にぃにのおすし

山田けい

にぃにのおすし

 私の兄は目が見えません。それに耳が聞こえず口もきけません。

 先天性の障がいで、昔は目だけはわずかに見えましたが15歳で全盲になりました。

 兄に意思を伝えるには手の平に指で文字を書きますが、簡単なものに限られます。


 例えば我が家の夕食は兄が決めていて、その手に「ごはん」と書くと、彼は相手の手に「そば」などと食べたいものを書き返します。

 手を触ると相手が分かるようでみんなには色々頼むのですが、いつからか私に書くのは「すし」だけになりました。

 私は魚が苦手なのでいい気はせず、希望の食事をした本人もどこか不満げでした。


 その後も「すし」ばかりで嫌気が差した私は、思春期も手伝って次第にその手を取らなくなり、兄が母の手に私の名前を書いても無視しました。




 そうして数年が過ぎた頃、私は母の字で「にぃにのおすし」と書かれたDVDを見つけました。

 何となく気になり観てみると、まだ少し目が見える兄が不格好な手巻き寿司を作り、横でそれを食べる幼い私がいました。

 「にぃにのおすし、おいしい?」と聞く母。兄の手に「すしおいしい」と書く私。


 私はこの光景を覚えていて、ふと思い当たりました。

 兄が私に「すし」と書いていたのはこの記憶からで、彼なりに私を喜ばそうとしたのではないかと。

 思えばこの手巻き寿司は、兄が私のためにしてくれた唯一のことでした。


 映像の兄は満面の笑顔で、確かこの数日後に視覚を失いました。

 兄もまた、私の手を頼りにこの時の光を手繰り寄せようとしていたのかもしれません。

 だけど私は長い間、手を差し伸べませんでした。




 DVDを観た後、私は椅子に座る兄の手を取り、そこに「ごめん」と書きました。

 兄は私に気づき、驚きながらもゆっくり「すし」と書きました。

 「ごめん」と「ごはん」を読み違えたらしく思わず笑ってしまったけど、そのあとで私は泣きました。

 兄は私の手をずっと握っていました。


 ごめんね、にぃに。私ね、にぃにのおすしが食べたい。

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にぃにのおすし 山田けい @keiyamada

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