ホラー?いいえファンタジーです(ほらほら)
扉が叩かれる。
石造りの家屋に閉じこもった母親は、子供たちを抱きしめながら震え上がった。
外ではいまだに罵声や剣戟が飛び交っているが、それは徐々に遠ざかっている。村を守る防衛線が後退しつつあるのだ。
それは、村を襲撃した侵略者どものただなか。奴らの勢力圏に、この家が取り残されているということを意味する。
不幸なことに、この家には逃げ出せる裏口がなかった。外へ出るには街道に面した扉を通るしかないが、そこは怪物となった村人たちが歩き回るこの世の地獄である。
窓からその様子を見ていた彼女ら一家は、逃げ出す機会を逸していた。子供たちを起こして連れ出そうとする前に、既に逃げ場を失っていたのだ。仕方なく、窓を塞ぎ、扉をありったけの家具で押さえて閉じこもった。だが、外部に集まっている怪物どもの剛力の前には一体どれだけ持つ事やら。
彼女らは、壁に描かれた不可思議な魔よけの下に集まり縮こまっていた。最後の頼りはこの、先日訪れた魔法使いが描いていった図形だけだが、あの怪物ども相手ではどこまで役立つかは疑わしい。
扉を叩く音は次第に激しくなり、ついには上部が破れた。素手で突き破られたのである。手はすぐさま引き抜かれ、赤い瞳がこちらを覗き込んだ。
そいつは、家の中を一瞥。何もいないことを確認すると、そのまま去っていった。
視えなかったのだ。壁に描かれた怪異避けのまじないの呪力によって、怪物は獲物への興味を喪失したのである。
一家は、生き延びたことを悟った。
◇
女騎士が村へとたどり着いた時、そこは既に戦場となっていた。
村の街道、そこかしこに松明が散乱し血臭が漂う。そこは女騎士にとって慣れ親しんだ世界、血と鉄と炎が支配する領域だが、ただ一点異なることがあった。死体が転がっていないのだ。死した者のことごとくが立ち上がり、村を襲撃する側へと回っていたからである。
そのうちの1体。民家へ押し入ろうとする
振り向いたそいつの頭部めがけ、女騎士は剣を振り下ろした。
気迫の一撃はしかし、怪物の頭上で静止する。その現象に覚えがあった女騎士は剣から左手を即座に離すと、抜き手の一撃を敢行。
魔法を破壊するには源を破壊するか、あるいはより強力な魔法をぶつけるしかない。女騎士は自らという魔法によって、
悪しき霊力によって突き動かされていた
己の実力が不死の敵にも十分通用することを確認すると、次なる敵を求めて女騎士は駆けだした。
◇
村を守護する神官たちが駆け付けた時にはもう、敵は村の半ばまで歩を進めていた。
かつて村人だった怪物どもを率いるのは、剣を携えた鎧武者である。
爛々と輝く赤き瞳の敵勢に、百戦錬磨の神官たちも気圧された。
ほうほうの体で逃げ延びて来た村人を後方へ下がらせると、彼らを率いる老人は、手にした戦棍を振り上げ、神の加護を祈った。
略式の聖句。力ある呼びかけに、強壮なる聖霊が応えた。老人が自らの魂に築いた祭壇を通じ、苛烈だが神聖なエネルギーが満ち溢れる。それは、掲げられた戦棍より放たれた閃光という形をとって、この世に顕現した。
それは、十数という
陽光の召喚。太陽神の権能の一部を預けられたという火神の力。その顕現であった。
「謳い上げよ!」
老人の命に従い、彼の息子たる神官が歌声を上げた。それは勇壮なる戦いの歌。神を賛美し、悪を許さぬという決然たる誓いの歌であった。
その霊力に、村人たちの崩壊していた士気が蘇る。幾人もの男たちが振り返り、武器を手にして神官たちの列に加わったのである。
閃光に目を焼かれた鎧武者が立ち直る。彼は、最大の脅威と認識した老人へ、その視線を向けた。老人の魂へと伸びた見えざる手。しかしそれははじき返された。老人の胸に下げられていた聖印の加護によって阻止されたのだ。
老人は、次なる加護を誓願した。眼前の悪を討つことを誓い、そのための助力を願ったのである。
彼の主たる神は、願いに応えた。
老人の戦棍に光が宿る。先の閃光ほどの威力はない。いや、力の総量は等しいながらも、より収束させ、武器の一撃の威力を大幅に上昇させたのである。
◇
村はずれを走る者達の姿があった。星と月光が照らす中で逃げる幼い姉弟を追跡するのは、爛々と輝く赤い目を持つ不死なる怪物たち。
