真っ青な血

桜 木花

一雫

血は赤いというのは随分と昔から知っていたつもりだ。

医者をしている姉さんの背中がかっこよくって、二人でよくお医者さんごっこをした。難しい文字ばかりで読めもしない医学書を眺めた。怪我の応急処置セットを持ち歩いて、膝を擦りむいた女の子に手当てしてあげることもあった。そんな時血が赤いのを知った。

私たちのように医学に興味があってもなくても、血が赤いというのは知ることができるだろうけれど、私は実は血は青いんじゃないかと思ったこともある。

でも、血は赤いのだ。

一面の青に、ひたすらに目立つ血の赤が水晶体を貫いて眼球にこびりついた。


『そしたら、お母さん。行ってきます。』

『いくら姉さんがいるからって、変なことだとか無茶だとかはしちゃダメよ、時々お便りちょうだいね、帰ってくるときは早めに連絡してね、体には気をつけるのよ、あ、姉さんがいるから大丈夫だと思うけれど……』

『お母さん、大丈夫。無茶なんかしないって、兄さんじゃあるまいし…。』

やばい。私が口を滑らした。出発の時ぐらい、なにもなく平穏な別れをしたかったが、口を滑らせたことに後々気がついた。

『そうよね…お兄ちゃんじゃないものね、ごめんなさいね、心配しすぎで。でも、お願い。』

お母さんの手はあかぎれが酷い、カサカサとしている。そりゃ季節構わずエンドレスで洗濯をしてれば仕方ない。そんな手で私の手を握り、私の方を見つめた。私を見つめてはいるが、きっと兄さんを私に重ねているのだろう。

『あなただけは……死なないでちょうだい。』

そう言い切ると、母の目から涙が止まらなくなってしまった。母の手を握り返して背中をさすりながら、大丈夫だから、とひたすらに呟くことしかできない。

『行〜くわよ〜っ!もうー湿っぽくしてるんじゃないの、一生の別れじゃないんだからぁ〜』

火に油を注ぎやがって。

《一生の別れ》のワードで、母がうっと、また大ぶりの涙をこぼし始めた。

私の求めているのほほーんとしたお別れとはまた遠のくじゃねぇか。

今日からこんな、火に油注ぐ達人油ババアと一緒に過ごすのかぁ。別に弁解だとかそんな訳でなく、素直に私はブルー姉さんのことが好きではある。ただ、とてつもなくとてつもなーく火に油を注ぐ、海神の如く波風たてる天才なのだ。さっきのことしかり。こんな姉さんが人から遠巻きにされ嫌われていないのは、その医者としての確かな腕と有り余る正義感からだろうとは思う。

『姉さん、おはようございます。本日からよろしくお願いします。』

この数行並べた内心を押し込め、軽く会釈した。姉さんは今日も青一色だ。

『これからずっと、姉さんよりも、お師匠とかの方がいいですか。』

『そ〜ねぇ、んじゃ、そうしちゃおっかな!っても私も弟子をとるのは初めてだからね〜。なんだか急に言われると不思議な感じね!』

少し私の耳元を見つめると、姉さんは、お師匠は悟ったようでニかりと笑うと、

『んじゃ!先に駅の方行ってるから!早めにきてねぇ〜い!レミもほら泣き止む泣き止む!』

姉さん、いや気持ち改め、お師匠がいたおかげでお母さんも泣き止んでくれたようだ。家の窓に目をやると、向こうも向こうで準備満タンらしい。私が右ひじをあげれば、窓からヒュンと私の肩に飛び乗ってくるのだった。風を切り、山麓をかけるワシの如く。まぁ実際、見た目はオウムなんだけれど。

