6月16日 冷たいクラスメイト

 翌朝。


「……寝みぃ」


 寝不足に陥っていた。『イノセンス』の一言が、頭の中をずっとかけ回ていたのだ。意味は純潔、潔白。どう考えても本来の意味とは使い方が異なっている。白紙、ならば理解もできるのだが。


「とりあえず着替えるか……」


 ベットから起き上がり、制服に着替えていく。それと同時に、今日から体育祭実行委員ではないことを思い出したのだった。


~*~


「おはよ……お、今日の朝食は目玉焼きか」

「おはよう、お兄ちゃん。そうだよ。もうすぐできるからご飯の準備手伝って」

「了解」


 部屋に入ると、キッチンで料理をしている妹・永山千夏ながやまちかの姿があった。油のはねる音と香ばしい匂いが俺のことを出迎えてくれる。俺はカバンをソファの上に置き、ご飯を茶碗に盛っていく。それをテーブルに置いていく。


「お兄ちゃん、お皿用意してもらってもいい?」

「おう」


 淡々と朝食の準備をしていく。全ての準備を終える頃には、千夏も使ったものを洗い終わっており、席に着いていた。


「それじゃあいただきます」

「いただきま~すっ」


 挨拶をして朝食にありつく。うん、今日もご飯がうまい。やっぱり日本人は白米に限るな。パン派の人からしたら挑発でしかない一言だろうが。


「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?何だ」


 いつもは俺が会話を切り出しているのだが、今日は珍しく千夏から切り出してきた。何か気になることでもあったのだろうか。


「お兄ちゃん、今日の放課後って空いてる?」

「ああ、空いてるぞ。昨日付けで体育祭実行委員は終わったからな」


 資料を纏めるだけの作業だったのだが。その後は最後の会議らしきものはなく、それぞれの資料を纏め終えたらその日を持って解散とする、という委員長命令が下されていた。なので、昨日は放課後に残ってまで作業していたのだ。

 と、そんなことを思い出していたら、昨日の出来事を不意に思い出してしまった。


『イノセンス同好会に入ってみない?』


 先輩のその一言が、俺の中で引っかかっていた。同好会ってことは、部員は多分先輩だけなのだろう。そして先輩が持っていたプリントは、いつでも渡せるよう常に常備しているのだろう。ますます先輩の目的がわからなくなってくる。どうして俺なのか、俺達なのか。他に誘える人はたくさんいたはずだ。先輩は学園一の有名人なのだから。


「お兄ちゃん?おにぃちゃ~ん?」

「な、なんだよ……」

「何じゃないよ。せっかく私が話してるのに、お兄ちゃんはそれを無視してずっと上の空。何かあったの?」

「な、何にもねーよ」

「嘘、お兄ちゃんは嘘を吐くとすぐに目を逸らす」

「誰だって嘘吐いたら逸らすだろ」


 何て屁理屈のような事を言ってみたが、流石に無理があったような気がした。嘘は苦手だ。正直でいることが楽であるのを知った瞬間、俺は嘘を平気で吐けなくなってしまった。昨日だってそうだ。俺は必死に隠そうとしていたが、片倉さんにはバレバレだっただろう。嘘の吐き方を、俺は忘れてしまっていた。


「深くは訊かないけど、まだ気にしてるようだったらいつでも相談してよね?力になれるかどうかはわからないけど」

「お前は優しいな」

「嘘を吐けないお兄ちゃんの妹だからね」


 フンス、と無い胸を張っていた。おまけに堂々としたドヤ顔だ。全く自慢できないぞ、俺は。


~*~


 自宅を出て鍵を閉める。最後に戸締りを確認して。……よし、大丈夫だ。

 自宅を出るとすぐにあるのは坂である。結構な急坂であり、学校に行く時に体力、精神力共に吸収されてしまう『魔の坂道』なのである。自転車通学もままならない道である。


「よっす」

「おう」


 坂を登りきると、顔なじみのあるやつが立っていた。名前は設楽智久しだらともひさ。俺の小学校時からの悪友である。根っからのチャラ男だが、中身は割としっかりしている。面倒見もよし、性格もよしで取り付く島がない。強いて言えば、ナンパ癖が激しすぎるところである。


「今日はちゃんと時間前に来たんだな」

「お前こそ、今日は他学校の女子をナンパしてないみたいだな」

「心外だな。俺は毎日ナンパしてるわけねーじゃんかよ。そんなにしてたら身体が持たねーよ」


 俺は毎日お前がナンパをしている姿しか見ていない気がするんだが。今は黙っておくが。俺と智久は緩やかになった坂を二人で歩いていく。しばらく歩くと、智久が話を切り出してきた。


「にしても、お前って本当に残念なやつだよな」

「誰が残念だって?」


 いきなりだったので頭にカチンときた。


「だって、お前何だかんだで女子にモテるのに学校じゃ常に一人を貫いてるじゃねーか」

「女子にモテる?俺が?はっ、ありえないね」

「そうか?男の俺からしても、お前はイケてる部類に入ると思うんだが」

「……褒めても何も出ねーぞ」

「それ、女子に言えば好感度上がると思うんだが」


 俺はツンデレか何かか。自分の中じゃそんなキャラ持ち合わせた覚えはありません。

 階段を登っていくと、学生達の列と合流する。この坂を登りきれば通っている山城学園の校舎が見えてくるはずだ。と、視線の先にいたのは、片倉さんだった。俺達が後ろにいるため、片倉さんには当然見えない。今は片倉さんの友人である畠中麻莉紗はたなかまりさ大崎茜おおさきあかねと並んで歩いている。

