第四話「彼の視点①」
「帰投中に君とはぐれ敵兵と遭遇、戦闘行為こそ発生しなかったものの長時間の膠着の上脱出……か。子供でももう少しマシな嘘を吐きそうなものだが」
俺が部屋に入るなり、我らが上官は幾重にも塗られたニスが鈍い光を照り返す、いかにもお高そうな机に読んでいた紙束を放り投げ、溜息と共にそう吐き捨てた。
一礼ついでに下げた頭でそれに目をやると、見慣れた丸みを帯びた文字でいかにも面倒そうにテンプレートの謝罪が書き連ねられていた。
恐らく入れ替わりに出ていったあいつが、今の今まで書かされていた始末書だろう。俺が帰投するなり行った出来得る限りの弁護(と、少しばかりの誇張)はとっくに看破されていたようだ。
「……彼は徴兵組です。時間外の命令違反をそこまで重く見ていないのでしょう」
背筋を伸ばして机越しに正対し、革張りの椅子に沈み込む彼にお決まりの返しを口にする。さり気なく自分を棚に上げておくことも忘れない。片棒を担いだとはいえ俺自身は命令違反なんぞしちゃいない。巻き添えは御免だ。
「承知の上で言っている。結果を出していない人間だったらばこんな程度じゃ済ません」
痛し痒し、ってところか。彼は苦々しい口調と共にクリップで留められたままの始末書を用済みとばかりに破って捨てた。無駄な厚みと記録に残す気が無い事を証明するその行為から、あいつに下した処罰が反省を促すものというよりは、精一杯の嫌がらせの意味合いが強かった事を察する。
「時間内ならば
「解っていると言っているだろう。第一奴は……」
で、この反応を見る限りさしたる効果も無し、と。俺はぼんやりと天井を見上げる。埋め込まれた白色光のLEDが部屋の隅々までを照らし、まるでどこかの会社の社長室にでもいるようだ。虚ろに動かす視線の端に映り込む、白磁で作られた細長い瓶にはラタンの棒がいくつも刺さっており、そこから発せられるシトラスの香りが灯りと同様に部屋を満たしている。
……ここがCP、ねえ。
未だ延々と続く愚痴を聞き流しながら、俺は幾度味わっても慣れない空気に変わらない居心地の悪さを覚えていた。
過剰に思える明るさも、部屋を満たす柑橘臭も、この空間を織り成す全てが目の前に座る上官の――その火山に転がる溶岩のような厳つい面に似合わない――趣向であるという事はさておき、ここに居る限り一切泥臭い戦の気配が感じられない。あるいは意図的に漂白しているのだろうか。一昔前までCPといえば油と汗の匂いが充満する狭っ苦しい装甲車の中を指す言葉だったってのに、時代は変わるもんだ。
――変わったのは戦争の在り方で、技術の進化って意味では決してねえけど。
そわつく気持ちをごまかすように隠れて自嘲する。
この戦争が時間に管理されているものである限り、いかに劣勢になろうと一日に前線が押し込まれる距離には限界がある。そして時間外の布陣の移動や夜営も戦闘行為の一環と見なされる所為で、朝になれば戦線の位置は元通り。
その為国境線から遥か西に立つCP《ここ》には、ワッパを付けて移動する必要性も堅牢な防壁も存在しない。奇襲や電撃戦が許されない現状でこの小奇麗な建物が危険に晒される時というのはつまり、互いに資源を削り合う泥仕合の果てにこちらが先に音を上げ、敗北を喫する時だ。
まぁ、朝一番に巡航ミサイルでも飛んで来れば話は別だが、今のところ幾らどちらかに戦局が傾いたところで、その許可が下りる気配も飛んで来る予兆もない。海も空も平穏そのもの。幾ら一発が高いとはいえ、いつ終わるともしれない陸戦を繰り返すより余程エコだろうに。
……ここで銃を握る人間ならば誰もが一度は思うだろう。条約が整えたのは兵士の精神状態ではなく、真綿で首を締め合うような持久戦のお膳立てだと。
なら、そこに一体何の意味が?俺のような生粋の軍人ですらそんな疑いを挟むのだから、徴兵組はどう思っているのか……考えるまでもない。今日のあいつがその代表だ。
「とにかく、バディの君がもっとしっかり管理してやれ。時間の内外問わずだ。悔しいが奴を失うのは大きな痛手となる」
「あ、ああ?はい、了解です」
しまった。ボサッとしている間にひとしきり胸の内に溜まったものを吐き終えていたらしい。慌てて返事をする俺を見て上官は珍しいな、とその薄い目を僅かに開いた。
「用件は、以上でありますか?」
儀礼的な確認の文句を投げながら、その実心の内ではもう踵を返していた。急がなければ寮近くの売店が閉まってしまう。今日は毎週欠かさず買っている雑誌の発売日。常に緊張しては体が持たない。適度なリフレッシュもまたプロの仕事だ。
「何か、考えていたのか?」
と、そんな願いも虚しく延長戦の構えを見せる上官に内心頭を抱える。
「……思う処がないと言えば噓になります。ですがそれを口にするのは自分の仕事ではありません」
