ムギさんと親方ビーバー
寒さもひと段落して、ようやくマフラー無しでも外を歩く気になって来た頃の夜。ムギさんと僕は、土手沿いに咲く一面の
店に入ると、カウンターでは、チーターのモカとマスターが、何やら悪い顔をして相談をしている。
「こんばんは。二人とも、何を話していたんだい? なんだかとっても悪い顔のようだけど」
「こんばんは。実はウソを考えているのよ。だってほら、もうすぐエイプリールフールじゃない。とっておきのウソで、皆を驚かせてやりたいの」
モカとマスターは、にっと歯を見せて、いしししし、と悪い笑い方をした。すると、同じくカウンターに座っていたビーバー親方が、釘を刺してきた。
「おうおう、お二人さん。バカ話ではしゃぐのはいいけどな。うっかり嘘つきモグラに足元を掘り返されないようにしてくんなよ。毎年この時期は、そういう
「わかってるわかってる、親方。ダム建設も大変だねえ」
「まったくだぜ。まあ、ビーバーがダムをつくるのなんて当たり前だけれどもな。こう数が多いと、尻尾を休ませる暇もなくて、どうもいけねえや」
親方は、安全マークの入った黄色いヘルメットを脱いで、頭をガリガリと掻いた。
「今日なんて、特に大変だったぜい。友達の本を内緒で持って帰っちゃった子の所の工事でさ。持って帰って穴を開けてから、なんと2か月も経っていたんだよ。おかげでその子のダムの穴は、メチャクチャ広がってやがんだ。そりゃもうそこから、大量のなにかが流れ出ちまってたんだ。
さすがの俺たちも泡を食ってな。ビーバー組総出で突貫工事よ。コスギなんて前歯が欠けるくらいの木を切り倒したし、ラブは材木を運びすぎてもうダウンしてる。いつも陽気なジャスティンでさえ、工事の様子をアップする事すらしないで、無言で温泉に直行する始末だよ」
「それは大変だったねえ」
「ああ、なんとか1日で完成したよ。それで、その子に、”なんでこんなになるまで放っておいたんだ?“って聞いたらよ。一枚噛んでやがったのよ。あのモグラ野郎めが」
親方は、腕組みをして眉をしかめる。
「実は、その子が本を持って帰ったのは、わざとじゃなかったんだ。友達の家に遊びに行ったときに本を見かけてな、『あの本、いいなあ。欲しいなあ』ってふっと思ったそうだ。そしたらそこに付け込んで、モグラの野郎がそっとカバンの中に入れやがったんだ。しかもモグラの野郎、わざと2日間、本を隠してたみてえだ。
2日後に気が付いたその子は、そりゃあびっくりだよ。本を取ってしまったという罪悪感で、心の中のなにかのダムに小さな傷がついた。そこを狙ってモグラの野郎が穴を掘りやがったんだ。
知っての通り、一度空いた穴は、そのまま放っておくと、ずっとなにかが流れ出てっちまう。それだけでなく、時間が経つと、どんどん穴が広がって行っちまう。できるだけ早いとこと塞がないと、もう二度と、失われたなにかは元の量までは取り戻せねえんだ」
「じゃあ、その子はなんで2か月も放っておいたの?」
「そこがあのモグラのずる賢い所だ。いいか? あの子だったら、家に帰ってすぐに本に気が付いたら、すぐにごめんなさいをして返しに行っただろう。少なくとも、連絡くらいは入れただろうよ。だがな、不思議なもんで、そういう事っていうのは、時間が経てばたつほど、しにくくなるんだよ。1日目より2日目、2日目より3日目の方が、ごめんなさいを言うのは難しくなる。そうやって先延ばしにしていく内に、2か月も経っちまってたんだろうな。
その子も、ついこないだ、やっと友達に話せたそうだ。友達の方は、本の事はすっかり忘れていたもんだから、すぐに許して貰えたそうだけどな。それでやっと俺たちの出番という訳だ。工事に行ったときは、もうだいぶダムの中のなにかは減っちまっていたよ。かわいそうになあ」
親方は首を振ってため息をつくと、コーヒーを1杯飲んだ。
「でも親方、悪戯モグラは、なんだってそんな事をするんだろうか?」
「さあな。なぜだか知らねえが、あいつらは、なにかが流れ出るのが大好きなんだ。自分で飲んだり、浴びたりするわけでもねえのにな。悪趣味な野郎だぜ。お前らも気を付けろよ。誰もいない一人だからといって、なにかがこぼれる様な事をしたくなった場合には、まわりにあの野郎が穴を掘って待ち構えている可能背が高い。良く”魔が差す”なんて言うが、俺にいわせりゃあれは『魔』じゃなくて『モ』だな。モグラの『モ』で、”モが差す”って奴だ。
気を付けていても、ひっかかる人が続出するくらいだ。ましてや、エイプリールフールなんて日だったら、その辺のものさしが曖昧になってるから、ついつい足を踏み外して、モグラの穴に
マスターとモカも、何やら怒られた時のように神妙に話を聞いている。その様子を見て、親方は照れくさそうに頭を掻いた。
「おっとっと、なんだか堅苦しい話になっちまったな。すまねえすまねえ。ここんとこ、あまりにあの野郎らに振り回されてたもんでな。ま、わかった上で羽目を外して大騒ぎするのは、大いに結構だ。楽しんでくれよ」
「ねえ親方。もしも魔が差して、ううん、モが差してしまった場合は、どうするのが一番いいんだい?」
「ん? そりゃあ、一番いのはモグラの
親方は、胸をひとつ叩くと、ぐっと力こぶを作って見せた。
その日の帰り道、ムギさんと僕は、さらさらと流れるカリュウ川沿いを歩いていた。
「嘘つきモグラにひっかかると、なにかが減ってしまうんだね」
「そのようだね」
「よく『減るもんじゃないし』って言うけれども、本当はなにかが減ってしまっているのかもね」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」
「でも、いったい、嘘つきモグラってのは、どこにいるんだろう?」
「誰も見たことが無いらしいね。ひょっとしたら、僕や君の近くにも、隠れているのかもしれない」
「気を付けないとね」
「そうだね」
土手の芝桜は、相変わらず綺麗に咲いている。でも、もしかしたらその花畑の下に、こっそりモグラの開けた穴が開いているかもしれない。もし落ちてしまったとしたら、まずムギさんにごめんなさいと言うとしよう。
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