ムギさんとイヌヤマメ
しばらく雨が続いていたある日の夜。ムギさんと僕が、カウンターでコーヒーを飲みながら本を読んでいると、カワモンドがクーラーボックスを持って、意気揚々と店に入って来た。
「マスター、ツヅキさん! こんばんは。今日も釣りたての
カワモンドは、いつものように、きっぷの良い口調でシャキシャキと話す。クーラーボックスをツヅキに渡すと、僕達の隣にどっかりと座って、トマトジュースを注文した。
「こんばんは。カワモンド。今日も調子良いみたいね」
「おう、こんばんは。絶好調だよ。美味しいグンジョウイワナにアカネマスを何
「さすが川釣りキングだけあるね」
「へへへっ、よせよ。照れるぜ」
カワモンドは、
「そうだ、もしよかったら、今から夜釣りに行かないか? この季節、近くの川だったらライトアップしているし、予備の竿も、たももゴム長靴もある。いい機会だから、俺のテクニックを、いろいろと伝授してあげよう」
「本当に! 行こう行こう!」
僕らは、飲み物を飲み終わると、川へと向かった。カワモンドの案内で、生い茂った林を抜けると、広々とした川幅の
「よしよし、こっちだ」
カワモンドと一緒に、ゴム長靴のまま、川岸からじゃぶじゃぶと浅瀬に入る。それだけでも楽しかったが、あまり水音を立てると、魚が逃げてしまうらしい。走り出したいのを堪えて、ゆっくりゆっくりと先へと進んだ。
やがて、大きな岩や、木の根っこなどの、魚がいそうなポイントのある釣り場へと辿り着いた。カワモンドはクーラーボックスの中に、重り用の石と水を入れて固定すると、僕に釣竿を渡してきた。
「さて、いっちょやるか。この川で釣れるのは、イヌヤマメかグンジョウイワナだな。という事は、餌はこの特製のねり餌でもいいし、その辺の石をひっくり返したところにいる、小さなカワムシを使ってもいい。まずは、ねり餌でいくか」
僕は、カワモンドにねり餌を分けてもらい、針の先にちょこっとつける。あまり大きくしないのがコツだそうだ。
「イヌヤマメは、上流から流れてくる物ならなんでも食いつく食いしん坊だ。でも、止まっている物には興味が無い。だから、魚のいそうなポイントから、ちょっとだけ上流のポイントに餌を落として流すのがコツだ。やってご覧」
カワモンドに教わった通りに、ちょっとだけ離れた場所に向かって、竿を振る。少しずれたけど、なかなかいい場所に落とせたようだ。そのまま、餌が自然に流れているように見せるために、ゆっくりゆっくりと竿を下流方向へと動かした。すると、急に竿に手ごたえがあり、糸がぴんと張った。
「よし! ヒットしたぞ! 一回だけ竿をぐんと上に上げて、針をしっかりとひっかけるんだ。いいぞ。あとはゆっくりこちらに引き寄せるんだ。よしよし、うまいうまい」
必死になって、糸を手繰り寄せると、
両手を上げて、いっぱいに竿を立て、こちら側に引き寄せる。たもを持って待ち構えていたカワモンドが、さっと
「なんだなんだ。随分と筋がいいじゃないか。よーし、こうなったら、今日は俺の必殺技も教えてやろう。まずは、スパイラル・フライからだ!」
そしてその日、ムギさんと僕は、カワモンドにたっぷりと川釣りの極意を教えて貰った。喫茶店に帰る頃には、クーラーボックスの中は、魚でいっぱいになっていたほどだ。マスターやツヅキにも褒められて、僕は、鼻高々だった。
カワモンドに釣りの極意を教えて貰ってから数日後の日曜日、僕は鍛えた腕を確かめたくなって、ムギさんと一緒に、近くの釣り堀へと出かけた。たくさん釣って、喫茶店のまかないに持って行ってあげようと思ったのだ。
なにせ、釣り堀の魚は、こないだの川と違って、もう既に見える所にたくさん泳いでいる。川に比べれば楽勝だ。僕は自信満々で、竿に餌を付けてポイントへとキャストした。