それは早く会話を打ち切りたい俺の、話を広げない方便に聞こえただろう。そう言われれば否定はしないが、同時に自分なりに考える、兵士のあり方でもある。
導く者、矢面に立つ者どちらも人間である以上、縦横問わず互いに価値観が異なったり、そもそも判断が誤っていると思う事なぞ多々ある。
しかしそれでも俺達は従う。しばしば反戦論者に盲目的と揶揄されるその態度は前線に近ければ近い程に徹底される。
敵が、危険が身近な程俺達は一つの意志の元に統率され、一体の生物として動く。導く者を頭とするならば、俺達は無数に生えた足。そんな存在でなければならない。
何故かって?その理由は単純、現場で迷う事は許されないからだ。迷いは伝染し文字通り足並みを乱す。足並みを乱せば待っているのは瓦解であり、招くものは死。それが自分だけならば自業自得と諦めも付くが、死者が張本人だけで済む戦局など世界のどこにもありはしない。
「奴の口調を借りるならば、今は業務時間の外だろう」
軽くなった口ぶりとは裏腹に、上官はもたれた背を剥がし、静かに腕を組み俺を見上げている。その値踏みをするような視線に、俺は心の内が見透かされて、それでもなお試されているのだと直感した。
「いえ、彼らと異なり、自分は常に兵士であります。今までも、これからも」
きっぱりと言い放つ俺に、上官はやっと諦めてくれた様だった。なるほど、と呟いて背もたれに寄りかかる。
「君と奴、足して割ってでもくれないもんかね」
「喩え半分でも、あの量はごめんですよ」
親指でゴミ箱を指し、二人して暫く笑う。それと合図とするかのように、腕に巻き付けた時計がピピッと鳴った……23時。一歩遅かった。閉店。
「もう下がっていいぞ。こんな時間まで済まなかったな」
俺と同じく時計を見やった上官が、幾分口早に退室を促して来た。
「……いえ、失礼いたします」
「ああ、それと――」
勢いを失い、肩を落としながら歩く理由までは、流石に読み取られはしなかったようだ。何かを思い出したように遠慮なく呼び止める声が、何よりの証拠だ。
「肝心な事を忘れていた。一つ頼まれてほしい」
※ ※ ※
「随分掛かったねぇ」
司令室を出て角を曲がったところで聞き慣れた声に呼び止められ、俺は半眼でそちらへと向く。
「だーれのせいだと思ってんだよ。全部バレバレだったっつうの」
「これでも悪いと思ってるんだよ。だから」
手に下げた袋の中をガサガサやって、やがて得意げに俺の眼前へ缶ビールと一冊の雑誌を掲げた……今日はもう、読めないと諦めていたものだ。思わずおおっと上げた声が、人気のない廊下に響く。
「取り置きしてんのは知ってたからさ。届けるって言って貰ってきた」
「お前最高の相棒だな」
返ってきた苦笑をよそに財布を取り出そうと尻のポケットに手を伸ばし、小銭入れを開けたところで止められた。
「金はいいよ、ビール込みで今日の迷惑料ってことで」
「ありがとな……じゃ、代わりに」
俺が用意してもんじゃねえけどな、と前置きしてから右のポケットを探り、取り出したものと下げる袋を交換する形で受け渡す。
「なにこれ?……鈴?」
「大佐からお前にって。猫みてーにすーぐどっか行くからじゃね?」
理由を語ってくれなかった俺は半ば本気の推測を口にする。
「あの人からもの貰うようなこと、したっけ」
光沢のない金属で出来たそれを手で遊ばせながら、薄気味悪いと言わんばかりの表情を浮かべるその顔の前で指を立て、少し口調を変える。
「勲章みたいなもんだから、肌身離すなってさ。命令だとよ」
三階も念を押された部分だ。こいつの性格上半端な念押しではすぐに無くし唯のどっかしまってそれきりだの言いそうなので、よく言い含めておく。
「まあ、別に邪魔になるデカさじゃないから、いいけど……」
無造作に、しかしその手がジッパー付きのポケットに伸びたところを見て、俺は良し、と呟く。
「じゃ、とっとと寮戻るか」
湧き上がった欠伸と共に体を伸ばして歩き出すが、ついてくる様子はない。
「ごめん、先戻ってて。これから先生に呼ばれてるんだ」
「先生に?投薬の時間には戻って来ただろ、お前」
首を傾げる。そろそろ日付が変わるってのに、カウンセラーがこんな何の用だ……?
「追加の説教って訳じゃなさそうだけど……取りあえず行ってくるよ」
不可解なのは本人も同じであるようだった。しばし心当たりを考えてみたが、当事者でない俺に分かる道理もなく、結局歩き出すその背中に向かって声を掛ける事しかできなかった。
「明日も頼むぜ」
返事の代わりにやる気があるのかないのかわからない角度で肘を曲げながら挙げられた左手を見て、その変わらない態度に安心を覚え、俺は逆の方向へと歩き出した。
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