子供たちは必死の表情である。されど、彼女らの幼い体ではいつまでも走れるものではなかった。
弟が石に躓く。先を行く姉が振り返り、手を貸そうとした瞬間。
月の光が陰った。
覆いかぶさるように襲い掛かってくる
―――何も起きない。
目を開けた彼女の眼前では、
「―――間に合ったか」
振り返った彼女が見たもの。それは、フードで顔を隠したローブの魔法使い。そして、傍らに従う骸骨の兵士と、少年が抱えている生首であった。
姉は気絶した。
◇
死霊術師が村はずれにたどり着いた時、既に戦いは始まっていた。
気絶した姉弟を挟んだ向こう側、こちらに迫る
骸骨兵を作る時に作ったのがハサミだとすれば、これは剣であった。
彼は裂帛の気合を込めると、剣指を突き出し、そして横に薙ぎ払う。
―――影が、伸びた。
月光が作る、死霊術師のおぼろげな影。それがはっきりとした輪郭を備え、そして伸長したのである。
剣指の動きを誇大にトレースした影は、
刹那。
幾つもの肉体が崩れ落ちる音。
ただの一動作が、不死なる怪物どもを討ち滅ぼしたのである。
残された骸の見開いた目。そこからは赤い輝きが失せ、彼らが正常な死を迎えたことは明白であった。
「これ……」
少年は彼らの顔を知っていた。親しい村の人々。女子供の姿もある。
「
死霊術師は少年の疑問に答えると、その手から女騎士の生首を受け取った。
「荷物持ちごくろうさん。ここからは俺たちだけでいい。お前さんは、そこの子たちを連れてどこかに隠れてろ」
「え、でも……」
「現状それが一番役に立つ。悪いが、守りながら戦ってる余裕はない。護符はまだ持ってるな?」
「は、はい」
「じゃ、これはそこの二人の分だ。持ち主しか守らないから気を付けろ」
「わ、分かりました」
樹皮に殴り書きしただけの呪符を少年に手渡すと、死霊術師の男は、骸骨を率いて走り去る。
少年はそれを見送ると、倒れている姉弟を助け起こすべく駆け寄った。
◇
戦況は互角だった。
陽光の加護で焼き払い切れなかった
問題は敵の首魁である。
恐らく生前は名うての武人だったのであろう。赤い目を爛々と輝かせる鎧武者は、迷いのない太刀捌きで老人の一撃をよくいなし、どころか反撃で幾つもの刀傷を負わせていた。
致命的ではない。手で触れられた時のような生命力の流出が起きぬのは聖印の加護であろうが、しかし絶え間ない流血は着実に老人の体力を奪っていた。
故に老人は、三度目の加護を願った。
治癒の奇跡。負傷を焼き清める火神の力は、傷口を塞いだだけではない。老人の肉体の治癒力を著しく促進し、完全な健康体せしめたのである。とはいえそれは、精神の回復を意味しない。
神との接触は、極度の精神的疲労を招く。強大すぎる神の力に、人の魂が耐えきれぬのである。
故に、残る加護はあと1回。それをいかに使うかで、勝敗は決まる。
踏み込む。戦棍を振り下ろす。敵の体勢がよろめく。
鎧武者が見せた致命的な隙。
それが、敵の策略だったと見抜けなかった老人を責めるのは酷であろう。
そいつは、民家の屋根を足場に跳びかかって来た。
トドメを刺すべく戦棍を振りかぶった老人の腕に食らいついたのは、赤い目を爛々と輝かせた犬。
不死なる怪物と化したそいつの牙は、手甲に守られた老人の腕を食いちぎった。さらに、老人の腹部へ鎧武者の剣が食い込む。
致命傷であった。治癒の加護ですらもはや間に合わぬ。
己の敗北を悟った老人は、だから、最後の加護を誓願した。敵首魁に抱き着くと、己自身の生命そのものを火神に捧げたのである。
老人の肉体が清浄なる松明と化した。
犬が瞬時に燃え尽き、そして鎧武者ですら熱量に圧倒され、その鎧が溶融していく。
その威力に
永遠にも思えた燃焼は、事実としては刹那の間に終わった。
光量に目を焼かれた人々が、視力を回復した時。
鎧武者は、まだ立っていた。全身が煤け、甲冑が半ば変形しているが、戦えるように見える。老人の生命と引き換えにしてさえ相討ちにできなかったのである。
残された人間たちは、それでも武器を構えた。
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