ところが、いつまでたっても1匹も釣れない。魚の種類を間違えているのかと思って覗き込んでみても、やっぱり赤い首輪のイヌヤマメに間違いない。僕は何回も水の流れ込んでいる入口へと餌を投げ入れ、ゆっくり自然に見えるように、魚の方へと動かしているのだけれども、イヌヤマメは見向きもしない。
意地になって、カワモンドに教えて貰った、スパイラル・フライを使ってみても駄目だった。トゥーパイ・サインカーブや、ウォーク・イン・ザ・ウォーターも繰り出してみたけれど、結果は同じだった。
結局、その日は1尾も釣れなかった。僕は、釣り堀のご主人に、ざんねん賞のイヌヤマメ2尾を貰って、とぼとぼと家に帰った。
その日の夜、ざんねん賞を持って喫茶店に行ってみると、カワモンドも来ていた。
「あ! こんばんは。カワモンド! ちょっと聞いてよ。今日、釣りに行ったけど、全然釣れなかったんだよ。ほら。このざんねん賞の2尾だけだったよ」
「よう! こんばんは。どれどれ? あれ、イヌヤマメじゃないか。おかしいなあ。こないだの君の腕だったら、もっと釣れても不思議じゃないのに。いったいどこの川に行ったんだい?」
「ううん。川じゃないよ。釣り堀に行ったんだよ。教えて貰ったとおりに、ウォーク・イン・ザ・ウォーターまでやってみたんだけど、全然だめだったよ」
「釣り堀? ハハハハ! そうかそうか。それじゃあ釣れなかっただろうな」
カワモンドは、いつものように豪快に笑い飛ばした。
「カワモンド、いったいどういう事なんだい?」
「それはな、同じイヌヤマメでも、川に住んでいるイヌヤマメと、釣り堀に住んでいるイヌヤマメでは、性質が違うって事さ。
川の方にとってのご飯は、前に教えたように、流れてくる餌だ。だから、流れてくる物に反応して、素早く食いついてくるわけだ。でも、養殖のイヌヤマメにとってのご飯は、それは養殖場の人が、上からばら撒くえさだ。つまり、空から頭の上に落ちてくるものに食いつくってわけさ。
今度、釣り堀に行くことがあったら、餌を流すんじゃなくて、イヌヤマメの真上から、ポトンと落とすようにキャストしてご覧。きっと、こないだ以上に大漁間違いなしだぜ」
あくる日、ムギさんと僕は、もう一度釣り堀に行ってみた。そして、カワモンドに教えて貰ったように、上からポトンと餌を落としてみると、たくさんの魚が争うように餌へと食いついてきた。
「うわ、本当にすごい食いつきだね!」
「さすが川釣りの王者。いろんな事を知っているね」
その日は、以前と打って変わって、大漁だった。あまりに釣れるので、30分レンタルで借りた釣り竿を、制限時間が来る前に返してしまったほどだ。
釣り堀から帰宅した日の夜、僕は、屋根に腰かけてムギさんと話した。
「同じ魚でも、育っている場所によって、あんなにも違うんだね」
「そのようだね」
「そう言われてみると、ヒトだって、同じヒトなのに、家ごとや学校ごとに特徴があるものだね。一緒くたにして、"こういうものだ"って決めつけるのは、気を付けなくちゃいけないね」
「そうだね。ヒトだけでなく、猫だってそうさ。僕に至っては、猫扱いすることにだって気を付けて欲しいくらいさ」
ムギさんは、つんと澄まして、しっぽをくるんと振って見せた。
僕は、"ムギさんの場合は、住んでいる家や環境とかいうのを超えた特別さなんじゃないのかな?"と、思ったけど、口には出さなかった。だって、イヌヤマメをお腹いっぱいに食べて、ごろごろと喉を鳴らしているムギさんが、あまりにもご機嫌だったから。
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