第六話 長椅子と怪鳥
いつもの(いつもの)
椅子だった。
昼日中。小さな町でのことである。
石造りの建物の合間を進んでいく娘が担いでいるのは粗末な長椅子である。どこをどう見てもそれ以上でもそれ以下でもない。ただ、墨で目と口が描かれているのが奇妙と言えば奇妙ではあった。何事か、と道行く人々は怪訝な顔をしていたが、彼女が道服を着ているところを見ると得心した。魔法使いなのだろう。
珍妙ななりの魔法使いが来たという話はたちまちのうちに町中にいきわたり、そして魔法の助けが必要な人々の下へも届いた。彼らは仕事を切り上げ、街の中央にある広場へとやってくる。商売に来た魔法使いが陣取るとすればそこだからだった。
道服を着た娘は、長椅子に腰掛けて気持ちよさそうに陽光を浴びている。傍らには背負い袋と剣も置かれていた。
ひとびとの頼み事を、娘は聞き入れた。失せものを探し、商売繁盛の呪文を店の壁に描き、安産の札を手渡し、厄除けの
客足が途絶えた頃、娘は荷物をまとめ、得られた貨幣で塩、鉄などを調達すると長椅子にそれらを括り付けた。どうするのだろうか?と好奇のまなざしを向ける人々の中央で、娘は椅子に腰かけると魔法を行った。呪句を唱え印を切ると、椅子はふわりと浮き上がったのである。
そのまま、娘は椅子ごと町の外へと飛んで行った。
人々は、あれは力のある魔法使いだったのだろう、と話し合った。
◇
陽光が降り注ぐ心地良さの中。
空飛ぶ長椅子からは、地平線の彼方。延々と続く森の瑞々しい碧。遠方の急峻な山々。そこから蛇行し、森の中を抜けて遥か後方まで伸びた河川。そういったものが見て取れた。
「ふぁ……」
一仕事終えた安心感からか、欠伸をする娘。頬を撫でる風が気持ち良い。
娘と荷物を積んだ長椅子の速度は小走りの馬ほど。それ以上の速度も出せたが、あまり早いと風がきつすぎて目を開けていられなくなる。この分ならば日が暮れる前に洞府へと戻ることができるであろう。夜空は星神と暗黒神のせめぎ合う領域である。あまり長いこと飛んでいたいとは思えなかった。寒いし。
やがて、森を抜け、山々に差し掛かろう、というころ。ふと、空が陰った。
見上げてみる。鳥だろうか?
娘の視線の先。太陽を遮ぎっていたのは、確かに鳥だった。翼長二十メートルもある、とてつもない巨体。牛だろうが両足で鷲掴みにできそうな猛禽類が、こちらの隙を伺っていたのである。怪鳥だった。
目が合う。
「……あー」
怪鳥は、急降下。こちらめがけて襲い掛かってくるではないか。娘は咄嗟に椅子へ回避を命じるが間に合わない。
怪物の爪が、椅子に引っかかった。
ただの一撃で椅子は裂け、くるくると回転。制御を失っているのだ。
投げ出された娘は、落下していった。
◇
「……ぅぁ……」
娘が目覚めたのは、樹上だった。枝葉に受け止められたおかげか、深刻な傷はない。日は既に傾いている。近くには荷物が括り付けられたままの長椅子も引っかかっていたのは幸いであろう。とはいえ爪の一撃で、椅子は大破していたが。修理するにしてもかなり手間がかかりそうだった。
怪物に襲われないようにと空を飛んで往復したというのに、なんとついていないのだろうか。などと考えつつ、娘は起き上がるとひらり、と着地。続いて印を切り呪句を唱え、椅子を支える木々の枝へと命じる。荷物をそっと下ろせ、と。
魔法は無事に発動し、調達したばかりの生活物資と椅子は大地へ降り立った。
「……参ったな、こりゃどーするかねえ」
まもなく日が落ちる。夜は怪物どもの時間だった。どこか安全な場所で野営し、明日になれば急いで椅子を修理しなければ。
周囲を見回す。
「……お?」
よいものがあった。とてつもない巨木。そこに大きなうろがあったのである。娘が荷物ごと中に入っても大丈夫であろうという。一夜を明かすにはちょうどよい。
「失礼しますよっと……あれ?」
中を覗き込んだ娘。彼女は怪訝な顔をした。先客がいたから。
大量の荷物の中で、幼い兄妹が眠っていたのである。
なるほど。泊まるのに都合がよい場所ならば他に目をつける者がいたとしてもおかしくはない。
だが、それよりも娘の内に浮かんだのは、安堵。子供たちだけ、ということはあるまい。大人もいるはずである。助かった!
などとやっているうちに、妹がむくり、と起き上がりこちらを見た。
「……むにゃ?おばちゃん、誰?」
妹にそう言われて娘はカチン、ときた。まだ15歳である。おばちゃんと言われる筋合いはなかった。
「おばちゃんじゃないの。お姉さんなの。分かる?」
「……お姉さん、誰?」
「ふっふー。聞いて驚け。お姉さんは魔法使いだぞ。凄いだろ」
意味もなく胸を張る娘であった。大きさはささやかなものであったが。
「……お師匠様の方が凄いもん」
娘の胸を身ながら告げる妹。何か間違っている気がする。
「はっ!こんなことしてる場合じゃなかった。
ねえあんた。お師匠様ってどこにいるの?実はちょっと困ってるのよ。助けてほしいんだけど」
「……お師匠様も、もうすぐ起きると思うよ。ほら」
「ほへ?」
妹が指さした先。そこには何の変哲もない地肌が広がっている。木々の枝葉の合間より降り注ぐ陽光がいよいよ衰え、もうすぐ消えてしまおうか、という暗さに包まれつつはあったが。そう思って見ていると。
ぼこり。
土が、盛り上がった。
「―――へ?」
地面から突き出たのは血の気のない繊手。それは折れ曲がり、土をかき分け、中身を露わとする。
呆然となり行きを見届けている娘。その眼前で、怪物は身を起こした。
血の気のない裸身の女体。驚くほど鍛え上げられ、そして麗しい曲線を備えたそいつにはしかし首がない。
不死の怪物であった。
物理的には存在しないそいつの双眸が、こちらを向く。
「―――ぁ。ああ。あああ」
駄目だ。あれには勝てぬ。あれと戦って生き残れようはずもない。何なのだあの化け物は。
怪物は立ち上がり、そしてこちらへと向き直った。
「ひぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
娘の絶叫が、夜の森に響き渡った。
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