第八話「私の視点③」
「……なるほどねぇ」
事の顛末を話し終え、再び乾いた喉へとココアの残りを流し込む私を見ながら彼女は嘆息と共にスチール缶を握る手に力を込めた。親指を中心にその表面へ歪なひし形を映し出した缶が、薄暗い廊下に間抜けな音を響かせる。
「怒ってる?」
自販機の横に備え付けられたベンチに並んで座る彼女の顔色を横目でさりげなく伺うと、話の始めには展開に応じて怒ったり笑ったり、やっぱり呆れたりとくるくる変わっていた表情が段々と曇り始め、今となってはじっと正面の非常灯あたりを見つめている。空になったココアの缶がみるみるその形を変えていくことから、少なくともその胸中には明るいものが籠っていないことが読み取れた。
「結構、ね」
やや間を置いて再びぺこりと缶を鳴らし、それに彼女は険の籠った声を続けた。予測はしていたものの、受けたショックに私は肩を落とす。
――だが、無理もない。彼女は自分が率いる歩兵隊の副長を務めている。つまり少佐の言う『己の軽挙で深刻な影響を受ける』最右翼であるということだ。戦場における彼女はいつだって私の判断を信じて行動し、結果を伴わせてきた。今もこうして胸に残る
……だというのに、彼女にとってはそこまで信頼を寄せていたリーダーが蓋を開けてみればこんな迂闊な行動を咎められて情けない姿を晒しているのだ。失望が怒りに変わったところで何の不思議もない。
「……自分を棚に上げてよくもまあそこまで言えるもんだわ」
と、思っていたのだが。
「へっ?」
予想模していなかったその反応に間抜けな声が漏れ、危うく三分方残っているココアを取り落ししそうになった。どうやら彼女の中で怒りの矛先は私ではなく少佐に向いているらしい。私がその理由を訊ねる前に、棘の立った早口で彼女は捲し立て始める。
「少佐だってCPでプライベートっぽい電話してたんでしょ?時間外のルール違反って点では同じじゃん。しかも聞かれて困るような話題だったみたいだし」
「それは、そうだけど……」
その余りの勢いに面食らい狼狽えた声が出てしまったが、彼女の弁舌は止まらない。
「損耗が少ないのはうちの隊長のお陰だし、そもそも未だに対策立てられてないのは指揮官である少佐が何も立案しないからじゃない。大方逃げ口上を立てた所にあんたが理のある指摘したからって慌ててそれらしいお説教に話題擦り変えたんでしょ?自分で理由訊いたくせにさ。カッコ悪っ」
まるで自分の事のように憤慨したのち結びにふんすと鼻を鳴らし、背もたれに左腕を引っ掛けて踏ん反りがえる彼女に、私はただ苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
内訳としては上官の失策を容赦なく突き刺す態度に困惑が半分、その裏でやや過剰に評価されている事に気恥ずかしさ半分といったところ。どうにも彼女の中には自分と少佐の評価それぞれにプラスとマイナス、正反対のバイアスが掛かっているような気もする。
「そう思うでしょ?」
そんな曖昧なリアクションを許さず、彼女はずいとこちらに身を乗り出し、どこか私の内心の白黒をつけたがるように念を押して来た。緩いカーブを描く胸元に光る見慣れない、黒い鈴を象ったような造形のブローチが揺れていた。
「無理ないよ。難しい状況だもの……私だって単に立案を急かしただけだし」
謙遜を含めた文句を並べてみた後で気付く。これでは少佐に落ち度がある事を暗に肯定してしまっているじゃないか。慌てて首を振ったことで忙しなくぶれる私の視界に、鋭く細まった彼女の瞳が映ったような気がした。
「……でもまあ、気を付けた方がいいとは思うよ。素直に存在感を示し過ぎてるってのは私も感じる」
――見間違い、だったのだろうか……?判断に迷う私を覗き込む両目は元の大きさに戻っており、同時に投げかけられた警告は静かにこちらを案ずる口調。
そのいずれも一瞬映り込んだだけで記憶に刻まれたあの表情とはそぐわない。
「どういうこと?」
ひとまず彼女の指し示す所を尋ね返す私に、彼女は少し考え込むようなそぶりを見せた後、人差し指をぴんと立てた。
「見た感じだけど、少佐って士官候補生上がりのバリバリエリートさんでしょ?」
首肯を返す私に、彼女はやっぱりと呟き瞳の光を一層強くしてこちらを見据えてくる。
