お、お前……今まで誰も口に出さなかったことを(でも思ってたやつは誰かいそう)

荒れ狂う海原に翻弄される、人間たちの小舟。

その上で女占い師が取った行動を、水夫はすぐには理解できなかった。首のない女が波にのまれた結果、呆然と立ち尽くしていたのである。水夫がすぐに引っ張り込まなければ、波にさらわれていただろう。

「ちょ、ちょっと。どうせ魔法で作った怪物でしょ!?また作ればいいじゃない!死ぬよ!?」

言ってしまってから、水夫は自分の発言が相当まずかったことを悟った。周囲の雰囲気が明らかに変わったからである。

気まずい空気を吹き払ったのは交易商人だった。彼は女占い師へと語り掛けたのだ。

「今は生き延びることを考えましょう。海魔クラーケンは魔法を使うのですか?」

「いえ」

「ならば彼女も死にはしますまい。後で救出に来ればよいのです」

「ええ」

そのやりとりで、再び皆が慌ただしく動き始める。

「うちのを怪物呼ばわりするのはやめていただきたい」

交易商人は、作業に戻る刹那、水夫へと告げた。


  ◇


船上でのやりとり。水夫と仲間たちが交わした言葉を、海中に沈んでいく女海賊の胴体は聞いていた。彼女の生首は未だ船内。の中に残っていたからである。交易商人の言葉が嬉しかった。

それにしても奇妙な気分である。体があるというのは。離れていても仲間と繋がる事も出来る。

―――時間を稼がねば。

女海賊は考える。

今の会話からすると、海魔クラーケンは己を殺せない。朗報である。自分の生存について心配する必要はなくなったのだ。ならば、全力で仲間たちの安全を確保するべく戦わなければ。

とはいえ、女海賊は所詮人間である。死んでいるだけだ。水中での機動力で海魔クラーケンにかなうはずもない。視界も悪かった。敵の居所すら分からぬ。

だから、彼女は耳を傾けた。水中を伝わる霊的なを聴覚で、そして全身で感じ取ったのである。

水中を伝わってくる巨大なうねり。その源へと向き直った女海賊は、見た。

昏き海の底にてぼぉっと光り出した、山脈のごとき巨体を。

淡い緑色の光。そいつは、とてつもなく巨大で尖ったから、十本以上もの触手を伸ばす烏賊。あるいはタコのように見えた。

体は透き通るような半透明。海面上で見た時と色が異なる。体内を通る血管が浮き出て見えた。

ひょっとすれば、体色を自在に変えることができるのかもしれぬ。

そこまで観察した女海賊は、剣を構えなおした。奴は船を追うつもりのようだ。

そこで思い出す。タコの仲間は貝を締め上げ、殻を砕いて中身を喰うのだと。奴にとって、船とは貝なのかもしれぬ。中にを隠した、海面上の殻。

だから彼女は待ち構えた。海魔クラーケンの目的が船員たちの捕食だとするならば、海に投げ出され沈み行く己を、奴は見逃さぬであろうから。

果たして。

女海賊のもくろみ通り、海魔クラーケンは襲い掛かって来た。触手の中央にぽっかりと開く、途方もなく巨大な口。そこが開き、彼女を呑み込んだのだ。


  ◇


―――うすぼんやりと、周りが見える。

海魔クラーケンの体内へと侵入を果たした女海賊は、奥へ奥へと運ばれていた。されていたのである。もされたが魔法を帯びておらぬクチバシでは、女海賊を傷つけることはかなわなかった。

それにしても不思議な光景である。周囲はうすぼんやりと光り、外の光景もかすかにだが見えるのだ。半透明な体組織の内部には血管やら臓物らしきものの姿もある。

濁流のごとき水の流れに押しやられていく女海賊は、手にした剣を突き立てた。水の中へ噴き出す血は、青。

それでも、流れは変わらない。刃をより深く突き刺し、流れに任せて傷を拡大していくことを女海賊は選んだ。

やがて。

海魔クラーケンの動きが揺らいだ。いかな巨体であろうとも、体内を傷つけられればただではすまぬという事なのであろう。

己を運ぶ力が弱まったとみた女海賊は、剣を抜いた。自らの力で周囲を破壊していくことを選んだのだ。

全身を痙攣させる海魔クラーケン。その動きは急速に衰えていく。

巨体の怪物は討たれたのだ。


  ◇


「―――動かなくなったぞ」

狂戦士の言葉通り、海魔クラーケンは船への攻撃を中断していた。海面上で停止している何本もの触手。あれほど荒れ狂っていた海面が嘘のように凪いでいる。

かと思えば、怪物が吐き出したのは、どす黒い何か。急速に海を汚していくそれは、海魔クラーケンの血であった。

やがて怪物は動き出した。船への攻撃を再開したのではない。突如痙攣し始めたかと思えば、触手を振り上げ、そして力なく項垂れて行ったのだ。

死んだのである。

「いったい、何が……」

交易商人の言葉が皆の心境を代弁していた。

そこで動き出したのは女占い師である。彼女はへと走ると、その蓋を開け、中に納まっていた生首を盗りだした。水夫がぎょっとするが気にする者はこの場にいない。

「……ぁ…!」

「なんとおっしゃっているので?」

交易商人の問いは、皆が思っていたことであろう。

「―――海魔クラーケンの体内をズタズタにしてやった、だそうです」

再び海面上へと視線を戻す一同。その視線の先には、もはや動くことのない巨体。

皆が、生き延びたのである。


  ◇


そこそこ大きな貿易港。その街路を、水夫は歩いていた。

そこは大陸の西にある大きな島。その東岸である。

無事に生き延びた水夫は、停泊したロングシップから降ろされたのである。身一つで放り出されたわけだが、船賃を要求されたわけでもなし。かなり良心的な扱いであった。

港を振り返った彼は、既に出航したロングシップを沖に見つけた。あの風変わりな、魔法使いたちと不死の怪物を乗せた船を。

しばしそれを眺めていた水夫は、やがて視線を戻す。新たな仕事を探さねばならなかったから。

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