ムギさんと返事をする本

 雷まで伴うものすごい夕立が降った日の夜。見上げた夜空は、入道雲までも洗い流されてしまったかのように、一面の星空が広がっていた。ムギさんと僕は、その星空の指揮者であるところの満月を眺めながら喫茶店へと向かうことにした。

 本棚から1冊の本を手に取ると、本の隙間からと何かが落ちた。しおりか何かの忘れものかな? と思って拾い上げ、そのまま窓際のボックス席へと向かう。マスターにコーヒーを2つ注文して席に着いたところで、何気なく拾った紙を見てみると、そこには何か手書きの文字が書いてあった。


――こんばんは。君の好きな食べ物はなあに?


 妙にその文字の下には、返事を書くのに丁度良いくらいのスペースが空いていた。僕は、なんだかおもしろくなって、ムギさんにもその紙を見せた。


「見てごらん。さっき、この本から落ちてきた紙なんだけど、こんな質問が書いてあるんだよ。ほら、ここには返事が書けそうだ」

「本当だね。ひょっとしたら、誰かが次に読む人に向けて、ちょっとしたいたずらをしたのかもね。へえ。で、どうするんだい?」

「面白そうだから、返事を書いて、元の本に挟んでみようよ。ひょっとしたら、紙をはさんだ人が見つけるかもしれないよ」

 僕は、余白の部分に、


――僕の好きな食べ物は、鳥の胸肉ソテーです


と、書いた。そして、ちょっと考えるて、その下に、


――今日の雨は凄かったね。そっちはどうだった?


と、付け加えておいた。その紙を本の後ろの方に挟むと、いつものように読書をはじめた。


 しばらく経ったある日、喫茶店に来て本を選んでいた僕は、前にメモを挟んだ本を見つけた。そういえば、あのメモはどうなっているのかしらん? まだ、本に挟まったままなのかな? と思って手に取ってみると、はたして、メモがはらりと落ちた。

 誰も気が付かなかったのかな、と、少しがっかりしてメモを拾ってみると、なんとそのメモは、前の紙とは違う紙だった。そのうえ、あの字で、返事が書いてあったのだ。


――むね肉かあ。私は、もも肉の方が好きだよ。そうそう、突然の雨にはまいっちゃうよね。うちに着くまでに、服の中までびしょびしょになりそうよ。


「ムギさん! 返事が来てるよ」

 僕は、慌ててカウンターで丸くなっているムギさんの所へと行くと、その紙を見せた。

「へえ! これは面白いね。やっぱり、どこかの誰かが本に手紙のつもりで挟んでいたのだね。それにほら、また質問が書いてあるよ。どれどれ?


――あなたの飼っているペットの名前は?


だって。きっと、"また、返事を書いてね”って事なんだろうね」

 すると、僕たちの話に興味を持ったのか、マスターも紙を覗き込んできた。

「どうかしたのかい? ほう……こりゃ面白いな。誰かが本を使って、手紙のやり取りみたいな事をしてるのか。いったい誰だろうな」

「そんな事言って、実はマスターやツヅキがやってたりしてね」

 ムギさんがからかうと、マスターは笑い声をあげて否定する。

「ハハハハ。そりゃいい。今度やってみようかな。でも、これは違うぞ。第一、俺も決して字は上手くはないが、こんな字じゃない。ツヅキはもっときっちりした綺麗な字を書くぞ。他の誰かの思い付きだな。ま、よろしく伝えておいてくれよ」

 そう言うと、マスターはオーダーをさばきに奥の方へと帰って行った。


「いったい誰が書いているんだろうね」

「本人に直接聞いてみればいいじゃないか。丁度、返事を書くところなんだろう?」

 なるほど、と思った僕は、やはり空いているメモのスペースへと、返事と一緒に質問を書き込んだ。


――ペットの名前は、「ムギさん」です。でも、ムギさんはペットというより、僕の頼りになる相棒です。ところで、。君の名前はなんていうの?