「鳴り物入りでここの指揮官の椅子に収まったはいいものの、戦略レベルであの人がいたからこそって上がった戦果は未だゼロ。しかも下にアンタを付けてこの様だもん、内心相当焦っていると思うよ」
「買いかぶり過ぎだよ」
兵士一人で動くような戦局など存在しない。私が口を挟む前に、本人もさすがに誇張が過ぎたと自覚したようで、まあそうだとしてもさ、と話を仕切り直した。
「確かにアンタはときーどき問題行動……っていうか奇行を起こす」
奇行って。殺気とは異なる意味での苦笑を浮かべる私に彼女は薄い笑みを浮かべる。
「それでも何の成果も出さないエリート指揮官より、飛びぬけた腕と分隊指揮能力を実際に見せている叩き上げの現場責任者の方が、同じ現場で動く私達には拠り所にしたいと思える訳よ。実際アタシも口さがないような人から少佐の代わりにアンタをヘッドに据えればどうか、なんて話すのを何回か聞いたし」
そんなことになっているのか。自分が現場で奮闘すればその分指揮官の心労は減ると思っていたが、まさか全く逆の結果を真似ているとは思ってもみなかった。
「今の少佐って、立場的には下から突き上げ喰らうお局じゃない?ああいう人間は立場を守るために何でもやる。ていうか前いた
妙に実感がこもっている語り口だと思っていたら、どうやら実際の経験に基づく警鐘だったらしい。途端に重さが増した気がして消沈する私に追い打ちを掛ける様に、彼女にしては珍しく色のない口調で続ける。
「気を付けなよ……もう、遅いかもしれないけどね」
「ずっと目の敵にされるのは嫌だなあ」
溜息をつく私に何も返さず、彼女はただ笑って立ち上がった。あれから更に随分と話し込んでしまった。すっかり熱を失ったココアを飲み干して屑籠に放り投げ、既に歩き出している彼女の後を追った。
※ ※ ※
一階に降りてしばらく歩くと、いまだ煌々とした光を放つ一角に辿り着く。私は夕方の会話を思い出して足を止めた。
「あ、PX《売店》寄ってもいい?」
「んー……今日は帰るわ」
立ち止まって声を掛けるとともにそこへ指を差すが、彼女は振り返る事どころか歩を止める事もせず、淡々と歩を進めていく。
その後姿を見て思わず首を傾げた。普段ならば二つ返事で了承し、ついでに立場と収入が下だからと嘆いては、私の籠に菓子やら酒やらを放り込むのだが。
腕に巻いた時計に目を落とすと既に22時をとうに回っている。遅い時間だし、彼女だって早く帰りたい時もあるか。
「んじゃあ、また明日」
深く考えず出口まで見送ることにし、結局そこまで一度も振り向かないままドアの外まで出た彼女の背中に声を掛ける。
すると彼女はそこで初めて足を止め、こちらに向き直った。
「うん」
挨拶に軽く右手を上げるが、何故か一向に歩き出す様子がない。外には正門を照らすライト以外の光源は既に落とされており、ここからではドアからぴったり三歩分という絶妙に屋内の光が届かない位置に立つ彼女の顔色は見えない。
「じゃあね」
暫く妙な間が挟まったのち、彼女は軽い嘆息を混ぜ込むような声で呟き、その背中が遠ざかっていった。
なんだったんだろう?少佐の事を悪し様に揶揄してからというもの、彼女の態度に何かずれを感じてはいたが、その原因までは思い当たらなかった。
……本当にあれは、単なる警告だったのだろうか。喉に小骨が詰まったような心地で頭を巡らせる私の後ろで、シャッターの降りる騒々しい音が響いた。
「わー!ちょっと待って待って!」
思わず思考を中断させ、慌てて閉じかけている酒保のドアへ駆け寄る。
「准尉、どうされました……?もう締めますけど」
「ごめんなさい!三分だけ待ってもらっていいですか?」
怪訝な顔を浮かべる店員へ必死に頭を下げてなんとか仲へと入れてもらい、一目散にCDが並ぶ棚へ駆け寄る。
彼には貸すつもりでいたが、釘を刺されてしまった以上そうそう何度もあそこへは立ち寄れないだろう。いっそあげるつもりでいた方がいい。
最新のアルバムを手に取りレジに向かう最中、縁道に大きく展開されているクラウズのポップにでかでかと書かれた『It is a ROCK!』という文字に、彼のシニカルな笑い顔が浮かんだ。
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