ムギさんと幸運なトースト

 満月の明かりにも負けないくらい、星々がきらきらと輝いて見える透き通った夜空が見える日。ムギさんと僕がコーヒーを飲んでいると、喫茶店はシンフォル国へと着陸した。シンフォル国には、ひときわ高いジーマ山を持つ、風光明媚な景色が広がっていた。

「この国では昔、結構な規模の災害があったそうだよ」

「そうなんだ。今は見る限り大丈夫そうだけどね」

「うん。昔は、があふれ出ていて、人が住めるような状態じゃなかったらしいんだ」

「へえ」

「確かにその通りです。でも、それはもう昔の話ですよ」


 気が付くと、カウンターのスツールには、さっぱりと刈り込んだ金髪に、宝石のような碧眼へきがんを持った青年が腰かけていた。

「こんばんは、青い目の人。今はもう大丈夫なんだね」

「こんばんは。私はラズリと言います。ええ、今はもう大丈夫。自然というのは偉大なもので、良くないものも、時間をかけて綺麗にしたり、外へと押し出したりするものなのですよ」

「そうなんだ」

「ええ、身近な所ですと、私たちの汗やなんかもそういう仕組みですよね。良くないものは、排出する。それでも出しきれないものは、爪や髪の毛などの切り離せる場所へと押しやって、体に害を与えないような仕組みになっています。そこを切ってしまえば、きれいさっぱりと言うわけですよ」


「へえ、体って不思議だね。それで、ラズリの髪の毛もそんなに短いの?」

 僕は、さっぱりと刈り込んだラズリの髪の毛を指さして聞いてみた。

「髪の毛? あはは、そうですね。これは、伝統みたいなものですね。この国の人は、以外は髪の毛を短くしている人が多いかな」

っていうのは?」

ですよ。うーん、なんて言えばいいのかな。召使めしつかいのような感じでしょうか」

「ふうん」


 その後、僕達とラズリはいろいろな話をした。ラズリの話は、どれもとても陽気で面白いものばかりだった。

 しばらく話していると、小腹がすいてきたので、ベーコントーストを注文する。食パンにたっぷりのバターを塗って、ツヅキお手製のベーコンを乗せて焼いただけのシンプルなトーストだけれども、僕はこれが凄く好きだった。する と、それが珍しいのかラズリも同じものを注文した。一口食べると、驚いた顔で言った。

「いやあ、このベーコントーストは美味しいですね!」

 トーストは、もちろんツヅキが作っているのだけれども、なんだか僕も誇らしかった。

「おいしいよね。僕もこれ好きなんだ」

「ええ、たまにはこういうシンプルで質素な料理もいいですね。いやあ、幸運ラッキーだったなあ、たまたまこの店が降りてくるのを見つけられて。おっといけない、もうこんな時間か。あ、マスターさん、これテイクアウトってできますか?」

 マスターは、ちょっと待ってねとでもいうように、人差し指を一本立てると、いったんキッチンの奥に引っ込んでから顔を出した。

「ええ、できますよ。今日ならトースト12枚まではOKです」

「12枚! それはいい。では、全部包んでいただけますか。代金はここに置いておきます。私は、ちょっと急ぎの用があるので失礼しますね。トーストはすぐにでもヒトリメに取りにこさせますので、焼きあがったら渡してください」

 ラズリは、最後のひとかけらを平らげると、頑丈そうな大きな体躯をぺこりと折り曲げてマスターにお辞儀し、店を出て行った。


「なんだか凄く爽やかな人だったね」

「うん。この国の人はみんなそうなのかな」

 ムギさんと僕が、そんな話をしていると、ドアが控えめに小さく開いた。そちらを見ると、ひとりの少年がおずおずと店へと入って来る。少年の目はあおく、少し濃い目の綺麗なブロンドの髪が、腰まですらっと伸びていた。少年はラズリとどことなく似ていたけれど、ラズリよりはずっと小さかった。

「……あの、使いの物ですが、ここでトーストを受け取るようにと言付かってきたのですが……」

 少年は、とてもとしていて、小さな体を申し訳なさそうに折り曲げている。

「やぁ、君がラズリの言っていただね。トーストは今焼いている所だから、一緒に座って待っていようよ」

「いえ、私なんかが座るのは申し訳ないです」

 両手を前に出してしきりに恐縮するヒトリメに、いいからいいからとスツールを勧める。

「それにしても綺麗な髪だね。この国の人は短髪が多いと聞いたけど、ヒトリメくらい綺麗だと伸ばしているんだね」

「えっ! いえ、これはその……。私はヒトリメですから髪を切れないだけなのです」

 ヒトリメは消え入りそうな声で必死に否定する。その様子を見て、ムギさんと僕は顔を見合わせる。


「どういうこと? ヒトリメ一人だけが、何か特別なの?」

「いえ、ヒトリメは全て同じです。さすがに爪は仕事に差し支えがあるので切りますけど、髪の毛を切るというのはのはちょっと無責任かと……」

「えと……って、というのは君の名前じゃないの?」

「えっ、違います。ヒトリメというのは、の事です。私たちヒトリメには、お母さんの体に溜まった良くないものが排出されて産まれるわけですから、この体は良くないものばかりなのです。ですので、髪の毛もできるだけ切らずに、良くないものを他へと出さないようにしているのですよ」

