一家に一頭女騎士の生首が欲しいところですね。え?欲しくない?(お値段プライスレス)
降り注ぐ月光。
かつて女騎士は、世話役の老人に尋ねたことがあった。月はどうやって光っているの?と。
魔術師崩れだという老人はこう、答えた。あれは、太陽の光を跳ね返して光っているのですよ。自ら光っているように見えますが、それは偽りなのですよ、と。
まるで今の自分のよう。
もう自分は生きていない。死んでいる。にもかかわらず、こうして生き恥を晒している。
だが、死にたくなかった。あの寒さ。孤独。暗闇。弔われる事なく、故に冥府に行くことすらできず放置されていた数日間。
彼女の信じる神は教える。死者を荼毘に付すのは、その魂を肉体の軛から解き放ち、自由にしてやるためなのだと。
あるいは、死者を土葬する隣国の神官の告げるところによればこうだ。死者を地中深くに葬るのは、地上のわざわいより魂の眠りを守るためなのだと。
今となってはそのどちらもが納得のいくものだった。死んだ肉体に縛り付けられ、放置されることの恐ろしさ。
血肉が詰まった皮袋。そうなりはてた女騎士の首から下へ、強大な活力が流れ込んで来る。まだ無事な頭部が咀嚼した力ある魔法の品々。それが、呪術的な経路を経て肉体へ流れ込んだのである。
月光に照らされた五体が活性化。
砕けた骨が繋がり始める。血管が絡み合い、肉があるべきところへと戻っていく。
女騎士は生きてはいなかった。だが、彼女にかけられた不死の術が与える偽りの生命は、自然の法則をいびつに再現し始めた。
すなわち。食事は活力となり、傷を癒すという。
まだ完全ではない。機会は一度きり。
故に彼女は待った。反撃の、その時を。
◇
その額には脂汗が浮かび上がっている。彼にとっても魔界の者を維持するのは難行であった。あれほどの生贄―――何十という
一刻も早く術を解きたいところだったが、彼は用心深かった。故に、先ほど倒した首なしの女騎士を再確認し。
―――いない!?
月光が、陰った。
真上から―――城壁から飛び降りてきた敵。彼女が振り下ろした手斧を
一撃を防がれたとみるや飛び下がったのは、首のない女騎士の屍。
その姿は無残なものだ。身に着けた具足ははじけ飛び、着衣はボロ切れと化している。月光に照らされた半裸の肢体は青白く、美しかった。
彼女は、魔界の者―――臓腑で構築された巨体の背で、手斧を身構えた。
やはり女騎士の操り手は卓越した魔術師なのだろう。まさか地下にいながらにして、被造物を修復してのけるとは。この分ではまだ奥の手があるやもしれぬ。
もはや
◇
女騎士は、手ごたえを感じていた。
敵は卓越した剣士である。それは、奇襲を防がれた先の一合で察することができた。だが、
どちらでも構わなかった。刃が届くのであれば殺すことができる。それは、勝てるという事だ。
敵の剣が帯び始めた瘴気も問題ではない。本来、剣で切られれば死ぬものだ。条件が元に戻っただけのこと。
―――生きていた頃と。
振り下ろされた一撃を受け止める。手斧がまるで羽ペンのように軽い。敵手の方が技量は上だが、この力なら。
押し返そうと脚を踏ん張った瞬間。
ずるり
腰砕けになった女騎士は、膝をついた。つばぜり合いの格好になった手斧と剣。膂力は女騎士が勝っていたが、体勢が悪すぎる。粘液にまみれた臓物はよく滑った。足場としては最悪だ。このままではやられる。
だから彼女は、騎士の矜持を捨てた。
無様に転がった女騎士。彼女が直前までいた場所へ剣が叩きつけられ、帯びた瘴気が魔界の者の体を灼く。
―――GYUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!
それは、怪物の悲鳴だったのであろうか。
突如として鎌首をもたげたそいつの体へ、女騎士は手斧を喰い込ませた。その真横を
勝ったか。
女騎士の期待もむなしく、敵手は恐るべき身軽さを披露した。魔界の者のうねる巨体。その上を器用に飛び跳ね、まるで体重がないかのように軽やかに着地。
とてもあのような真似はできぬ。故に、女騎士は、人たることすら捨てた。怪物の体の上へ舞い戻ると、まるで犬のように這いつくばったのである。右手には斧を掴んだまま。二本の脚では不安定な足場も、四肢すべてを使えば動き回ることができる。
蠢く臓物の上で向かい合った死せる女騎士と祭司たる
間合いの差で、まず剣の瘴気が女騎士の背を切り、溶かした。
次いで、敵の内懐へ潜り込んだ女騎士。彼女が立ち上がりざまに振り上げた手斧が、
「……ぉ……女神よ……私からの……最期の捧げものでございます……どうか……」
いや。
術が破れた。魔界の者の肉体を維持していた悪しき魔術が破綻し、急速に現世の法則が蘇ってきたのである。臓物の束は既に力を失い、凄まじい勢いで腐敗していった。
力を失い地面に叩きつけられる怪物。そこから投げ出された女騎士は、本来ならば全身骨折と内臓破裂で即死していたことだろう。しかしもはや命持たぬ身である彼女が死ぬことはない。高所から抱き留めた大地ですら、彼女を負傷させることを拒んだ。
身を起こした女騎士は、呆然と、眼前の光景を見上げていた。もはや敵は死んだ。彼女が殺した。復讐は果たされたのだ。
これから、どうすれば。
分からない。女騎士には、分からなかった。
◇
地下に充満した腐液が、まるで悪夢であったかのように消えていく。
死霊術師は、頭を振って身を起こした。意識がいまだ朦朧とするが、死んでいないのであれば万々歳だ。どうやら、ずっと抱きしめていた生首がとうとうやってくれたらしい。
結界の周囲は綺麗になっていた。皮肉なことに、有機物を溶かしつくした強酸が消滅したことで、石造りの構造物だけが遺されたのである。
彼は、最大の功労者へと目を向けた。
「ごくろうさん。やったんだな?」
「……ぁ……」
女騎士の生首。彼女が浮かべた表情は、喜び半分。哀しみ半分。どのような顔をすればよいか分からないのであろうか。
無理もない。
首を刎ねられ、このような化け物に成り果ててしまったのだから。
男は、女を安心させるように告げた。
「とりあえずこれだけは先に言っておく。お前さんは俺の命の恩人だ。だから悪いようにはしない。俺にできる範囲でだけどな。
あー。その。なんだ。
これから色々大変だとは思う。思うが、絶望するにはまだ早い」
「……ぅ……ぁ……」
「ま、これからよろしくな」
死霊術師は、女騎士の目元からこぼれる涙を拭きとった。
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