出落ち(文字通りの意味で)

牝山羊キマイラ

ライオンの頭部と山羊の胴体。そして毒蛇の頭部と化した尻尾を持つ、闇の魔法によって生み出された巨獣である。その体高は3メートル近くにも及び、巨体を生かした戦闘能力は侮れぬ。それだけではない。この怪物は、闇の神々の加護を受けるのである。歪んだ肉体に宿った邪悪なる霊は優れた知能を備えていた。

そして、何よりも恐ろしい点。この怪物は肉体的には自然の法則に従っていた。故に、陽光で焼かれることはない。内に宿る霊は陽光に痛めつけられはするものの、肉体というによって守られている。

今、十体もの牝山羊キマイラを引き連れた闇の軍勢が、オアシスへと迫りつつあった。


  ◇


闇の軍勢の主力は小鬼ゴブリンである。醜悪な面構えに黄土色の肌を持つこの闇の眷属どもは繁殖力が凄まじい。小さい時分からとらえた人の類を孕ませ、子孫を残すのである。獣とすらまぐわうのだ。多くは成体となることなく死ぬが、成体となった小鬼ゴブリンは魔法を修めたり武術を極める事すらある。

そういった成体を下級指揮官とするのであれば、中級指揮官となるのが闇妖精ダークエルフたちであった。美しくすらりとした容姿に尖った耳、そして光に呪われたが故の黒い肌を備える彼らは魔法と武術、双方に長けた邪悪な知性の持ち主たち。されど永遠の寿命が禍いしてか、繁殖力はそれほどでもない。絶対数は小鬼ゴブリンどもに大きく劣るのだった。

そして彼らの後方。闇の軍勢の支配者たる暗黒魔導師の輿を担ぐのは、甲冑を纏い、腰に剣を帯びた怪物ども。一見人間の骸骨にも見える彼らは、秘術によって生み出された竜牙兵スケルトン・ウォリアーであった。竜の牙を秘術によって変じた魔法生物。その戦闘力は極めて高いが、素材となる竜の牙自体が希少なために数を揃える事はできぬ。

昨日のによりそれなりの被害は受けたが、致命的ではない。散開して野営していたおかげであろう。残存兵力は合流した先遣部隊の後詰と合わせて五百と言ったところ。しかし魔法戦力は少ない。蜥蜴人リザードマンは物理的な攻撃で殺せるが、首なし騎士デュラハンは強力な魔法を用いなければ滅ぼすことはできぬ。これが野戦であれば魔法のを浴びせることで撃破する事も叶おう。されど、敵陣を守る多重の堀は戦力の集中を妨げる。

呪符は魔法の心得のない者が使用すれば、引き裂いたその場で発動してしまう。故に火球ファイヤーボール魔法の矢マジック・ミサイルなどの攻撃魔法の呪符は、自爆か、せいぜい矢玉に括り付けて放つ程度の使い道しかない。今のところは魔法の心得がある闇妖精ダークエルフ小鬼祈祷師ゴブリンシャーマンへと優先的に与えてあるが。

だから、首なし騎士デュラハンへの主力は牝山羊キマイラだった。闇の神々の加護を引き出す奴らであれば、死者をも殺すことができる。邪悪なる神聖なる武具セイクリッド・ウェポンを肉体へと宿せば、敵の怪力とも互角に渡り合えよう。

まずは小鬼ゴブリンどもを突入させ、堀の内側を探るのだ。相当の出血を強いられるであろうがやむを得ない。使い魔も用い、上空から観察したいところではあるが、地下通路までは全貌を知ることができぬ。

以上が、全軍を率いる暗黒魔導師の目論見であった。

もちろん、防衛側もそんなことは承知していた。


  ◇


「やれやれ。おっかないのう」

多重の防御が施された内側。オアシスの中心付近より、老賢者は敵を観察していた。

腰に下げているのは偃月刀。先日の敵より奪ったものの中ではこれが最も状態がよかった。老いたとはいえ小鬼ゴブリンの一匹や二匹は斬り殺すこともできよう。まあ彼自身が戦うような状況になれば、既に戦略的には敗北していると言っても過言ではないが。

蜥蜴人リザードマンたちも、それぞれ奪った槍で武装している。魔法をできるだけ竜の吐息ドラゴンブレスに集中させるためである。魔力を使い切った者から後退し、休憩をとるべく編成は考えてあった。この状況では疲れ知らずの死にぞこないアンデッドがいるのはありがたい。彼女ならば堀と地下通路を縦横無尽に駆け巡り、敵勢を斬り殺してくれるであろうから。

いざ戦いが始まれば、老賢者には仕事がない。意思疎通はかなりマシになったとはいえ、やはり自在とはいかぬからである。少数の青年たちと共に子供たちの面倒を見るのが彼の仕事であった。


  ◇


女勇者は待っていた。

隠れ場所の中から、敵を削り取れるタイミングを。現状で最大の脅威は魔獣キマイラである。奴らは堀をまたぐことができる。やすやすと防衛線の内側に入ってこられれば最悪だ。だから真っ先に始末するつもりであったが、敵が先頭に押し出してきたのは小鬼ゴブリンども。奴らに堀の内側を探らせるつもりのようだ。それも女勇者の位置を把握するために。

―――堅実なことだ。

女勇者は苦笑。

もっとも、魔法使いという人種は用心深いと相場が決まっている。敵将、あるいはその軍師はおそらく魔法使いであろうから不思議ではない。

まあ問題ない。小鬼ゴブリンたちでは、牝山羊キマイラを撃退するための仕掛けには気づくことができぬであろう。

己は、蜥蜴人リザードマンたちと共に、まずは己の割り当て区域に侵入した小鬼ゴブリンを始末する。

入り組んだ堀の中で火炎を吹きかけられた奴らがどのような死にざまを見せるか想像するだけでも痛快である。

どうやら蜥蜴人リザードマンの吐息を吐く魔法は、変化と同じく肉体に付与するらしく、それなりの時間持続するらしい。つまり時間内であれば術者は幾らでも炎を吐くことができるのだ。それも、呪句も印も切る事なしに。

恐ろしい魔法である。魔法使いと戦う際の常識が通用しない。

やがて。

次々と感じられる地響き。そして

女勇者は、敵が罠にかかったことを悟った。

歩兵用ではない。牝山羊キマイラどもの重量でなければ踏み抜くことができぬ、深い、本当に深い落とし穴へと。

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