第六話「私の視点①」

 セーフティを外したライフルを握り締め、浅い呼吸を繰り返す。

 睨む先には色づく季節の終わりを告げる枯葉色の丘陵、それと同色の迷彩に身を包んで縦列を組み、低い姿勢のままその斜面を登る部下の姿が映っている。

 人員を半分に割いた射撃班。その最後尾が目標としている岩陰に身を隠し銃を構えるまでを見届け、前方へと進み出す視界を遠近左右に巡らせながら私――いや、私達――は逆の側に位置する茂みまで歩を進め、再びトリガーに指を掛けた。

 周囲に視線を巡らせた後、再び進行を指示するハンドサインを出すその一瞬前に、視界の左端が僅かに揺れた木々を捉えた。連動する体が殆ど反射で掌を向け、歩み出そうとした分隊を止める。

 アンブッシュ待ち伏せを見破られ浮き足立ったのか、一拍間を置いて敵兵の一人が死角からバレルの先を覗かせた。その銃口が初撃を放つよりも先に私が引いた引き金と連なる銃声が、始まりの合図だった。


 ※      ※      ※


「お疲れ、准尉」

 それから幾度か続いた銃声の重奏が収まり、被害の状況を確認しようと振り向いた途端、呑気な声と共に冷たい感触が頬に触れ、それを合図とするかのように私の視界が突然斜めを向いた。そうして不格好に傾いた晩秋の丘陵と入れ替わるように、左下から打ちっぱなしのコンクリートで設えられた薄暗く殺風景な部屋の光景が入り込んで来る。

「まだ採点終わってないんだけど……」

 それまで重さすら忘れていたというのに、ずれた途端に存在を意識してしまい鬱陶しさが戻って来た。抗弁を立てながらバイザーとヘッドホンを外し、私はそれだけでアンブッシュが幾重にも仕掛けられたキルゾーンから訓練棟のVRルームへと帰還する。

「まだ帰ってなかったの?」

 デブリーフィングが終わってもう二時間以上は経過している。幾ら自由時間とはいえ作戦立案の立場にない佐官以下の階級では、この時間に理由もなくCPに残っている方が異例と言える。

「灯りがついてるのが見えたからさ。あんま根詰めると、明日辛いんじゃない?」

 進歩した技術は仮想現実と言えども本物さながらの緊張を齎し、口の中はとうに乾ききっている。ヘルメットを被れない分編んだ髪が蒸れない事だけが唯一の救いだった。

「そうしたいんだけどねえ」

 開いた口にねばつきを覚えて言葉を切り、受け取ったミネラルウォーターの蓋を明けて一気に中身を半分飲み下す。そうして一心地着いた後、心配そうにこちらを見る彼女に向かって苦笑を返した。

「……通しメニューで指揮B+即応A取らないと上がれないんだ」

 答える私に彼女はぎょっとした顔で射撃レンジの脇に備えられたモニターに目をやるが、未だスコアの集計中を示す砂時計が表示されていた。

「もしかして、さっきの呼び出しで?にしても厳しすぎない……?」

 眉を顰める彼女にまあね。と返すと同時に採点が終わり、映し出された画面に私はこんなものかと息を吐き、対照的に彼女は感嘆の声を上げる。

「AとSとか……」

「調子いい時は両方S行くんだけどねー」

 タオルで首筋を拭きながら呟く私に、彼女は信じられないといった表情で目を丸くした。

「アタシには一生無理だわ……流石生え抜きは違うね」

「徴兵組にあっさり取られたら私達が自信無くしちゃうよ」

 彼女は高校の同期で、開戦までは民間の貿易会社に勤めていた身だ。いかに男女の別無しに集められた中でも群を抜いた頭角を表していたホープとはいえ、すぐに追いつかれてはこちらの立つ瀬がない。

 そんな返答に軽い笑いを交えながら片付けを終え、財布から飲み物代を取り出そうとする私をハンドサインと同じく掌で制し、彼女は輝く目をこちらに向けてきた。

「アタシはよくわかってないけど、やっぱりその年で准尉って凄いんだね」

 しかも女で。私の後から訓練棟を出て施錠を施しながらそう付け加える彼女へと否定を返そうとしてはたと思いとどまる。確かに同年代、同階級で自分以上の……それ以前にB以上のスコアはお目にかかったことがない。あからさまな謙遜は逆に嫌味に映るだろう。

 しかしだからといって臆面もなくどうだと胸を張るのもいかがなものか。そんな揺れの収まらない両天秤の間で、結局私は曖昧な頷きを返す事しかできなかった。

「で、その准尉様が何をしでかしてこんな時間まで訓練課せられてた訳?」

「やめてよ、その准尉様っての」

 私としては気恥ずかしさからのリアクションに過ぎなかったが、知らず口調が刺々しいものになってしまっていたようで、彼女は面食らったように目を丸くする。

「ご、ごめん……」

「いや、こっちこそ……」

 素直に頭を下げる彼女に尚の事申し訳ない気持ちが湧き上がり、私も深く頭を下げる。

「なんか、慣れなくてさ、准尉って呼ばれ方。それに様付けされるとちょっと、ね」

「そっか……でも開戦前も同じ階級だったって言ってなかった?」

 ぽつりと呟く私に彼女は首を傾げる。それも無理ないことだろう。こちらとて別に理解が欲しくて呟いたわけでもない。

 第一慣れない理由など自分で分かりきっている。階級の呼称が数字から漢字に変わると同時に、私がここに根を張った理由と組織の在り方に溝が生じただけの事だ。

 そして、退屈な日常と男尊女卑の社会に嫌気が差したという理由だけで、殆ど志願の形でここに来た彼女へとそれを理解しろと言うのも難しい話に思える。

「まあ、いいや。深くは訊かないよ。これ以上蒸し返しても互いによくない気分になりそうだし」

「ありがと」

 少しの間続いた沈黙の後、彼女の方からこの話題にピリオドを打ってくれた。そんな気遣いへの感謝と少しの申し訳なさを感じながら、改めて礼を述べる。

「じゃ、改めて居残りの理由を聞いていい?」

 自販機の前で足を止め、ココアのボタンを二度押し、彼女はその一本をこちらに手渡してくる。別にそちらの方は話すことに抵抗もないし、疲れた体に甘い物は有難い。対価としては十分だろう。

「やっぱり、デブリーフィングに遅れたこと?」

 私に訊ねながら右手で缶の上部を包むように掴み、余る人差し指で器用にプルタブを起こして飲み始める彼女に向かって首を振った。

「いや、問題はその後なんだよね」

 私は両手で缶を握り手を温めた後、プルタブに爪を掛ける。さしてもったいぶるような大した話題ではない。掛かったとしてもこの細い缶の中身を飲み終えるにはちょうどいい時間程度だろう。

 小気味の良い音が廊下に響き、私はそれを合図として話を始めた。

「投薬の後、指令室に呼ばれてさ……」

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