「そんな事ってあるのかい?」

「はい。現に私たちヒトリメは、皆とても体が弱かったり小さかったりします。先ほどこちらへ来た弟と私を見比べればお判りでしょう。この国のは、お母さん達が対応する間もなく広まってしまったのです。そこでお母さん達は、今まで積もり積もった良くないものを輩出し、私たちを産むのです」

 ムギさんと僕は何も言えずに話を聞くばかりだった。


「そして、お母さん達が次の子を産むと、その子はとして産まれるのです。この国ではそういう風にして代々暮らしているんですよ」

「そんなのって、おかしくないかい」

「確かに、他の国の方にとってはおかしいかもしれませんね。でも代々そうしてきていますので。申し訳ないです」

 ヒトリメは、ぺこりと頭を下げる。ムギさんと僕が黙っていると、取り繕うように付け加える。


「あの、でも、私なんかは幸運ラッキーな方なんですよ。今はそうでもありませんが、昔はヒトリメの多くは生まれてすぐ死んでしまっていたそうです。あまりにひ弱で役に立たないので名前も付けられませんし、売られてしまうヒトリメも多くいたとか。

 その点私は、ここまで大きくなれましたし、家族とも一緒の家の屋根裏部屋に置いてもらっています。気を使っていただく事なんてありませんよ」

 ヒトリメはにっこりと笑う。僕が何と言えばいいのかを考えていると、キッチンからツヅキがバスケットを持って現れた。

 カウンターにバスケットを置くと、珍しく外に出てきて、ヒトリメの隣のスツールへと腰を掛けた。

「お待たせしました。トースト12個です。それから、少し半端な材料が出てしまいましたのでよろしければどうぞ」

 ツヅキはそう言って、ベーコントーストを、もうひとつカウンターへと置いた。

「え、こんなのいただけません」

「遠慮なさらずに。あなたのお名前は?」

「あの、私はヒトリメですので……」


 すると、突然ツヅキは調理用のキャスケットを外して、髪をほどいた。腰まで届く綺麗な黒髪がふわっと広がる。

「わたしも数年前までは、ヒトリメと呼ばれていました。でも、とある日にこの喫茶店のマスターにツヅキという名前を貰って働いています」

「あなたは……」

「さ、どうぞ。日ごろブロックばかりお食べになっているのでしょう。たまにはこういう物も良いものですよ」

 ヒトリメはおそるおそるトーストに手を伸ばすと食べ始めた。最初は僕たちの方をちらちらと伺いながら口に運んでいたが、そのうち猫背になってトーストを夢中で食べている。その後ろ姿は、こころなしか小さく揺れていた。

「あの、美味しいです。とても。こんな立派な物食べたことないです。本当に私は幸運ラッキーです」


 ツヅキは、そんなヒトリメの髪を撫でながら言った。

「またこの国へ立ち寄った際には、是非来てくださいね。その時にヒトリメさんじゃわかりにくいでしょうから、あなたの事は……そうですね。屋根裏で暮らしておられる、『ルカ』さんと呼ばせていただきますね」

「私が……ルカ……?」

「ええ、ルカさん。これからよろしくね」

 ルカは、ぼおっとしていたが、時計を見て我に返ったのか、バスケットを手にしてぺこりとお辞儀をすると店を出て行った。


 ルカを見送った僕達は、3人でカウンターに並び、しばらく黙ってコーヒーを飲んでいた。

「ねえツヅキ」

「なあに」

「ヒトリメがってのは、本当なの?」

「凄い昔は、そうだったのかもしれないの。母体……お母さんの体っていうのは、普通、赤ちゃんへ悪い物を通さないようにするフィルターがあるのだけれども、急に現れた悪い物には対応できなかったとか……。今はどうなのか、私自身も詳しいことはわからないのだけどね。ただ、ヒトリメが今も小さいのは、ヒトリメだという事で凄く粗末な食事しか貰えないからじゃないのかと思うわ」

「きっとそうだよね。だって、ツヅキはマスターより大きいくらいだもの」

「ふふふ、まさか追い抜かれるとは思わなかった、とよく言われてるわ」


「それと……ツヅキが髪を伸ばしてるってのさ……」

「ええ、綺麗でしょ? 私の自慢の髪だもの」

 ツヅキは誇らしげに両手で髪をかき上げる。指からこぼれた黒髪が、霧雨のようにふわっとたなびいて元の場所へと収まった。僕は嬉しくなった。

「うん。とても綺麗だね。ねえ、ルカはまた来るかな」

「ええ。きっと来るわ」

「その時にはさ、一緒にご飯を食べようと思うんだ」

「そうね。私もご一緒させてもらうわ」



 あくる日の夜、僕は、屋根裏部屋から月を見上げてムギさんに言った。

「ねえムギさん、ツヅキのトーストは美味しいけどさ」

「間違いなくね」

「だけど、泣くほど幸運ラッキーでおいしいというのは、と思うんだ」

「そうだね。でも、君にもひょっとしたら、泣くほどおいしいトーストがあるのかもしれないよ」


 それはどんなトーストだろうかと僕は考える。食べてみたいような、食べない方がいいような気がする。考えても答えは出てこなかったので、今夜もムギさんと一緒に喫茶店へと向かう。

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