夏色イノセンス!
一之瀬安杏
共通ルート
6月15日 終わりの始まり
「……」
「……」
放課後の教室。既に生徒の姿はなく、残っているのは俺と目の前にいる彼女だけである。
教室で行っていること、それは昨日行われた体育祭の資料まとめである。本来なら昨日までに片付けておきたかったのだが、昨日の体育祭の片付けが予想以上に掛かってしまい、結局手につけられなかったのだ。
「……」
「……」
静かな教室。机の上に向かっている俺。そんな姿をはっきりと大きな瞳が捉えていた。……正直、凄くやりづらい。
「な、なあ、少しは手伝って欲しいだけど……」
「うん?今は手伝えません。あたしは君を見ることで忙しいのだ」
「……さいですか」
満面の笑みで
「……これが終わればもう集まることもないんだよな」
「そうだね。長いようで短かったよね。でも、あたしたちがもう会えないってわけでもないじゃん?」
「まあ、そうなんだけど」
実際、彼女とは同じクラスのため話そうとすれば話せるのだが、何せクラスのアイドルのような存在であるため、彼女に近づこうとする勇気はあるはずもなかった。
俺たちに、また沈黙が訪れる。聞こえてくるのは、教室に吹き付ける風の音と、シャーペンから奏でられるカリカリという音だけである。
そして―――、
「終わった!」
「お疲れ様。後は資料室に仕舞えば全て完了だね」
ニッコリと、俺の顔を見て笑顔を向けてくる。
ああ、これで何もかもが終わってしまう。これを資料室に仕舞ってしまえば、明日からまた俺は一人なのだ。遠目から彼女のことを見ることしかできない。
俺が席を立ち上がると同時に、片倉さんも一緒に席を立つ。どうやら資料室まで一緒について来てくれるらしい。俺は何も言わずに教室を出る。彼女も同様に教室を出る。
廊下にはチラホラと生徒の姿があったものの、誰としてこちらを見る生徒はいない。いくらクラスのアイドルでも、放課後になってしまえば一生徒であるらしい。
「あ、片倉先輩だ!」
「ホントだ!片倉せんぱーい!」
キャッキャと騒ぎながら、こちらに手を振ってくる女生徒達。ジャージの色から彼女らは一年なのだろう。一方の片倉さんは横で手を振り返していた。サービス精神旺盛である。
「人気だな」
「もしかして嫉妬してる?」
「んなわけ無いだろ」
「知ってた」
クスクスと笑っている。とても楽しそうである。
しばらくして歩くと、目的地である資料室に到着した。職員室から借りてきた鍵を取り出し、鍵を開ける。
が、反応しない。鍵を間違えたか?もう一度差し込んでみる。しかし、同じ反応が返ってきた。
「どうしたの?」
「いや、右に回しても反応しないんだ」
「本当に資料室の鍵を借りたの?」
「借りたって。ほら」
片倉さんに持っている鍵を渡す。鍵についているホルダーには、しっかりと『資料室』と書かれている。彼女もそれを確認すると、鍵穴をじっと見つめ始めた。
「何してんだよ?」
「これって開くと思う?」
「いや、誰も資料室使ってねぇんだから開かないだろ」
「どうかな?」
片倉さんが引き戸に手をかけると、扉はガラリと音を立てて開いてしまった。
「ほら、言ったとおりでしょ?」
「……そりゃ鍵が反応しないわけだ」
元から開いていたのだから反応しないのは当然である。しかし、ここで新たな疑問が浮かび上がってきた。
「どうして開いてんだ?」
「さあ?」
謎が謎を呼ぶとは正にこのことだと思った。
思い切って、資料室に入っていく。少しだけ埃っぽいのは普段から使われず、換気さえままならないだったのだろう。とは言え、教室の中にも人がいる気配がない。
「誰もいないぞ……?」
「ね、ねえ……」
後ろから震え声が聞こえてくる。片倉さんはオカルトチックなものが少々ダメな方らしかった。メモメモっと。
「あそこから、何か聞こえるんだけど……」
「あそこ?」
片倉さんが指差す方向。そこは埃の被っていない使い古されたソファがあった。方向は窓の方を向いているため、座る部分は死角となっていて見えない。しかし、微かに聞こえる。スーッ、スーッ、という音が。何かの空気が抜けているのだろうか。
「俺が確認してくる。片倉さんはそこでちょっと待ってて」
「う、うん……。気をつけてね……?」
少し涙目になっている片倉さんを見て、役得感を感じてしまった。
俺はゆっくりと音のする方へ近づいていく。一歩、また一歩と近づき―――、
もぞもぞっ―――。
「うぉあ!?」
「きゃぁ!!」
二人して大声で驚く。片倉さんは俺の声に反応したのだろうが。
「ど、どうしたの……?」
「いや、ソファの上で何かが動いたような気がしたからさ……」
答えつつ、一歩と近づいていく。ついにソファの真後ろに立った。後は覗くのみである。音の正体が判明する。
「……よし!」
ひと呼吸してからソファに手をかける。埃を被っている感じは全くしない。誰かが手入れしているのだろう。
そして、意を決してソファを覗き込む。そこには――――――、
「くー……すー……むにゃ……もう、食べれないよぅ……えへへぇ……」
女の子が、眠っていた。無防備にもスカートが捲り上がっており、今にも中が見えてしまいそうである。胸元も第三ボタンまで外されているため、チラチラと青い布地が見え隠れしている。可愛らしいお
正直、エロかった。
「ど、どうだった……?」
「……はっ!」
後ろから聞こえる片倉さんの声で我に返る。俺は一体何を考えているんだ。いくら目の前の美少女がエロいからって見とれてるのはダメだろ!
