ムギさんと炬燵

 少し肌寒い日が混じり始めたある日の夜、ムギさんと僕は、窓側の席に腰かけて、コーヒーを飲みながら相談をしていた。


「炬燵を出すタイミングというのが、存外に難しいんだ」

「ムギさんは炬燵が好きだものねえ」

「うん。でも好きなのと得意なのは違うからね。難しいんだよ」


 早く出し過ぎると、せっかく炬燵に入ってもすぐに熱くなって出てきてしまう。かといって、いると、夜になって思わぬ寒さに閉口する羽目になる。

 僕たちは、真剣に話し合い、ようやく11月の第2週の日曜日と第3週の火曜日を候補に挙げた所で、お爺さんひよこのが店に現れた。今日も黄色い羽毛の上に、うす水色のスーツをパリッと着こなし、銀縁めがねと真っ白く伸びた綺麗なお髭が決まっている。


「こんばんは、ひよ爺。炬燵を出すタイミングが難しいんだよ」

「こんばんは。炬燵なら11月の秋祭りが始まったら出しなさいな」


 ひよ爺は、事もなげにそう言うと、アメリカンをオーダーした。

ムギさんと僕が、いろいろと検討した結果、ひよ爺のいう事が、完璧に正しいという事になった。


「ひよ爺は本当に凄いや。いろいろな事を知っているよね。僕も、将来はひよ爺みたいになりたいなあ」

「そうかね。ありがとう」

 ひよ爺はアメリカンを啜ると、にっこりとほほ笑んだ。

「こう見えて、わしはムギ君よりも長く生きているからね。でも儂のようになりたいというのは、ちょっとじゃのう」

「どうして?」

「確かに、まだまだ君はだけれども、私のようになるのではなく、なりなさいな」

 すると、ムギさんが少し不服そうに抗議する。

「黒猫ではだめなのかい?」

「ほっほっほ。黒猫でも構わんよ。ひよこは何にでもなれるからね。でもいいかい? ある時期を過ぎると、んじゃよ」

「それでもいいけどなあ」

「そうかね? あまりお勧めはしないよ。私はね、君が、黒猫になったとしても君のことを誇りに思うよ」

「半分なのに?」

「ああ、だって、君は半分の分だけ踏み出したって事だからね。儂が思うに、君ならきっとよい鶏になれるじゃろうよ。ひよこの気持ちがわかる、鶏にね」


 ひよ爺はにこにこしながらアメリカンを飲み干すと、ごちそうさまでしたとお代をカウンターに置いた。そしてそのまま帰ろうとしたのだけれども、入口のドアの手前で、何かを思い出したかのように振り返った。


「ああ、そうそう。炬燵をしまう時期だけれどね。これは5月のお祭りの後じゃよ」

 そう言ってひよ爺は店を後にした。その日付は、またも完璧に正しい日付だった。


 その日の明け方、部屋に帰ったムギさんと僕は、ベッドに入りながら、ひよ爺の言っていた事について話をしていた。

「ひよこは、いつまでもひよこでは無い方がいいんだね」

「あのひよ爺が言っているんだから、きっとそうなんだろうね」

「やっぱり、そういうものなのかな」

「そういうものなんだろうね」


「うーん、ねえムギさん、僕は黒猫になった方がいいのかな」

「そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれないね。でも、何になるかを決めるのは、結局きみ次第なんだろうね」


 僕は、将来何になるのだろう。何になりたいのだろう。そんな事を考えていると、ムギさんがぽつりと付け加えた。

「でも、君が人間じゃなくなると、膝の上に乗れなくなってしまうね」

「乗っておくかい?」

「別にいいけど」

 そう言いながらムギさんは、僕の腕と体の間に頭を突っ込んで丸くなった。

 僕はムギさんのを感じながら、僕にとって炬燵を出す時期が難しいのは、ムギさんのせいもあるのかもしれない、なんて事を考えていた。

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