 と、横から肩を組まれた。そんなことをするのはただ一人しかいないが。


「何だよ」

「お前、今でも安杏ちゃんのことが好きじゃないの?」

「……何時の話をしてるんだよ」


 そう、俺はかつて片倉安杏のことが好きだった。誰にでも優しく、人懐っこく、頼りになれる彼女のことが。しかし、それは単なる幻想でしかなかったのだ。確かに俺が悪かったかもしれない。盗み聞きなんて最低な行為だと知っている。だが、興味が勝ってしまったのだ。

 そう、それはある日の放課後だった――――――。


~*~


「安杏先輩、好きです!付き合ってください!」


 偶然である。中庭にある自販機で飲み物を買いに行っている時に鉢合わせしてしまった。告白されている。片倉さんが。しかも、後輩に。

 告白している後輩は、陸上部でのスポーツ推薦で合格した陸上界の期待の星のやつだった……気がする。部活が始まる前なのか制服ではなく、体操服姿だった。

 俺は自販機で飲み物を買うことすら忘れ、物陰に潜んでいた。と言うか、隠れる必要はあったのだろうか。

 片倉さんは最初は目を見開いて驚いている様子だったが、状況を理解するとニッコリと微笑んだ。そして――――――、


「ごめんなさい」


 静かに放った。拒絶の言葉を。

 それを訊いた後輩は肩をガックシと落とした。なんとなくわかってはいたが、ここまではっきりと言うとは。俺も驚いていた。しかし、後輩は諦めなかった。


「先輩、なんで俺じゃダメなんですか?」

「理由は簡単だよ。私には好きな人がいるから。ただそれだけ。だから、君の告白は受け取れないの」

「じゃあ、俺がその好きな人を越えるやつになれれば―――」

「それは無理だよ。君じゃ絶対になれっこない。私を面白くしてくれることなんてできないんだよ」


 そう言って後輩の前から立ち去った。告白に失敗した後輩は、肩を落としたまま校庭の方へ歩いていった。


「好きな人がいる、か」


 その日からだ。俺が彼女を、片倉安杏を諦めたのは。


~*~


 智久と別れた俺は一人で教室に入っていく。俺の席は窓側から二番目の一番後ろの席である。誰かが勝手に椅子とかを使うわけではないので、一番席は俺からしたら助かる場所である。


「あ……」


 俺が席に座ろうと椅子に手をかけたところで気づいた。左側の席で机に突っ伏しているクラスメイトが。俺の声に気がついたのか、こちらの方に顔を見せる。


「……何?」

「いや、今日はいるんだなって」

「毎日学校に来てるわよ。ただ教室にいるかいないかだけ。ふあぁ、寝たいから話しかけないで」


 そう言って再び突っ伏してしまった。全く本当に冷たいやつである。少しは俺との会話を楽しもうとしないのかよ。まあ、俺は学校では孤独を演じているから言える柄ではないのだが。

 少しだけ青みがかった髪は太陽を反射し、まるでサファイヤのような輝きを見せている。筋肉があるのか疑うほどのスレンダーな身体は、まるで氷で出来ているように細い。そんなザ・雪女感を出しているのは真中桐華まなかきりか。教室の出現率は50%を切っている。まさに妖怪のような存在感である。


「真中さん」

「……今度は何よ」


 うわぁ、ものすごい不機嫌だ。そりゃあ、起こさないでって言ったそばから話しかけられているから無理もないが。さて、彼女の真紅色の目が怒りに塗りつぶされる前に伝えることは伝えておこう。


「今日提出のプリントとかって持ってきてる?」

「さあ、プリントなんていちいち確認してないから持ってきてないかもね」


 やっぱりな。そうだろうと思っていた俺は、自分の机から今日提出になっているプリントのコピー用紙を取り出し、それを真中さんに渡す。それを見た彼女は明らかに不機嫌な顔で俺のことを睨んできた。おぉ、怖っ。


「何これ?」

「今日提出分のプリントだ。せっかくコピーしてやったんだからちゃんとやってくれよ」

「……ふ~ん」


 真中さんは俺からプリントを受け取ると、それを一度目に通した後、クシャクシャに丸めて窓から投げ捨てた。


「ああっ!?俺の親切心を窓から捨てやがったな!!」

「うるさい、黙れ、失せて、死ね」

「言葉が出てくる度にどんどん口汚くなってるのは何故ですかねっ!?」


 しかし、彼女の耳にはもう聞こえていなかった。耳に差し込まれているのはイヤホンである。音楽でも聴きながら寝ようとしているのだろう。と言うか、既に机に突っ伏して寝る体勢に入っていた。


「……誰かコイツの世話役を勝手出るやついないかね」


 俺が違う意味で机に突っ伏していると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。教室中で席に急いで座る音が響いてくる。その横では規則正しい寝息が聞こえてきたのだった。……本当、誰か俺と一緒にコイツの世話役をやってくれるやついないかなぁ。

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