短編「夕暮れ時」

三ケ日 桐生

第一話「僕の視点①」

 引き金を絞る。

「エネミーダウン。次、十一時方向に三」

 身体を捻じる。二脚のポッドが枯葉を抉る。

「了解」

「おう」



 引き金を絞る。

「ダウン。残りは十時と二時方向に分散」

 体を捻じる。二脚のポッドが地面を抉る。

「二時」

「おう」



 引き金を絞る。

「ダウン。残弾二。ライン下がってる」

 マガジンを受け取る。排莢を済ませ、拾う。

「あと」

「五分」



 引き金を絞る。

「二十センチ左。アタリ付け始めてる。動こう」

 ポッドを畳む。枯葉の中を這いずり動く。

「腹は」

「減った」



 引き金を絞る。

「ダウン。もう十分だろ――」

 ひりつきを覚える。耳の傍を何かが掠める。

「油断」

「うるせえ」



 引き金を。

『全体に告ぐ。時間だ。一切の戦闘行動を中止し、各員速やかに帰還せよ。繰り返す――』

 耳に嵌めた無線のイヤホンから発せられたその声に押さえつけられるように、辺り飛び交う銃声が止んでいく。

「CP、了ー解」

 一足先に隣にいた観測手が無線に声を放ち無警戒に腰を上げようとした。

「まだだ」

 裾を掴むと同時に鋭く言い放ち、怪訝な顔を浮かべる彼を睨み付ける。

 段々と遠く離れた意識が引き戻されるような感覚。僕はその中でじわりじわりと指の力を弱めていく。

「警戒し過ぎだって。そうそう何度も起こんねえよ」

 隣から聞こえる呆れ混じりの戯言には耳を貸さず、マークスマンのトリガーに指を掛けたまま、スコープの先にいる敵兵の動きを探った。

 レティクルの向こうでも、同じ命令が下されたのだろう。皆三々五々に銃を下ろす様子が伺え、サイトから見下ろす僕にはまるでそのヘルメットの下の戸惑いと安堵の混じった表情までも読み取れるようだった。

「CP、了解……」

 やっとの事で緩み始める口元で深い息を吐きながら無線へと声を投げる。グリップを握る力を緩めた五指は僅かな痺れを伴いながら痛みを思い出していた。

 狙い撃つ最中は淡々と、ただ粛々とトリガーを押さえていただけのつもりだったが、思う以上に力が入っていたらしい。

 無理もないか。気を抜いた分だけ、躊躇った分だけ死に近づく場所で、命を奪う恐怖と奪われる恐怖に狂いそうになる心を制し、どこか遠くに放逐していなければ兵士という仕事は務まらない。

 安全装置セーフティに指を伸ばすが、まだスコープに押し付ける目を外す気にはれなかった。戦場という空気そのものから心を解かれる、その一瞬こそが最も危ないことを僕は知っている。無線から今も繰り返し響くこの命令が敵味方隔てなく共通するこの戦のルールであったとしても、我先に解放を喜び隙を見せるのは何よりも危険だと言う事。それを十日前に、立ち上がった前の相棒が額に大穴を空けられた事によって文字通り、その身を以って目の前で証明させられたからだ。

 極度の緊張に耐えきれなくなった敵兵の暴走。撃った本人も後に軍法会議により制裁を受けたそうだが、聞いたところで強く根付いたこの過剰とも言える危機意識は揺るぐことはなかった。暴走という二文字で片づけられては撃たれる方としてはたまったものではない。

 とかく、それ以来続いている習慣通りサイトをを百八十度動かすと、捉えた視界の中に僕と同じようにスコープを覗いている兵士が一人だけ映り込んだ。望遠レンズの中でしばし続いた奇妙なにらめっこは、根負けのような形で僕が銃を下すまで続いた。

 戦場でピーカブー、ってか。乾いた笑いを浮かべながら安全装置を掛ける。

「満足したかい?」

 既に咥えた煙草が半分程の長さになった観測手に、立ち上がって頭を下げる。

「うん。悪かったよ」

「いいさ。お陰でゆっくり一服出来る、CP禁煙だしな」

 紫煙を吐き出す彼の後ろでヘルメットを取り、半日ぶりに両の目で空を仰ぐと、そこには夕日に照らされて熟したオレンジのような色彩を成す雲が広がっていた。その美しい光景は鉛空の下を行軍していた自分の記憶と符合せず、僕は一瞬首をかしげた。

 ああ、今日は昼頃から晴れるんだったっけ、朝方に見たニュースを今頃思い出す。その『昼頃』が具体的にいつだったのか、一日中外にいたにも関わらずわからないのだが、恐らくその変化を見極めようとしたならば、僕は今頃この世にはいないのだろう。

 しばらく間抜けに口を開けたまま、紅く染められて流れゆく雲を眺めていた。迷彩服に身を包んだ男が隙だらけにぽかんと空を眺めているのだ。脇に抱えたままのごついライフルも加わり、傍から見ればさぞシュールな絵だろう。