『お母さん、リック連れて行くけどいい?』

『あら、そうなの。まぁ、あなたもリリェと一緒に行った方が楽しいわよね。』

そう母が言うと、タノシイタノシイと私の肩の上で繰り返した。いきりやがって。

『いってきます。』『いってらっしゃい。』

肩の重みとカバンの重みとで既に潰れてしまいそうだけれど。私は街を出る。しばらくは帰らないだろう。お師匠について行くことになる。まぁ、一人ぼっちじゃないだけ随分と気が楽なんだけれど。じゃあ、久しく。私の街、家、その他もろもろ。そしてお母さん。母が手を振る姿を振り返ってもう一度見てから、私は駅へ向かう。


駅へ向かう途中でお師匠に追いつくことができた。

『出発時刻より少し遅れてしまってすみません。』

まぁ、母のせいですけどね、とつけたした。

『レミはもうあんたのことが気が気じゃないのよ〜、仕方ないわ。リリ既に顔がやつれちゃってるわよ、今から疲れててどうするの〜、ミック軽くなってやんなさいよ〜。』

打って変わってお師匠の言葉を聞いて、ワりぃワりぃと、我が家の飼い鳥リック、いやはや兄が文鳥に化けて喋りだす。

『イやー、ついつい自分の体重とか気にしなくなっちゃうんだよな、ごめんナ。』

謎にかなり重量級のオウムに化けてからというもの、母にその姿を隠し通すためオウムの姿を貫き通していたもんだから、兄にとっても身体の大きさ重さ感覚というのは疎いらしい。しかし、この兄はほんと鳥が好きで困ったもんだ、他のものにしてくんないかなーっと常々思う。鳴き声がうるさいし。ハムスターとか、肩に乗るには良いサイズ感じゃないかしらん。かわいいし、ハムスター。

『まぁ、久しぶりだったしね、許す。』

オう、と言わんばかりにピヨと鳴くとさらに小さく化けて、私の耳の穴に入るのだった。こんな生活ももう慣れた。兄が耳の穴に住まう生活も早9年。ここ最近は家にずっといたので、オウムの姿ばかりだったけれど、私が寝ている時間は本を読むために他の姿にもなっていたらしい。いやはや、どんな姿になっていたか気になるけれど、教えてはくれなかった。

『とりあえず、行きたいところがあるのよ!あなたにあげたいものもあるし!』

お師匠はそう勇み立っているけれど、なんとなくこちらとしても予想はついている。多分、服を作ってもらうのだろう。私は白衣、いやーあれを白衣とは呼びにくい。駄洒落じゃないけれど、青衣はもっていないのだ。やっとあの服に袖を通せる。これは私の長年の夢でもある。

『オれにはないのかよー。』

私の耳から小さいラッパを化けてだし、兄は喋る。

『ミックにあげても仕方ないでしょ〜、妹の晴れ姿みて満足してなさい!』

どうも不満げに私の耳へ戻っていったが、まぁ、あげることも出来ないので仕方あるまい。私だって、兄には恩返ししたいことだとか、本当はたくさんある。何もしてあげられないけれど。だから、これから兄に何かしてあげられるように。そういう意味も含めて、私は今日街を出る。駅に着くと、ちょうど電車が来ていた。お師匠はバッチを車掌に見せ電車に乗り込む。お師匠はニかりと笑うと、あんたもね、と私に言う。あぁ、そうだった。私もあれを持っているんだった。私は、お師匠に比べると飾り気の少ない、赤と青のツートーンのピンバッチを見せる。

『アズル・リリィ特羽鍼師、確認いたしました。ご乗車ください。』

ありがとうございます、と軽く会釈をした。

私は初めて、いわゆる職権を使ったのである。大したことは全くないけれど、なんだか嬉しい。さて、乗り込むとするか。

『フん、お前も晴れて特羽員って訳だなぁ、ま、俺が取ったみたいなもんだけどナ。』

はいはい皮肉は結構。半分はほんとのことだから言い返しも出来ませんけどね。耳で呟く兄を気にしつつ。

私たちは車窓から街を眺めた。もう我が家は見えないが。ずっと見つめていようかと思ったけれど、寂しくなりそうでやめることにした。椅子の軋む音に体を埋めて、眠ることにした。

私の第三の人生が始まる。

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真っ青な血 桜 木花 @konokono

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