ムギさんとギョウコウバチ
いつもよりもなんだか満月が近くにあるように見えた夜。ムギさんと僕は、窓際の席に座って本を読んでいた。窓の外からは、さわやかな風が流れ込んでくる。しばらくコーヒーを飲みながらページを
なんだろうかと思って顔を上げると、窓の下は、見渡す限り、いろとりどりの花畑が広がっていた。
「うわあ、きれい。あそこはどんな所なの?」
「どれどれ。ああ、どうやら
喫茶店が、花咲の国に着陸すると、窓から流れてくる香りは一層強くなった。ムギさんと僕が、ふんふんといろんな香りを楽しんでいると、頭に大きな花の冠を付けた女の子が店に入って来た。
「こんばんは。マスター、ツヅキさん。野ばらと木苺のエッセンス、それに蜂蜜を持ってきたわよ。デザートに使ってちょうだい」
「おっ、クレマじゃないか。いつもありがとう。何か飲んでいくかい?」
「そうね。じゃあエスプレッソをお願いするわ」
マスターが頷いて奥に下がると、クレマはカウンターに腰かけた。
「こんばんは。クレマ。その冠、とても素敵だね。それに凄くいい香りがするよ」
「こんばんは。ありがとう。今日はガーベラで作ってみたのよ。それにこれも」
クレマが左手を上げると、手首には、花を編み込んだシュシュが付けられてた。
「うわあ。お花だらけだね。まるで花嫁さんみたい。この国の人はみんなお花が好きなんだね」
「ええ、そうね。でも、くじの方がもっと好きなのよ。だから女の人はもちろん、男の人だって皆、体のどこかしらにお花を着けているの。ほら」
クレマが窓の方を指さすので、そちらを見てみる。確かに、男の人も女の人もお花を身に付けているようだった。クレマのように花の冠をしている人から、とんがり帽子にリボンのようにお花を巻き付けている人、お花のコサージュを胸に留めている人や、中には花で作った眼鏡をかけている人までいる。
「本当だ。でもクレマ、なんでくじが好きだと、みんなお花を身に着けるんだい?」
すると、クレマはきょとんとして、しばらく僕らを見つめていたが、そのうち口に手を当ててくすくすと笑いだした。
「ああ、そっか。あなたたちは、ギョウコウバチを知らないんだものね。それじゃあ不思議に思うのも無理ないわ」
「ギョウコウバチ?」
「ええ。そもそも、良い事が起きたりする『ツキ』というのは、ツキノキの花粉の量によって決まるじゃない? ツキノキの花粉が多くついている人は、すごく幸運な事が起きて、あまりついていない人は、じゃんけんで勝つことだってなかなか難しいわ」
「そんな仕組みになっているんだ」
「それはそうよ。でもね、ツキノキってどこにあるのか、誰も知らないのよね。知っているのは、ツキノキの花粉を運ぶ蜜蜂の一種の、ギョウコウバチだけ。あの子たちが、ツキをあっちやこっちへと運びまわっているのよ。
だからみんな、ギョウコウバチが大好きな蜜を持ったお花を身に着けているというわけ。甘い香りに誘われて、ギョウコウバチがお花に来れば、ツキが自分に周ってくるの。もちろん、逆にギョウコウバチがツキを持って行ってしまう事もあるんだけどね。つまりは、ギョウコウバチが、花から人へ、人から人へとツキを運んで周っているのよ。あら、ありがとう」
クレマがそこまで話したところで、マスターがエスプレッソを運んできた。クレマは、エスプレッソの香りを、目をつぶって楽しむと、ゆっくりとコーヒーカップを口へと運ぶ。
「じゃあ、その花粉が多くついている人に、くじが当たるということなのかい?」
「ええ。そうよ。それがツキというものだもの。だからみんな、いろいろな花を栽培しては、ギョウコウバチが来るかどうかを試しているのよ。そうこうしているうちに、見た通りのお花畑が一面に広がる国になっていたというわけなの。でも、これはこれで素敵でしょ?」
僕とムギさんは、顔を見合わせて、半分だけ頷いた。すると、クレマはエスプレッソを飲み干して、さらに続けた。
「だから、この国のみんなは、お花を身に着けて外に出るの。”私にもツキが周ってこないかなあ”、なんて部屋の中で座っていたって、ギョウコウバチは飛んでこないもの。積極的に外に出て、ツキをがっちり運び込むのよ」
「それでみんな、外を元気にあるいているんだね」
「その通りよ。でも、年末のスペシャルくじの時期なんて、こんなもんじゃないわよ。皆、あらゆるお花を育てては、花飾りを作ったり、コサージュやブーケにしたり、しまいには、お花で服を作って出かける人まで出るしまつだわ。それはもう、華やかで楽しいのよ。あなたたちも一度遊びにくるといいわ」
クレマはエスプレッソを飲み終わると、お勘定を済ませて帰って行った。クレマの座っていたカウンター席のまわりには、お花のいい香りが残っていた。
その日の帰り道、ムギさんと僕は、道沿いに咲いている水仙の花を見ながら、クレマの言っていた事について話をした。
「クレマの国では、ツキというものを、人から人へと蜂が運んでいたんだね」
「そうみたいだね」
「僕たちの街でも、そんな仕組みなんだろうか」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」
僕は小さな蜂が。ぶんぶんと羽音を立ててツキを運んでいる姿を想像してみた。小さな後ろ足についたふわふわの綿毛に、きらきらと光るものが着いている。
「もしそうだとしても、僕はもういらないかなあ」
「どうしてなんだい?」
「だって、ムギさんみたいな特別な猫に出会ったからね。それだけでもう、そこそこなツキを使ってるんじゃないのかなあ」
「まったく君って奴は」
ムギさんは、プイっとそっぽを向くと、尻尾をSの字に振って歩いて行ってしまった。僕はその後を慌てて追いかけた。ほのかに甘い花の香りが一瞬花をかすめて、すうっと消えていった。
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