悲しいけど、寂しくなんかない。

好きなおばさんが死んじゃった。

事故だって連絡が入った。

いつも元気で綺麗でニコニコしてたのに。


私たちは毎日を平凡だと嘆きながらも、さも当たり前のようにのほほんと暮らしてるから生きてることにありがたみなんて感じないし、死なんてどこか遠くの異国の話に感じてしまう。

けど、やっぱり死はいつでも隣にいるのだった。

死は突然やってくる。


ベランダから落ちて死んじゃったんだって。

つい数時間前まで家族と楽しく会話してたのに。新居に引っ越したばかりだったのに。

詳細を聞けば聞くほど悲しくなる。


胸に浮かぶのは楽しそうに笑う顔ばかりだ。


その人とは趣味が一緒だった。何度も交流会をして一緒に練習もしたし、舞台を見に来てくれたり見に行ったりした。

でも、もう彼女の演奏を見ることはできない。あの笑顔を見ることもできない。

この世界から彼女は消えてしまった。


私は彼女の家族でもないし、彼女の所属している団体の者でもない。でも、知り合って笑いあった経験がある。それだけで私たちは仲間だったんだと自信を持って言える。


私は生きている。それはきっと奇跡的な偶然の巡り合わせなんだろう。誰もが奇跡のような確率の結果、誰かと出会い、今という時を生きている。

それに感謝しろとか言う気もないし、だから精一杯生きろなんて言う気もない。


でも、折角生きてるんだからこれからも生きたらいいんじゃないかなって思う。


死は辛いし悲しいけど寂しくなんかないんだと自分は思っている。

死は無になることではない。

氷が溶けて水になるのは氷の死だろうか?

水が蒸発して気体になるのは水の死だろうか?

全ては流転する。変わらないものなんてない。

人も同じ。埋められれば土になるし、燃やされれば煙になって空になる。それは無になることだろうか?

……違うと思う。多分、それは地球に還るってことなんだ。

私たちが毎日歩く大地に、私たちが毎日見上げる空になるってこと。

世界中に広がっていくことなんだ。

会えるんだ。いつだって。

いつでも感じることができる。いつでもそばにいるんだ。


そう思うと、寂しくなんかない。

悲しいけど、寂しくなんかないんだ。。

忘れなければいつでも心の中で会える。

だから、悲しさも寂しさも抱きしめて生きていくんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る