「これでよし」

「うん。それにしてもこのぼくをペット扱いとは……。まったく君って奴は」

「まあまあ。だって、うちで当てはまるとしたら、ムギさんしかいないんだし。それよりも、ちゃんと返事はくるかなあ?」

 ムギさんと僕は、そのメモを本に挟むと、内容を読むのもそこそこに、元の本棚へと戻した。



 次の満月の夜、ムギさんと僕は、喫茶店に入るとすぐに、しおりメモの本を手に取った。中を開けてみると、そこには、新しいしおりメモが挟んであった。メモの上には、相変わらず、例の字が書かれていた。


――ムギさんというのが君の相棒なのね。よろしく伝えておいてね。それから、私の名前は、マリベルです。マリーって呼んでくれると嬉しいな。じゃあ、私からも質問。君はどこの出身なの?


「また書いてある! マリーって言うんだって」

「本当だ。いったいどんな子なんだろうね」

 ムギさんと僕が、メモを手にと騒いでいると、またもやマスターが覗き込んできた。

「今度は何だい? ほお、また例のメモの子か。どれどれ……、マリベル? うーん、聞いた事ないな。ま、俺もすべてのお客さんの名前を知ってるわけじゃないけどなあ」

 マスターは首を傾げていたけれど、僕は、さっそく返事を書きこんだしおりメモを本に挟んだ。


――僕は、カリュウ川沿いの小さな町の出身です。いつも川を渡ってここに来るんだ。マリーはどんな所に住んでいるの?


 今度はどんな返事が来るのだろう。僕は、わくわくして喫茶店が来る日を待った。そして、次の満月の夜、喫茶店に行ってみると、また例の本にはマリーからの返事が挟まっていた。


――川沿いの街なのね。私は川はちょっと苦手で、ひとりだと渡れないくらいなの。君は凄いね。じゃあ、私からも質問。君の誕生日はいつですか?


「マリーは川が苦手なんだって。面白いね」

「渡れないくらい苦手なんて、昔、川で怖い目にでもあったのかもしれないね」

 すると、またマスターがやってきて、メモを覗き込んできた。

「ほほう……マリー君は今度は誕生日を聞いてきたのか。ううむ。なんだか、大人が秘密の合言葉パスワードを忘れた時の質問みたいなのばかりだな。これはちょっと怪しいかもしれないぞ。今回は、返事を書かないで様子を見た方が良いんじゃないのか?」

 マスターが、あごを撫でながら難しそうな顔をする。

「そうなの? でもマリーはそんな悪い人とは思えないけど」

「確かに。会ったことはないけど、悪い人ではない気がするよ」

 ムギさんも僕に同意する。しかし、マスターに、「しばらく本にメモを挟む子が誰なのかを確認したいから」と言われて、結局その日の返事は書かずに本をしまった。


 しばらく経ったある日、僕が喫茶店で本を物色していると、手に取った本からはらりとメモが落ちた。おや? と思って拾ってみると、それは、あのしおりメモだった。びっくりして本を確認してみたのだけれども、前の本とは違う本だ。メモには相変わらずの字で、僕宛ての手紙が書いてある。


――お久しぶり。こないだは返事をくれないんだもん。ちょっとつまらなかったわ。また気が向いたらお返事頂戴ね。


「ムギさん! マスター! ツヅキ!」

 僕は慌てて皆にカウンターへと集まってもらい、メモを見せた。メモが出てきたのは、こないだの本とは違う事を告げると、皆、一様にびっくりしていた。

「ほお。それはちょっと驚きだな。俺もちょこちょこと本棚の方を気にしていたけれども、メモを挟み込んでるような子は、見かけなかったもんなあ。しかも、ピンポイントでお前の取る本に入っていたんだろう?」

