なんかうちの母がこれ読み始めたんですがなう(マヂで)

嫌な予感はしていた。

だからローブの死霊術師は、身を守るための準備をしていた。ポーチより取り出した白墨で石畳に図形を描いたのだ。

それは結界である。中に入る事で術者の身を魔から守る呪的な防御陣地。

簡易なそれは、しかし役割を十分に果たした。

女騎士の生首と共に結界へ飛び込んだ刹那。

大気に異様な呪力が満ち、一気に収束していった。そいつが触れていたあらゆる生命ごと。

命を吸い出されて干からびた鼠。ゴキブリ。その他数限りない屍が、地下牢の空間に残されている。

生命があるのは男のみ。一体何が起きたのか、彼には見当がついていた。

魔界の者が、地上に現出したのだ。その肉体を組み立てるために、あたり一帯の生命を吸い上げて!!

存在そのものが魔法である魔界の怪物どもであれば、死者すらも殺せよう。

死霊術師は、女騎士の生首に向けて告げた。

「魔界の者を呼び出しやがった。術者を殺せ。それしか勝ち目はない」


  ◇


闇妖精ダークエルフは考える。

魔界の者を滅ぼすのは容易ではない。だがそれを現世につなぎとめる術自体は不安定なもの。術者が倒れれば即座に破綻するのである。

故に、敵が狙うのは自分だろうと。

大きな術は後1回。小さなものであれば数回は扱えよう。更に防御の呪符が4枚と、腰に帯びた剣。そして足元の怪物。

それが彼に残された最後の資産リソース

おもしろい。

敵の―――術者の実力は未知数だったが、あの女騎士が最大の切り札であることは容易に想像がついた。

これは暴力の形をとった術比べである。

ひょっとすれば己が果てるやもしれぬ。それもよい。女神に流血と断末魔が捧げられることに変わりはないのだから。

もちろん、彼は負けるつもりなどなかった。

遥かな高みから、闇妖精ダークエルフは命じる。

「さあ。我が敵を討ち滅ぼせ!」


  ◇


女騎士は疾走した。途中、地面に転がった武装を幾つか拾い上げるのは忘れない。

敵首魁は高所。槍を投じても無駄であろう。ひょっとすれば防護の魔術には限界があるやもしれぬが、試す暇はなかった。

魔界の者が、彼女に襲い掛かったからである。

上空より振り下ろされるそのは、まるで岩盤が降り注ぐかのような大質量。

かつて厨房だったであろう廃屋を粉々に粉砕し、そいつは城壁に激突。奇怪な事に、闇妖精ダークエルフはそいつの頭上にありながらも、器用にバランスを保っている。女騎士には想像がつかぬことだが、卓越した軽功クンフーのなせる技であった。

せっかく敵が降りて来たわけだが、反撃というわけにはいかぬ。地上にあってさえ、怪物の頭部は巨大であり、闇妖精ダークエルフの立つ場所は高所にすぎた。

せめてもと投じられるのは槍。

それは、虚しく闇妖精ダークエルフの眼前で停止する。

女騎士は確信した。飛び道具では埒が明かぬ。となれば敵に組み付くしかあるまい。

まずは高所を取るべく、彼女は走った。その背後で怪物が、めり込んだ頭部を引き抜く。

死を賭した追いかけっこ。

前方に階段が見えた。城壁の上に連なるそこに駆け上がり、敵の頭上に出ねばならない。時間がなかった。

その時である。闇妖精ダークエルフの呪句が響き渡ったのは。

見れば、奴の突き出した腕。その先から飛び出したのは、無数の細い―――糸。

投射された秘術。蜘蛛の網スパイダーウェブの名を持つそれは、回避しようとした女騎士を追尾し、そして身を絡めとった。

大地に転がった彼女。

ふと。影が差した。を見上げてみれば、月光をさえぎっていたのは。

巨大な臓物の、尾。

「!」

避ける暇はなかった。


  ◇


「!……ぅ……ぁ……っ!」

目を見開き、声にならぬ悲鳴を上げたのは女騎士の生首である。

その様子に、死霊術師の男はただならぬものを感じた。

「おい。大丈夫か?やられたのか?」

その時。窓から差し込む月光が陰った。

「―――!?」

彼らのいる地下室。その上方、塔の入り口から、異様な臭気と音が漂い出した。どこかえぐみのある、酸っぱい臭い。そうだ。まるで胃液だ。

男が目をやった階段。そこから流れて来たのは腐りはてた液体。触れた鼠の死骸が、煙を立てて溶け崩れていく。

強酸であった。

逃げ場はない。

結界の中、男は女騎士の首を抱きしめた。


  ◇


敵の駒はすり潰した。文字通りに。

魔界の者の一撃で全身の骨を砕かれ、皮袋同然となった女騎士の首なし死体。二つの拮抗する魔法がぶつかり合えば、結果を定めるのはこの世の理である。怪物の大質量に死体ごときが抗することなどできようはずもなかった。

あれではもはや立ち上がることなどできまい。だが、闇妖精ダークエルフは用心深かった。術者が生きている限り安心できぬ。

魔界の者の巨体で塔ごと破壊してもよかった。だがそれでは死体の確認が面倒だ。ひょっとすればどこぞの隙間に紛れ込んで助かるやもしれぬ。そんな危険を冒すくらいであれば、強酸を流し込んで隙間に至るまでしてくれよう。

彼は臓物が寄り集まった怪物へ、分泌物を吐き出すように命じた。


  ◇


立ち込める煙と酸の地獄の中で、死霊術師はまだ、生きていた。

流れ込む胃酸は、結界によってせき止められていた。まるで見えざる壁が存在するかのように、石畳で描かれた範囲への侵入が阻止されていたのである。魔法的な存在が吐き出したものであるからこその結果であって、もしこれがこの世の生物の吐いた胃酸であれば防ぎ得なかっただろうが。

とはいえ猶予はさほどなかった。凄まじい勢いで臭気が充満し、呼吸すら困難になりつつある。

男は、腰のポーチから幾つもの呪符や呪物を取り出すと、女騎士に告げた。

「ありったけの術をお前さんにかける。最後のチャンスってやつだ。敵を仕留める機会は一回だけ。いいか?」

「ぁ……ぅ……」

「よし。いい子だ。

口を開けてくれ」

女騎士の生首。彼女が精一杯開いた口に、力ある品々が、ねじ込まれた。

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