ムギさんと世界一の料理

 世界中の国からいろんな人が集まって競技をする、オリンピアが開催されていた頃の夜。ムギさんと僕は、喫茶店のカウンターで、コーヒーを飲みながら本を読んでいた。

 今夜の本は、オリンピアの記録がずらりと記録された、オリンピア・ブックだった。様々な競技の記録がずらりと並んでいる。その記録の凄さを見ながら、僕たちはいちいち驚きの声を上げたり、自分の速さと比べたりして楽しんでいた。

「いやあ、やっぱりオリンピアに出る人は凄いね」

「なんといっても、世界のナンバーワンを決める大会なんだから、それは凄いよ」

 ムギさんと僕が、そんな事を話していると、ひとりの野ウサギが、勢い込んで話しかけてきた。


「ナンバーワン! いい響き! そうです。一番はいいものですね。おっと失礼。ついついナンバーワンと聞くと、この耳がと反応してしまいましてね。私は、ウーゴと申します。以後よろしく。それにしても、やっぱりナンバーワンはいいですよね。ナンバーワン、世界一! ああ、素晴らしい」

 ウーゴは、うっとりと赤い目を細めて、鼻をひくひくさせている。

「やあ、ウーゴ。ナンバーワンはいいよね。君も何かのナンバーワンを目指しているのかい?」

「よくぞ聞いてくれました。実は私は、の料理人をやっていましてね。ナンバーワンの料理、つまり、世界一おいしい食べ物を探して旅をしているのです」

 ウーゴは体をひねって、背中に背負ったフライパンを見せる。良く見ると、腰に巻いたベルトには、包丁や菜箸や木べらが、皮の袋に収まってぶら下げられていた。


「あなたたち! 料理は好きですか!」

 ウーゴは、突然僕たちの方を指さして聞いてきた。

「う……うん。好きだよ。自分で作ったりもするんだよ」

「僕は食べるの専門だね。作ったりはしないけど、もちろん大好きさ」

「そうですか……。では、敢えてあなたに聞きましょう! とは!」

 ムギさんと僕は、顔を見合わせた。食べる事は好きだけれども、あらたまって世界一は何かと聞かれたら、迷ってしまう。むね肉ソテーのハニーマスタードも好きだし、こないだ食べた白くまシチューも絶品だった。ご飯でなくて食べ物という事だったら、マスターの淹れてくれたコーヒーと一緒に食べるバターサンドクッキーも美味しいし、お母さんがたまに作ってくれる白玉の梅シロップ掛けも捨てがたい。

「ううん……一番というのはなかなか難しいね。ウーゴ、ひとつじゃなきゃ駄目かい?」

「ええ。ひとつだけです。ナンバーワンは、ひとつなのです!」

「そっかあ。そうなると僕には選べないなあ。今まで食べてきた物の中でも迷うのに、きっと、まだ食べた事のない美味しい料理もいっぱいあるだろうからなあ」

 僕がそう答えると、ウーゴは、なるほどといった様子で深く頷いた。そして今度は、ムギさんの方をじっと見る。


「では、黒猫さん! 世界一の料理とは?」

 やはりウーゴは、指を指して聞いてきた。

「そりゃあ、レタスチャーハンだよ。おっとっと、レタス焼き飯か。決まってるさ」

「レタス焼き飯! なるほど! それが世界一なのですね!」

「それはそうだよ。今まで食べた中で一番さ。もしかしたら、ぼくの食べた事のない料理もおいしいかもしれないけれども、ぼくはでいい」

「ううむ……なるほど!」

 ウーゴは、やはり深く頷いた。しかし、ちょっと残念そうな顔をした。

「今まで食べた物の中で、一番ですか。ううむ……。それは本当の事なのでしょうが、やはり私には妥協に思えてしまいますね。そういうことであれば、私の知る世界一の料理とは、ヤベマサ牧場のにんじんという事になります。

 しかし、世間一般では、にんじんはあまり人気が無いのです。個人の好みとは難しい物なのです。でも、そうではなく、こう、もっと誰が食べても間違いなく、文句のつけようが無いナンバーワンの料理というものが、世界のどこかにはあると思うんです。私は! それを! 見つけたい! そして作りたいのです! いやむしろ食べたいのです!」