「不思議ですね。うーん……。以前のメモを見返してみましょうか……、あら? ひとりで川が渡れない? まるでその子、吸血鬼みたいですね」

「えっ! 吸血鬼?」

 ツヅキの言葉に、僕はびっくりした。なんでも、ツヅキの話では、吸血鬼というのは、一人では川が渡れなかったり、日の光にめっぽう弱かったりするらしい。

「ふむ。なんにせよ、きっと、その子は只者じゃあなさそうだなあ。まあ、吸血鬼って事は無いだろうけど、案外、幽霊か何かもしれないなあ。ひょっとしたら、本自体が幽霊になって、返事を書いているのかもしれないぞ。だから誰も見た事ないんだよ」

「マスターまで脅かさないでよ。よし、こうなったら直接会って確かめてみよう」

 僕は、意を決すると、そのメモの余白にこう書いた。


――マリー、お手紙ありがとう。今度の満月の日、窓際のボックス席で会えないかな。楽しみにしているよ。



 次の満月の日、ムギさんと僕は、窓際のボックス席へと向かった。恐る恐る近づいてみると、そこには、透き通るくらいに肌の白い、銀髪の女の子が座っていた。女の子は、僕に気が付くと、にこっと笑って手を振ってきた。

「こんばんは。初めまして。私がよ。あら、あなたがムギさんね」

 マリベルは、ムギさんにも話しかけると、前足をちょこんと握った。

「初めまして。マリー。君は本当にんだね」

「ふふふ。驚かせちゃったかな。ごめんなさいね。実は私、人と話すのとかはちょっと苦手で……遊びに行くのだって、自分からは行けなくて、誘ってもらうのをじっと待ってるくらいなの。今日も実は、ドキドキしているのよ」

「僕もだよ。ところでマリー、この前の時、君はなんで、僕が手に取る本がわかっていたんだい? 何か特別な力でもあるのかい?」

 マリベルは悪戯っぽく微笑むと、1冊の本を渡してきた。その本を開くと、と1枚のしおりメモが落ちてきた。そのメモには、


――お久しぶり。こないだは返事をくれないんだもん。ちょっとつまらなかったわ。また気が向いたらお返事頂戴ね。


と、書いてあった。


「――これって、こないだと同じ文面の手紙じゃない。でも、おかしいなあ。あのメモは、僕が取っておいたはずだけど」

 僕がマリベルの方を見てみても、にこにこと笑っているばかりだった。すると、ムギさんが、ぴょこんとテーブルの上に乗って来た。

「そうか。マリー、君はこの同じ内容の手紙を、何個も書いて、たくさんの本に挟んでおいたんだね。そうすれば、別にどの本を取るかを知らなくても、手紙を渡すことができる。そういう事でしょ?」

 マリベルは、パチパチと拍手をする。

「正解! ムギさんやるじゃない。その通りよ。別に私は特別な力なんて持ってないわ。例え持っていたとしても、こうすれば力を使わなくても渡せるもの」

 その後、僕たちは、3人で楽しくおしゃべりをした。こないだ聞かれた誕生日を教えたり、好きな食べ物や、今までに読んだ本の事を、時間を忘れるくらい夢中になって話をした。

「ああ、楽しかった。ありがとう2人とも。久しぶりにこんなに喋ったわ。これで私も、やっとおうちに帰れそう」

 マリベルはそう言って、喫茶店を後にした。



 その後、何度も喫茶店に行っているのだけれど、あれ以来マリベルの姿を見たことはない。もちろんしおりメモも見つからない。そんな事も忘れかけた頃、僕の誕生日がやって来た。お母さんから、誰かからプレゼントが届いたと聞いて受け取ると、差出人はマリベルだった。

 そのプレゼントの中身は、薔薇の紅茶と1冊の本だった。内容は、”とある吸血鬼が本を馬鹿にしたところ、本棚の神様の呪いにかかってしまい、心から本を楽しむまでは家に帰れなくなってしまった”という物語だった。その本を読みながら飲む薔薇の紅茶は、なんだか、ちょっと鼻にくる、とてもとてもいい香りがした。

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