宗教
見方が違うだけ。何故、神はこの世に降りなくなった?
この世には様々な宗教があり、それぞれに崇める神様が違ったりもする。だけど私が思うに、結局、神はこの世に1人である。(この言葉は多神教を否定しているのではなく、全ての宗教は、人間が勝手に作り出したと言う事を指している。)
ただ持論を先に言うと、神とは科学…つまり、宇宙の法則の事を指すのだと思っている。
これは別の話で触れる事にして、仮に神が何らかの存在として実在した場合を考察したい。
古くはハンムラビ法典やゾロアスター教、シャーマニズムなどから始まって神は、世界中の色んな地域に舞い降りた。しかし視野や移動範囲が狭かった人間は、その土地に応じた生き方を教えられた。エジプトにはナイル川を崇拝させ、放牧の民から始まったイスラム教には、メッカへの巡礼や毎日の祈り、割礼を強いた。(巡礼や祈りは、荒野で方角を見失わない為。割礼は、毎日は体を洗えない彼らの衛生を守る為。)
神は唯一の存在。しかしその姿を変えて人々に知恵を与えた。(あるいは、その土地の人々が勝手に神やその名を作り上げた。)
そして神はバベルの塔を、1度は破壊した。つまり当時の神は、人類が繋がるとは思わず、若しくは、繋がるにはまだ早いと判断したのだ。(聖書にあるように、神はアブラハムに、追放したイシュマエルにも国を与えた。しかし2つの民族は、イスラム教の誕生まで交わらなかった。)
また、唯一神教と言われるキリスト教などでも神の周りに天使がいる。東洋ではそれを菩薩や明王と呼び、神や仏の1人として数えただけなのだ。更にヒンドゥー教では、ラーマやクリシュナは最高神の1人ヴィシュヌの化身であるとされている。
つまり、やはり神はこの世に1人だけなのだ。
しかしやがて人類は文明を発達させ、交流も始まった。そこから神は姿を見せなくなった。おかげで宗教戦争が始まった。
宗教戦争とは、言わば代理戦争である。本当の神が誰なのかを決める為の戦争…。だが実は、全ての宗教が崇める神はただ1人。人類は見解の違いで、互いに互いの神を否定し合っている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が言う父なる神はつまり、ゾロアスター教ではアフラ・マズダー、仏教では大日如来、日本では天照、ヒンドゥー教ではシヴァであったりヴィシュヌであったりするのだ。
そろそろ、神は姿を現すべきである。大きな戦争は終わったにしろ、小さな小競り合いはまだ続いているのだ。『実は私は1人である』と宣言して、全ての宗教を統一させるべきだと思う。
しかし神は姿を現さない。恐らく、現れたところで人類が信じない。何故なら人類は、自分達が勝手に作り出した神を崇拝しているからだ。(…神の声を聞いたと言う預言者は、本当にその声を聞いたのだろうか?キリストは何故、褐色ではなく白い肌をしているのか?ユダは何故、裏切り者にされたのか?)
若しくは、これは人類に与えた試練なのかも知れない。その存在を見抜き、実は争う必要がないのだと言う事を神は、人類自らが悟るのを待っているだけなのかも知れない。
人間は、考える葦である。 JUST A MAN @JUST-A-MAN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。人間は、考える葦である。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます