようにぱたぱたと布を前後させて汗を冷やす。

 節約とあんまり点けた覚えのないエアコンに目を向けるがそれも気乗りせず、今の季節を思い出しすぐ冷えることを予想して横になる、転がる。

 彼と会ったら何を話そうか、彼はあの時からどれぐらい変わっているのだろうか。私の顔を覚えているのだろうか。

 不安になっていた、どうしてもか動揺していた。いつも重い瞼がますます重力に逆らえない。

 いい友人だったと思う。今さら思い出すと彼は頭の回転が良かった、自分主義であったが思いやりを忘れず、私の素っ気ない態度でも、寂しい人をほっておけないタチなのか、私をそういう人ということに早々と察知していて、行動範囲が狭い私に付き合って歩き回ってくれていたということに気が付かない私は、彼を浅いやつだと見下していたのに、経験の差だろうか、器か、余裕か、彼はそれも察していたのかもしれない。

 彼は大変優しい人だった、人の愚痴なんてものが彼の口から出た事は無かった、いつだって思いやりに溢れていて、どんな些細なことでも飲み込み、辛いことを陽気に話していた姿は魅力的に見えていた。女にも大変モテたのだろう、噂も絶えなかった。

 私は彼の隣にいることで自分の足りなさは何なのかを考えるようになっていたのだ、情けない気を感じて彼に顔向けが出来なくなっていったのだったのだ。私は彼に嫉妬していた。私自身から距離が空いたのを自分でやっとわかってしまった。

 人格のある彼に再び会えることに水を渇望して跳ねる鮭のごとく、苦悶しながらも心底求めて嫌気がさして、彼は私を嫌っているという根拠のない空想でひと時身を落ち着かせて私の過ちを責めて欲しくないことから自虐で保身する。

 心の広い彼にあうのが恥ずかしい。彼にずっと惨めである自分を見せるのが心苦しい。

 可能性に震え縮こまっている自分を再確認したなら、この感情はプライドだろう。劣等感だろう。

 結局空想に空想を重ねて目が覚め眠れないまま夜が明けた頃、私は自転車を走らせそう遠くはないコンビニでコーヒーを買う。スーパーは流石に車を走らせないといけないが、コンビニとなればぎりぎり自転車で疲れない距離なのだ。これでも私の自宅周辺が極端に空いてるのは、他の施設に恵まれなかったためだろうか、いや住宅地の成り損ないだからか。住民がいれば図書館なりのが出来るのだが、肝心の人の住まいが成り立たないので、寂しい風景が満たされない。坂の節間から、そう遠くない隣を見れば酷い所でも田んぼなり畑なりがあって、見える景色の中の青がかかった山のもうすぐ手前が住宅街になっていて、きっとその付近は賑わって子供が遊びまわり、学生の自転車や主婦やサラリーマンの自動車の行ききは盛んで、知らない人もたくさん歩いて。私の住んでる付近だけ何かに恵まれず人里から遠く離れてるような感覚に程よく近い実感を味わう。

 今カウンターにいるコンビニの店員は最近入ったらしく、表情からあまり物事にやる気を感じられなさそうな女子学生だ。詳しくは二週間前からいるのだが、人の行き来は極端に少なく、こんな曖昧な時間にピーナッツを買ってコーヒーだけ飲んでいく男なんてすぐ覚えられているだろう、入って来た時からちらちらと目線を感じる。やる気の無さそうな目は遠目で思った以上に大きくぱちくりとしていて、一瞬目を合わすとLEDの光を反射したのかキラキラとして、会計後不意打ちに一言交わすとなると、気さくな少女手前浮かれそうだ。だるそうな目つきはきっと普段学や部活動に励んで疲れているのだろう、たれ目だからそれが強調されているのかもしれん、こんな徹夜からだろう時間にバイトで励んで、家計でも支えているのだろうか?空いた時間の趣味などへ有効活用の為で親から金をせびらない真面目な子なのか?ファッションとかに目がないで鏡の前で楽し気にする彼女を想像したら、先ほどまでの印象とは違って、素敵な子だと思った。ふと見せた笑みに込められた意味の妄想は止まらない。

 暗闇を紛らすようにうっすら明るかったのはほんの短い間だけで、家に着くころにはもう太陽の光は眩しく、これから待ち合わせがあることに憂鬱と彼との再会に喜悦。

 人生の山場を越えたのような達観でいて、自分が他とは違うという錯覚を現在味わっている。自覚症状が遅い人間なため、青春時代に誰もが経験し通り過ぎ後に恥ずかしむそんな思い上がりを、ある程度の苦労の経験と交わして受けて来た学びを教訓に、そのうえ自尊心とも呼べそうなそれを掲げて己を高める、そういう気持ちに、もう少し生きの気があったころと同一した気分になり、今更ながらとわくわくした。

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うさぎが懐いてくれない 酒山七緒 @nanao

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