第二話「僕の視点②」

『この 崖 き まり』

 撃ち込まれた無数の銃弾によって蜂の巣にされ、もはや意味を成さない文体を間抜けに乗せた看板を通り過ぎ、恐らくそれが主張したかったであろう道路の果て、崖の先端にたどりついた。傾いた夕陽がプリズムを纏って存分に顔を照らしてくる。少しばかり目に眩しいが、良い場所だ。素直にそう思えた。

 積もる落ち葉を模した迷彩服ギリースーツを脱ぎ捨て、景色を一望しながら腰を落ち着けられるロケーションを求めて崖沿いを暫く歩いて数分。崖の頂点近くに差し掛かった時、僕の視界は地面に一本伸びる長い白線を捉えた。

 見渡す限りの自然の中、無粋に一本引かれた人工的な漂白色。まさに文字通りの国境線、という訳だ。

 跨がないよう慎重に、それでも白線ギリギリに腰を下ろす。別に内部分裂の果ての領土争いを皮肉るほどインテリではないつもりだが、今はどうしてかそれが痛快に思えた。

 左足の内側で地面に三角を作り、その中心へと旗を突き立てる心持ちでライフルのストックを下ろして陣取った。頬に触れたバレルが、僅かに残った熱を伝えてくる。ああ、つい30分前まで殺し合いをしていたんだっけ。すっかり忘れていた。

 ……それもこれも、『戦闘は九時から五時まで』なんて奇妙なルールのせいだ。戦争なんて非日常的なものが、就労協定のようなへんぴな条約のせいで、日常とないまぜにされている気がしてならない。しかもその奇妙な決まり事を敵国と協定で結んでいる事にどんな意図が介在するのか、やはり政治は理解しがたい。

 馴染みのある労働法に基づくにことにより任務ではなく仕事、という意識の植え付けによる徴兵組への精神負担軽減。入隊前に読まされたお題目にはそう書かれていたが効果は芳しくないようだ。そうでなければデブリーフィングの後に痛い痛い注射のお時間が設けられはしないだろう。

  ただ、仕事という単語に頭の感覚がいくらか麻痺しているのはあるかもしれないな。頭をわしわしと掻きながら、内ポケットの煙草を取り出す。

 そのまま片手で蓋を開け、二、三度揺すって飛び出した一本を咥えてから、今度は右ポケットへ手を突っ込み、ライターの感触を求めてまさぐる。

 ――あれ。

 いくら手を動かせど一向に手応えがない。どうやらこっちは何所かで落としたらしい。携行を許された品だからと適当な場所に突っ込んでいたのがまずかったか。

 落胆に思わず天を仰ぐ。観測手の言っていた通りCPは禁煙。つまり戻ればデブリーフィング、投薬、夕食諸々を終えて宿舎に戻るまで一服はお預けということになる。

 せっかくの眺めと空気なのにな……がっくりと肩を落とし、俯いた拍子、

「!」

 視界の端で何かが動いた。一瞬で体中を強い痺れにも似た感覚が駆け巡り、サイドアームに手を伸ばしながら東の茂みへとに目を向ける。

 真っ白い線の向こうに兵士が一人立っている。ほぼ同時に向こうも僕の姿を捉えたのだろう。フェイスカバーの下から覗く瞳が驚きに見開かれていくのが分かった。

 敵兵、だ。一瞬のうちに応戦体制をとろうか迷って、結局ハンドガンのグリップから指を離した。どうせ今から立ち上がろうとしても、相手は既に立っておりなおかつ銃をスリングに下げている。どちらが素早く攻撃できるかなんてことは明白だ。

 そもそも『この時間』に人を撃つという行為自体、余程の殺人快楽者か反政府主義者でない限りはあり得ない選択だろう。前者だったら運が悪かったとして諦めるし、後者ならば味方に引き込むまでだ。

 ……何より下手に応戦の気を匂わせて、撃つつもりのない相手に反射的に撃たれることほどアホ臭い事もない。

 案の定、あちらさんもすぐに構えて撃つようなことはせず、ライフルのマガジンを抜いてコッキングレバーを引き、地面に捨てて両手を上げた。戦闘の意思なし、ということだろう。かといって姿を消すでもなく、その姿勢のままゆっくりと国境線に近づいてくる。

 行動の意図が理解できず顔に疑問符を浮かべている間に、敵兵は白線を挟んですぐ横にまで来ていた。対する僕は座ったままで、しかし大して首に負担が掛からず見上げられるという発見に、相手の背が案外低い事に気付く。まあそれはどうでもいいとして――。

 さて、なんとする。

「時間に救われたな!すぐに視界から消えろ!」とでも怒鳴るか。

 ……何か違う気がする。どちらかと言うとその文句は優位に立っていたあちら側が言ってくれた方がしっくりくる。なら。

「いやあいきなり撃たないでくれて助かりました。すぐに去ります!」と口早に述べながら遁走すべきか。

 ……なんか、それも違う気がする。ここに最初に来たのはこっちだ。そう考えるとまるで追い払われるようでいい気はしない。相手の事情は知らないがこちとら上官命令を無視してまで来ているのだ。それも大した意味を込めない反抗だという事が、却って居座る意地の固さを増していた。

 ならいっそ出方を待つのも手か。

 恫喝、威嚇、警告、そして一応、奇襲。思いつく限りありとあらゆる反応を想定しながら様子を伺っていると、不意にその目線と首が僅かに動くのが見えた。

 相手の向いた先を目で追いかけると、そこに広がるのは国境線の途切れる夕暮れの海。どんな意思が込められているのか見当がつかず、やがて視線を戻す僕を見て、相手がすっと肺腑に息を吸い込むのが見えた。

 その数秒後、僕は思わず水面へと咥えた煙草を落としそうになっていた。確かに相手の行動は予想していたどんなものでもなかったが理由はそれだけではない。


「隣、いいですか?」

 声が故郷訛りの、若い女性のそれだったからだ。

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