第六話 湖畔の陰謀
小柄な女性の全裸を見た中年の男が歓喜の表情を浮かべたと書くと大変あぶない(あぶない)
夕日が沈む。
湖畔では森の木々が影を伸ばし、水面では今日最後の輝きを美しく反射していた。
まもなく闇の者どもが起き出す時刻である。
湖の岸辺に、一人の男がいた。
歳は中年と言ったところか。仕立ての良い旅装束。ひげを蓄えた顔は善良そうだった。あまり体を動かすのは得意そうではない。とはいえ人里離れた場所故か、曲刀で武装はしている。白刃を手にしていた。
刃の切っ先は彼自身。己の首に当て、引こうとしていたのである。自害するつもりなのだ。
されど。
彼の額には脂汗が流れていた。自害しようというのだから当然であるかもしれぬ。されど、それを差し引いても明らかに尋常な様子ではない。まるで想像を絶する苦痛に耐えようとしているかのような。
すぐに彼は刃を投げ捨てた。刃による自害を断念したのである。息が荒い。
生き延びた男が次にした行動。それは、身投げである。湖面へその身を投じたのだ。
いや、投じようとして、彼は跪いた。凄まじい苦悶の表情を浮かべて。
しばしの間七転八倒していた彼はやがて動きを止めた。襲い掛かっていた苦痛が引いたようにも見える。
されど、激痛から解放されたにしては、彼の表情は沈んでいた。いや、絶望しきっていたと言ってもよかろう。それは死ねぬことへの諦観であろうから。
だから、太陽が沈んだ時。
湖面から現れたものを見て、男が喜びの表情を浮かべたのは、希望を見出したゆえであろう。水中から出現した不死の怪物。すなわち首のない裸の女体に、殺してもらえるという。
◇
―――しまった!!
寝床より起き出してきた女楽士は、水面上をよく調べなかった己の不注意を後悔した。まさかこんなところに人間がいるとは!
見られた。
眼前、すなわち湖の岸辺にいるのはひげを蓄えた人間の男。傍らには曲刀が転がっている。一体何事か。
だがそれよりも奇怪なのは、男がこちらを見て歓喜の表情を浮かべているということ。首のない裸の女が水中から突然現れれば、正気の人間は悲鳴を上げるか武器を向けるかだと思うのだが。
ざっと見たところ普通の人間である。傍らの曲刀もただの鋼のようだ。質はそれなりによさそうだが。
女楽士は判断に迷う。相手が普通の反応をしてくれるならむしろ簡単だった。こちらが寝床、つまり水中へと戻れば相手は追ってこれなくなるし、それでおしまいである。だがこの相手は助けが必要に見える。それがどのような性質のものであれ。
だから女楽士は、男へと語り掛けた。小脇に抱えた首を相手に向け、唇を開いたのである。
「……ぅ…」
話かけられた男は、しばし喜びの表情をしていた。されど、一向に女楽士が襲い掛かってこないことに不審な表情を浮かべ、やがて落胆した。
「……殺して、くれないのか……」
男の口から漏れ出た言葉。それに、今度は女楽士が困惑する番だった。何か尋常ならざる様子である。できれば話を聞きたいが、どうやら男は夜目が効かぬらしい。暗くて女楽士の唇の動きを読み取れないのであろう。
と。ちょうどそこに、通訳が現れた。木々の合間より野伏がひょっこり顔を出したのだ。
「おはよう。……あれ?どうしたの?」
何が何やら、女楽士が聞きたいくらいだった。
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