 そんな事を考えていると、急に胸の中に虚しさとばかばかしさがこみ上げてきた。

 僕は何をやってるんだろうな。心の中で嗤う。それはもちろん夕暮れを見上げていた今この時だけ、ではない。

ずっと、ずーっと。僕は、二つに分かれたこの国は。

「どした。またボケっとして」

 ともすれば明後日の方向へと向かって遠くに飛んだ思考を、隣の声が呼び戻す。

「ああ、いや……抜けきってないのかも。まだ身体が慣れなくて」

 慌てて観測手の方を向き、適当な言い訳を並べると、彼は思い出したようにああ、と声を上げた。

「そういや徴兵組か」

「うん。前の観測手と一緒に、半年前」

 彼の後ろを歩きながら首肯を返すが、彼は僕の返答が信じられない採った様子で大げさに肩をすくめた。

「それであの腕だもんな……第二分隊の奴が嘆いてた。本職の立つ瀬がねえってさ。正直、俺もここまでやる奴と組んだ事ない」

 ホントはどっか特殊部隊にいたんだろ?と詰め寄る彼に、軽く手を振り苦笑を返す。

「そこまでベテランだったら、耐性があってもいいでしょ?」

 彼はしばらく唸っていたが、やがて思い当たる節に当たった様に顔を上げる。

「注射になってから増えたのかと思ってたけど、前線に徴兵組が増えているからか」

 注射、というのは向精神薬の事を指しているのだろう。とりわけ僕達のような徴兵組、詰まるところ戦場の空気に慣れ親しまない者が増え、その成分にも日々改良が加えられている、とは上官の弁だ。

 そして、口ぶりから察するに彼は僕を称賛していた第二分隊の誰かと同様、根っからの職業軍人らしい。つまりは飲み薬の頃から服用慣れしているという事。その差異が彼にとって、僕が民間上がりである事の証明になったようだ。

「まあなんにせよ。お前さん程の腕と組めて俺も鼻が高い――」

「人殺しの腕を褒められても嬉しくないよ」

 胸を張る彼と言葉を遮って嘆く僕の間に僅かな緊張が走り、どちらともなく足を止める。

「……その割には、迷い無く撃ち抜くじゃねえか」

 ゆっくりと振り返りって言い放つその眼は鋭く冷たい。僕は早くも先の発言は迂闊だったかと後悔を始めていた。もしかしたら僕の忌避するところは、同時に彼が抱く矜持の拠り所でもあったのかもしれない。

「それも薬のお陰だと思うよ。さっさと東に降伏してもらいたいだけさ」

 軍人は人殺しが好きだから軍人となる――そんな無知にも程がある思想を持ち合わせているわけでは断じて無い。彼を尊敬もしている。しかしここで意見を曲げ、同属とすり寄る気にはならなかった。

 僕は彼とは違う。あくまで仮雇いの兵士擬き《もどき》だし、終戦までそのままでありたいと願っているからだ。

「こんなところ、一日だって長居したくない」

「……おい、無線切ってるだろうな?また殴られんぞ」

「無理矢理徴兵された挙句、連れてこられたのがこんなふざけた所とくればイラつきもする」

 反論の標的が自分でなくその後ろであると悟り、彼は怒りではなく焦りを露わにし出した。だが熱の入った舌が止まらない。これも薬で抑えつけていた心の揺り戻しによるものと都合よく解釈しながら、僕は続ける。

「なんだよ『戦闘行動はマルキューマルマルからヒトナナマルマルまで』って。バイトのシフトじゃないんだっての」

「や、そりゃ俺だって不思議に思ったけどよ……いいじゃねえか、こうして帰りは匍匐しなくて済んでるんだし」

「それを東側も律儀に守ってるのが意味わかんないんだよ。そんなん合意できるなら最初からドンパチなんかしなきゃいいんだ」

「俺だって上の考えている事なんかわかんねえよ。その辺にしておけって」

「だってさ」

 困り果てた様に制止を促す彼となおも抗弁を立てようとする僕の間に、無線の不快なノイズ音が挟まった。

『繰り返す。本日の戦闘行動は全て終了だ。以降の発砲は条約に反する。各員直ちに帰還せよ』

「……ああもう!」

 苛立ち交じりに枯葉を蹴って舞い上がらせて辺りを見回すと、CPのある場所とは反対の、西の方角に少し急な上り坂があった。ここは国境線、緩衝地帯ギリギリの北の果てのはずだから……

「あ、おい!どこ行くんだよ!」

 突然方向を変えてすたすたと歩き出す僕の背中へ驚きを声が届く。

「いつもの所。一服してから帰る」

 このまま戻れば同じような押し問答を今度は上官にまで吹っ掛けてしまいそうだ。そうなったら連帯責任で彼にまで迷惑が掛かる。そんな勝手な決めつけを胸に止まらずに答えると、返答の代わりと言わんばかりの盛大なため息が聞こえた。引き留めは無駄、と悟ってくれたのだろう。

「じゃ、口裏合わせよろしく」

「……投薬の時間までには帰って来いよ。じゃねえと俺までどやされる」

「了解であります」

「あと!国境線だけは超えるんじゃねえぞ!」

 続くお節介に片手を上げて返礼し、遠ざかる足音を聞きながら坂を上り始める。

『繰り返す。本日の戦闘行動は全て終了だ。以降の発砲は条約に反する。各員直ちに帰還――』

 目的地までの地図を描こうとする頭を、相変わらず無機質かつ不快に響く無線の声に邪魔され、僕は小さく舌を打った。

「繰り返す。本日の――」

 胸元の無線機の電源ボタンを強く押しこみ声を遮断する。静寂の戻った耳に夕風の木々を揺らす音が心地よい。頬を冷やす潮風に任せて、僕はなおも歩を進めていく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る