 ウーゴは、両手をぐっと力強く握りしめて、熱く語った。

「ウーゴは真剣なんだね。じゃあ、マスターとツヅキにも聞いてみたらどうだろう。2人とも、ムギさんと僕よりも料理には詳しいと思うよ」


 僕は、カウンターの奥に入って、キッチンからマスターとツヅキを呼んできた。するとウーゴは、またもびしっと指をさして質問してきた。

「そこの眼鏡のマスター! 世界一の料理とは?」

 マスターは、愉快そうにあごを撫でながら答える。

「世界一の料理だって? うーん……、そうだなあ。俺が淹れるコーヒーってのはどうだい? なかなかのものだぞ。まあ、割といいかげんだから、その日によって味が変わっちゃうんだけどな。その違いも含めて、『今回の味はこれか。いい豆がはいったんだな』とか、『今日はやけにまろやかだな。体調を気遣ってくれているのかな』とか、いろいろと想像する事も含めて、楽しんでもらえると思うぜ」

「ううむ……なるほど!」

 ウーゴは、やはり深く。

「つまり、どんな味の料理かも大切ですが、誰が、誰のために作ったのかという事も大切だという考えですね! 確かに、確かに。そういうのも大事かもしれません。でもそれって、だからいいという事を盾にして、ちょっと所があるんじゃないでしょうか。

 私は、そういう味以外の要因で変わってしまうものではなく、だれの目にも、いや、あきらかな! ぐうの音も出ない! 圧倒的な! 唯一無二の食べ物を知りたいのです!」

 ウーゴは熱く力説した。そして今度は、ツヅキを指さすと、同じ質問を投げかけた。


「そこの、のシェフ! 世界一の料理とは?」

 ツヅキは、少し考えて生真面目に答えた。

「そうですね。私は、世界一の料理というのは、わかりません。私にはそれは作れないかもしれませんね。私にできる事は、身の回りにある食べ物を、できるだけおいしく料理する事だけ。料理が先というよりは、材料が先にあって、それで何ができるのかなって考える事が多いですね。ここのお客さんは、本だけではなくて、いろいろな材料まで持ち寄ってくれるから、そうしないと困っちゃうというのもあるんですけどね。答えになっていなくてごめんなさい。でも、私には、から、そうやって料理をしているんです」

「ううむ……なるほど!」

 ウーゴは、やはり深く頷いた。

「つまり、あえて高みを目指さずに、一歩一歩足元を固めていくタイプですね! そうやって少しづつ進んで行けば、気が付いたらナンバーワンに近い位置まで辿り着く事もあると聞きます。実際、私の師匠のムッシュ・カウベルは、そういう方です。

 しかし、それではナンバーワンになったとしても、なのではないでしょうか。私は、もっとこう、積極的に! 偶然に頼らずに! 自分自身の力で! 理由まで分かった上でおいしくてたまらないナンバーワンの料理が作りたい! そして、味わいたいのです!」

 拳を振って力説していたウーゴは、少し疲れたのか、水を一口飲んだ。


「いやいや、皆さん、すみません。ついつい熱くなってしまいました。フフフ……、本当はね、私にも少し分かっているんですよ。オリンピアの競技と違って、料理というもののナンバーワンは、の可能性がってね。でも、だからといって、それを理想論と決めつけて、"人それぞれだから頑張って探さなくてもいい"なんて思い始めたらね、もう、そこで止まってしまうじゃないですか。あきらめてしまうじゃないですか。お母さんの作った、にんじんスープが一番だなんて言ってたら、もう何も新しい美味しい物なんか、見つからないじゃないですか!

 だからね、私は、敢えて言いたい。! 理想論で大いに結構! それでも、それを探し続けることで、少しでもおいしい料理に近づいていくんだ! って。きっとこの世界のどこかには、あるはずなんです。方程式みたいにきっちりと答えの出る、一番おいしい料理というものが! よーし、なんだか燃えてきたぞ。こうしちゃいられない。修行だ! 皆さん、今日はありがとうございました」

 そう言ってウーゴはぺこりと頭を下げると、意気揚々と夜の闇へと姿を消した。



 その日の帰り道、ムギさんと僕は、川沿いの道を歩きながらウーゴの話をしていた。


「なんだかとても熱いウサギだったね」

「燃えるような真っ赤な目をしていたね」

「僕には、ちょっと真似できないなあ」

「まったく君って奴は。でも、そこが君のいいところなのかもしれないね」

「ウーゴは、世界一美味しい料理を見つけられるんだろうか」

「見つけられるかもしれないし、見つけられないかもしれないね」

「見つけられるといいね」

「そうだね」

「ところでムギさん、ムギさんはやっぱりレタス焼き飯が一番好きなの」

「それはそうだよ。決まってるじゃないか」

「ふうん。そうなんだ。へえ」


 今度のまかないは、レタス焼き飯にしようと思った。そしてその時には、今までの物よりも、ほんのちょっぴりおいしくできるように、いろいろと考えてみることにしよう。

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