「い、いや、何もないよ!風船が萎んでる音だったみたい!」
「ふ、風船?何で風船が資料室にあるの?」
何言ってるんだ、俺!?今のは嘘だとしても明らかにおかしすぎだろ!露骨すぎて自分でも疑ってしまうレベル。
「ねえ、ちょっとそこどいてもらってもいい?自分の目で確かめたいから」
「えっ、ちょ、ちょっと待てよ!流石にそれは……!」
挙動不審になってしまう。そのはずみでソファの足を踵でガツン、と蹴飛ばしてしまう。
「あっ、ヤベッ……!」
「うう、ん……うん……?」
ソファの主を起こしてしまった。ムックリと体を起こしながら半開きの目を擦っている。状況確認をしているのか、周りをキョロキョロと見回している。そして、俺と目が合ってしまう。
彼女の瞳は寝起きのせいか、少しだけ潤んでいる。その魅力的な瞳に何故か惹かれてしまった。
「ん?もう、夕方?」
「え、あ、はい……」
反射的に返事をしてしまう。敬語になってしまったのは、別にリボンの色が緑色だったからではない。初対面だったので自然と敬語になってしまっただけである。
「そうなのね。ふぁ、随分と寝ちゃったみたいだね。それじゃあ帰ろうかな」
「待ってくださいっ」
「ん?それって私に言ってるの?」
「はい。先輩に言ってます」
「……そう。もしかして、何で私がここで眠っていたのかを聞きたいのね?」
「……話が早くて助かります」
諦めたのか、先輩はこちらを向く。その時、後ろにいる片倉さんと目が合ってしまったようだ。
「そこにいる娘はあなたの付き添い?」
「そうです。あたしは彼の付き添いです」
俺に対しての質問に、片倉さんが代わりに答えた。それを訊いた先輩は少しニヤけた顔で俺達のことを見ていた。
「もしかして、カレカノ関係?」
「そ、そんなのじゃないですっ」
「必死に反論してるあたりが怪しいなぁ」
「か、からかわないでくださいっ。だ、大体、不知火先輩はここで何をしていたんですか?」
不知火、と呼ばれた先輩は沈黙を始めた。それに釣られて俺達も沈黙することにした。
やがて――――――、
「まあ、先生じゃないだけマシなのかな」
ため息一つ吐いた後に放った一言目はそれだった。
「二人共、何か部活って入ってない?」
「唐突っすね……」
「いいじゃない。それで、どうなのかな?」
「俺は図書委員以外には何も」
「あたしもそうですね。強いて言えば、幽霊部員が多い文芸部くらいで」
「……丁度いいじゃない」
あまりに小さすぎて何を言っているのかわからなかった。混乱している俺達を余所に、先輩は置いてあったカバンを取り出すと、中からA4サイズの紙を俺達に渡してきた。俺も片倉さんも流れでそれを受け取る。
「『イノセント同好会』……?」
「ちゃんと見てよっ。『イノセント』じゃなくて『イノセンス』っ!」
「どっちも同じなんじゃ……」
「ちょっとだけ違うよ。細かい違いは『イノセント』は形容詞で、『イノセンス』は名詞なの」
「急に英語の勉強が始まったよ……」
出ました、片倉さんのお勉強モード。勉強が得意な彼女にとって、間違った知識のある人間には正しい知識を教え込まなければ気が済まないらしい。何て迷惑な世話好きなんだ。
「イノセンスとイノセントの違いを知ったところで、どうかな?」
「どうって……活動目的がわからないのに、入るなんてできるわけないじゃないですか」
「それなら大丈夫だよ。プリントの真ん中にちゃんと書いてあるから」
先輩の言う通り、プリントに活動目的が書かれている。そこに書かれていたのは―――、
『あなたのイノセンス、夏色に染め上げてみませんか?』
「……何これ?」
「イノセンスを夏色にするってどういうことですか?」
「イノセンスって純潔、潔白って意味があるでしょ?」
「そうですけど、それが何か?」
「そんな真っ白な心を夏の思い出で塗っていこうってことだよっ」
ニッコリと、俺と片倉さんを交互に見ながら笑っている。どうやら俺達を本気で同好会に誘っているみたいだった。
「イノセンス同好会に入部してみない?」
と、満面の笑みで言い切ったのだった。
~*~
自宅に帰ってきて、早速先輩から渡されたプリントを取り出す。と、そこで一つ思い出した。
「先輩の名前、訊いてねぇ……」
頭を抱えた。知っているのは、彼女が先輩であることだけである。どうしようかと悩んでいたが、その問題はすぐに解決された。右下に名前が書かれていた。
「不知火、奈保……先輩、か」
不知火って苗字を訊いたことがあると思っていたが、彼女は学園一の秀才として有名なのだ。だから、片倉さんが呼んだ時に違和感があったのだ。
「そんな秀才が誘ってきた同好会、か……」
興味がないわけではない。しかし、今まで部活なんてモノに縁のなかった俺が、そんな得体の知れない同好会に入って大丈夫なのだろうか。悶々とした気持ちが沸き上がってくる。
「……とりあえず連絡先くらいは、と」
プリントに書かれていた番号とメルアドを登録し、紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱にシュート。ストン、とすんなりゴミ箱に吸い込まれていった。
とりあえずはこれで大丈夫だろう。気が変われば、登録したアドレスに連絡を入れればいいしな。
『お兄ちゃ~んっ!ご飯ができたよ!』
「おうっ、今行く!」
自室から出て階段を降っていく。香ばしい匂いが漂っている。今日の夕飯は魚なのだろう。
それよりも――――――、
『イノセンス』
その言葉が、俺の頭の中から離れることはなかった。
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